倶楽部メモ(869)

令和6年9月11日〜10月18日

47年3月改正における20系客車の運用の変更について

映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について


投 稿 者  ナロ2051

投 稿 日  2024/9/11 20:50

タイトル とある疑問

 

 47年3月改正で14系寝台車94両3往復分(6編成)が新製投入されました。
この改正で出雲、瀬戸が格上げにより寝台特急の仲間入り、
また、あかつき、彗星各1往復計4往復分(8編成)が格上げ、増発されました。
格上げ、増発が3往復なら納得?するのですが、当時予備車も少なく運用されていた20系、
1往復分最低でも30両どの様にして捻出(或いは運用の見直し)したのでしょうか。




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/9/12 20:15

タイトル Re:とある疑問

 

ナロ2051様

 47年3月改正における20系客車の運用の変更についての質問ですが、確かにおっしゃる通り
当時の20系寝台特急の基本的な編成は15両なので、単純計算で30両の不足が出そうですが、
当時の状況を調べてみますと、

1、急行格上げにより20系寝台特急となった「出雲」の編成は15両ではなく12両であったので、
ここで6両分の余裕が生まれました。

2,47年3月改正前の21レ・22レ「あかつき1・2号」の受け持ちは基本編成(鹿児島編成)は
向日町、付属編成(長崎編成)は品川であり、付属編成が「はやぶさ」と共通運用でしたが、
47年3月改正後は21レ・22レ「あかつき1・3号」の基本編成の受け持ちも品川に変更となり、
編成全体が「はやぶさ」と共通運用となりました。
この変更により、「はやぶさ」の基本編成がひとつの運用で8両編成が3編成必要であったのが
鹿児島側の間合い運用で21レ・22レ「あかつき1・3号」の基本編成の運用を賄うことにより、
改正前の「はやぶさ」運用で3編成、「あかつき」運用で2編成の計5編成が必要であった
ところを、4編成で賄えるようになったため、ここで8両の余裕が生まれました。

3,上記の余裕分により、47年3月改正において、品川配置の20系予備車が9両少なくなって
おります。(ちなみに向日町の予備車両数は変更なし。)

1〜3によって、合計23両分が捻出されており、残りの7両分は全国的な配置両数の見直し
によって捻出された模様です。




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/9/17 7:17

タイトル Re2:とある疑問

 

ナロ2051様

自己レスとなりますが、前回投稿した内容について、品川配置の20系予備車が9両少なくなっている
と書きましたが、これは43年10月改正時点から47年3月改正時点の差でありまして、
これらのダイヤ改正の間に品川にナハネ20が2両増備(1両は青森から転属)されていたので、
実際には11両の予備車が少なくなっております。

これで残りは5両分となり、この5両については青森から向日町に転属となっております。




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/9/17 22:28

タイトル Re3:とある疑問

 

ナロ2051様

文章だけではわかりにくい面もあると思いまして、比較できる表を作成してみました。

参考になれば幸いです。

 
 



投 稿 者  ナロ2051

投 稿 日  2024/9/20 20:27

タイトル 何回ものご回答ありがとうございます

 

@12両編成の出雲
結果論ですが、山陰本線の有効長が幸いした。
Aはやぶさあかつきの共通運用
そう言えば、以前にあかつきのナロネ22の件で投稿していました。
向日町、長崎の折り返し時間は問題無いのですが、鹿児島での21レから4レの3時間強の折り返し時間、
かなりタイトだったと想像出来ます。
B品川の予備車
47.3改正で殿様あさかぜでない博多あさかぜの14系化、12両編成の出雲で品川の使用車両が
36両減少しており、品川の予備車減少当然かと思います。
C向日町の予備車
P誌444号54ページ20系客車需給表によると、ハネフの使用は16両に
対し予備車は僅か3両。正しく綱渡りの運用だったのではないでしょうか。
特にやむを得ずに22.23に寝台数が6少ない21を使用する時は冷や汗ものだったと想像します。
ただ7ヶ月後の10月改正で14系の新製投入が決まっており、7ヶ月なら全般検査の期限を考慮すれば、
なんとか乗り切れるとの判断だった様な気がします。




投 稿 者  中谷連

投 稿 日  2024/9/26 16:02

タイトル 2010年1月9日のあけぼの号(2022レ)に関して

 

初めて投稿及び長文失礼します。
最近、思い出の写真を漁っていたところ、高校生の時に乗ったあけぼの号の写真が出てきました。
この編成を模型化したいと思い、記録している方がいっしゃったら教えて頂けますと幸いです。

@日時は2010年1月9日 上りのあけぼのに乗車
A乗車区間は大鰐温泉から上野まで乗りました。
・その時上野で撮ったのがアップした写真になります。
・EF64-37が故障したか何かでEF81-81が長岡から上野まで牽引していたそうです。
B動画も確認しているのですが、白帯車が2号車のみでした。
参考に
http://ginga55.blog76.fc2.com/blog-entry-35.html

