倶楽部メモ(817)

令和2年6月26日〜7月11日

1989年頃の出雲の編成・1959年版色見本帳



投稿者

24系

投稿日

2020年 6月26日(金)18時08分23秒

タイトル

1989年頃の出雲の編成について

はじめまして。

貴重な資料として拝見させて頂いております。
今回、KATOの「金帯あさかぜ」を流用して
JR移行間もない1989年頃の編成を組むに当たり
ご質問させて頂きます。

当時の編成は下記になります。

カニ24
1.オロネ25
2.オハネ25
3.オハネ25
4.オハネフ25
5.オハネ25
6.オハネフ25
7.オハネ25
8.オシ24
9.オハネ25
10.オハネ25
11.オハネフ25

行先幕のシールを貼る関係で知りたいのですが、
浜田行と出雲市行の分割がどこなのかということです。
この時期は4号車と6号車にオハネフ25が組まれており、
調べてみたのですが資料によって違いがありはっきりしません。
ちなみに大半は4号車で分割ですが、
KATOのあさかぜセットの説明書では6号車となっています。

ご存じの方がいらっしゃいましたら教授頂ければと思います。
よろしくお願いいたします。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 6月26日(金)21時10分9秒

タイトル

Re: 1989年頃の出雲の編成について

24系 様

JTB時刻表 1989年1・3・8・10月号の編成図を確認しました。
(この年は3月にダイヤ改正あり)
いずれもD〜J号車が「出雲市−東京」となっていますが、
DE号車に★印がついていて、(★DE号車は浜田発着となる日があります)
という注記が付されています。
つまり4号車説も6号車説も両方正解という事ですね。




投稿者

24系

投稿日

2020年 6月26日(金)22時10分16秒

タイトル

Re: 1989年頃の出雲の編成について

クモイ103さま

お調べ頂きありがとうございました。
基本はD〜J号車が「出雲市−東京」という事ですね。
助かりました。

ありがとうございました。




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 6月26日(金)23時57分37秒

タイトル

EF81 47+「日本海1,4号」

とりっぷあーむ様。

友人から送られてきた記録ですが、
本格的に始まったのは1999年1月以降のことです。
「日本海1,4号」にA個室車が組み込まれた後のことです。
従って、EF81 47が牽くモノクラス編成の記録は残念ながら手元にありません。
では、A個室組込み後のEF81 47牽引の「日本海1、4号」は、と漁ったところ、
2002年5月20日下り4001レのみという、これまた意外で残念な結果でした。
友人が協力してくれた全564本の編成記録のうち、
実に109本が帰宅時間に都合がよかった「日本海3号の編成記録で、
「日本海1号」が58本、「4号」が57本でした。
EF81 47牽引の「3号」の記録はいくつか見つかったのですが・・・。
また、先週発売されたトミーのHゴムグレー・敦賀のEF81に
設定されていないナンバー、
またはトワイライト機が牽く、
イレギュラー「日本海1,4号」の編成記録は結構出てくるのですから、
皮肉なものです。
購入後、早速EF81 47のナンバーを接着済でしょうか?

A個室が入っている段階で既にミッションからやや外れていますが、ご紹介します。

Lot No.267 2002/5/20 4001レ「日本海1号」

↑カニ24 103(11-5鷹取工)
 オロネ25 305(13-7網干総)
 オハネ25 45(12-10網干総・洗面台更新)
 オハネ25 71(14-3網干総)
↓オハネフ25 47(14-2網干総)
 オハネ25 76(14-3網干総)
 オハネ25 78(13-7網干総)
 オハネ25 207(13-4網干総)
↓オハネフ25 42(13-12網干総・洗面台更新)
  EF81 47

当時の写真を見ないとハッキリしませんが、
2002年5月だと、EF81 47は黒Hゴムの可能性があります。
連なる客車は所定のカニ+8両で、
7号車に「瀬戸」「あさかぜ」お下がりの100番台が組み込まれていること以外は、
特に語ることのない内容です。
ただし、当時は「銀河」「日本海1、4号」ともに、
組成される車番が半ば固定化されていた時期で、
2、3号車と、5〜7号車の間の順序入れ替えはあったものの、
この編成なら本来はカニ24 104が入り、
4号車はオハネフ25 136、7号車はオハネ25 74というのがパターンでした。
記録を追ったところこれら3両は全検ではなく
通常の検査入場で運用を外れていたようです。
「日本海1、4号」は往復で2.000Kmを超える運用ですから当然、検査周期も短く、
当時2年程度で全検を迎えていました。


EF81 105ではダメでしょうか?

