倶楽部メモ(866)

令和6年4月20日〜5月31

「急行さんべ」にかかるスハ44の運用
「急行さつま」の増結食堂車について



投 稿 者  鉄爺

投 稿 日  2024/4/20 22:34

タイトル 「急行さんべ」にかかるスハ44の運用

 

鉄爺です。
いつも楽しく拝見しています。
スハ44を使用した「急行さんべ」についてご教示いただきたく、投稿しました。
昭和46年(1971年)、大阪駅で銀河に連結されたスハ44をはじめて見て驚きました。
旧型ハザ客車にもかかわらず、一方向きシートだったからです。
旧型ハザ客車といえば、ボックスシートが当たり前だからです。
いつか必ず乗ってみたいと思っていたのですが、スハ44は、指定席の運用が多く、
貧乏学生の私には乗れませんでした。(当時は、均一周遊券の利用が多く、専ら自由席利用でした)
 また、銀河に連結されたマロネ41もあこがれの車両でしたが、乗れず終いでした。
高い屋根と大きな窓は、独特の雰囲気を醸し出し、オーラ―がありました。

前置きが長くなりましたが、「急行さんべ」にスハ44は、使用されていたのでしょうか。
私は、昭和49年7月、長崎に珍車のマヤ20、北九州で96を撮影に行きました。
帰路は、博多から浜田までさんべに乗車しました。
その際、奮発して指定席車に乗車しましたが、ボックスシートの車両でがっかりしました。
さんべというと、オロハネ10ばかりが注目されていますが、スハ44は、話題に挙がりませんでした。
本当にスハ44が充当されていたのでしょうか。
サイトを検索すると、その当時でもスハ44が充当されていたようです。
https://betsunoka.web.fc2.com/s/sanbe6.html
スハ44というと、銀河以外には、関西⇔下関・九州の寝台専用列車や
ワンランク上の列車に連結されており、
さんべのようなローカル急行に使用されていたとは思えません。
当時のことをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。
 よろしくお願いいたします。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2024/4/21 21:07

タイトル Re: 「急行さんべ」にかかるスハ44の運用

 

鉄爺様

夜行の[さんべ3号]にスハ44は使用されていました。
43-10改正時の主要客車列車編成順序表を見ると、
1号車オハネフ12+2号車スロ54(以上は竹下持ちの附属編成)に続く米子持ちの基本編成の最初に、
3号車スハ44が指定席で連結されています。
これはネコパブリッシング刊「復刻版 昭和43年10月1日 国鉄白紙ダイヤ改正
 全国版 優等列車編成順序表」にも収録されています。
また45-10改正時には1号車オハネフ12+2号車オロハネ10が
米子の基本編成に組み入れられるという変化がありましたが、3号車スハ44は変化なしです。

スハ44の配置履歴を見ると、43-10改正のタイミングでスハ44 23と24の2両が米子に転入し、
廃車までを過ごしています。
使用2両、配置も2両で予備車が無く、検査時はスハ43などが代走したかもしれませんが、
竹下のスハ44を借りた可能性も考えられます。
廃車は23が1974.10.1、24が1975.2.17なので、
新幹線博多開業に伴う50-3改正を待たずに引退したことになります。




投 稿 者  ナロ2051

投 稿 日  2024/4/21 21:41

タイトル さんべのスハ44について

 

 表記の件、P誌719号(スハ43系特集U)によれば43年10月改正から50年3月改正まで
米子に2両配置のスハ44が使用されていた様です。
ただ2両のみの配置だった為、予備車は無く鉄爺さまが乗車された時は
検査中でボックスシート車(多分オハ47?)だったのだと思われます。
または50年3月改正迄8カ月しか無く、検査期限もしくは状態が良く無い為
既に運用から外されていた可能性も有るかもしれません。
 話は逸れますが、20系客車のファンとして、マヤ20の撮影に行かれたとは時羨ましい限りです。その
マヤ20が運用を離脱して来年で50年になります。




投 稿 者  ナロ2051

投 稿 日  2024/4/21 22:09

タイトル クモイ103様

 

 恐れ入りました。




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/4/22 0:34

タイトル Re4: 「急行さんべ」にかかるスハ44の運用

 

鉄爺様

「急行さんべ」に使用されたスハ44についてですが、すでに
クモイ103様・ナロ2051様が詳しく解説されておりますが、
実際の編成記録を見つけたので紹介させていただきます。

1973年9月3日 801レ 急行「さんべ3号」 米子→博多
DD51  53 [鳥]
マニ60  611  米ヨナ
オハネフ12 7  米ヨナ
オロハネ10 1  米ヨナ
スハ44  24  米ヨナ
ナハ11  45  米ヨナ
ナハ11  81  米ヨナ
オハ46  512  米ヨナ
スハフ42 313  米ヨナ

