倶楽部メモ(811)

令和2年 4月 6日〜 4月24日


「鴎」の牽引機・国鉄車両関係色見本台帳



投稿者

マロネロ38

投稿日

2020年 4月 6日(月)10時37分19秒

タイトル

鴎です。

クモイ103様
戦前の昭和15年8月に神戸から東京まで乗車したのは「鴎」です。
増8号車で10月車番改正でマイネロフ37になった1等寝台、
転換クロス2等車の「ロ」です。
牽引はC53普通型でした。
臨時「燕」には乗車していません。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 4月 6日(月)20時11分38秒

タイトル

Re: 鴎です。

マロネロ38様

これは記憶違いで誠に失礼しました。
昨日の投稿に先立ち、以前のマロネロ38様のご投稿を確認しようとしたのですが、
うまく探し当てられず、うろ覚えのまま書いてしまいました。申し訳ありません。

マイネロフ37もですが、牽引機がC53というのもまた貴重なお話しですね。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2020年 4月 7日(火)09時28分5秒

タイトル

電気機関車

クモイ103様
「鴎」が沼津に停車中に始めて電気機関車を見ましたが、
下りホームに入って来たのがなんとEF55でした。
「鴎」が東京着後機関車を見に行ったら、EF53?だったのでがっかり。
営団の地下鉄が渋谷では地上鉄とか、東京の省電がWルーフ17メートルだったり、
関西よりボロ(山手線)だと失望したり、市電も大阪や神戸より汚いとか---
帰途北陸経由だったので、上野から「小山、新潟行快速」で、
始めて横軽経由のラック区間のショックを経験したり、で金沢迄-----でした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 4月 7日(火)21時33分44秒

タイトル

Re: 電気機関車

マロネロ38様

EF55は3両だけでしたから、当たればラッキーという感覚だったのでしょうか。

戦前の東京を関西の方から見たご感想は、
目にする機会が少ないので興味深く拝読しました。
関西の省電は丸屋根20メートルのモハ40から始まったとのことですから、
Wルーフ17メートルのモハ30系は異様に映ったことでしょう。
関西での17メートル車は、戦時中?(戦後?)の一時期、
戦災対応で東京から応援に入った少数のみだったと聞いています。

山手線では、戦後も長く昭和30年代まで、
ホーム有効長の関係で20メートル車に統一できず
17メートル車が残っていたようです。
さすがにその後頑張って各駅のホームを延長し、
20メートル×8両の101系を受け入れました。
そして103系に代わって間もなく10両化、
さらにずっと後のJR時代になって、
6ドア車サハ204の本格投入に伴い11両化という“成長”を遂げました。
東京タワーが建つ時代になっても
17メートル車が混在する凸凹編成が標準だった山手線の電車は、
今の姿からは想像し難いですね。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2020年 4月 8日(水)13時06分23秒

タイトル

応援の17m国電

戦後すぐだったか?城東線で見た覚えがありますが、
戦前から関西に居たモニだったかも知れません。
目蒲?から来た阪急の凸屋根車には
昭和25年4月から2年ほど今津線で高校通学時乗せられました。
昭和30年代に福塩線と大糸線でも乗りましたが
キマにいた丸屋根クハユニ?を期待したのに
車庫に居たのを横目で眺めて信濃四谷(白馬」)−−キハ52---糸魚川---




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 4月 9日(木)21時29分19秒

タイトル

キマのクハユニ?

昭和30年代のキマで思い出しました。
戦時中に横須賀線へ新製投入されたモハユニ61001が、
昭和28年改番でモハユニ44100となり、
大糸線で両運転台化改造を受けてクモハユニ64000になったそうですね。
大糸線当時は自動連結器を装備して
機関車の代わりに貨車を牽引していたとのことで、
それをご覧になったのでしょうか?




