先の自分の投稿を読み返していて、
ミキスト様の最初のご質問に完全にお答えしていなかったのではないか?と思い直しました。
[さつま]の食堂車の号車番号が数字でなく「増」になっている点についてです。
(5/4 9:48 の私の投稿の最後で「2号車」と書きましたが「増号車」でしたね。失礼しました。)
改めて1964(昭和39)年10月1日改正時の601レ急行[さつま]の編成をおさらいします。
(主要客車列車編成順序表より)
スハニ(鹿荷47 門司→八代)
マニ(鹿荷1 門司→鹿児島)
オユ(東郵1 門司→鹿児島)
@スハフ43
増マシ49(以上2両:名附1 名古屋→門司)
Aオハネ17
Bナハネ11
C・Dナロ10
F〜I号車ナハ
Jナハフ(以上A〜J9両:本編成・鹿1)
Kスハ
Lスハフ(以上2両:門附4 京都→門司)
すぐに気づくのは、食堂車が「増」で数字を与えられていないのに、
本編成の途中6号車が抜けていることです。
実はこの本編成「鹿1」は、東京→鹿児島間31レ急行[霧島]がメインの仕事で、
[さつま]はいわばアルバイトでした。
霧島の編成は次の通りです。
マニ(鹿荷1 東京→鹿児島)
@オハネ17(門附1 東京→博多)
A〜Dは[さつま]と同じ本編成・鹿1
Eオシ17(鹿附1 東京→鹿児島)
F〜Jも[さつま]と同じ本編成・鹿1
K・Lオハ
Mスハフ(以上3両:熊附1 東京→熊本)
これを見れば明らかなように、「鹿1」の編成は[霧島]の時に6号車にオシ17を組み込み、
さらに編成の鹿児島寄りには寝台車1両の附属編成を連結するため、
A〜D・F〜Jという一見変則的な号車番号になっているのです。
これで[霧島]は1号車から14号車まできれいに揃った編成になりますが、
[さつま]は増結車2両に数字2つが与えられず、食堂車が割を食って「増」になってしまったのです。
なお[霧島]の食堂車も附属編成でこちらは本編成の途中に割り込んでいますが、
東京→鹿児島の全区間に連結されるので、[さつま]と違って増解結は車両基地内で行なわれます。
「鹿1」運用は32レ[霧島]→31レ[霧島]→602レ[さつま]→601レ[さつま]の2往復で、
使用組数は6組です。これを[霧島]と[さつま]で別々の運用にすると、
鹿児島での折返し時間の関係で霧島4組、さつま3組と合計7組の客車編成が必要になります。
限られた車両数を効率的に活用する運用の工夫でした。
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