倶楽部メモ(814)

令和2年6月1日〜6月14日

90年代の「銀河」について・「銀河」編成記録


投稿者

とりっぷあーむ

投稿日

2020年 6月 1日(月)22時50分45秒

タイトル

90年代の宮原客車区

初投稿です。普段はTwitterにて同名で活動しております。
よろしくお願いいたします。

今回皆様にお伺いしたいのは、題名に付しました90年代の宮原客車区の中でも、
97〜98年頃の「銀河」の編成と、
90〜92年頃?に運行されていた
「モトトレール(モトとレールではない)」についてです。
というのも、Nゲージにて急行銀河を再現すべく
車両の収集、車番の選定を行っているのですが、
昨年T社より発売されたEF65型(田端機関区・Hゴムグレー)が98年頃の仕様であり、
それに合わせ100番台下関車の転入後の編成を再現しようと考えております。

当初は客車にもHゴムグレーを混ぜ込もうとしていましたが、
資料収集や先人の皆様の投稿から、
当時は黒ゴム化を終えているという結論に至り、
カヤ24含めグレー製品は全て黒ゴムにしているところでございます。
しかし、T社が発売しているオハネフ25(後期型)が
いずれも「洗面所窓有り・前面下部帯無し」であり、
この仕様に当てはまる車両が、98・99年まで在籍していた
オハネフ25 36〜39と思われるのですが、
これらがいつ頃黒ゴムになったかが不明であり、
もし検査時期をご存知の方がいらっしゃいましたら、
是非ともお力添えをいただきたいのです
(洗面所更新で下部帯無しなら40と42できるんですが…)。

また、当時の編成に合う電源車としてカヤ24
(7,8,10とも前面に雨樋露出してないですよね?)を加えたのですが、
将来的に97年限定のセントーク(1019号機)牽引編成も再現したく、
その際に同年6月に検査を受けたのカヤ24 10との連結が実現していたかどうか
につきましても、ご教授いただけると幸いです。
こちらについては下関転入前なので
0番台と250番台まみれになることは予想がついています。
頑張って集めたいところです…。

最後に「モトトレール」の件ですが、
先述のカヤ24導入のために日本海・モトトレールを購入し、
そのついでに同列車も1編成揃えようと考えているのですが、
検索しても「モトとレール」の写真の方が多く上がってきてしまい、
当時の編成がどのようなものであったのかわかりかねております。
もし「モトトレール」表記時代の編成をご存知の方がいらっしゃいましたら、
是非ともお教えいただければと思います。

初投稿ながらとても面倒な要望で恐縮です。
いかんせん、14年前の幼い頃に乗った
最初で最後のブルートレイン「急行銀河」が、
1111号機牽引でトワカニが組み込まれていたもので、
その頃から銀河の魅力にとりつかれてしまい、
今では生まれる前の編成すら興味を抱いてしまうほどになってしまいました。
先達の方々の知識を少しでもご教示いただければと存じます。
よろしくお願いいたします。

長文失礼いたしました。




投稿者

とりっぷあーむ

投稿日

2020年 6月 1日(月)23時19分47秒

タイトル

〈追記〉90年代の宮原客車区

先ほどの投稿について、2点修正します。

〇T社のEF65について
品番7125の発売時期は昨年ではなく今年1月でした。失礼いたしました。

〇検査時期不明のオハネフ25について
こちらでも多くの情報をご投稿されていた赤まんと様の他サイトでのログより、
39番は95年夏に黒ゴムになったことが記されていましたので、
36〜38についてお教えいただければと思います。

