マロネロ38様
EF55は3両だけでしたから、当たればラッキーという感覚だったのでしょうか。
戦前の東京を関西の方から見たご感想は、
目にする機会が少ないので興味深く拝読しました。
関西の省電は丸屋根20メートルのモハ40から始まったとのことですから、
Wルーフ17メートルのモハ30系は異様に映ったことでしょう。
関西での17メートル車は、戦時中?(戦後?)の一時期、
戦災対応で東京から応援に入った少数のみだったと聞いています。
山手線では、戦後も長く昭和30年代まで、
ホーム有効長の関係で20メートル車に統一できず
17メートル車が残っていたようです。
さすがにその後頑張って各駅のホームを延長し、
20メートル×8両の101系を受け入れました。
そして103系に代わって間もなく10両化、
さらにずっと後のJR時代になって、
6ドア車サハ204の本格投入に伴い11両化という“成長”を遂げました。
東京タワーが建つ時代になっても
17メートル車が混在する凸凹編成が標準だった山手線の電車は、
今の姿からは想像し難いですね。
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