といった編成記録が、鉄道ピクトリアル2017・2月号別冊
「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」に掲載されておりまして、
間違いなく急行「さんべ」にスハ44が使用されていた証明にも
なると思われます。




投 稿 者  鉄爺

投 稿 日  2024/4/22 20:54

タイトル 「急行さんべ」にかかるスハ44の運用-2

 

クモイ103様、ナロ2051様、仙コリ様

鉄爺です。
早速ご教示いただき幸甚です。
スハ44は、さんべにも使用されていたんですね。
2両しか配置されてないので、私が乗車した時は、点検中だったのかもしれません。
皆様の豊富な知識に感服しました。

ナロ2051様
マヤ20を長崎の操車場で撮影しました。当時は、「はやぶさ」、「あかつき」に使用されていました。
マヤ20に使用しているはやぶさの愛称板は、オリジナルの黄色地のものでした。
余談ですが、20系ではさくらの愛称板は、くすんだ薄い赤色、
みずほの愛称板は、青地に黄色い文字でした。
きれいな配色なのですが、白黒で撮影すると、コントラストがはっきりせず、
みずほの愛称が写りにくかったです。
ヘッドマークも同様で、下半分は、真鍮の磨き、上半分は、ステンレスの磨きできれいなのですが、
経年による表面の酸化で写真映えがしませんでした。
そのためか、ヘッドマークは、後年クリーム色と白色の塗分けに変更されました。
マヤ20撮影後は、鳥栖機関区に行き「さくら」、「はやぶさ」、「あかつき」のヘッドマークを借りて
ED73、DD51にヘッドマークを取り付けて撮影しました。
今思い出すと、いい時代でした。




投 稿 者  ミキスト

投 稿 日  2024/5/2 15:42

タイトル 急行さつま 増結食堂車

 

お世話になります.
1965年ごろの急行さつま(名古屋−鹿児島)の編成を見ると,名古屋−門司で2両目に増結扱いで
食堂車が連結されています.
増結,2両目と異例とも思えますが,何らかの特別な事情があったのでしょうか.
ご存じの方よろしくお願いいたします。




投 稿 者  仙コリ

投 稿 日  2024/5/3 7:54

タイトル Re:急行さつま 増結食堂車

 

ミキスト様

「急行さつま」について詳しくはわからないので一般論ですが…

文字通りに、食堂車が区間増結と考えてしまうと?と思う点もありますが、
全区間運行の2号車−11号車を基本編成、名古屋-門司間増結の1号車と食堂車を
付属編成と考えると、「急行さつま」の名古屋−門司間は昼行、門司−鹿児島間は
夜行運転であるため、夜行区間である門司-鹿児島間は付属編成を切り離す運用で
納得がいきます。
(もちろん、食堂車の運用両数・区間ごとの必要定員数等の都合もありますが)

また、同じく鹿児島寄りに増結される荷物車は門司以南の九州地区のみの連結
であるため、名古屋-門司間は増結車である1号車が鹿児島寄り編成端(もちろん
牽引機以外で)となるため、食堂車が編成端にはなれないため、1号車として
緩急車が連結されていると考えれば自然であると思います。

あくまでも一般論なので、「急行さつま」について詳しい方がいらっしゃい
ましたら、フォローしていただければ幸いです。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2024/5/4 9:48

タイトル Re2: 急行さつま 増結食堂車

 

ミキスト様

仙コリ様より的確な考察が示されましたので
あまり付け加えることはなく一般論の蒸し返しになりますが、

食堂車の連結区間は、列車の性格と車両数の需給関係を勘案して決められます。
当時の[さつま]は仙コリ様ご指摘のように九州内が夜行となり、
しかも鹿児島着発時刻が有効時間帯ぎりぎりなので、
九州内で食堂車は不要と判断されたのでしょう。
それによって食堂車を1両節約できます。

そうなると食堂車は付属編成ということになります。
その昔ならば本編成の真ん中に挿し込んで、
門司では複雑な入換作業で付け外しをしたかもしれませんが、
昭和30年代も後半になるとあまりそういう無理はしなくなります。
単純な増解結で済むように編成が工夫された結果が、
2号車という位置だったと考えられます。




投 稿 者  ミキスト

投 稿 日  2024/5/4 12:17

タイトル Re:急行さつま 増結食堂車

 