引き続き、よろしくお願いいたします。




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 6月 4日(木)20時40分11秒

タイトル

90年代の「銀河」について

数年ぶりの投稿、失礼します。定期的にこちらの掲示板は拝見していました。
とりっぷあーむ様の投稿記事にお答えします。
1995年は全検記録を取っていなかったため、記録が残っていませんが、
翌年にかけて「銀河」運用主体の24系が全検の時期を迎えていて、
次々に黒Hゴム化されたピカピカな車体に変わっていったのを覚えています。
オハネフ25 36〜38も確か39とほぼ時期を同じくして全検を終え、
黒Hゴム化されています。
カヤ24は7,8がやはり1995年夏に全検を迎えており、黒Hゴムに変わりました。
なお、雨どい露出改造は、青森所属の24系と、上沼垂のスハフ14 1両、
あとはばんえつ物語用スハフ12に限られます。
1997年6月以降、カヤ24 10とEF65 1019の組み合わせがあったかは不明で、
少なくとも私の当時の編成記録には引っ掛かりませんでした。
とはいえ、この組み合わせが絶対になかったという確証はなく、
せっかくの模型ですから、好みで楽しめばいいのでは、というのが私の考えです。
模型の世界ではいつでも「銀河」は生き生き輝いてくれるのですから、
目いっぱい楽しまなければ損です。
一方、モトトレール「日本海」ですが、1992年夏と1995年夏の、
他サイトから見つけた編成記録が1本ずつ手元にあります。
自身の記録ではないため、ここに載せてしまうと
無断転載ということになるかと思われ、詳細を記すことは憚られます。
どちらも当時の運用の関係からか、カニ24が入っていました。
宮原の24系の洗面台更新工事が始まったのは1992年末以降ですから、
1992年夏はHゴムグレー、青モケットの国鉄原形を
色濃く残した姿だったことでしょう。
92年夏のこの編成は増結され、しんがりはオハネフ25 0が2両連なった姿でした。
95年夏の記録には、洗面台更新車が混じっており、
オハネフ25 100がいいアクセントになっていました。
過去の編成記録を長年追跡してきた結果、
1992年までは、「日本海」にもオハネフ25前期形が
割合頻繁に編成に入っていましたが、
1993年以降は、オハネフ25前期形は「つるぎ」「銀河」に多く充てられるように
傾向が変わっています。
また、洗面台更新車はオハネフ25 40のみ、
「銀河」運用が比較的多く見られるものの、
他は「日本海」「つるぎ」の特急運用に優先して充てられています。
田端のEF65 1000は1997年頃から全検とともに黒Hゴム化され、
1995年秋以降土崎工に検査が移管されてからは塗料の質が悪く、
色合いも微妙に異なるものが見られました。

最後に。
とりっぷあーむ様は14年前、「幼少の頃」のトワイライトカニ「銀河」が
ブルトレ最初で最後の体験とのこと。
2006年前後はトワイライトカニ組込みやレインボー機登板といった
イレギュラー比較的多く見られた時期でした。
手元には2006年6月26日、2007年3月27日と、
いずれもレインボー機が先頭、
しんがりにトワイライトカニを従えた編成記録があります。
これらは自身の記録ですので、ご希望でしたら機会を改めご紹介できます。

長々と失礼いたしました。多少でも参考になれば幸いです。




投稿者

ED76109

投稿日

2020年 6月 6日(土)00時34分58秒

タイトル

421レ3題

 失礼いたします。「ED76109」でございます。

 やっと生徒たちが登校再開となり、
管理職の立場からは少しほっとしているところでございます。
(今日1日は開店休業のようでした)。
そこでというわけではないのですが、
インターネットで昔々の旧客レに浸りたくなり、
「表題の件」について少しばかり調べてみたのですが・・・。
いやー、意外な結果に・・・。とりあえず、「戯言」させてください。

