倶楽部メモ(833)

令和4年1月3日〜1月23日

オハネフ24の向きについて



投稿者

BONGO

投稿日

2022年 1月 3日(月)18時45分9秒

タイトル

オハネフ24の向きについて

連続して「教えてオヤヂ」になりましてすいません。
過去ログを拝見したのですが、無かったようなのでもうひとつだけ質問させて下さい。
(もし過去ログにありましたら申し訳ございません)

オハネフ24につきまして

@24型で出雲に運用されていた頃、付属編成を切り離す駅の留置線の有効長の関係で
 付属編成に入っているオハネフの非車掌室側で切り離され、以降は最後尾に逆向きに
 なって走行していた、という話を以前にネットで見ました。
 またかなり以前に鉄道雑誌のトピック欄でも「逆向きオハネフ」らしきタイトルで見
 た記憶があります。ネットの方は今検索しても見つかりません。
 これは事実なんでしょうか?また画像などをお持ちの方がおられましたら拝見できない
 でしょうか?

A同じく24型がゆうづるに使われていた頃のことですが、KATOの模型の説明書を見る
 と3輌のオハネフが全て電源車の反対向きに連結する形になっています。
 中間に2輌続いて同じ向き(1977年以前の富士、はやぶさのように)です。
 ゆうづるに使用するにあたりわざわざわ方転したのでしょうか?
  通路の位置を編成内で統一するため、というような理由も聞いたことがありますが、この
 あたりの事情をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示頂ければ幸いです。




投稿者

ED76109

投稿日

2022年 1月 5日(水)13時40分54秒

タイトル

いよいよ見えてきたようです

     今年もよろしくお願いいたします。「ED76109」であります。

 本サイトに縁あってから、14年目となりました。
今年も少しでも先達の皆様よりの「鉄」知識の吸収に努めてまいりたいと考えております。
併せて、「鉄道風景を含む映画」の紹介も続けてまいります。

 さて、新年早々「北の鉄情報」をご提供させていただます。
 北海道新幹線「札幌」延伸が現実的になってまいりましたが、
並行いたします「山線」についての方向性が次第に見えてまいりました。
「山線」の将来像についての「JR北海道」の提示案(3つ)に対しての
沿線市町の考え方が次のとおりとなっています。

  1 「山線」廃止によるバス転換       長万部町・倶知安町・仁木町
  2 「山線」一部区間の存続(小樽-余市)    余市町
  3 「山線」全線存続を含みつつも態度保留  小樽市・蘭越町

 北海道新聞等の報道を総合しますと、「函館-長万部」と併せての扱いを踏まえて、
「バス転換」か、「貨物のみ存続(函館-長万部)を含むバス転換」か、
さもなくば「第三セクター化による全線存続」かを巡る「三竦み」状態に加えて、
道の態度がいま1つ明確ではないとの指摘がなされております。
 正直な所、新幹線停車駅が決定している「長万部」や「倶知安」と、
新駅として決定している「小樽」とでは微妙にニュアンスが異なりますし、
一定数の乗客数が確保できている「余市」としては、
「新幹線の巻き添えで小樽への鉄路が絶たれることは看過できない」
と態度を硬化させているのも頷けるところです。
 今後の方向性を含めて、引き続き情報提供してまいります。




投稿者

またたび

投稿日

2022年 1月13日(木)20時22分31秒

タイトル

父と特別二等車

はじめまして。

私の父は満州事変の少し後、戦時色が高まる頃に産まれましたが、
占領下の1950年に誕生した「つばめ」「はと」の特別二等には強い憧れを持ってたようです。
今調べても、当時の日本の鉄道の水準を遥かに超える客車だったようですね。

父は若い頃かなり金回りが良かったそうで、
新婚旅行には往路には誕生したばかりの20系「あさかぜ」の特別二等、
復路はわざわざ大阪まで飛行機で飛んで「つばめ」のやはり特別二等を使ったようです。
「あさかぜ」は勿論当時最新の「走るホテル」と言われた20系、いわゆるブルートレインですが、
「つばめ」は写真をみると三等は旧型客車なのに特別二等と食堂車だけは新しい「軽量客車」10系で、
父も一層"特別感"があったとのことです。

また、祖父はかなりの高官のお供をすることがあったそうで、
そういう機会に特急「富士」の二等寝台車にも乗ったと聞いたことがあります。
今調べるとマロネ37型という車両だったのでしょうか。
さすがにこちらは写真は残ってないようですが、今のA寝台と同じような感じでしょうか。

さて、私も父の影響を受けたのか、「特別二等」にはやはり思い入れがあり、
と言っても私の時代には既に単なる「グリーン車」になってましたが、
時が流れて平成、婚約者と一緒に双方の両親を招待しての函館旅行、
往路はあえて話題の「北斗星」ではなく、「はくつる」のグリーン車を使いました。
B寝台よりも高かったのを覚えてます(^_^;)。583系ですね。

あと、幼い頃に、急行「瀬戸」のグリーン車と宇高連絡船のグリーン船室に
乗せてもらったのも覚えてます。

逆に「特別二等」に思い入れがあり過ぎて、A寝台に乗ることが殆ど無かった
(特に10系は乗ってみたかった)のが残念です。




投稿者

投稿日

2022年 1月18日(火)01時55分57秒

タイトル

オハネフ24・25のこと

皆様こんばんは、松と申します。
表記の一連の皆様の書き込みについて、私の好きな24系がオリジナルを保っていた
国鉄時代の話題ということで放っておけず、自分なりにわかる範囲で調べてみました。
何かの参考になればと思い、かなりの長文になりますが書き込ませていただきます。
参考文献は次の通りです。
鉄道ファン(F)、鉄道ピクトリアル(P)、ネコパブ社鉄道車両ガイド(G)、
イカロス社国鉄型車両の系譜シリーズ01(K01)

