倶楽部メモ(831)

令和3年11月17日〜12月31日

オハネフ25 100の向きについて



投稿者

ガンバレール9

投稿日

2021年11月17日(水)03時10分18秒

タイトル

オハネフ25の向き

久しぶりに書きこみます。。
すこし昔、鉄道雑誌でブルートレイン富士の写真を見たときのことですが、
いつもと違うなと感じました。
1号車オハネフ25が、車掌室を電源車側に向けて連結してあったのです。
付属編成7号車ではなく、基本編成1号車オハネフ25が逆向きに連結されていました。
これは24系富士号の場合、超イレギュラーな組成と言って良いでしょうか。。




投稿者

赤まんと

投稿日

2021年11月19日(金)21時15分30秒

タイトル

「富士」オハネフ25逆向き組成について

かなり久しぶりの書き込みです。
ガンバレール9様の書き込み、拝見しました。
国鉄最後のダイヤ改正で、向日町配置のオハネフ25 0番台が鹿児島に移り、
JR九州に承継されました。
「富士」「はやぶさ」「なは」に使用されるようになります。
「富士」「はやぶさ」については基本編成の1号車、6号車に組み込まれましたが、
長く編成車番記録を取った中で、
私は1号車オハネフが下り方を向いて組成されたのを見たことがなく、
貴重なイレギュラー組成と思われます。
運用の関係で、ごくごくまれに、付属編成用の熊本車が基本編成に入ることがあり、
1〜2度、そんな編成をみたことがあります。
なお、私は本来7号車に入るオハネフ25 200が14号車に、
しっかりと東京方を向いて組成されたのを見たことがあります。
オハネフ25 208でした。

ブルトレが営業運転を終えてずいぶん経ち、
こうして細かなイレギュラー等の話題が上ることが、
めっきりと少なくなったように感じます。

久しぶりに、楽しい話題でした。感謝いたします。




投稿者

きむ

投稿日

2021年11月21日(日)23時50分26秒

タイトル

オハネフ25 100の向き

東海道〜九州のオハネフ25の話題が目に止まりましたので、
私も書き込みさせていただきます。
24系25形のオハネフ25 100は方転不可とされていますが、
オハネフ25 200がデビューするまでの間、
「はやぶさ」や「富士」の中間部分はどんな向きに連結されていたのでしょうか。
当時の編成記録などを見るとオハネフ25 100が2両、連なっているのが見受けられます。
2両ともカニ24の反対側に車掌室を向けていたのか、気になるところであります。
ご存知の方、ご教示いただけますと幸いです。

添付は本日(2021/11/21)、バンコク中央駅(クルンテープ駅)構内に留置されていた
A.N.S.112(オハネ25)とA.S.C.103(オハ14)です。
定期運用は持たないですが、メンテナンスは受けているようです。
また、マッカサンの工場では赤/灰色の新塗装をまとったスハネフ15が
整備を受けているのを確認しました。




投稿者

仙コリ

投稿日

2021年11月23日(火)18時18分12秒

タイトル

Re:オハネフ25 100の向き

きむ様

「はやぶさ」や「富士」の中間部分のオハネフ25の向きについてですが、
私も基本的には車掌室側が向き合っているイメージしかなかったのですが、
記憶の片隅に、切り離された付属編成の編成端が車掌室側ではない側と
なっている写真を見た記憶があったので、手持ちの書籍を探してみたところ
鉄道ジャーナル別冊33「列車追跡リバイバル 青い流れ星ブルートレイン」
に掲載されている「青い流れ星<富士>」(初稿は1977年1月号のようです)
の中に編成表と前述の写真があり、24ページに掲載されている編成表には
オハネフ25の向きも明示されていて、基本編成の6号車、附属編成の7・11
・13号車のオハネフ25すべての向きが、東京側が車掌室側となっています。

また、注釈で昭和53年1月下旬から7号車のオハネフ25は逆向きに変更と
記載されています。

さらに同紙の29ページに、大分駅で切り離された付属編成の写真が掲載
されており、編成端が車掌室側ではない側となっています。

このことから、オハネフ25 200がデビューするまでの間は「はやぶさ」
「富士」のオハネフ25はすべて同じ向きであったのは間違いなく、この
状態を解消するためにオハネフ25 200が投入された事も、間違いないと
思われます。