Lot No.032 1999/8/11 4001レ「日本海1号」

↑カニ24 106(11-1鷹取工)
 オロネ14 301(9-7出雲区)
 オハネ25 191(10-11鷹取工)
 オハネ25 46(10-6鷹取工)
↓オハネフ25 153(9-7下関部)
 オハネ25 161(9-5下関部)
 オハネ25 79(9-7鷹取工・洗面台更新)
 オハネ25 74(11-6鷹取工)
↓オハネフ25 145(11-1鷹取工)
 オハネ25 164(11-1鷹取工)
 オハネ25 176(9-2下関部)
↓オハネフ25 132(11-4鷹取工)
↓オハネフ25 131(11-6鷹取工)
  EF81 105

全検入場中のオロネ25 305の代わりに、京都からオロネ14 301を借りて運用。
さらに夏季増結。
オハネフ2両が連なり当時全検上がりたての132,131という、
なかなか面白い内容です。


さらに面白い編成が出てきました。もうミッション無関係でご紹介します。

Lot No.050 1999/12/1 4004レ「日本海4号」

  EF81 104(トワイライト)
↑カニ24 12(全検不明・トワイライト)
 オロネ14 301(9-7出雲区)
 オハネ25 73(10-9鷹取工・洗面台更新)
 オハネ25 46(10-6鷹取工)
↓オハネフ25 153(9-7下関部)
 オハネ25 45(10-2鷹取工・洗面台更新)
 オハネ25 76(11-10鷹取工)
 オハネ25 79(11-9鷹取工・洗面台更新)
↓オハネフ25 136(11-9鷹取工・洗面台更新)
 オハネ25 164(11-1鷹取工)
 オハネ25 167(10-10鷹取工)
↓オハネフ25 143(9-6鷹取工)
↓オハネフ25 142(9-12鷹取工・洗面台更新)

当日は北陸地方の濃霧の影響で10分少々延。10:10着と書き添えられていました。
トワイライト機牽引でトワイライトカニ、オロネはまた京都から借り入れ。
増結でしんがりはオハネフ2連。
さらに調べると、当時オロネ25 301と305は
ほぼ同時に全検の時期に当たったようで、
305が11-8鷹取工、301が11-9鷹取工とわかりました。
つまり1999年夏は長期に渡りオロネ14組込みの「日本海」が
見られたことになります。

今回は趣旨から外れた記述になりましたが、
これでさらに「宮原学」に邁進されることを強くお祈りします。
EF65 1000初期形+「銀河」は追って投稿いたします。




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 6月27日(土)08時48分50秒

タイトル

EF65 1000前期型+「銀河」

連投失礼いたします。
とりっぷあーむ様からのリクエスト、
EF65 1000前期型+「銀河」の編成記録をご紹介します。

Lot No.0560 1998/4/5 102レ「銀河」

↑カニ24 106
 オロネ24 103
 オハネ25 56
 オハネ25 70
 オハネ25 66
↓オハネフ25 37
 オハネ25 74
 オハネ25 252
 オハネ25 60
↓オハネフ25 40(洗面台更新)
  EF65 1053

洗面台更新車のオハネフ25 40が入っているほか、
「日本海」運用が多いオハネ25 74、カニ24 106も入って、
当時個人的に非常な収穫でした。


Lot No.0572 1998/4/25 102レ「銀河」

↑カヤ24 8
 オロネ24 102
 オハネ25 63
 オハネ25 70
 オハネ25 66
↓オハネフ25 37
 オハネ25 58
 オハネ25 60
 オハネ25 252
↓オハネフ25 39
  EF65 1029

3週間後の記録です。
運用距離が短いわりに、比較的短期で車両の差し替えが進み、
使用車両が当時の標準的なものに落ち着いています。


Lot No.0621 1998/7/5 102レ「銀河」

↑カヤ24 8
 オロネ24 103
 オハネ25 41
 オハネ25 58
 オハネ25 61
↓オハネフ25 136(洗面台更新)
 オハネ25 65
 オハネ25 251
 オハネ25 68
↓オハネフ25 37
  EF65 1025

5号車にオハネフ25 136を確認し、
この時も大変な収穫と大変嬉しかったものです。
父の郷里が香川ということもあり、「瀬戸」が好きだった私は、
廃止まで秒読みになった「瀬戸」を追いかけていました。


