倶楽部メモ(815)

令和2年6月15日〜6月17日

不定期みちのくの食堂車運用について



投稿者

陸奥光政

投稿日

2020年 6月15日(月)02時03分50秒

タイトル

不定期みちのくの食堂車運用について

お世話になっております。
以前、みちのくの受け持ちについて教えて頂きありがとうございました。

S33.10の盛岡ー青森不定期化後の姿で編成を考えております。

↑上野
マニ
スロ54
オロ35
スシ28 4 盛モカ
スハ43
スハ43
スハフ42
スロ51
スハ43
スハフ42
スハ43
スハフ42
↓盛岡(青森)

資料を見ていて疑問に思ったのが、不定期化後の車両の受け持ちです。
青葉編成からみとのくに併結されるのは仙センですが、食堂車の受け持ちは盛モカ。
では他の車両はどこが受け持っていたのかという事になります。

車番選択時に調べていて、疑問に思った次第です。
ご教授頂ければと思います。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 6月15日(月)22時06分37秒

タイトル

Re: 不定期みちのくの食堂車運用について

陸奥光政 様

確かな情報は持っていませんが、たぶん盛岡だろうと思います。

当時の客車配置表を見ると、盛岡に3両の特ロ(スロ54 4,5,6)がいます。
当時の特ロは急行以上の列車にしか使用されていませんでした。
そこで時刻表復刻版1958年11月号を見ると、
盛岡を始終着とする急行列車は「みちのく」だけです。
この3両が「みちのく」の1号車に使用されるものとすれば、
基本編成全体がそうでしょう。

なお、S.33.10改正から2年後の
昭和35年6月1日現在の「主要客車列車編成順序表」によると、
仙台回転の7〜9号車(この時点では7号車もハになっています)は
「仙附21」なので仙台、
また「青葉」から引き継ぐ2両は「盛附1」なので
こちらは基本編成と同じ盛岡(か青森?)でしょう。
これらの状況は、33.10改正から36.10改正までの間、
大きくは変わっていないだろうと推測しています。




投稿者

陸奥光政

投稿日

2020年 6月16日(火)01時44分31秒

タイトル

Re: 不定期みちのくの食堂車運用について

クモイ103様

ありがとうございます。
確かに盛モカの配置はスハ43、スハフ42共に11両ですから
予備車を含めるとその通りですね。

もう一つ、分からないのがマニでして、
S34年の情報ですと「盛荷5」となっております。
ただ、青森まで行っていた際には
青函連絡船を経由して上野ー網走となっている記載もあるので、
どこが持っていたのか気になります。
手持ちでマニ31があるのでそれを用いたいのですが、無難なマニ60。
この時代ですと戦災復旧もありどれを選んだら良いのか楽しい悩み処です。




投稿者

とりっぷあーむ

投稿日

2020年 6月17日(水)20時16分51秒

タイトル

鉄道雑誌に見る「宮原のブルトレ」

赤まんと さま

〇「鉄道ジャーナル」2006年10月号について
早速取り寄せて読みましたが、これほど面白いものとは思ってもみませんでした。
他の夜行列車レポもじっくり読み続け、
気づいたら余裕で1時間経ってしまったほどです。
増結時であれだけの乗車率とは…
たまたまかもしれませんが、さすが東海道夜行と感じます。
自分が乗った時は通常の6両ですらガラガラでしたので…。
取材日に唯一の0番台青カニが入った上に、幾多ものハプニングが重なり…
読み応え満載でした。
しかもまさかその取材に出くわしていらっしゃるとは、
面白い偶然もあるものですね。
ご紹介いただいたこと、厚く御礼申し上げます。

余談ですが、個人的には静岡駅のソラリー(パタパタ)に懐かしさを感じました。
これまた幼少の記憶(113・115系が走っていた頃)を甦らせるものです。

〇「銀河」の2号車の件
やはり2006年からほぼ確実に下関転入ハネフが務めていたのですね。
車掌室がある効率性考えてのことでしょうか。

〇2006年 宮原車使用の臨時列車
拝見してパッと浮かんだ感想は「な、なんじゃこれ」でした(笑)
宮原ブルトレオールスターとも言うべき組成、しかも伴走にお召しの61号機…
なんともゴージャス、
もし今やったら大騒ぎでしょう。とても再現してみたい気持ちに駆られます。
早いとこ立石のTには洗面所窓無しの0番台を発売してほしい…。
ちなみに「予備に回っていた車両を中心に組成され」たとのことですが、
『銀河』『日本海』のいずれにも入りにくい車両があった、
ということでしょうか?