 1 昭和40年代の東北地方には、
「トホホセ」を始めとして色々な長距離鈍行が活躍しておりました。
その中の一つが「421レ」であり、
上野を22時過ぎに出発して東北本線と奥羽本線を走破して
青森に翌日の22時前に到着する強者であります。
そんな鈍行列車の旅路を紹介する「ニュース映像」がアップされており、
思わず見とれてしまいました。
 上野からは、長距離客よりは帰宅のサラリーマンの姿が目立ち、
カレチさんたちも「起きていないと福島に連れていかれてしまいますよ」
と声をかけながらの車内改札。
深夜の宇都宮駅では、「DC急行出羽」の退避の最中に
「駅そば」をかきこむ人たちの姿が。
 そして、福島で夜が明けて「峠」などの
「スイッチバック4駅」から乗車してくる
「通勤通学客」で込み合う車内風景が一段落すると、
山形で「DD51」に牽引機を替え、カレチさんたちも交代して
田植え前の田園をひたすら北へ進む道中が展開されていました。
 秋田で再び「帰宅レ」に姿を変えて、夜の矢立峠越えへ。
そして、潮風薫る深夜の青森駅フォームを
のんびりと青函連絡船の待合室へ辿る老夫婦の姿で、
丸1日の旅路を終えておりました。
 このころは、トカホセ直行や常磐線周りで「上野・青森」を結ぶ
鈍行夜行列車が運転されており、
数は多くはありませんでしたが、
夜行で首都圏と東北を移動する需要を担っていたのでありました。

 2 数年後には、中央線の快速ECにはG車が登場する予定とのことですが、
昭和50年3月の改正まで、「西イイ」や「長マト」の旧客が
中央東線の長距離鈍行レが走っておりました。
 新宿を朝一で出発する「長野行のPC」が「421レ」であります。
小生も昭和49年3月に乗車して、小学6年で「制覇」させていただきました。
写真を拝見すると、山岳路線を支えていた旧式ELや
当時の新鋭機であるEF64に牽引されている様子がうかがえました。
いつも、「421レ」は後続の「急行アルプス」とは対照的なまでに
「ガラガラ」だったことから、
「鉄」親父も「ひとりで乗ってきな」と言ってくれたようです。
 しかし、今では「西イイ」は遠い遺物となってしまい、
新宿から「115系の鈍行レ」が姿を消してから幾星霜といったところ。
「スイッチバック」の連続で、やっと「小淵沢」にたどり着いた旅路を
どれだけの先達の方々が記憶されていることでありましょうか。

 3 平成26年に北の大地を襲った台風の爪痕は未だに残っており、
D51に牽引された「まりも」が辿った「幾寅・落合」辺りは
いまだに復旧しておらず、
廃線の声が次第に強く聞こえてまいります。
昭和60年3月ころまで、「滝川・釧路」を地道に結び、
本州を往復する「ユ」「ニ」が連結されていた旧客鈍行レも
「421レ」であります。
 写真としては、「日高山脈越えの雪道」や「氷雪に覆われた道東の鉄路」を
走る姿が数多く見られ、
小樽と釧路を結んでいた「からまつ」と双璧のような存在でありました。
 小生も、昭和60年の1月末に「421レ」で新狩勝隧道を通過しております。
小生一人しか乗っていないスハフの最後尾から眺めた峠越えの風景は、
十勝晴れの厳寒の青空でありました・・・。


 ステイホームの週末は、「122レ」や「824レ」などを
リサーチしたいと考えております。

 以上、4月から「時計台のある旧制女学校からの伝統ある定時制高校」
に異動となった「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

とりっぷあーむ

投稿日

2020年 6月 6日(土)15時06分52秒

タイトル

Re: 90年代の「銀河」について

赤まんと様

ご返信いただきありがとうございます。
過去のご投稿や他サイトでのコメント、編成記録など、
尊敬の念を抱きながら拝見しておりました。
ご回答いただけたこと、光栄に思います。

宮原のオハネフ25 0後期型の件、95年から順次変更ということで、
やはり97年頃には皆黒Hゴムであったという認識でよろしければ、
手元にある車両についても黒に塗り替えようと思います。
ご指摘ありがとうございます。

カヤ24の件、お調べいただきありがとうございます。
カヤ24 10とセントークとの組み合わせについても、
記録を見直していただき恐縮です。
結局まだ車番をどれにするか決めかねているのですが、
将来的にM社の銀河セットすら手を出すということも考えられるので、
7だと被りになってしまい、悩みに悩んでおります(自分語りで申し訳ありません)。
最期まで宮原に残った7か、一足早く去った8か、晩年向日町に移籍した10か、
かつて赤まんと様がご投稿なさった多くの編成記録を元に
色々検討を重ねてみることにします。

