倶楽部メモ(807)

令和2年 3月 2日〜 3月 7日

スハネ30の編成について(1)



投稿者

北オク

投稿日

2020年 3月 2日(月)21時34分47秒

タイトル

スハネ30の編成について

管理人様・皆様こんばんは。お世話になります。

以前当サイトでも話題に上がっていましたが、質問させて下さい。
今月トミックスよりスハネ30・スハネフ30が発売されます。
当方所有の10系寝台(オハネフ12・スハネ16)に増結させようかと
思案中ですが、10系寝台冷改車との混結はあったのでしょうか?
例えば 冬季はまだしも夏季は非冷房のスハネ30と冷房の10系寝台冷改車が
混結になってしまいます。
10系寝台も順次冷房改造されましたが、改造は冬季に行い夏季には冷改車だけで
編成を組むなどの配慮がなされていたのでしょうか?
また10系寝台(青色)の非冷房と冷改車との混結は存在したのでしょうか?
ご教示よろしくお願い致します。




投稿者

仙コリ

投稿日

2020年 3月 3日(火)21時03分50秒

タイトル

Re:スハネ30の編成について

北オク様

スハネ30・スハネフ30と10系寝台冷改車との混結編成という事で、
手持ちの資料を探してみまして、
アルモデルさん発行の「改訂版 往年の客車列車編成表」の中から
2例ほど見つける事が出来ました。

ひとつは昭和42年10月〜の急行銀河(東京−姫路 103・104列車)で
スハネ30主体の編成にオハネフ12+オロネ10(2両)が連結されています。
この編成はTOMIXさんのサイトの「スハネフ30」の紹介ページにも
掲載されていましたので参考にしてください。

ただ、この編成では「所有の10系寝台に増結」といった点では
オハネフ12を1両しか使用出来ないのでもう1例、
昭和43年2月の急行さぬき(東京−宇野 21・22列車)の編成が

←宇野
オユ10・スハニ35・オロネ10・スロ54・オシ16・
        スハネ16・スハネ30×2両・スハネ16×5両・オハネフ12

といった編成で、北オク様所有の車両が生かせるのかなと思います。

なお、他の2点の質問についてですが、10系寝台の冷房改造時期ですが、
車歴表を見てみると特に冬季に行っているという事は無く
1年を通してまんべんなく改造されていたようです。

また、10系寝台の非冷房車と冷改車との混結編成は
見つける事が出来ませんでした。

参考になれば幸いです。




投稿者

北オク

投稿日

2020年 3月 4日(水)21時58分7秒

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Re2スハネ30の編成について

仙コリ様

さっそくのご教示有難うございます。
10系寝台冷房改造車とスハネ30との混結は少ないながらも存在したのですね。
基本的にはスハネ30は10系寝台非冷房との編成が多かったと言う事でしょうか。

10系寝台の冷房改造時期については通年通して改造がなされていたのですね。
そう考えますと10系寝台も非冷房と冷房改造車が短い期間ではありますが
混結編成が存在したのではと思います。
編成表は代表的な編成例を掲載しますので短い期間のイレギュラー的な編成までは
掲載しないのかも知れませんね。

夏季に非冷房の寝台車と冷房の寝台車が混結されますと非冷房の乗客から文句が
出そうな気もしますが、まだまだ非冷房車が幅を効かせていた時代ですので
冷房車に乗車ならラッキー、非冷房車ならいつもと一緒みたいな感覚だったのでは
ないでしょうか。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 3月 4日(水)23時18分2秒

タイトル

Re3: スハネ30の編成について

北オク様、仙コリ様

出遅れましたがコメントさせていただきます。

昭和42〜43年頃に10系のハネ車が
冷房化改造のため次々に工場入りしていた時、
スハネ30は一時的な不足分を補う予備車として使用されたと考えられます。
そこで可能性としては、10系の非冷房車・冷房車・スハネ30が入り乱れた
暫定的な編成が無かったとは言い切れません。

10系ハネの冷房化は昭和43年度末までに終了しますが、
スハネ30はその後もしばらく存続し、
ヨンサントオ改正でも少数ながら急行運用が残りました。
(「復刻版 昭和43年10月1日 国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」
2007年1月31日 ネコ・パブリッシング)
その中で唯一、名古屋−長野間急行815−816レ「きそ8−7号」に、
スハネ16とスハネ30が共存しています。

↑長野
  マニ
  スユニ
1 スハネ30
2 スハネ16
3 オハフ
4 ナハフ
5 ナハ
6 オハ
7 オハ
8 オハフ
↓名古屋

この編成がその後も変更なく続いたとすれば、昭和44年の夏には、
同じB寝台料金で1号車と2号車の環境に雲泥の差が生じたことになりますね。

時代はもう少し下って、
昭和46(1971)年12月29日に撮影された貴重なシーンが、
鉄道ピクトリアル670(1999年6月号)P.5に掲載されています。
宇野発東京行き急行「瀬戸」の5号車ハネと6号車オシ16の間に、
増号車と思われるスハネ30が入っています。
この頃のスハネ30はもはや時代遅れの予備車であり、
年末の多客期対応で増結に駆り出されたのでしょう。
この増結車を除く所定編成のハネ車は、全て10系の冷房車だった筈です。

なお、スハネフ30は3両のみの少数形式でした。
昭和37年3月に運転が始まった急行「大和」の
王寺分割和歌山市直通車という特殊な用途に対応したものです。
しかしその本来の用途は間もなく登場するナハネフ10に置き換えられ、
スハネフ30は東海道筋に転用されますが、
緩急車として編成端部に出る機会は殆どなくなり、
多数のスハネ30の中に紛れて目立たない存在になった様です。