仙コリさま、クモイ103さま、ありがとうございます。
確かに九州内は上下ともに深夜夜行帯なので食堂車は全く不要ですよね。
効率良い運用と基本編成を崩さずに食堂車を加えた、ということでしょうか。珍しい例と思いました。
さぞかし食堂車への道のりは遠かったでしょう。
まあ、この時代の混雑を考えると、自由席の乗客は席確保の面からも利用し辛かったことでしょう。




投 稿 者  ナロ2051

投 稿 日  2024/5/4 17:26

タイトル 21、22レあかつきのナロネ22

 

表題の件ですが、連結期間は1972年3月から7月迄の僅か4ヵ月で共通運用のはやぶさと共に
ナロネ21に置き換えられました。(ご存知の通り殿様あさかぜの出現になる)
このナロネ22を連結したあかつきの写真を見た事がある方はいますか?
ゴーマルサン以前唯一の関西九州間の20系だったので上り列車の写真は見ますが、
1号車なのでまず写っていません。
九州内の下り列車かドア上部の方向幕の写真になると思います。
また硬券の個室寝台券現存するのでしょうか?




投 稿 者  TK

投 稿 日  2024/5/13 23:15

タイトル D51-498が牽引していたと思われる編成について

 

D51-498が平、長岡第一、直江津(貸し渡し)、新津、坂町機関区に所属していた時に
牽引していたと思われる準急列車などの編成をどなたか教えて頂けないでしょうか?
(できればスハ43ぶどう色中心であるとありがたいです)




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2024/5/30 15:37

タイトル 改めて 急行さつま 増結食堂車

 

先の自分の投稿を読み返していて、
ミキスト様の最初のご質問に完全にお答えしていなかったのではないか?と思い直しました。
[さつま]の食堂車の号車番号が数字でなく「増」になっている点についてです。
(5/4 9:48 の私の投稿の最後で「2号車」と書きましたが「増号車」でしたね。失礼しました。)

改めて1964(昭和39)年10月1日改正時の601レ急行[さつま]の編成をおさらいします。
(主要客車列車編成順序表より)
スハニ(鹿荷47 門司→八代)
マニ(鹿荷1 門司→鹿児島)
オユ(東郵1 門司→鹿児島)
@スハフ43
増マシ49(以上2両:名附1 名古屋→門司)
Aオハネ17
Bナハネ11
C・Dナロ10
F〜I号車ナハ
Jナハフ(以上A〜J9両:本編成・鹿1)
Kスハ
Lスハフ(以上2両:門附4 京都→門司)

すぐに気づくのは、食堂車が「増」で数字を与えられていないのに、
本編成の途中6号車が抜けていることです。

実はこの本編成「鹿1」は、東京→鹿児島間31レ急行[霧島]がメインの仕事で、
[さつま]はいわばアルバイトでした。
霧島の編成は次の通りです。
マニ(鹿荷1 東京→鹿児島)
@オハネ17(門附1 東京→博多)
A〜Dは[さつま]と同じ本編成・鹿1
Eオシ17(鹿附1 東京→鹿児島)
F〜Jも[さつま]と同じ本編成・鹿1
K・Lオハ
Mスハフ(以上3両:熊附1 東京→熊本)

これを見れば明らかなように、「鹿1」の編成は[霧島]の時に6号車にオシ17を組み込み、
さらに編成の鹿児島寄りには寝台車1両の附属編成を連結するため、
A〜D・F〜Jという一見変則的な号車番号になっているのです。
これで[霧島]は1号車から14号車まできれいに揃った編成になりますが、
[さつま]は増結車2両に数字2つが与えられず、食堂車が割を食って「増」になってしまったのです。

なお[霧島]の食堂車も附属編成でこちらは本編成の途中に割り込んでいますが、
東京→鹿児島の全区間に連結されるので、[さつま]と違って増解結は車両基地内で行なわれます。

「鹿1」運用は32レ[霧島]→31レ[霧島]→602レ[さつま]→601レ[さつま]の2往復で、
使用組数は6組です。これを[霧島]と[さつま]で別々の運用にすると、
鹿児島での折返し時間の関係で霧島4組、さつま3組と合計7組の客車編成が必要になります。
限られた車両数を効率的に活用する運用の工夫でした。




投 稿 者  ミキスト

投 稿 日  2024/5/31 12:19

タイトル Re 改めて 急行さつま 増結食堂車

 

クモイ103様
有難うございます.
増結車扱いの件,なるほど納得いたしました.
号車割り振りもさることながら,その連結位置にも興味がそそられました.
乗客の利便性と,車両の運用効率との妥協点なのでしょうか.
連合軍用列車か何かで,尾灯を付けた食堂車が最後尾に連結されてる写真を見たことがありますが,
「さつま」の増食堂車の写真も見てみたいところです.
重ねて,ありがとうございました.



        
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