モトトレール日本海につきまして、他サイトの記録であること、了承しました。
もし残っているならば、自分でくまなく探してみようと思います。
95年もモトトレールであったこと、カニ24が入っていた
というご指摘は大きなポイントになりました。
セットのカヤを黒ゴムにしてしまった以上モトトレールには使えない、
グレーの電源車なら「登場時のトワカニでいけるのでは?」
と思っていましたが、
ギリギリ黒ゴムのカヤ・カニでもよい可能性がありそうですね。
また助言をいただいたオハネフ前期型がT社のセットに入っておらず、
そうとなると半ば強制的に93年以降
もしくは前期型の向日町転出後をやらざるを得ないので、
その点よく考えようと思います
(そもそもマニが「モトトレール」表記であった頃なら良いんですが)。
95年には洗面台更新車が連結されていたということですが、
手元にオハネフの136、142があるので、
これもまたいいヒントになりました。ありがとうございます。
宮原のもう一つのブルトレ「つるぎ」についてですが、
再現するつもりはない…と思っていたところ、
北陸好きの友人から唆され、
銀河の再現計画が大方済んだら手を出してみようと思います……
もはや「宮原中毒」ですね(笑)

田端区の65について、黒ゴム化の時期をご教授いただきありがとうございます。
工場によって塗料の質や色合いが違うというのもまたマニアックな話ですね、
どういうものか見比べてみたいところです。

自身の銀河乗車の件、実はずっとカマの番号がわからず、
トワカニがついていたということ、
シンガリがオハネフの100番台ということだけ覚えていました。
後々調べてみて、日付(11/13東京発→11/14大阪着)と
カニの色が一致する写真をTwitterで発見し、
それが1111号機であったとわかり、一人大喜びでした(笑) 
また知識を習得していくうちに、
シンガリが「前面下部帯のない100番台→131」であることもわかり、
少しずつ「あの日の銀河」が何だったのか、
正解に近づいていくことができています。
あとは中間5両がわかれば…というところです。

レインボー機「ゲッパ」とトワカニがタッグを組んだ編成記録をお持ちとのこと、
さすがです。
当方T社の1118号機もトワカニも所持しているので、
是非ともお教えいただければと思います。
よろしくお願いいたします。

改めて、尊敬していた御方から直接助言を賜り大変光栄に思います。
今後もお世話になる機会がある、
というより私がワガママを申し上げてしまうことがあるかもしれませんが、
どうかお付き合いいただれば幸いです。

余計なモノで申し訳ありませんが、
当日に父親が撮影した写真がありましたので、添付いたします。
ご笑納ください。

 

 

 




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 6月 7日(日)21時40分9秒

タイトル

イレギュラー「銀河」編成記録ほか

とりっぷあーむ様。

早速トワイライトカニとレインボー機の組み合わせが見られた
編成記録を2題、ご紹介します。

Lot No.2707 06/6/26 102レ「銀河」

↑カニ24 10(トワイライト)
 オロネ24 102
↓オハネフ25 140
 オハネ25 160
 オハネ25 191
 オハネ25 161
↓オハネフ25 131
  EF65 1118(レインボー)

当日は夜勤明けに大森駅へ寄り道して、上りの通過を見て帰ったようです。
全検メモなしです。
余談ですが当時31歳。
まだまだ気力体力、集中力、記憶力があったようで、
上記車番は一切メモを取らず、帰宅後に記録を残しています。


Lot No.3104 07/3/27 102レ「銀河」

↑カニ24 10(16-10網干総・トワイライト)
 オロネ24 102(18-8網干総)
↓オハネフ25 150(19-2網干総)
 オハネ25 167(18-11網干総)
 オハネ25 252(17-9網干総)
 オハネ25 251(17-1網干総)
↓オハネフ25 47(19-2網干総)
 オハネ25 191(17-7網干総)
↓オハネフ25 145(18-9網干総)
  EF65 1118(12-3土崎工・レインボー)