投稿者

風来人

投稿日

2020年 4月22日(水)22時52分10秒

タイトル

国鉄車両関係色見本台帳

管理人様・皆様こんばんは。
はじめまして。
半年程前から国鉄制定色について
研究をしております、風来人と申します。
どうぞ宜しくお願い致します。

以前当サイトで、白帯車の話をされていた際(過去ログ791)にクモイ103様が、
昭和33年の国鉄車両関係色見本台帳に関して、個人収集家の方に許可をいただき、
当該資料をコピーされたというお話をされていたかと思います。
その際、一部内容の紹介、その後の資料の行方に関してという
二点について触れられていたのですが、
それらに関して、より詳しい話をお聞かせ願えませんか?

私が調べてきた中で、初期の国鉄車両関係色見本帳に関して得られた情報は、
鉄道ジャーナル217号で星晃氏が述べられていた、
昭和31年版の色見本帳には47種の色が、
昭和34年版の色見本帳には84色の色見本が収められているという事と、
昭和31年版の色見本帳に、具体的にどの様な色が収められているか
という情報だけであり、
それ以外の情報に関して、探し出せていない状況です。

また、第三版(昭和38年)の以降の色見本帳に関しては
インターネットオークションで出回っていたり、
鉄道博物館等で収蔵されている為、
ある程度は情報が入手し易くなってはいるのですが、
やはり全てを確認できているわけではありません。

国鉄車両関係色見本(台)帳の内容や
所在・証言等に関してご存知の事が
御座いましたら、
ご教授いただけますと幸いです。
宜しくお願い致します。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 4月23日(木)20時43分4秒

タイトル

Re: 国鉄車両関係色見本台帳

風来人 様

はじめまして。
国鉄制定色についてご研究とのことで、拙文に反応いただきありがとうございます。

私の手元にあるのは、色の「名称」とその「おもな使用箇所」の一覧で、
色見本そのものはありません。

まず「臨車設389号 昭和33年3月26日 国鉄車両関係色見本台帳の通知について」
という文書があります。
宛先は「資材局長、各支社長、各鉄道機器製作監督事務所長、各工場長」となっていて、
発信者は「工作局長」です。

内容は要するに、色の呼び方がまちまちで、最近ますます種類が増えて困るので、
とりあえず昭和31年に「国鉄車両関係塗料用色見本帳」を制定したけれど、
今回改めて「国鉄車両関係色見本台帳」を設置し、
色見本および色の呼び方を定めることにした。
ついては「台帳(写)昭和33年3月1日現在」を送付するからよろしくね、
という主旨です。
「なお、設置にともなう色見本は追って送付します。」とも書かれています。

そして肝心の「色見本台帳」ですが、85種類の色名称とその用途が示され、
大部分のものに旧名称が併記されています。
例えば「灰青色1号」の旧名称は(キハ1号,帯黄灰色)といった具合です。
ちなみにその用途は、
> ペ:気動車の屋根,タンク車(液体塩化ビニル用)のタンク外部
> サランカーテン:電車の窓カーテン
> ゴム:電車の荷物ダナ荷受ゴム
となっています。

以前の投稿で述べた通り、資料は現在とある機関に預けられていて、
今のところ公開されていません。
ですから決して出し惜しみではなく、
ここでの公開は控えさせて頂く事をご理解お願いします。

真摯な研究者の方にここで巡り合えたことを嬉しく思います。
私が持っている情報はこれだけで、ご期待に沿えるものではなさそうですが、
何かと情報交換が出来ればと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。




投稿者

風来人

投稿日

2020年 4月24日(金)19時52分42秒

タイトル

国鉄車両関係色見本台帳

クモイ103様

当該資料の貴重な情報をご教授下さり、
本当にありがとうございました。

今まで私の方では、色見本帳とは別に
色見本台帳なる資料が存在していた事は認識しておらず、
それぞれの色見本帳や制定色が纏められてきた背景をより深く知る事が出来ました。

昭和31年版・34年版の色見本帳に関して、現段階では
確認はできておりませんが、将来的に探し出し、
それぞれのデータを纏めた上で、多くの方に発表させて頂けたらと考えております。

最後になりますが、
この度は本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。




               
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