Lot No.0661 102レ「銀河」

↑カニ24 104
 オロネ24 6
 オハネ25 46
 オハネ25 61
 オハネ25 252
↓オハネフ25 131
 オハネ25 160
 オハネ25 161
 オハネ25 64
↓オハネフ25 37
  EF65 1026

人様よりかなり遅れて就職活動をしていた関係で、
当時2か月ほど東京駅通いをしていませんでした。
「瀬戸」廃止で気が抜けたのが大きいです。
晴れて9月半ばからの働き口を見つけ、久々に東京駅に出かけたのが9月5日でした。
「瀬戸」お下がりの100番台が
「銀河」に数両組み込まれているのに腰を抜かしました。
対になる編成を押さえたのがこの編成です。
情報によれば、「瀬戸」廃止で捻出された24系は
宮原に転出ということでしたから、
漠然と「日本海」に運用され「銀河」は
0番台運用のままだろうと思っていたのです。
まさか混用されるとは思っていませんでした。

以上が手持ちのEF65 1000前期形+「銀河」の編成記録で、
1052号機牽引の記録は意外にもありませんでした。
実際に探してみると、案外見つからないものです。

とりっぷあーむ様は教職を目指しているとのこと。
学業やアルバイトの関係から、
これら編成研究を続けられるのは1年程度、ということですが、
20代前半でほとんど乗車体験や実見の体験がない限られた条件下で、
研究を進められたことは大きな財産になります。
とりっぷあーむ様がこれから社会に出るまえに、
こんなことを書くのはやや気が引けますが、
これから社会に出ると、理不尽な経験が多く出てきます。
みな歯をくいしばり屈辱に耐え、社会経験を積み、年齢を重ね、
自分で折り合いを見つけ社会人として成長していくのです。
つらく苦しい時に自らの力になるのが家族や仲間、
友人の存在であり、趣味の世界です。
いまは大事な進路決定の時期、
いったん趣味は脇に置いて本来の目標達成に向け努力する姿勢は
素晴らしいことです。
が、人生には遊びの部分、のりしろの部分がないと、息苦しくなります。
今回の研究も、いったん休むことはあっても、
やめることなく続けることをおすすめします。
鉄道誌でも、近年編成車番記録から
その列車を偲ぶ切り口で特集を組むものが出てきました。
徐々に、編成車番記録に注目が集まっているのだと思います。
ネット上にも、埋もれていた記録が発表される可能性が充分にあります。
また、「書くほどのネタもなく」と書かれていますが、
これも、人によっては知りたかった情報かもしれません。
現在、編成差し替えを行う客車列車がなくなり、
以前のような編成記録の楽しみも過去のものになりました。
私はいま通勤で武蔵野線を利用していますが、
例えば今の武蔵野線の置き換え状況や、運用を追ってデータ化すれば、
長期的に見て大変貴重なものになるかと思います。
個人の考え方、捉え方次第で、
なんでも面白く興味深い素晴らしい研究成果になります。
これは趣味以外のこと、生き方、仕事にも言えることです。
これからも「宮原学」を究め、良い教員になれるよう励んで下さい。
「宮原学」のネタはまだありますので。




投稿者

とりっぷあーむ

投稿日

2020年 7月 7日(火)15時25分15秒

タイトル

ご教示いただいた「日本海」と「銀河」の件

赤まんと様

また間が開いてしまい申し訳ないです。
コメントいただいてすぐに拝読しているのですが、
いかんせん返答をする余裕とネタがないもので、
ほぼ1週間に1回のペースとなってしまっています。
教育実習始まる9月前までほぼこの調子になるかと思います。

○EF81 47牽引の「日本海」について
モノクラス編成の記録をお持ちでないことは残念ですが、
オロネ25 300組み込み編成だけでも十分ありがたいものです。
いつもありがとうございます。
ちなみに車番の件ですが、まだ取り付けただけで接着はしていないので
替えることはできるんですが…
色々エゴサしたところ、以前ご紹介いただいた「モトトレール」の編成記録がある
92年、95年の両方でHゴムグレーであったものが、
収録された車番のうち“47”しかなかった
(96年時点で灰色である写真が上がっている)ため、
それを選択しています。
43はトワ釜に変更され、他の46、105は96年時点で
黒ゴムもしくは「側面のみ」のため、
どうも使えそうにないと判断いたしました。

別でご紹介いただいた「トワトワ日本海」ですが、
これまた面白そうな組み合わせをありがとうございます。
是非とも登場時のトワイライトを導入後にやってみようと思います。

