倶楽部メモ(809)

令和2年 3月 9日〜 3月13日

スハネ30の編成について(3)



投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 3月 9日(月)20時34分25秒

タイトル

Re13: スハネ30の編成について

仙コリ様

またまた力作を見せていただき、感服です。
グラフはどうぞご使用ください。光栄です。

ところで、昭和43年2月の「さぬき」は特定日の実編成記録ですよね?
前年10月現在の「主要客車列車編成順序表」では、
この列車のスハネは全て16ですから、
2月のスハネ30はたまたま入った予備車で、
珍しいから記録されたという可能性が考えられます。

一方その他の部分では、「所定編成」が多数を占めているようにお見受けします。
編成記録について、特に客車では意識しておかなければならない事として、
「所定編成」と「ある日の実編成記録」では情報の意味合いが全く異なりますので、
その区別を記載されるのが望ましいと思います。


> 昭和42年夏季に冷房改造車が優先投入されたと思われる路線

確かに新幹線連絡という要因も考えられますが、もっと単純に、
暑い九州方面から順に冷房車を入れたというような話を、
むかし聞いた(読んだ?)気がします。
新幹線連絡とは関係のない「出雲」「安芸」「瀬戸」「さぬき」も
冷房化されていますし。




投稿者

仙コリ

投稿日

2020年 3月 9日(月)21時19分5秒

タイトル

Re14: スハネ30の編成について

クモイ103様

早速、グラフ使用の許可をいただきまして、ありがとうございます。
また、特定日の編成のご指摘ありがとうございます。
確かに所定編成であるか、予備車を使用したイレギュラーな編成か、
は大事なことですよね。

冷房改造車の優先使用順序も納得です。
より暑い地域へ向かう列車から使用するのは、よく考えれば当然ですよね。

ご指摘の部分を訂正したものをアップさせていただきました。
これからもよろしくお願いいたします。




投稿者

北オク

投稿日

2020年 3月 9日(月)22時19分3秒

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Re15: スハネ30の編成について

仙コリ様 クモイ103様

10系寝台車の冷房化改造時期についての再検証
及び再検証結果のグラフ化有難うございます。
大変なお手間を取らせてしまって恐縮します。大変参考になりました。

>(2月〜3月)及び夏季前(5月から7月)に多くの車両が改造されていました。

昭和41年〜43年までのほぼ同時期に冷房進捗率が伸びているのは偶然ではなく
当時の国鉄は夏季の寝台利用者に配慮し、
この時期に出来るだけ多くの車両冷房改造したのではないかと思います。

東海道・山陽筋の夜行列車は仙コリ様ご指摘の
「安芸」「夕月」「玄海」等長距離運用が多く
寝台をはね上げてから終着駅までの時間も長くかかりますので、
冷房車が優先的に投入されたと言うご意見は私も同感です。

竹中@ノーブルジョーカー様

貴重なご体験談・ご意見・お写真の掲出、非常に参考になりました。
本件で抱えていた複数の疑問が一気に解消した気分です。
上野口のスハネ30、貴重なお写真の掲出有難うございます。
私が気になっていた側面の寝台表記もはっきりと読めます。

仙コリ様

>昭和50年代頃までは世の中がどこでも冷房が完備されている時代ではなく、
私も通学で山手線や京浜東北線を利用していましたが
冷房車・非冷房車が混在しており(昭和57年頃でも冷房化率が70%程度)
まさに冷房車であればラッキーといった感覚でした。

私も全く同感です。
ただその感覚は昭和40年台の寝台車にもそのまま当てはまるのか疑問に感じ
今回皆様のご体験談・ご意見等賜りたく投稿させて頂きました。

>冷房改造の過渡期には、
あちこちでそのような現象は起こっていたと思いますが、
時代背景的に それほど大きな問題にはならなかったものと推測します。

私も過渡期や時代背景から大きな問題にはならなかっただろうと思います。
私が現代人の思考・感覚に慣れてしまったので
余計に疑問を感じてしまったのかも知れません。

今回、かなり久しぶりに当掲示板にコメントを投稿させて頂きました。
私が当掲示板に初めて投稿したのは今から20年程前の事です。
私のつたない質問にも管理人様はじめ多数の方からご意見を頂き、
嬉しかった記憶があります。
こうして皆様方とご意見のやりとりをしていると当時を思い出し、
なつかしくまた嬉しくもあります。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2020年 3月10日(火)21時05分50秒

