倶楽部メモ(825)

令和3年5月21日〜5月26日

音戸の座席車



投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2021年 5月21日(金)18時54分57秒

タイトル

鉄道ピクトリアル今月号

今月の鉄道ピクトリアルは、「旧型客車の魅力」という特集です。
なかなか読みごたえのある内容です。




投稿者

突放禁止

投稿日

2021年 5月22日(土)14時27分59秒

タイトル

音戸の座席車

音戸1-2号の座席車の話が出ていますが
ピクトリアルの2020年1月号の100ページに写真が出ています
先頭のEF61の次位にスハフ42か例のオハフ33かは確認できませんが
隣のマニ37や寝台車と同じ色調なので青15号なのは間違いありません
ただ、残念な事にキャプションが50-3改正の回送車とあってがっかりしました
回送車にサボなんか入れんやろと突っ込みたくなりますが
どなたか寺本氏の記述があったと書いておられましたが
私もそれで知ってたので偉そうには言えません、、、
昭和46年10月と昭和49年5月のJTBの時刻表の手持ちがありますが
やはり座席車連結はどこにも記載がありませんし
ネコパブリッシングから出てた43-10改正の主要旅客列車編成表にも
記載がありません
時間帯を考えても例えば昭和49年4月改正やと
つくし2号が音戸1号のすぐ直前を走っており
徳山から座席指定が解除されているので
わざわざ音戸1号の座席車を連結する必要性が感じられないのですが、、、
長年の疑問ですね




投稿者

クモイ103

投稿日

2021年 5月23日(日)17時49分5秒

タイトル

Re: 鉄道ピクトリアル今月号

読み応えがありますね。
岩成政和氏と和田洋氏は、
今やこうした特集には欠かせない解説記事の中心人物の感があります。
両氏は互いに交流がある様で、
今回の岩成氏の文中に和田氏の名前が出てくる事にも
それが表れているのかもしれません。
旧形客車の世界に関する岩成氏の言葉「きちんと解説されて改めて眺めると,
これは結構面白い世界だ」というのは全くその通りだと思います。
それどころか無限の泥…げほんげほん(汗)




投稿者

クモイ103

投稿日

2021年 5月23日(日)17時50分41秒

タイトル

Re: 音戸の座席車

突放禁止様ご指摘のピク誌の写真、改めて見ました。
確かに行先表示だけでなく急行札や号車札も入っているように見えますので、
回送車ではなさそうですね。
窓枠が木枠のようですので、アルミサッシ化されていたオハフ33 630ではなく
スハフ42と思われます。
同列車に座席車が増結されていた貴重な証拠写真が、
こんなところにあったのですね。




投稿者

突放禁止

投稿日

2021年 5月24日(月)20時46分12秒

タイトル

音戸の座席車

クモイ103さま
ワタシも以前にもお話したように寺本氏の記述がなければ
キャプション通りに受け止めてたと思います
時刻表や編成表に載ってなければホンマにわかりませんから、、、
音戸の機関車運用は存じませんが、広島で機関車の交代があってその際に
EF61ごと連結してたように思います
ただ上りはどうしてたのか?とか何のために?とか疑問がいっぱい残りますね




投稿者

突放禁止

投稿日

2021年 5月24日(月)21時23分46秒

タイトル

謎のちどり

音戸の座席車の件で久しぶりに手持ちの昭和46年10月の時刻表を開いたのですが
山陽本線の上り列車を見ていたら何故か下関始発のちどりを発見しました
広島から芸備線経由の気動車急行とご存知の方も多いと思いますが
このちどり51号は客車列車で、しかも芸備線は完全にスルーして
なぜか山陽本線を倉敷まで上り伯備線に入って出雲市まで
全車指定席とB寝台の表記がある夜行列車です
ルートも車両も全く違うのになぜちどりを名乗ったのか?
伯備線内のけん引機は?編成は?
しかも運転日が下関発10月30日、11月20日の2日だけ
多客臨にしては時期が違うかなと思ったけど
同じ日には伯備線経由でデビュー直後のキハ181系の間合い運用で
夜行のおきも設定がありますのでますますわかりません
特急つばめとか急行銀河みたいなメジャーな列車ならともかく
こんな50年も前の誰も知らんような列車にどうこう言うのもなんですが
どういう経緯で設定されたか?受持はどこか?
ご存知の方がおられたらご教示のほどよろしくお願いします




投稿者

青列車

投稿日

2021年 5月26日(水)02時28分52秒

タイトル

Re:音戸の座席車

突放禁止様。
50-3以前の山陽本線客レですが、
当時は東京・浜松・米原・宮原・広島・下関にEF58、
広島にEF61の配置があり、
また東京発九州方面にはかの1101・1102レ[桜島・高千穂]があり、
名古屋発着の[阿蘇]、京阪神発着の[つくし][天草][日南][雲仙][西海][音戸]等、
また山陽方面には来ないモノの[銀河][紀伊]などもあり、
荷レや普通客レもあり、結構複雑な運用を持っていました。
SGの要らない12系も登場していましたが
12系による季節列車・臨時列車の牽引にも
専らEF58が充てられていました。
これは当時EF65のP型・PF型は東京発のブルトレだけで手一杯、
関西発着の列車まで面倒見るのは最早無理となり、
また他の60系電機達は旺盛な貨物輸送需要でこれまた手一杯、
その応援にEF65PFを回す為にも
関西発着ブルトレ牽引機にはEF58を復活させるほどでした
(あれでもローカル客レの電車化、夜行急行の特急格上げ等で
多少EF58の運用に余裕が出来ていたこともありました)。
そして一部の列車は途中で所属基地最寄り駅にてカマを交代させることで
入出庫を兼ねていました
(専ら荷レ。但し夜行急行なども後続の特急を待避する時などを利用して
カマを交換するケースもありました)。
上り音戸2号の下関発時点での牽引機は所定EF58でした。
全車空車であれば1両当たり換算0.5車浮きますので
10両編成で5両分軽くなりますから
[関転]からの急勾配でもEF58が編成をもって登る事も不可能ではないでしょう。
またスハフ(オハフ)はカマ次位ですので恐らく広島でカマを交換する際、
役目を終えたEF58がそのまま次位のスハフ(オハフ)を持って行き、
今度は広島から運用に就くカマがオハネフ12と手を繋いだものと推測します。
時間帯が近似の座席車付夜行急行の雁行ですが、
然し[つくし2]号にせよ、[日南3号]にせよ、[阿蘇]にせよ[天草]にせよ
前夜から長駆走り通している上まだ新幹線も開業前、
山陽自動車道はおろか中国縦貫自動車道もなく、航空機も一般的ではない当時、
山陽本線の急行列車は軒並み混んでいて恐らく前述の夜行急行達も
広島から自由席車への着席は結構難しかったのではないかと愚考します。
その救済の意味での座席車増結は然し現車13〜14両にもなる様な列車では
如何に瀬野八は過ぎたとは言え、
それ以上の増結は流石のEF58も些かシンドイ上に
停車場有効長にもヤバくなりますので、
編成の短い=定数に余裕のある=音戸1-2号は増結させるには
うってつけな列車だったことでしょう。
尤も音戸1号の広島以西はEF61ですから
もう少し増結の余地はあったと思われますが、
おそらくEF58の定数に合せていたのでしょう
(万が一の時にはEF58でも代用出来る様に)。




               
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