〇EF66の銀河
ご乗車なさったとは、うらやましい限りです。
しかも99年限りで検査切れ除籍となった68番とは、
これまた運を引き寄せていらっしゃる。
ネット検索して出てくるのが大方EF66 52+トワカニの編成なので、
カニ100番台の連結もあったというナマの記録はとてもありがたい限りです。


さて、既に長くなっているところ失礼しますが、
今回の私の疑問といいますか、ちょっとした話題を。

〇カヤ24 10のHゴム
度々挙げております、今月発売の「鉄道車輌ガイド 24系」にて、
長きにわたり宮原に在籍、
その後向日町で最期を迎えたカヤ24 10の写真が掲載されております。
以前「97年6月の検査と共に黒Hゴムとなった」とご教授いただいたのですが、
なんとその写真、日付は“1994.10.3”で、列車は『つるぎ』でした。
ではグレーかな?と思ってよく見たところ、それがどうも 黒色 なのです。
車番をよく見てもはっきり10とあるので、謎に思えるのですが、
もしかしたら一つ前の検査入場で黒Hゴムになったのでは?と考えています。
決して記録・記憶違いであると申しているわけではありませんが、
もし余裕がありましたら、是非一度お読みいただければと思います。

〈余談〉以前お話しいただいたモトトレール
92年夏の記録ですが、
この掲示板で過去に別の方が投稿されているのを確認いたしましたので、
参考にさせていただこうと思います。
ただ、97〜99年の「銀河」に使用するハネフ0番台に37と39を選んだ一方、
「日本海」のハネフの車番を決めかねております。
以前赤まんと様が92年から車両の使い分けが始まり、
「日本海」にはムコ転出前の車両や40,42,43,46,47が比較的入りやすい
と仰っていたのを拝見し
、このうち洗面台未更新の43を選ぼうかと思います。
2011年のご投稿には97年の検査でテープ化されたとあるので、
おそらくモトトレールの頃はまだ前面下部に帯が回らない、
銀帯のままであったと考えてのことです。
やはり更新車を一般製品化してもらえないのが大きな障壁となっていて、
あと1両についても、転出していく後期型か、もしくは36,38か…。

ちなみにですが、西日本の寝台列車が黒幕・黒サボとなるのは
96年頃からで間違いないでしょうか?

いつもながらの長文、失礼いたしました。




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 6月17日(水)22時52分14秒

タイトル

完全な「記憶違い」です。

とりっぷあーむ様。

実は鉄道車輛ガイドの「24系寝台客車」は投稿を拝見するまで知りませんでした。
一昨日急いで買いに走りました。
価格が高いのが難点ですが、貴重な写真が多い上、
車歴表も最新のものが載っていますから、
好きな人には妥当なところかという印象です。
カヤ24 10の写真は私も驚きました。
完全な記憶違い、思い込みということで、失礼いたしました。
宮原は受け持ち列車が多かったためか、電源車の予備が多めでした。
検査周期も長めだったと推測され、
カヤ24 10は西日本の車両のなかでも早い段階で黒Hゴム化されていたのでしょう。
なお、西日本受け持ち列車の黒サボ化を、私が初めて確認したのは、
1996年8月10日東京着「出雲2号」「銀河」「瀬戸」「あさかぜ」でした。
7月は上野口の調査ばかり行っており、
どの列車が、いつから黒サボ化したかは不明です。
また、2006年6月の臨時列車の記録の車番ですが、
自身での調査、友人から送られてきた記録をもとに傾向を追うと、
オハネフ25 136、142、オハネ25 176は
当時比較的「日本海」運用に入っていましたが、
残りの車両は「銀河」「日本海」の増結時以外、
あまり運用に入っていなかったようで、
実際に2006年8月に宮原へ行くと、予備車をまとめて留置しているという線に、
オハネ25 76や73等がズラリと置かれていました。
遡って、2001年3月頃から「銀河」「日本海1、4号」は組成の効率化のためか、
半ば使用車両を固定して運用し始め、
2005〜2006年頃からは使用車両に変化が起きるようになっています。

