鉄爺様、はじめまして。
旧型客車のデッキからの転落死も多かったとのお話し、
大変な違和感を持ちながら拝読しました。
「多かった」とは具体的にどれくらいの頻度だったのか、
ご教示頂けませんか?
1971(昭和46)年といえば私は小学校4年生、
社会問題をある程度は認識できる年齢になっていたつもりですが、
ついぞそのような話を聞いた覚えがありません。
自宅最寄りの線区には少数ながら客車列車も行き交っていて、
自分が乗る機会は滅多にないものの馴染みの風景でしたが、
親を含む大人たちから注意喚起を受けた覚えもありません。
翌1972年のレコード大賞は、ちあきなおみの「喝采」でした。
♪あれは三年前 止めるあなた 駅に残し
♪動き始めた汽車に 一人飛び乗った
客車の手動ドアに誰も疑問を呈さなかったことが分かります。
転落死が多いと言えるような状況ならば
そもそもこのような歌は世に出ないと思うのですが、
私の認識が間違っていたらご指摘頂きたくお願いします。
☆
時刻表1985年12月号を確認しました。
山陽本線下り岡山→門司間のページを見ると、
9423レ快速「お座敷列車」広島発10:50→下関着15:10
というのが12月27→31日に運転されています。
指定席マークもグリーン車マークもないので全車普通車自由席のようです。
岡山→広島間にはそれらしい列車は見当りません。
運転区間が異なり、「ふるさと号」という列車名もありませんが、
これが関係あるのではないでしょうか。
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