倶楽部メモ(834)

令和4年1月29日〜2月20日

1985〜86年の福知山線12系の運用について



投稿者

ED76109

投稿日

2022年 1月29日(土)20時19分44秒

タイトル

「まりも」「からまつ」が辿った鉄路の終焉

 ご無沙汰しております。「ED76109」であります。


  本日の北海道新聞朝刊に、ついに・・・という記事が掲載されました。


 1 平成26年8月の台風豪雨によって、壊滅的な被害を受けていました
「根室線 富良野・新得」間のバス転換が、
富良野市・占冠村・南富良野町・新得町の代表者によって同意に至りました。
 鉄路復活に最も足かせとなっていたのは、
「年間10億9千万円に及ぶ運行費負担」であります。
併せて、令和2年12月に国土交通省から提示された支援案に
「根室線の支援策」が盛り込まれなかったことが大きいとのこと。
さらには、JR北海道よりバス転換に係る赤字分の負担が補填されるなど、
対応策も提示されています。
 今後は、地域住民への説明会によって説明後に、
「根室本線対策協議会」の総会で最終決断に・・・という道筋を辿ることになります。
 「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台と併せて、
往年の「まりも」そして「からまつ」の辿った轍が姿を消すことになってしまいました。


2 既報してまいりました「山線」の存廃について、態度を保留していた
「ニセコ町」と「黒松内町」がバス転嫁の方針を固めたとの報道がありました。
この結果、鉄路存続を打ち出しているのは、唯一「余市町」のみということに・・・。
  こちらの最大のネックは、
北海道の「30年間の存続によっての赤字額は864億円」との試算です。
さすがにこの額を沿線の9市町で単純に負担するとなれば、
30年間で自治体として100億円弱の負担となれば、
二の足を踏むのは当然のことでしょうか・・・。

  マロネロ38様ではないのですが、ここに来て北海道での「分割民営化」が
失敗であったということが歴然としてきた感があります。
国からの補助がなければ、おそらく30年後、
「北の大地」からは鉄路が無くなる可能性が拭いきれないということであります・・・。

  失礼いたしました。以上、「教頭客車鉄ちゃん」からの戯言情報でした。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2022年 2月 7日(月)13時04分9秒

タイトル

国鉄分割大失敗

ED76109教頭先生
認める発言をしたのは故人の橋本竜太郎首相でしたが、元に戻そうとしなかった政党が落第
ですね?大学時代ゼミの同僚で後年商学部長になったM君など学生時代に「全国の鉄道を国営
にしろ」なんて暴論を学内に書いて,私が「国鉄の経営形態だけを満鉄式の株式会社にしろ」
と言つて議論しました。




投稿者

ED76109

投稿日

2022年 2月10日(木)10時03分16秒

タイトル

豪雪によって・・・

 失礼いたします。「ED76109」でございます。

 マロネロ38 様

  ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです!!

 当地は、2月6日の豪雪(札幌市内で60cmの積雪)で、
「北広島」や「平和」、「上幌向」等に抑止されていた「731系」等の交流ECが、
除雪の足を引っ張ることに・・・。
 本線は、9台のラッセルで除雪が完了できたのですが、
前述のECの前後は人手で雪を取ることとなり、
復旧に時間が空費されてしまったのでありました。
しかしながら、JR北海道には、合理化の関係で保線要員が「約1100人」しかおらず、
関係の子会社等から「約900人」の増員で乗り切ろうとしたようなのですが・・・。
 2月10日現在、札幌発着の「北斗」「おおぞら」「カムイ」「すずらん」等の特急レは
4日連続のウヤとなり、札幌北部のベッドタウンを走る「学園都市線(札沼線)」も
ウヤ4日目の今日の夜半に、やっと運転ができそうな状況です。
愚娘も3日間の自宅待機(年休)からやっと本日出勤の体たらく。
「絶対に岩見沢の生意気な女駅員に文句言ってやる!」と鼻息荒く出かけていきました(笑)。

 人員もなく、設備も不十分で乗客も減少の一途。
数日前、国からの支援金のおかげで
「収支の黒字化」が達成できたとのニュースを見せられては、
「国・道・JRによる半官半民の会社」に移行するしか手はないのでは・・・
との論調が強くなってきたように思われます。


 長々と失礼いたしました。
以上、勤務校も2日間の臨時休校の対応で、疲労困憊の「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

出戻り国鉄ファン

投稿日

2022年 2月19日(土)13時12分24秒

タイトル

1985〜86年・福知山線12系の運用

久々に投稿させていただきます。
1986年の夏に三田から大阪まで、
福知山線の12系普通列車に乗ったことをふと思い出し、
色々と調べておりますが、意外と情報が見当たりません。

●所属は宮原(大ミハ)だったのでしょうか。
 86年当時の配置表を見ると、1000番台を含めて、
宮原には80両以上が配属されていたので、間違いないと思いますが。

●もし所属が宮原だったとすると、
 当時最長距離鈍行だった「大阪〜出雲市」も、宮原区の受け持ちだったのでしょうか。

以上につきましてお心当たりがございましたら、
ご教示いただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。

国鉄末期の旧客についての情報は多いのですが、
12系となると意外に見当たらないものですね。




投稿者

仙コリ

投稿日

2022年 2月20日(日)18時20分5秒

タイトル

Re:1985〜86年・福知山線12系の運用

出戻り国鉄ファン様

1985〜86年・福知山線12系の運用についてのご質問ですが、当時の運用表を見ますと
1986年春の時点で、福知山線の列車の運用は、1往復を除いて宮原客車区の受け持ち
(大21・大22・大23・大附21運用)でしたので、出戻り国鉄ファン様がご乗車された
12系普通列車も宮原客車区の車両であった可能性が高いと思われます。

唯一、宮原客車区の受け持ちではなかった運用が、2番目のご質問である大阪〜米子
・出雲市の運用であった721レ・726レであり、米子客貨車区の受け持ち(米1運用)
でありました。

参考になれば幸いです。


参考文献:国鉄気動車客車情報86年版(ジェー・アール・アール)




投稿者

出戻り国鉄ファン

投稿日

2022年 2月20日(日)19時14分21秒

タイトル

Re:1985〜86年・福知山線12系の運用

仙コリ様

情報をありがとうございました。
出雲市行を除く運用が宮原区だたったとのこと、承知しました。

宮原区には86年から1000番台の配置もあり、
写真を見ると帯のないオハ12かオハフ13も編成中に確認できますね。

出雲市行721レ、一度だけ早朝の大阪駅で見かけました。
乗らなかったことを後悔しております。




               
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