投稿者

北斗星号懐石御膳二人前たべたー

投稿日

2021年11月25日(木)02時47分3秒

タイトル

幼少の頃から旧型客車が大好きで、
幼稚園の好きな色は旧型客車の焦げ茶色のクレヨンでした。

上野駅からEF80牽引旧型客車+郵便車+荷物車で水戸まで、
水戸駅からDD13牽引の暖房車ホヌ30+旧型客車で常陸大子駅まで、
幼少の私のワガママで乗車させていただきました。
家族は、もっと速い急行奥久慈号で常陸大子駅まで帰りたかったのですが、
どうしても旧型客車に乗りたくてダダをこねと押して、毎度乗っておりました。
ピンクの大好きなEF80はパワフルで、格好良く、
茶色と青の旧型客車を引っ張って最高の気分だったです。
最後部に荷物車姿が、またレールの音と供に素敵でした。
乗り換えのホヌ30+旧型客車は、
DD13による推進運転で入線してきたのを記憶しております。
他の旧型客車より、小柄なホヌ30の化粧煙突からは、
夕暮れの空の煙とともに、石炭のいいにおいがして、
幼少の私が最高に感動しておりました。
車内は暖かい記憶しかなかったので、
今思うと、ホヌ30は活躍中だったのだなあと、懐かしんでおります。
終点の常陸大子駅のホームから階段を進みながら、
ホヌ30をみて、石炭の煙のにおいが、大好きでしたので、
現在でもあのにおいがとても恋しいと感じてしまっております。




投稿者

きむ

投稿日

2021年11月28日(日)18時13分33秒

タイトル

Re:オハネフ25 100の向き

仙コリ様

オハネフ25 100の向きにつきましてご教示いただき、ありがとうございます。
青い流星シリーズは持ってますが、日本の実家にあるため、今すぐに見られませんが、
疑問が解けてスッキリしました!帰国の折に確認してみます!
昭和50年代に発売されていたKATOやTOMIXのNゲージラインアップだけでも
それなりにリアルが編成が組めたわけなのですね。昔の模型をいじりたくなってきました。

さて、本日も客車に乗ったり、見たりしてきました。



1.クルンテープ駅に留置のオハネ25(A.N.S.115)
 すでに新塗装になった同系列とともに臨時列車に運用されているようですが、
1台だけぽつんと構内に留置されていました。



2.ピッサヌローク行き201列車の3等車(BTC.329)
 今年になって見かけた3等車はほとんどナハ10のような外観のタイプばかりでしたが、
久々にスハ32に近い外観の半鋼製客車に乗車できました。
 車内は板張りの座席ですが、各部の作りはスハ43などを思い起こす日本製です。



3.バンスーにて客レ並走
 左がバンスーまで乗車した201列車、右が車庫に引き上げる回送列車。
 長編成の客レが並走で出ていくのはとても興奮するシーンです。




投稿者

きむ

投稿日

2021年12月 6日(月)23時39分55秒

タイトル

タイ客レ(12/5)

昨日(2021/12/5)タイでは蒸機牽引列車の運転がありました。
区間はバンコク(クルンテープ)−アユタヤの短区間ですが、
コロナ禍で久々の運転となったそうです。
注目すべきは機関車なんかでなく、その牽引される客車。
12系や14系を改造した車輛が充当されました!!
編成は以下の通りです。

901レ
↑ 824↑
ア 850↓
ユ BTC.1174(1)
タ BTC.1062(2)
ヤ BTC.1207(3)
  BTC.1229(4)
  ARS.131↓‥もとスハフ12
  ARS.111↑‥もとオハ14
  ARS.231↓‥もとスハフ12
  ARS.241↑‥もとスハ25
(機関車の↑は釜の向き、客車の↑はもと洗面所側)

機関車はD51の上回りにパシフィックの下回りなので、
C59タイプでしょうか?(日本製です)
後半の12系、14系は特別列車用に改装された車輛です。
前半も日本のナハ10を下敷きに製造された貴重な客車です。

今のタイは乾季で過ごしやすく、ひさびさに撮影を楽しめました。
もちろん、この列車の前後にも客車列車、気動車列車が往来し、
退屈することはありませんでした。
写真は上から、クルンテープ駅のARS.241、走行姿はチェンラーク駅にて。

 

 




投稿者

ひがさん

投稿日

2021年12月31日(金)02時01分54秒

タイトル

新潟駅 燕三条駅

令和2年10月8日に旧駅舎での営業を終了しました。
令和3年12月現在、旧施設の解体がほぼ完了して
新駅の全容が確認できるようになりました。
客車とはもはや縁の無い新潟駅です。
私も年齢を重ね撮影がきつくなってきました。
20系、24系つるぎを乗車撮影できなかったことが未だに後悔ですが
1998年の最終瀬戸乗車に始まり寝台列車にはその後悔を払拭するべく乗り尽くしました。
地元では12、14、24、165、485系、新潟、蒲原交通、
ジョイフルトレインでは電車ジョイフル、サロン佐渡抜きの12系お座敷
やすらぎ、SLオリエントサルーン、ゆとり、さよなら20世紀踊り子、
信越100年のEF5861の撮影 乗車は感動ものでした。
当時は地元の駅が私のために切符を取って頂き協力があって実現した記録でした。
感謝しかありません。
最終列車の撮影が多くなり、いつしか葬式鉄という名が出てきて
私はその部類に入ったようです。
しかし、一番いいと思う時代を記録できたことは幸運でした。
最後に新しい新潟駅の撮影で締めくくれたのはエンディングにはぴったりです。
今後は若い方々の撮影記録を楽しみたいです。
115系の撮影でも多くみかけます。長々と私事で失礼しました。

 

 




               
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