この日は休日だったようで、全検記録をしっかり残しています。
週末やハイシーズンに増結をしていた最後の頃です。
ただ、目に見えて乗客は減っていて、
せっかく増結して上ってきても、降車数は数えるほど。
使われた形跡のある寝台はわずか、という日が多くなっていました。
この日の降車はさすがに覚えていません。

ここからは余禄。おまけみたいなものです。
過去のデータを久々に見てみると、
とりっぷあーむ様が最初で最後のブルトレ体験をした2日前に、
「銀河」編成記録を押さえていました。

Lot No.2908 06/11/11 102レ「銀河」

↑カニ24 106(18-3網干総)
 オロネ24 6(14-5網干総)
↓オハネフ25 133(15-3下関部)
 オハネ25 252(17-9網干総)
 オハネ25 161(16-12網干総)
 オハネ25 207(17-1網干総)
↓オハネフ25 131(15-3網干総)
 オハネ25 60(18-7網干総)
↓オハネフ25 136(18-1下関部・洗面台更新)
  EF65 1106(18-7秋田総合車セ)

当日は増結されていました。
というより、事前に「鉄道ダイヤ情報」で増結されることをキャッチしていて、
休日は早起きして編成記録をせっせと取りに出かけていたのです。
翌11/12に大阪に着き、宮原で7,8号車を解放しただけで、
ハネの差し替えなく上京したかはわかりません。
2週間後の11/25に押さえたときは、
2号車のオハネ25 252が3号車に移り、2号車にオハネ25 167が入っていました。
オハネフ25 136は本来「日本海」運用主体で、
11/25は8号車がオハネフ25 47に差し替えられていました。
まあ、これで2006年11月13日の編成を再現しやすくなると思います。
なお、オハネフ25 133は下関からの転入後、全検まえなので、
表記は下関部のまま。
オハネフ25 136は本来網干が担当区所ですが、
2005年4月に起きた福知山脱線転覆事故の事後対応で、
工場のキャパがオーバーし、他区所での全検施工対応になったものです。

「銀河」といえば25形0番台のイメージが強いのですが、
こんなイレギュラーにも出くわしました。

Lot No.0245 97/4/13 102レ「銀河」

↑カヤ24 8
 オロネ24 103
 オハネ25 252
 オハネ25 64
 オハネ25 61
↓オハネフ25 40(洗面台更新)
 オハネ25 60
 オハネ25 63
 オハネ25 70
↓オハネフ25 136(洗面台更新・7-1松任工)
  EF65 1102

この当時珍しい、オハネフ25 100が先頭の「銀河」です。
これにはただただ、驚きました。
全検記録は取っていませんでしたが、
この全検表記は印象的で、ずっと記憶に残っています。
1995年1月の阪神淡路大震災で、当時の鷹取工も大きな被害を受けました。
他区所での検査施工対応ゆえの表記です。
オハネフ25 136はイレギュラー全検によくよく縁がある車両といえます。

最後に、お粗末ながら私のトミー「日本海モトトレール」
セット内容を載せておきます。
1991〜92年頃を想定しています。

 マニ50 5001
↑カヤ24 8
↓オハネフ25 35
 オハネ25 82
 オハネ25 91
 オハネ25 88
↓オハネフ25 21
 オハネ25 68
 オハネ25 72
 オハネ25 79
 オハネ25 77
 オハネ25 74
↓オハネフ25 30
↓オハネフ25 42

オハネ25 74、77はオロネ25 300組込み編成にも使い回すため黒Hゴム仕様です。
他はグレーHゴムです。
91〜92年当時に宮原に黒Hゴム車が存在したかまではわかりませんから、
妙なこだわりは捨てて、楽しむに限ります。
車番は当時の編成記録をリサーチしたうえで、
好みの車番を、ありえそうな組み合わせでランダムに選びました。
当然、オハネは自在に組み替えます。
オハネ、オハネフを減車して通常期の編成、という遊びも可能です。

大阪出身の友人が大阪駅で一時期編成記録を押さえて
ハガキに書いて郵送してくれていましたから、
90年代後半〜2010年頃の大阪口の記録も紹介できます。
残念ながら「つるぎ」はありません。「日本海」の記録は結構多いです。
長々と失礼しました。




