倶楽部メモ(837)

令和4年4月27日〜5月3日

1964年(S39)3月頃、函館駅で乗り込んだ列車名は?



投稿者

彗星あさかぜ

投稿日

2022年 4月27日(水)20時59分1秒

タイトル

どうしても思い出したい列車名

初めてこの掲示板に書き込みいたします。のっけから質問で失礼します。
はるか彼方、弟、両親と一緒に北海道へ渡道、札幌に転居したのですが、
その時期が1964年(S39)3月頃で青函連絡船に乗り、函館駅で乗り込んだ列車名が思い出せないのです。
夜行客車列車で連絡橋を渡り、ホームで最初に目に付いたのがリベット打ちの荷物車数両、
歩んで行くうちにこれやと親に言われ乗り込んだ寝台がダブルルーフ、これはマロネロ38と思っています。
過去色々調査するうちに、当時山線を経由する夜行寝台が見当たらないのです。山線なのは確かです。
時間的に「たるまえ」が該当しますがこれは室蘭本線経由、なぞは深まるばかりです。
どなたかの情報をいただければ感謝の至りです。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2022年 4月28日(木)23時59分46秒

タイトル

マロネロ38のこと

実際に乗車したのは昭和18年に泊−金沢(ロザ)、昭和30年高岡−大阪ロネ上段)でした。
スハ32系と同じ丸屋根でした、皇族用の1-2等にW屋根のイロネがあったらしいですが、
資料を手持ちしませんので、何とも言えません。




投稿者

クモイ103

投稿日

2022年 4月29日(金)20時53分17秒

タイトル

Re: どうしても思い出したい列車名

彗星あさかぜ様

マロネロ38形は、マロネロ38様がおっしゃる通り(ややこしい…笑)、全車が丸屋根でした。
戦後の北海道に、ダブルルーフのロネ車は配置されたことがないはずです。
(終戦直後の連合軍接収時代はわかりませんが)

手元には時刻表復刻版の1964年9月号があります。
同年10月大改正の前なので、おそらく3月と言われる
彗星あさかぜ様がご乗車になった時期に近いダイヤと思われます。
確かに山線経由の寝台連結列車は見当たらず、
1等車を連結した普通列車が1往復あるのみです。
臨時列車があったのかもしれませんが、確認できません。

彗星あさかぜ様の思い出にもう少し詳しい情報があると
何かわかるかもしれませんが…




投稿者

彗星あさかぜ

投稿日

2022年 4月30日(土)19時35分15秒

タイトル

クモイ103様、ご返信ありがとうございます。

早速のご返信ありがとうございます。
4〜5年ほど前から気になって一度調査したことがあります。
そのとき当時の時刻表や客車配置表など購入したのですが、
今はどこに置いたやらで、探してみなければなりません。
その後頭の中を整理してからもう一度お聞きしたく思います。
ここでは記憶として確実な事だけ述べます。
・移動は大阪-札幌・仙台から青森は普通列車・夜中に乗船
・函館にて寝台付の列車に乗車・札幌までの車中早起きしたらしらかば林の中を走り、
 小樽を過ぎて隧道通過中、どんよりとした石狩湾を臨む
・早朝札幌駅でタクシーに乗車→山線経由でした。
我儘な質問ですが、もし心情ご理解していただけるならば今後ともよろしくお願いします。




投稿者

立石

投稿日

2022年 5月 1日(日)01時14分16秒

タイトル

あかつきについて

前回の質問はやはり難しいものでした、申し訳ございません。

今回は、TOMIXからあかつき、彗星が発売されたことで、編成例を知りたく質問させていただきました。
面白い編成例がありましたら教えていただけませんでしょうか。

個人的には1998年2月初旬に生じたシュプール用のスハフ14組み込みのような編成例、
単独あかつき最終日のようなスハネフ14 24を組み込んだ編成例が気になります。

一般的な編成も気になりますが、個体差もありますので難しいので固定編成を組みたいと考えています。

よろしければご連絡いただければ幸いです。




投稿者

ミキスト

投稿日

2022年 5月 2日(月)10時48分7秒

タイトル

災害等で「たるまえ」が山線に??

彗星あさかぜ様
ルーフはダブルではありませんが,マロネロ38連結終焉間近の「たるまえ」が,
災害等の理由で山線経由で運転された,という可能もあるのではないかと・・・




投稿者

彗星あさかぜ

投稿日

2022年 5月 2日(月)21時06分15秒

タイトル

その可能性大と考えているのですが。

ミキスト様ご返信ありがとうございます。
ダブルルーフは荷物車の印象と間違えていると思います。
時間的には「たるまえ」がピッタリ合います。
当時の災害情報とか、工事<1969年(昭和44年)9月20日複線化に伴い信号場を廃止
旭浜仮乗降場開業>
の準備工事?でまずい事が起こり山線経由になったのではとも考え、
ネットで調べておりますが、カスリもしません。
数年前、ここで調査は終わったままです。
貴方様のお教えに我が意を得たりで今後もしつこく調べて見たいと思います。




投稿者

彗星あさかぜ

投稿日

2022年 5月 3日(火)19時30分9秒

タイトル

準急「たるまえ」に乘ったとして。

仙台では秋保温泉に一泊、翌朝青森まで普通に乗ったのを鮮明に覚えています。
何故鮮明かと申しますと東海道で寝台急行のナハネ10系に乗り、
仙台までが特急もしくは急行で到着したものでその落差に子供ながら驚いたものですから。
それと盛岡機関区にたむろしているSLにビックリした記憶も鮮やかです。
1964年10月ダイヤ改正時刻表で調べると上野発113便で17:06に青森着、
「日本海」や「むつ」と接続している連絡船501便に乗車していれば
その便は北海道では「たるまえ」と接続します。
ただし普通の仙台発時刻が4:53、宿からどのような方法で駅に行ったのでしょう
(タクシーしかないように思いますけど)。
宿への訪問はバスです。これは確かです、バス車中で置き引きに会ったので
(父が気づいて未遂に終わりましたw)。
現在ヤフオク出品中の倶知安駅史77年があり落札を考えています。あくなき執念ですーーー!。




               
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