まずオハネフの向きについてです。
オハネフ24、25-0、25-200は方転可能なので九州夜行基準で東京方九州方どちら向きでもOKですが、
25-100だけは方転不可の設計で乗務員室側が常に東京方を向きます。
なので-200組み込み前の九州特急は機<カニ−フ>フ>−フ>となります。
また、便、洗面所側妻面にも尾灯が設置されているので、
仙コリ様の情報のとおり乗務員室でない側が最後尾でも法的には問題なしと思われます。
絵的には尻切れトンボで違和感ありありですが(苦笑)

盛アオ転属後のオハネフ24の方転時期ですが転属直後は南シナ時代同様編成の外側を向いています。
機<カニ−フ><フ−フ>(F−No189)その後77年夏頃?には向きを変えています。
機<カニ−フ>フ>−フ>(K01)←見辛い写真ですが床下機器の配置(影)で判断しました。
通路をそろえた、との記述がF−No206にありますが、
個人的には運用上車両の向きを統一させておくメリットがあったのではないかと考えます。
(南シナ時代のままだと青森向き予備車上野向き予備車2種類を用意しなければいけないので)

次はオハネフ25-200の運用開始時期についてです。
仙コリ様がおっしゃられたとおり78年2月のあさかぜ1-2編成置き換えに向け
出雲1/20〜21、はやぶさ1/22〜24、富士1/25〜27で
オシの付属編成への移動と同時に7号車への組み込みが行われていますが、
F−No206に1/20東京着(ということは1/18東京発)の出雲編成中に
すでにオハネフ25-209が組み込まれていた、とありますので、
何らかの事情で編成変更前より使用されていたこともあるようです。
また、F−No203において、計4回メーカー(新潟鐵工所、富士重工業)より南シナへ送られたうち
77年末の2回分の車両は年末年始の「あさかぜ51」に使用された、とあります。
この時製造のオハネフはすべて九州方を向いた-200なので
東京方最後尾には東京方を向いた既存の-100を使用したはずですが、
編成中間に使用された可能性はあります。
私の乏しい手持ち資料とネットサーフィン力では「あさかぜ51」の編成記録を見つけられませんでした。
どなたか記録をとられている方はいらっしゃらないでしょうか。

最後は調べている中で気付いたわたし松の疑問点です。
オハネフ25-201〜205の製造日(落成日)についてです。
201〜204(新潟鐵工所) F−No207・P−No548・K01=77/12/5
           P−No792・G=77/12/25
205(新潟鐵工所)   F−No207=78/1/9
           P−No548・P−No792・G・K01=78/1/29
以上のように資料によって二通りあります。
F−No203によると南シナへの送り込みは
新潟鐵工所発77/12/5と78/1/9の二回とあり、編成表も載っています。
個人的にはF−No203の記述の送り込みの日程・編成表より、
日付が5と25,9と29なので何かの間違いで5と9の前に2がついてしまったのではないか、
また当時の南シナの予備車が少ないため当該落成車を使用しないと
年末のあさかぜ51用編成を二組組成できないと思われる、と考え、
77/12/5と78/1/9が正しい製造日ではないかと判断するのですが、皆様はいかが思われるでしょうか。
ちなみに富士重工業製の206〜209は77/12/8、210は77/12/19で各資料に違いはありません。

以上かなりの長文駄文となりましたが松なりの考察と疑問を述べさせていただきました。
何かのきっかけにでもなれば幸いです。また、調査不足確認不足思い違い等あるかもしれません。
お気づきの点は何なりとご指摘ください。

一部の保存車を除きほぼなくなってしまった今、
実車現場に当たって調べることも叶わず疑問点ばかりが増えるばかりですが、
頭の体操を兼ねてWEBや書籍を読みふける毎日です。
皆様方の書き込みを拝見させていただくのが主にはなりますがこれからもよろしくお願いいたします。




投稿者

立石

投稿日

2022年 1月18日(火)07時34分10秒

タイトル

EF81 503牽引日本海について

皆さまはじめまして、立石と申します。

今回はお願いがございましてこちらの掲示板に書き込みさせていただきます。
先日鉄道ファンを拝見していた際に、
1998年10月にEF81 503牽引の日本海が誕生したと拝見しました。
1998年10月21日着分の日本海4号、1998年10月21日発分の日本海3号を牽引したそうです。
非常にニッチな話題ではありますが、詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら
是非お話を聞かせていただきたいのです。
何卒よろしくお願いします。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2022年 1月21日(金)13時18分37秒

タイトル

特ロの思い出

私が初めて特ロにのせてもらえたのは、高校生の頃
父の東京出張に同行した時に2レ「燕」の大阪-東京間で、スロ60でした。
リクライニングシートの型式は小糸製作所のRS-1.その後
1ケ月に1度の金沢出張同行時には601-602レ「北陸」で、
シートピッチが狭いスロ51や「日本海」の富山回転車のスロ50で、
背が高い私には大阪21時台の青森行普通のオロ41の方が楽で
した。戦後の『鴎』がスロ54でしたが、大阪から広島までスロ54に乗って、これがちょうど
良いピッチでした。スロ53は「出雲」に組み込まれていたのを大阪駅でみただけでした。
後年「霧島」に入っていたナロ10はなんだか足の置き場が中途半端でーーー




投稿者

BONGO

投稿日

2022年 1月23日(日)08時20分8秒

タイトル

Re:オハネフ24・25のこと

松さま

いろいろと貴重な情報を教えて頂きましてありがとうございます。
模型で編成を組む場合でも、理由や必然性がなどわかっているとまた楽しいです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。




               
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