○PF前期型の「銀河」について
まず、期待通りの組み合わせが出てきてホッとしております。
特にNo.0621の、1025号機牽引でカヤ24がシンガリ、
250番台と洗面台更新車の組み込み編成はアツイです。
組んでみたらかなり特徴ある見映えになりそうですね。
また、No.0661は下関転入の100番台もいるので、
かなり再現しやすいものだと思います。
早いところカマを手に入れたいところです(もはやプレミアなので入手しにくく…)。

〈余談〉個人的な近況
初めに申し上げたとおり、9月からいよいよ教育実習です。
また一つ関門に近づいており、期待と不安が入り交じる気持ちです。
ご指摘いただいた社会の苦痛もその中の束の間の喜びも、
いずれ自分の人生を豊かにする糧になるので、
受け入れていかなければならないとも思います。
教職は「ブラック」の典型例とも言われますが、
その黒さの中で何が得られるのかもまた一つ面白いこととも思っています。
かなり楽観的に見えますかね(笑)
その息抜きとして趣味に興じ、小さな旅に出たり、
鉄道模型を集め「宮原学」の研究をしたりという時間も、
短くても良いから作っていきたいものです。
あわよくば「ブルートレイン」を知らない子どもたちにその魅力を感じてもらい、
興味を持ってもらえるというのであれば、これほど嬉しいことはありません。

今までよりお伺いする機会は少なくなりますが、
もうしばらくお世話になると思います。
お付き合いくださると幸いです。

さて、ここからが本当の余談ですが、最近になって今度はカマを増やしはじめ、
東京機関区のPFと、念願のセントークをついに入手しました。
これで90年代の銀河は盤石なので、例の1111号機については黒ゴムに塗り替え、
「あの日」の銀河にまた一歩近づきました。
東京機は国鉄仕様ですが、マイクロの初期品しか対応できないので、
改良品の牽引機としてアンテナ・JRマーク付きの1099号機とする予定です。
世代的にハネ100番台組み込み編成は牽けないですが。

いつもながらの長文、失礼しました。また来週お目にかかれればと思います。




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 7月 9日(木)09時37分40秒

タイトル

誤植ではないかと・・・

とりっぷあーむ様

前回投稿を拝見し気になったので、鉄道車輛ガイドの車歴表を確認しました。
たしかに、「あさかぜ」廃止で2005年以降運用を失い、
廃車になった車両が宮原最終配置という記載がけっこう目立ちます。
これらは下関最終配置だとおもうのですが。
「鉄道ファン」の車両のうごきファイルを一昨年まで毎年買っていましたが、
下関から宮原へ転属の記載は、なかったように記憶しています。
外部に発表がないまま、転属したのか。
運用がないのに転属させる理由も見当たらず、たしかに謎として残ります。
現状、個人的には「あさかぜ」用24系は最終下関の認識です。

私はかなり頻繁に東京駅に出向き、
「銀河」はじめ東海道夜行の編成記録を取り続けましたが、
「瀬戸」廃止で宮原に転出した24系のうち、
ついに出会わなかった車両が存在します。

オハネ25 169、189、203の3両です。
自身の就職活動の関係で1998年7月12日〜9月4日の約2ヶ月、
東京駅通いの空白期間があるので、
この期間に「銀河」運用に就いていた可能性は充分にあります。
また、1998年は友人から送られてくる本数がごく限られていたため、
知らないところで「日本海」運用に就いていた可能性もあります。
これら3両は友人から送られてくる1999年初めの編成記録にも
ついに登場せずに終わりました。
0番台より経年が浅いにも関わらず、
転配後、短期間で廃車される理由が、謎です。

細かいところを突けば、
まだまだいろいろ調べる余地がありそうな「宮原学」といえます。
ぜひ、教育実習、実際に教壇に立ってからも、
模型での再現と並行して学を究めてください。

