倶楽部メモ(800)

平成31年1月1日〜4月15日

青大将と展望車



投稿者

仙コリ@管理人

投稿日

2019年 1月 1日(火)00時00分21秒

タイトル

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

本年も客車好きな皆様が楽しく語り合える場となれれば嬉しく思いますので、
よろしくお願いいたします。




投稿者

クモイ103

投稿日

2019年 1月 1日(火)18時52分47秒

タイトル

平成31年 明けましておめでとうございます

仙コリ@管理人様、皆さま、
今年もよろしくお願いいたします。

写真は磐越西線・猪苗代駅、昭和61年11月16日。
前日に会津線西若松駅で国鉄完乗を果たし、
同行してくれた鉄研仲間と猪苗代で1泊した帰路です。




投稿者

青列車

投稿日

2019年 1月 4日(金)07時40分31秒

タイトル

【新年】ご挨拶

聊か今更の感無きにしも非ずですがm(__)m
旧年中は格別sのご厚情ご高配を賜り誠に有難く厚く御礼申し上げます。
本年も倍旧のご指導ご鞭撻の段宜しくお願い申し上げます。
このところ[鉄]分補給もままならない毎日ですが、去る1月2日、
久しぶりに山口線のD51200の運転日と自身の公休日が重なりましたので、
津和野初詣号の[撮り]に出かけました
(前年29〜31日、本年1日・3日は仕事。本日もこの後出社)。
添付画像は復路の新山口行き、
船平山〜徳佐間、51キロポスト付近の宇津根踏切辺りです。
てっきり絶気運転で来ると思っていたら思いのほか爆煙状態でした。

本邦鉄道界に在っては最早[絶滅危惧種]な客レですが、
観光用のReplicaとはいえ地元に客レ
(しかも当時の風情を現在の保安基準に合致させつつ再現させたもの)
が走っていることは有り難い限りです。






投稿者

オロハネ10 505

投稿日

2019年 1月 6日(日)15時56分47秒

タイトル

新年の挨拶と急行大雪の編成

お久しぶりです。明けましておめでとうございます。
正月にKATOの急行大雪の基本セットを購入しました。
スユニ61は以前ばらしで購入したので組めると思ったからでした。
しかし、増結セットの道内用のスロ54 500が手元になく
津軽セットのスロフ62しかないことに後から気が付きました。
そこで2つお伺いしたいのですが、
1つは北海道では夏期の臨時列車用に本州から車両を借り入れしたことが
多々あったと記憶していますが、そのなかにスロフ62はあったのでしょうか?
もう1つは昭和53年の夏にスロ54の位置に
スハネ16が組成されている資料を見つけたのですが
これは夏期の臨時列車絡みで他にも同じようなことはあったのでしょうか?
駄文を長々と失礼しました。




投稿者

jfs

投稿日

2019年 1月 7日(月)16時16分5秒

タイトル

青大将と展望車

謹賀新年。

こんにちはjfsです。
さて、昨年はマイシ37900に関しは皆さまのご回答や私の追加調査結果も踏まえて、
やはり初期案は「案」で、実際には「一次改造案」で製造された・・・
ということが正解のようです。
色々なサイトや書物で「一時改造」いう言葉を目にし、
実際に客車を改造したと思いこんだのですが、
この「改造」という言葉はあくまで図面上の話だったようです。
また製造年に関しても昭和6年とうのが正しいようで、
5年と記載の書物は図面の作成日を製造年と誤って記載したのだと思います。
また、デッキのダミー扉に関してはクモイ103様のご説明に
妙に納得した次第です。

あと、娘の件ですが「只物」ではありませんね。確かに(笑)。
娘はIT関連企業に勤務し、その社の顧客はほとんどが鉄道会社という関係から
日に日に「鉄分」が濃くなり今では親子で鉄道全般を楽しむ状況です。
私は仕事上PCは普通に使いますがPCでイラストを作成するなどそのような
スキルは全く無いので、イラストなどは全て娘に任せています。
娘は乗り鉄や撮り鉄の要素よりは自分でオリジナルの車両をデザインする事が
好きなようです。

さて今日の話題は展望車で、実は先日NETサーフィンをしていましたら、
ひょんな所でクモイ103のお名前を発見しました。
模型のレイアウト製作の場面でしたが、
クモイ103様の客車を運転したとあり、
青大将のつばめの最後尾にマイテ30が
連結されていました。このマイテ30に関してはあくまで図面で終わった物で、
どうにでも解釈できると思いますが
あの客車の構造は「マ」級ということで10系の軽量客車ではありませんよね。
あくまでスハ44などの延長上にあって台車もクモイ103様はTR47らしき物を
履かせたいらっしゃったようです。
それにしてはノーシルノーヘッダーで、図面から見るとHゴム支持の
固定窓のようにも見受けられ、なんともアンバランスなイメージですね。

例の岡田氏が過去に在来線の客車超特急というような物を考案され、
その最後尾にこのマイテ30が描かれた物がありましたが、
この計画は島氏らの反対で中止され151系電車に変わっていったようですが、
この客車は20系製造に活かされたようです。
もし島氏の反対が無く、151系のかわりに客車特急が誕生したら
これはまた全く違った展開になっていたように思われます。