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Re16:スハネ30の編成について

仙コリ様

画像はどうぞお使いください。
よかったら今日の画像もどうぞ。

場所から団臨の留置だと思いますが1両だけスハネ30が入っていました。

昭和47年3月16日 小郡 スハネ30 2131




投稿者

仙コリ@管理人

投稿日

2020年 3月11日(水)01時00分38秒

タイトル

Re17:スハネ30の編成について

竹中@ノーブルジョーカー様

画像の使用を快諾していただきまして、ありがとうございました。

ページの内容から運用中の画像が望ましいと思いましたので、
先の投稿の画像を使用させていただきました。
10系ハネとスハネ30の混結編成例の部分に使用させていただいたので、
スハネ30の次位(右隣)の車両について注釈を追加させていただいたのですが、
窓割りからスハネ16と判断しましたが、間違いないでしょうか?




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2020年 3月11日(水)23時43分0秒

タイトル

Re18:スハネ30の編成について

仙コリ様

拙い画像を採用いただきありがとうございます。
当時はまだ客車に目覚める前で記録も取っていませんが、TR47が確認できますので
隣はスハネ16ですね。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2020年 3月13日(金)13時44分36秒

タイトル

スハネフ301経験

クモイ103様
3月9日の「大和」ですが、昭和40年代に「大和」の王寺−東京間で
和歌山市駅発の付属編成の、スハネフ301に乗車しました。
王寺から名古屋までは先頭車で、不慣れな乗客が廊下側の
窓を開けていたので、かぶとのトンネルで煙たくて困りました。

その頃は電化区間の夜行列車にスハネ30系が多くて,
戦争前の名士列車17-18レの後身の「銀河」でスハネ30にのせられたり。
東海道本線の季節臨などは殆どスハネ30系でした。

大阪ー富山間の準急「つるぎ」も30系でした。(大阪ー高岡間が準急)




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 3月13日(金)22時31分6秒

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Re: スハネフ301経験

マロネロ38様

いつもながら貴重なご体験のお話し、ありがとうございます。

昭和40年代と仰いましたが、その時期については疑問があります。
折角のお話しに水を差し恐縮ですが、
スハネフ301にご乗車された時期は確かでしょうか?

「大和」の和歌山市行き寝台車は、
昭和37年10月改正時の名鉄局客車運用表ではスハネフ30ですが、
営業局資料「旅客車の現状 昭和38年度末」では、ナハネフ10になっています。
加太越えの難所に挑むC57の荷を
少しでも軽くする意味があったのかもしれません。

昭和38年10月改正時の大鉄局客車編成表では、スハネフ30は「銀河」に使用、
但し当分の間スハフとなっています。
しかしその半年後となる上述「旅客車の現状」では、
「銀河」に使用中で特に注記はありませんので、
遅くともこの頃には「大和」から外れていたと考えられます。
ちなみにその後、39年10月改正時の「主要客車列車編成順序表」では
「関西第1観光号」に移っています。
「銀河」も「関西第1観光号」も、
スハネ代用ではなくスハネフとしての形式指定ですが、
編成の中ほどです。

加太越え区間を含む亀山−奈良間の牽引機は、39年10月時点ではC57ですが、
40年10月にはDF50で無煙化されています。
(ディーゼル機関車でも煙は出ますが…)
C57もDF50も牽引定数は変わらず、補機なしで定数一杯に近い重労働でした。
軽量のナハネフ10には潤沢な予備車がありましたから、
2ランクも重い上に予備が1両しかないスハネフ30をわざわざ持ってくる事は、
考えにくい気がします。

昭和37年3月の運転開始初日には、和歌山市駅で盛大な出発式が催された様ですが、
スハネフ30と和歌山市駅との付き合いは、
長くて2年間程度のものだったと思われます。




               
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