1990年代前半のブルトレの編成車番を詳しく知りたいのであれば、
鉄道ファン1994年2月号は必携です。
1993年11月5日の当時の東西のブルトレの編成車番記録を一斉に調査したもので、
始発駅停車中の表情についても触れていて、臨場感があります。
大学名は失念しましたが、東西の大学鉄研有志が調査しています。
古書店で何度か見かけたことがありますが、
探せば比較的状態の良いものが、まずまずの値段で見つかるように思います。
そう高額なプレミア相場ではないはずです。

モノクラス編成の西の「日本海」は1回だけ、
大学鉄研有志の旅行の際に記録を取っています。

Lot No.0171 1997/2/12 4001レ「日本海1号」

↑カヤ24 8
↓オハネフ25 46(洗面台更新)
 オハネ25 76
 オハネ25 48
 オハネ25 56
↓オハネフ25 142(洗面台更新)
 オハネ25 54
 オハネ25 42
 オハネ25 75(洗面台更新)
 オハネ25 44
↓オハネフ25 43
  EF81 102

オハネフ25 43の帯が原形だった頃です。雪が降り続く富山駅で押さえました。
友人連中はみな、暖房の効いた宿でトランプに興じており、
私ひとり、編成記録を押さえるために輪から抜け出し、変人扱いされました。
当たり前です。
この後20年以上、6300本も記録を続けると、友人の評価も一変します。
なんでも、つづけてみるものです。

脱線しますが、こんな妙な記録にも出くわしました。
一応、25形0番台が混じっていますので、オマケみたいなものです。

Lot No.0371 1997/8/12 9003レ「なは81号」

↑カニ24 105
↑オハネフ25 130
 オハネ25 166
↓オハネフ25 152
 オハネ25 192(洗面台更新)
 オハネ25 84
↓オハネフ25 30(洗面台更新)

カニ〜4号車は下関車、5、6号車は京都車という、
予備車かき集めの臨時列車、という組成です。
熊本駅で押さえたもので、ED76 92が先頭でした。
事前情報ではたしか宮原または熊本の24系使用(鹿児島だったかもしれません)
と書かれていたような記憶があります。
翌日の編成は熊本、鹿児島の混成で同じくED76 92が牽いていました。

大学時代の友人が大阪に住んでいて、
営業の移動中によく編成記録をハガキに書いて送ってくれました。
21世紀に入るとメールでの報告に変わりましたが。
カヤ24の入った編成記録で、最後に確認できたものを紹介します。

Lot No.088 2000/9/7 102レ「銀河」

↑カヤ24 10(9-6鷹取工)
 オロネ24 6(8-2鷹取工)
 オハネ25 252(9-10鷹取工)
 オハネ25 66(10-3鷹取工)
 オハネ25 73(10-9鷹取工・洗面台更新)
 オハネ25 198(12-7網干総)
↓オハネフ25 132(11-4鷹取工)
 オハネ25 175(9-3下関部)
 オハネ25 160(8-12下関部)
↓オハネフ25 42(11-5鷹取工・洗面台更新)
  EF65 1107


廃止直前にもトワイライトカニが入ったようです。
期末が近づき残業と付き合いの酒で帰宅が遅くなったとかで、
わざわざ送ってくれた記録です。

Lot No.465 2008/2/28 102レ「銀河」

↑カニ24 14(18-10網干総・トワイライト)
 オロネ24 102(18-8網干総)
↓オハネフ25 133(19-5網干総)
 オハネ25 158(16-3網干総)
 オハネ25 252(17-9網干総)
 オハネ25 251(18-6網干総)
↓オハネフ25 131(19-5網干総)
 オハネ25 160(16-5網干総)
↓オハネフ25 132(19-8網干総)
  EF65 1100(13-11土崎工)

増結していたけれど、ガラガラだったそうです。日付は大阪発基準です。
ネタはまだまだありますので、機会があれば、協力できる範囲でまた紹介します。




               
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