娘は常々最晩年のつばめ、はとの編成に関して、
スハ44やマイテ39がナロ10やオシ17とは
全く異質な物で編成としての統一美観を著しく損ねてると言いまして、
自ら考案した、3等車や展望車を模型化する計画でいるようです。
但しマイテ30のような物は最早展望車ではない、
オープンデッキこそ展望車の価値があるのだと言い張りました。

イラストは娘のデザインしたオリジナル車両、
上段はナハ12、中段はオイテ11です。
10系客車の一員として考えたようですが展望車はTR55らしき物を履いています。
この展望車、デッキと展望室の間の窓が曲面ガラスを使用するのがミソだと
言っておりました。

また、下段のもう一種の展望車(マイテ59)は、
マイテ39を元に近代化製造したという設定で、
連結面切妻にしたもので、これはマシ35等と同期の製造という事らしく、
TR40系を3軸ボギーにした物を履いています。
この台車、娘のオリジナルですが、まさに目からうろこでした。(笑)。
これ是非模型化したいです。

ということで今年も娘ともどもよろしくお願い申し上げます。




投稿者

クモイ103

投稿日

2019年 1月 8日(火)21時44分36秒

タイトル

Re: 青大将と展望車

jfs 様

今年もよろしくお願いします。

マイシ37900に関しては、私は2種類の図面が存在することに全く気付いておらず、
jfs様のご指摘で初めて認識した次第で、感謝しております。
お嬢さんの“素性”を伺い、その腕前の由来に納得しました。
いろいろとコアなこだわりをお持ちのようで、大変良い刺激になります。
「オイテ11」に採用された曲面ガラス、
実物では明治45年から大正12年まで活躍した
日本初の展望車ステン9020形が唯一の使用例だった様です。
その再来となる歴史的な仕様ですね。


さて過去の私の所業(笑)を見つけ出されてしまった様ですね。
あの未完の大レイアウトはその後どうなったのか、
残念ながら連絡が途絶えています。

マイテ30ですが、かの星晃氏の著述によれば昭和24年頃の計画とのことです。
(鉄道ファン No.271 (1983年11月号)所載「展望車むかし話」)
いわゆる10系の軽量客車が実用化される6年も前の話で、
スハ43すら現れていませんでした。
形式図からはわかりませんが、
台枠構造はおそらくオハ35系に分類されるものだった事でしょう。

シル・ヘッダーのない車体外観は当時としては思い切ったデザインで、
新しい特急用車両にかける意気込みの現れなのでしょうが、
ノーシルノーヘッダーの技法そのものは戦前からありましたので
(客車よりも電車で有名)。
その意味では目新しいものではなかったと思われます。

窓枠はHゴムのようにも見えますが、昭和24年当時は普及していませんでした。
私は金枠押さえを想定していた可能性を考えています。

台車については、形式図の描写からスハ42やマイネ41と同じTR40と思われ、
Nゲージでは外観の酷似したTR47を用いています。

マイテ30の形式図は(一部の人に)良く知られている通り2種類存在し、
ビスタドームを持つ初期案と、平屋構造となった最終案があります。
jfs様に見つけられてしまった(笑)模型は最終案で、
Nゲージのガレージメーカー「イエロートレイン」のキットを組んだものです。
かの未完の大レイアウトに持って行ったものは青大将色でしたが、
ぶどう色1号のも作っていますので恥を晒します。




投稿者

ED76109

投稿日

2019年 1月14日(月)16時20分28秒

タイトル

12年目になりました

 今年もよろしくお願いいたします。「ED76109」であります。

 今年は、もう回顧にこだわって、時たまお邪魔できればと思います。
先達の皆様方からの最新情報で「鉄」勉強させていただこうと考えております。
今年最初の話題は「青大将」とのことで、
以前にも記させていただいた「桜島・高千穂のロ」に
後年最期の旅路をたどったことと記憶が重なってまいります。
「オロ10」の一昼夜から早48年経過してしまい、
古の始発駅も「西鹿児島」ではなく「鹿児島中央」でございますものねぇ・・・
(嘆息そして滂沱)。


 今年もご指導くださいまし。
以上、北の大地在住「35周年」の「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

ひがさん

投稿日

2019年 1月15日(火)23時56分4秒

タイトル

新潟駅地上ホーム最後の夜

本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年、8・9番線を除く往年の新潟駅地上ホームは姿を完全に消しました。
地元テレビでの特集や、さよならイベントも閉鎖後に1回の見学以外は特に無く
静かに消えていきました。
同年に解体されたレインボータワーと比べると、
あまりにも注目されることもない最後でした。
4月14日最後の夜に訪れると、架線の電力が切られたためか、
国鉄形DCの2編成が主に往復というかたちになり、
その内1編成はキハ110+E120形でしたが、
ほぼキハ40・47形のみの新潟駅入線となり、
かつての時代を思い起させるような時間が流れました。
往年の新潟駅地上ホーム最後を飾った2編成を記録しました。
1編成 新潟キハ40・585 キハ47・514 キハ47・1513 キハ40・586新津
2編成 新潟キハ40・560 キハ47・1518 キハ47・1516 キハ40・587新津
この2編成が最終までひたすら新潟まで往復していました。








投稿者

太田拓也

投稿日

2019年 4月15日(月)21時39分34秒

タイトル

小ネタ

鉄道博物館に展示されている資料なのですが
よく見たら福知山線の線形が1986年開業の新線に見えなくも…






 
 
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