上記のブログの方の情報ですと、1月8日の下り編成は以下の通りだったそうです。
EF65-1032
カニ24-102
オハネフ24-22
スロネ24-553
オハネ24-554
オハネ24-552
オハネフ25-202
オハネ25-216
オハネ24-49
オハネフ25-205

撮影した動画と同じ情報になるのですが、青森到着後に入れ替えや差し替えが行われている可能性
があることから断定することが出来ませんでした。

長文で大変読みづらいと思いますが、教えて頂けると幸いです。
よろしくお願いいたします。




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/10/5 10:26

タイトル Re:2010年1月9日のあけぼの号(2022レ)に関して

 

中谷連様

初めまして。
遅レスで申し訳ありません。

2010年1月9日のあけぼの号(2022レ)の編成についてのご質問ですが、他の
方からの返信が無いようで、やはりピンポイントの特定日の編成となると、
当時毎日編成記録をしていた方、もしくは偶々当該日に記録していた方が
いらっしゃって、その方がこの掲示板を見ている方という偶然が無い限り、
かなり厳しいと思われます。

というだけでは何なので、ネット上で「あけぼの」の編成記録を調べてみた
ところ、30例の編成記録を掲載しているサイトがあり、お探しの2010年1月
に近い日付で、かつ記録日が近い日付での編成の差を調べてみると、
2009年4月26日と2009年5月10日(14日差)
2009年7月24日と2009年8月1日(8日差)
の2例において、寝台車はすべて同一で、電源車のみが異なっておりました。

もちろん中谷様が書かれている通り、青森での数両の差し替えの可能性を
除外することは出来ませんが、折り返しの編成は電源車以外は同一である
可能性が高いのではないかと思いますので、前日の編成がわかっているだけ
でも幸運ではないかと思います。

あくまでも確率の問題ですが、参考になりましたら幸いです。
また、引き続き記録されている方の書き込みを期待いたします。

参考Webサイト
  スリットカメラ鉄道写真館「寝台特急列車あけぼの号編成表」




投 稿 者  PF

投 稿 日  2024/10/8 21:26

タイトル 映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について

 

皆様こんばんは。

20年近く前にこちらのBBSで質問をしたPFと申します。

その節は私の稚拙な質問を諸先輩方より丁寧にお答えして頂き、本当にありがとうございました。

大のブルトレ好きでしたが全廃になり鉄道趣味から遠ざかっていました。
ところが、ふとしたきっかけで映画「ある機関助士」を視聴し、C62を始めとしたSLや旧客の魅力に
取りつかれてしまいました笑

今回も皆様にご質問したい事があり、投稿致します。

1.映画の撮影で使われた急行みちのくの編成について
当方で調べた所、昭和37年頃の急行みちのくの編成は
マニ60+オロ61+オロ61+スシ48+スハ43+スハ43+スハ43+スハフ42+スハ43+スハ43+スハフ42
なのですが、映画ではカット毎で編成が異なったり、(そもそも単機で撮影していますが…)
水戸駅の引き継ぎシーンでは「現車10両の34車」と言われているので、映画での編成は正規の編成と
違うのではないかと思い、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示頂ければと思います。

2.「ある機関助士」について取り上げている雑誌について
上記の編成が載っているのではないかと思うのと、映画の内容を掘り下げたいと考えています。
当方では
・ネコ・パブリッシング「SL甲組の肖像3」
・潟Gリエイ「とれいん No.205」
・イカロス出版「蒸気機関車EX Vol.44」
上記を入手したのですが、これら以外で「ある機関助士」の特集や撮影の事、編成について等、

載っている雑誌や書籍等、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示頂ければと思います。

以上、長文失礼しました。m(_ _)m




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/10/16 19:43

タイトル Re:映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について

 

PF様

映画「ある機関助士」の撮影に使用された急行みちのくの編成についてとの事
ですが、今のところレスも無く、やはり撮影に使われた車両の特定はかなり困難
であると思われます。

実際の撮影日(ネット上の情報によると昭和37年10月25日クランクイン・
昭和38年2月16日クランクアップ)には、舞台である上野-水戸間の牽引機は
電気機関車(EF80)に変更になっているようなので、走行シーンの撮影は
水戸以北で行われたのか、撮影用の臨時列車を運行したのか、はたまた
まったく別の列車を撮影したのかと思われますが、いずれにしても基本的には
その時点での「みちのく」の編成が使用されていた事が多いのではないか
と思います。

