赤まんと さま
〇「鉄道ジャーナル」2006年10月号について
早速取り寄せて読みましたが、これほど面白いものとは思ってもみませんでした。
他の夜行列車レポもじっくり読み続け、
気づいたら余裕で1時間経ってしまったほどです。
増結時であれだけの乗車率とは…
たまたまかもしれませんが、さすが東海道夜行と感じます。
自分が乗った時は通常の6両ですらガラガラでしたので…。
取材日に唯一の0番台青カニが入った上に、幾多ものハプニングが重なり…
読み応え満載でした。
しかもまさかその取材に出くわしていらっしゃるとは、
面白い偶然もあるものですね。
ご紹介いただいたこと、厚く御礼申し上げます。
余談ですが、個人的には静岡駅のソラリー(パタパタ)に懐かしさを感じました。
これまた幼少の記憶(113・115系が走っていた頃)を甦らせるものです。
〇「銀河」の2号車の件
やはり2006年からほぼ確実に下関転入ハネフが務めていたのですね。
車掌室がある効率性考えてのことでしょうか。
〇2006年 宮原車使用の臨時列車
拝見してパッと浮かんだ感想は「な、なんじゃこれ」でした(笑)
宮原ブルトレオールスターとも言うべき組成、しかも伴走にお召しの61号機…
なんともゴージャス、
もし今やったら大騒ぎでしょう。とても再現してみたい気持ちに駆られます。
早いとこ立石のTには洗面所窓無しの0番台を発売してほしい…。
ちなみに「予備に回っていた車両を中心に組成され」たとのことですが、
『銀河』『日本海』のいずれにも入りにくい車両があった、
ということでしょうか?
〇EF66の銀河
ご乗車なさったとは、うらやましい限りです。
しかも99年限りで検査切れ除籍となった68番とは、
これまた運を引き寄せていらっしゃる。
ネット検索して出てくるのが大方EF66 52+トワカニの編成なので、
カニ100番台の連結もあったというナマの記録はとてもありがたい限りです。
さて、既に長くなっているところ失礼しますが、
今回の私の疑問といいますか、ちょっとした話題を。
〇カヤ24 10のHゴム
度々挙げております、今月発売の「鉄道車輌ガイド 24系」にて、
長きにわたり宮原に在籍、
その後向日町で最期を迎えたカヤ24 10の写真が掲載されております。
以前「97年6月の検査と共に黒Hゴムとなった」とご教授いただいたのですが、
なんとその写真、日付は“1994.10.3”で、列車は『つるぎ』でした。
ではグレーかな?と思ってよく見たところ、それがどうも 黒色 なのです。
車番をよく見てもはっきり10とあるので、謎に思えるのですが、
もしかしたら一つ前の検査入場で黒Hゴムになったのでは?と考えています。
決して記録・記憶違いであると申しているわけではありませんが、
もし余裕がありましたら、是非一度お読みいただければと思います。
〈余談〉以前お話しいただいたモトトレール
92年夏の記録ですが、
この掲示板で過去に別の方が投稿されているのを確認いたしましたので、
参考にさせていただこうと思います。
ただ、97〜99年の「銀河」に使用するハネフ0番台に37と39を選んだ一方、
「日本海」のハネフの車番を決めかねております。
以前赤まんと様が92年から車両の使い分けが始まり、
「日本海」にはムコ転出前の車両や40,42,43,46,47が比較的入りやすい
と仰っていたのを拝見し
、このうち洗面台未更新の43を選ぼうかと思います。
2011年のご投稿には97年の検査でテープ化されたとあるので、
おそらくモトトレールの頃はまだ前面下部に帯が回らない、
銀帯のままであったと考えてのことです。
やはり更新車を一般製品化してもらえないのが大きな障壁となっていて、
あと1両についても、転出していく後期型か、もしくは36,38か…。
ちなみにですが、西日本の寝台列車が黒幕・黒サボとなるのは
96年頃からで間違いないでしょうか?
いつもながらの長文、失礼いたしました。
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