ここからは、またまた気になったことを書きます。

昨今、現場の苦労があれこれクローズアップされる教職です。
その過酷さを「ブラック」と自嘲気味に言っているのかもしれませんが、
まだ職に就く前から、自ら選んだ進路を「ブラック」と言ってしまうのは、
どうかと思います。
職種を問わず、楽な仕事は存在しません。何らかの苦労はあります。
私は、これまた世間一般からは「ブラック」と思われがちな小売業です。
土日祝日、GW、盆、暮れ、正月は大抵仕事ですし、
勤務シフトで出社日に当たっていれば、台風、雪、大雨でも休めません。
昨年の台風の時は列車が止まると分かっていましたから、
前夜は会社に泊まりました。
そんな苦労の割には賃金は安く、報われることの少ない職種ですから、
新卒者にも敬遠されがちです。
周囲の評価がどうあれ、やり甲斐を感じていればある程度幸せに暮らしていけます。
やり甲斐を感じられるようになるには、ある程度仕事を好きになる必要があり、
そうなるまでが大変なのです。
が、今しなければならないこと、やるべきことに全力で取り組めば道は開けます。
どうか、教職を「ブラック」などと思わず、
自ら選んだ職種に誇りをもち頑張ってください。
「銀河」も「日本海」も老体に負けず最後まで堂々と走り続けたのです。
車両メンテナンスに関わる現場の苦労に支えられて。

つらくなったら、そんなことを考えると、すこし勇気がでるかもしれません。




投稿者

風来人

投稿日

2020年 7月10日(金)00時50分50秒

タイトル

1959年版色見本帳と色見本台帳

皆様ご無沙汰しております。
以前国鉄車両関係色見本台帳に関して質問致しました、風来人と申します。

先月、先々月に刊行された機芸出版社の鉄道模型趣味において、
1959年版国鉄車両関係色見本帳の全84色の誌上再現記事があり、
塗色名や用途、マンセル値などのデータが掲載されていたのですが、
以前ご教授頂いた色見本台帳のお話と比較して考えた際に
2点疑問点が生じたため、この度、色見本台帳の内容に関して
質問させていただきたいと考えた次第です。

一つ目の疑問点は、1958年発行の色見本台帳と1959年の第2版色見本帳の掲載色数に
1色の差があるという点です。
当方としては恐らくこの廃止された色は、
ぶどう色1号ではないかと考えているのですが、
実物の資料を確認していないことから確固たる自信は無く、
それ以外の色である可能性も無きにしも非ずと考えたため、
廃止された1色の色名や用途などについてご教授いただけたらと考えた次第です。

もう一つの疑問点は、以前ご教授いただいた 
大部分のものに旧名称が併記されていたという点と、
雑誌上に掲載されていなかった用途についても
色見本台帳には記載されていたのではないかという点についてです。
先述の鉄道模型趣味の誌上においては、
色見本帳での通し番号・色名・マンセル値などのデータが記載されているものの、
旧名称に関しては全く記載がありません。
後年の色見本帳において、慣用名称が併記されていた事もあり、
是非とも昭和30年代時点での色名称について整理したいと考えております。
また慣用名称に関して灰青色1号の項を2つの資料で比較した際に、
『ペ:気動車の屋根,タンク車(液体塩化ビニル用)のタンク外部』
の部分は共通して記載があるものの、
それ以降のサランカーテンやゴムに関する記述はありませんでした。
そのため色見本台帳に掲載されていた旧名称と、
雑誌と色見本台帳とを見比べた際に違いのある項目についても
ご教授いただけますと幸いです。

現在コロナ禍にある影響で、
施設に赴いて調査を行う事や学内でクラブ活動をすることが出来ず、
またこの分野に関して研究されている方が他にいらっしゃらない事もあり、
研究としては非常に難航しております。
この様な形でご教授いただける環境がある事は、研究の進展といった点や、
精神的な面で支えて頂いている事も多く、非常に感謝しております。

この度もこの様な形でお願いする事となり大変恐縮ですが、
是非ともご教授頂けますと幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 7月11日(土)13時24分36秒

タイトル

Re: 1959年版色見本帳と色見本台帳

風来人様

TMSは普段買っていませんでしたが、
6月号から和田洋氏による客車関係の記事が始まったので興味を持っていました。
しかし昨今の外出自粛もあり6月号は買いそびれ、
本日ようやく書店の棚に1冊残っていた7月号を買いましたが、
6月号は取り寄せ依頼となって、入手はしばらくお預けです。

さてお申し越しの情報ですが、前に述べた事情により、
資料の詳細を全て公開することは憚られる状況です。
一方私としても、風来人様に個人的にお話しを伺いたいところもございます。
そこで管理人の仙コリ様にお願いし、
風来人様と私の仲立ちをお引き受け頂きました。
(仙コリ様、誠にありがとうございます。)

風来人様には、お手数ですが、本掲示板の左下の方にある「管理人へメール」で、
管理人の仙コリ様宛にメールを入れて頂けないでしょうか。




               
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