投稿者

北オク

投稿日

2020年 3月 5日(木)23時44分40秒

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Re4: スハネ30の編成について

クモイ103様ご教示有難うございます。

>そこで可能性としては、10系の非冷房車・冷房車・スハネ30が入り乱れた
暫定的な編成が無かったとは言い切れません。

クモイ103様も10系寝台の非冷房・冷房改造車・スハネ30の混結は
暫定的には有り得たと言うご意見なのですね。

スハネ30まで登場すると夜行列車らしい誠にカオスな編成となりますね。

>名古屋−長野間急行815−816レ「きそ8−7号」に、
スハネ16とスハネ30が共存しています。

これはもう究極の共存と申しましょうか、
この様な編成が夏季に運転されたら同じ寝台料金を
払いながら非冷房と冷房の乗客とではおおせの通り雲泥の差が生じてしまいます。
運転距離が短いのが救いですが、
この様な場合スハネ16も非冷房扱いで運転した方が良い気がします。

>宇野発東京行き急行「瀬戸」の5号車ハネと6号車オシ16の間に、
増号車と思われるスハネ30が入っています。

スハネ30の特徴として細かい側窓などですぐに見分けがつきますね。
昭和46年12月ですと20系化される直前ですので、
ハネ・スハネ30・オシ16の並びは貴重な編成だと思います。

>緩急車として編成端部に出る機会は殆どなくなり、
多数のスハネ30の中に紛れて目立たない存在になった様です。

この様な扱いはオロネフ10と似ているなと感じました。

急行「つるぎ」のB寝台はスハネ30を連ねた編成だと思いましたが、
定期運用は「つるぎ」あたりが最後となるのでしょうか。
寝台車には見えない細かい側窓や独特な屋根・車歴などスハネ30と言う車両は
なかなか個性的な車両に感じます。




投稿者

もの好きヲヤヂ

投稿日

2020年 3月 6日(金)08時12分37秒

タイトル

スハネ30の車内

この数日間で話題となっているスハネ30ですが、
初期の車両は中段寝台が20系同様の構造となっている画像を見たことがあります。
後期のものは10系と同じく背もたれ兼用のようですが、
初期若番車の車内構造の資料がほとんど見当たらず個人的な謎となっております。
どなたかご存じの方、ご教示願えませんでしょうか。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 3月 6日(金)22時05分8秒

タイトル

Re5: スハネ30の編成について

北オク様

> この様な場合スハネ16も非冷房扱いで運転した方が良い気がします。

そう思われる背景をお聞かせいただけませんか?

私はそうは思いません。
小学校低学年だった当時の記憶をたぐってみますと、
夏は暑いもので冷房など無くて当たり前、あったら“天の恵み”です。
“天の恵み”をわざわざ使わずに、換算0.5両の無駄な重量を運ぶことが、
公共交通機関である日本国有鉄道に許されることでしょうか。
仮にそのような思いつきが出たとしても、
社会が許さなかったのではないかと想像します。

> 定期運用は「つるぎ」あたりが最後となるのでしょうか。

スハネ30最後の定期運用は、
後年「からまつ」と命名される小樽−釧路間普通列車だったようです。
(正確な時期は手元に情報がありません)
急行運用については、これも正確な情報がないのですが、
ヨンサントオ改正時に存在した「つるぎ」を含む少数のものが、
おそらく昭和45年10月改正あたりまで続いたのかな?と思っています。




投稿者

北オク

投稿日

2020年 3月 7日(土)00時29分4秒

タイトル

Re6: スハネ30の編成について

クモイ103様こんばんは。

>この様な場合スハネ16も非冷房扱いで運転した方が良い気がします。
そう思われる背景をお聞かせいただけませんか?

この考えはクモイ103様に返信する書き込みをしていた時に
ふと思った思い付きです。
私の短絡的な思い付きとご理解頂ければ幸いです。
実際はこの様な場合でもスハネ16は冷房を入れて運転しただろう
と思っておりました。
せっかく冷房改造しても使わなければ意味がありません。
ただあまりにも究極すぎて前述の様な思い付きで述べてしまったと思います。

>スハネ30最後の定期運用は、
後年「からまつ」と命名される小樽−釧路間普通列車だったようです。

北海道で何かありそうだとは思っていましたが「からまつ」でしたか。
最後が普通列車運用、スハネ30らしさを感じました。
ご教示有難うございます。




投稿者

仙コリ

投稿日

2020年 3月 7日(土)00時57分43秒

タイトル

Re6: スハネ30の編成について

北オク様

冷房車と非冷房車の混結についてですが、北オク様もRe2で書かれておりますが、
昭和50年代頃までは世の中がどこでも冷房が完備されている時代ではなく、
私も通学で山手線や京浜東北線を利用していましたが
冷房車・非冷房車が混在しており(昭和57年頃でも冷房化率が70%程度)
まさに冷房車であればラッキーといった感覚でした。

それが昭和40年代であれば、たとえ寝台車等であっても隣の車両が冷房車で
自車が非冷房でも「今日は運が悪い」程度の感覚であったと思われます。
(もちろんなかには怒る人もいたかもしれませんし、それが20系使用の特急列車
において冷房の故障等だったらどうだったのか?とは思いますが…)

冷房改造の過渡期には、あちこちでそのような現象は起こっていたと思いますが、
時代背景的にそれほど大きな問題にはならなかったものと推測します。




               
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