一方、物語の設定は上野-水戸間がC62牽引であった昭和37年10月ダイヤ改正前
なので、物語の中のセリフとしては当然C62牽引時代を再現するはずであり、
映像の編成とセリフには乖離があるものと思われます。

昭和37年10月ダイヤ改正直前の昭和36年10月ダイヤ改正における所定編成は
マニ スロ54 スロ51 スシ28 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42 スハ43 スハ43 スハフ42
といった11両編成であったようです。

閑散期には1両程度減車され10両編成での運行もあったのではないかと思われる
ので、現車10両というのはありえたのではないかと思います。
ただ、劇中のセリフでの「現車10両の34車」の「34車」という部分は謎です。
私の認識ではこの部分は換算両数だったと思うのですが、上記編成はほとんどの
車両が「ス」級であり積車換算両数は4.0なので、スハ43の一部がオハ47等に
代わっていても、10両編成では換算両数は40前後になると思われます。

私の認識が間違っているのか?、どなたか詳しいことがわかる方がいらっしゃい
ましたらフォローお願いできればと思います。

参考資料
 改訂版往年の客車列車編成表(アルモデル)
 名列車列伝シリーズ18 東北客車急行(イカロス出版)
 日本国有鉄道監修時刻表 1961年10月号




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2024/10/17 10:14

タイトル Re2: 映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について

 

「ある機関助士」は時々見返すことがある好きな作品ですが、
撮影に関して深く考えたことはありませんでした。
詳しい事は分かりませんが、関係ありそうな話でお茶を濁させて頂きます。

仙コリ様が言われた撮影期間によれば、確かに37-10改正後でEF80が登場していた筈ですね。
常磐線の客車編成の変遷を考える上で、このタイミングは重要な節目です。
客車を電気暖房搭載車にしなければならなかったからです。

常磐線系統の急行列車の編成史を見ると、それまでスロ51や54が多用されていたものが
この改正を機に軒並みオロ61(→後年冷房化でスロ62)に統一されています。
これは電暖化改造工事の手間を軽減するため、
当時オハ61からの改造によって増備が進んでいたオロ61を電暖付きとして常磐線へ投入し、
非電暖車を他線区へ転属させたためです。
寝台車についても同様の動きがみられ、
以後東北方面のハネ車からはナハネ11(→後年冷房化でオハネ12)がいなくなり、
当時増備が進んでいたオハネ17(→後年冷房化でスハネ16)が主力となりました。

映画の方ですが、3分の遅れを背負って水戸駅を発車するホーム上のシーンでは、
一瞬ですがオロネ10と思しき車両が写っているので、
明らかに「みちのく」とは別の列車が代役を務めています。
また緊迫の回復運転中の走行シーンでは
機関車次位に荷物車でなく特ロが連結されている場面もありますから、
列車シーンはいろいろな材料を寄せ集めたように見受けられます。

さすがに機関車は水戸駅発車シーンと上野駅到着シーンで同じC62 22ですね。




投 稿 者  PF

投 稿 日  2024/10/18 19:00

タイトル 映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について

 

仙コリ様

ご返信ありがとうございます。
質問内容があまりにもマイナー過ぎたかなと反省していました。(^^;

昭和37年10月改正前後では編成が異なるのですね。
撮影時のデータと合わせると改正後の編成で撮影していた事になりますね。
仙コリ様の考察と昭和36年10月ダイヤ改正における所定編成を見ると
自分も現車10両の時もあったではと思います。

やはり換算両数「34車」という部分は謎ですね。
ご指摘の通り編成の大半がス級なので、40車前後になりますから…

台本の間違いだったのか、本当に340t編成だったのか。
真相は分かりませんね^^;




投 稿 者  PF

投 稿 日  2024/10/18 19:36

タイトル ありがとうございました。

 

クモイ103様

ご返信ありがとうございました。
私も見返すのですが何度見ても感動します。

確かにEF80の投入に伴い、客車は電気暖房搭載車に変える必要が出てきますね。
そこまで頭が回っておりませんでした。

スロ51、54がオロ61に変わったのも改造工事の手間を減らすためだったとは、
寝台車も同様の事が起きていたのですね。勉強になります。

改めて映画が撮影された時期が上野〜水戸間無煙化の節目だったのだなと実感しました。
映画の中でも引きのアングルや画角の片隅にEF80、401系、キハ81等が出てきますね。

映画における急行みちのくの編成は昭和37年10月改正後の編成を基本としつつ、
様々な編成を流用して撮られた。という所でしょうか。

オロネ10らしき車両、水戸駅の発車シーンでチラリと映りますね。
回復運転のシーンも次位が特ロだったり、ナハフ11のような車両がいたり。

上りの12レ機関車は水戸・上野共にC62-22でした。
実はワンカット、C62-20だったりもします。

クモイ103様、仙コリ様のご返信に重ねて感謝申し上げます。




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