投稿者

とりっぷあーむ

投稿日

2020年 6月14日(日)00時30分25秒

タイトル

Re:イレギュラー「銀河」編成記録ほか

赤まんと さま

しばらく間が空いてしまいました、
せっかく記録お調べいただいたのに申し訳ないです。

さて、虹トワの編成についてご教授いただきありがとうございます。
通過する瞬間に番号見てそのまま覚えていらっしゃるとは…
ものすごい動体視力と記憶力ですね…脱帽です。
いずれも上り銀河かつ2号車に下関転入のオハネフが入っていたのようですが、
大きな編成替えをしていなければ下りでも同じように虹トワでやっていた…
のかもしれないので、期待が膨らみます。
方向幕シール貼ると上下どっちにするか気にしてしまうタチで…。
そういえば07年の記録を見て思い出したのですが、
オハネフ25 47の「架線注意」が客用扉の真上に移設されたのって
いつ頃なんでしょうかね…?
先日発売されたネコ・パブリッシング社の鉄道車輌ガイドが24系で、
その中で94年撮影の同車(白幕の日本海 函館でビックリ)は
従来と同じく車掌室寄りにあったので、
なんとなくその変化が気になってしまいました
(余談ですが、ここ2ヶ月でああいう24系の雑誌や鉄道ファンの車両ファイルを
ドバドバ買ってしまっています)。


また当方乗車2日前の編成を記録なさってたとのこと、ビックリです。
しかもあの日の131に加えて0番台ハネと136がついていたとは…
ああ、どんどん再現したくなるものが増えていく(笑) 
とりあえずこの編成を基にカニを差し替え、
あとは他の方が撮ってくださった写真から、
ハネの細かい特徴をできるだけ見いだして差し替えていこうかと思います、
貴重な記録をありがとうございます。
ちなみに06年の下関転入の後も
2号車に通常のハネが組み込まれることもあったんですね、
検査時期が被るとこういうこともあるとなるとまた面白いです。

97年の編成記録、「瀬戸」担当の転入前かつ洗面台更新車の136が
先頭に立っていたとは…
それだけで当時の興奮が感じられます。
鷹取工場の被災について、
先述の車両ファイルの刊で大震災復興の記録が掲載されており、
本線上で被害を受けた車両よりも
工場内で被災し損傷を受けた車両の方が多いと記されていて驚きました。
トワイライト担当の6両は修復されるも、
さすがに20系は経年の都合もあって廃車されたようで…
日本海・銀河担当の車両が一切被害を受けなかったのも奇跡的ですね、
もし検査入場が早かったら136も…
なんて、不謹慎にも思ってしまいますが、
その後も他所で全検受けつつ最期まで走り遂げたというのは、
むしろ“ラッキー”な存在だったのかもしれませんね。

モトトレールの編成もお教えいただきありがとうございます、
参考にさせていただきます。
もはやマイクロエースの銀河さっさと拾っちゃえばなんとかなるだろ!
という気持ちにすらなってきたので、
地道にオリジナルな編成でも作ってみようと思います。

今後も銀河だけでなく日本海についても目を向け、
自らも研究を進めて行こうと思いますが、
時折編成記録をご教示願うときがあるかと思います。
その際は是非ともよろしくお願いいたします。


〈こぼれ話〉
自宅で1989年9月の鉄道ファンを読んでいた際のことです。
“POST“の投稿になんと銀河の記事が。その題は
「銀河・瀬戸にスシ24 連結される」
見た途端なんじゃこれ!?となったのですが、その先のことにもっとビックリ。
瀬戸でイベント使用のため、
送り込みで上り102レの最後尾にスシ24 3が連結されたとのことですが、
牽引両数の都合なのか、その日に限り102レの牽引機がEF66(下関)だったと。
まさかEF66が銀河を担当したことなんてあったんですね…
にわかには信じられませんでした。
なお投稿は“瀬戸”の写真だけ挙げられ、“銀河”についてはありませんでした…。

以上、長文失礼しました。




投稿者

赤まんと

投稿日

2020年 6月14日(日)21時49分40秒

タイトル

鉄道ジャーナル2006年10月号は、必読です

前回6/7の投稿、一部に間違いがありました。
06年11月11日の「銀河」差し替えのくだりです。
実際の編成記録を紹介した方が早いように思います。
06年3月改正以降、少なくとも私が記録をした限りでは、
「銀河」2号車はオハネフ25でした。

Lot No.2925 06/11/25 102レ「銀河」

↑カニ24 106(18-3網干総)
 オロネ24 6(14-5網干総)
↓オハネフ25 133(15-3下関部)
 オハネ25 167(18-11網干総)全検あがりたて
 オハネ25 252(17-9網干総)
 オハネ25 207(17-1網干総)
↓オハネフ25 131(15-3網干総)
 オハネ25 60(18-7網干総)
↓オハネフ25 47(14-2網干総)
  EF65 1113(14-12土崎工)

さらに、とりっぷあーむ様を誘惑する記録をオマケに。

Lot No.2673 06/6/2 9027レ(輸送番号;米1)

  EF66 46(17-1下関部)
↑オハネフ25 153(16-11網干総)
 オハネ25 42(17-5網干総)
 オハネ25 74(18-2下関部)
 オハネ25 64(15-2網干総)
↑オハネフ25 42(18-3網干総・洗面台更新)
 オハネ25 176(16-4網干総)
 オハネ25 73(17-3網干総・洗面台更新)
↑オハネフ25 142(16-7網干総・洗面台更新)
 オハネ25 46(16-12網干総)
 オハネ25 60(14-9網干総)
↑オハネフ25 136(18-1下関部・洗面台更新)
↓カニ24 10(16-10網干総・トワイライト)

これも事前にダイヤ情報で24系宮原車12両で臨時列車が運転されるとキャッチし、
いそいそ見に行ったものです。
東京21:20〜出雲市12:38のダイヤでした。
入線は20:36と当時珍しく、かなりのゆとりで、
なんと、EF58 61とEF66 46のプッシュプルで入ってきました。
しかも、編成は通常の逆向きです。オハネフ25 153が1号車
、オハネフ25 136が11号車です。
当時、予備に回っていた車両を中心に組成され、
臨時列車ながら洗面台更新車もちらほら見られます。
トワイライトカニまで組み込まれ、これぞ模型再現にうってつけ、
の内容ではないかと思います。
なお、EF66はまれに「銀河」を引くことがありました。
本格的に記録を始めた1996年以降は、ついに見ることはかないませんでしたが、
前年1995年3月6日、大学鉄研の有志の旅行帰りに乗った「銀河」が
たしかEF66 51牽引だったと記憶しています。
編成記録がすぐに出てこないのがもどかしいのですが、
当日は新快速の遅れを受けて、5分遅れて22:10に大阪を出発しました。
乗車は2号車オハネ25 68で、
珍しく「日本海」運用主体のカニ24 106、オハネ25 76が組み込まれていました。
阪神淡路大震災の直後、地下鉄サリン事件の直前という時期で、
四半世紀も昔のことです。
なお、「銀河」好きであれば、「鉄道ジャーナル」2006年10月号は必読書です。
もし読んだことがない、持っていないようでしたら、これは要チェックです。
頻繁に編成記録を押さえに東京駅通いを繰り返していると、
色々な場面に出くわすもので、
この取材記事に載った2006年7月16日朝の「銀河」も、記録を取っていました。
腕章をはめた複数の人が、
カメラを持って慌ただしくホームを行き来しているのを見ていて、
なんとなく「ジャーナル」の取材かな、と感じました。
10月号は夜行列車の特集が多い傾向でしたから、
もしかしたら、と思っていたら、予感的中したのです。
とりっぷあーむ様が2006年11月に「幼少」だったということは、
親御さんはもしかしたら、私とあまり歳は変わらないのかもしれません。
私は独身ですが、適齢期に結婚し子供ができ、鉄道ファンのまま成長していたら、
こういう感じで昔話をしていたのかなあと、夢想してしまいます。




               
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