倶楽部メモ(798)

平成30年10月30日〜11月 1日

日中線の客車運用について(2)



投稿者

maffei4100

投稿日

2018年10月30日(火)00時00分41秒

タイトル

Re8 日中線の客車運用

仙コリ様
運用の詳細、ありがとうございます。おかげ様でよくわかりました。
1日の最後は回送だったのですね。
正に1日中日中線のためだけのお仕事だったわけですね。
それと、オハ61の全廃でオハ35が入るようになったんでしょうね。
因みに最近気づいたのですが、
オハ35は2161、2507の2輌が、近代化改造も体質改善もされず且つ茶色で残った
全国で最後の戦前製だと思われるのですが、いかがでしょうか。
特に2161はS15年製で旧番号(33810)で落成しており
価値があるように思います。
また、2507は日中線最後の日にも運用に入ったようですね。

会津加納、ありがとうございます。
ぼくは昨年36年ぶりに熱塩の記念館を訪ねましたが
沿線を丹念に見ることはできませんでした。
いつか配線跡を見てみたいと思っています。
添付はS56.4の会津加納です。
もともとろくな写真ではない上に複写がうまくいかず
とてつもないものをお見せしてしまいますが、
アングルが見せていただいたものと同じなので恥を忍んで貼っておきます。
背景の山々だけは変わりませんね。




投稿者

maffei4100

投稿日

2018年10月30日(火)22時38分44秒

タイトル

Re9 :日中線の客車運用

クモイ103様の投稿を見逃しておりました。失礼いたしました。
さっそく在りし日の会津村松駅の写真を拝見しました。これはかなり貴重ですね。
日本中そうだったはずですが、
ローカル駅でもこんな立派な駅舎があったんですよね。
旅客に加えて貨物扱いもバリバリに行われていた往時を見てみたかったです。

なんだか調子に乗ってひどい画質ながら
ぼくも会津村松、上三宮の写真をアップしておきます。
いずれもS56.4撮影です。
縦位置が会津村松でこの駅のみ貨物上屋が既になかったと思います。
横位置は上三宮です。
(実はこの頃カメラの扱いがわかっておらず3段(!)露出アンダーです)






投稿者

maffei4100

投稿日

2018年10月30日(火)22時50分1秒

タイトル

Re10 :日中線の客車運用

ほんとにしつこくて恐縮ですが、さらに会津加納駅の写真を3枚追加します。
尚、よく見てみると、仙コリ様に見せていただいた2016年の写真の
火の見やぐらの向こうの大きな屋根の民家は、
ぼくの写真(昨日及び今回の3枚のうちの1枚)の中に写っているものと同じと
断定できそうです(非常に見づらいですが)。
ということは火の見やぐらは後から建てられたのですね。
駅前広場から駅舎全景を撮ったものもあるのですが、
完全逆光なのでさすがにやめておきます。








投稿者

仙コリ

投稿日

2018年10月31日(水)20時48分49秒

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Re11 :日中線の客車運用

maffei4100様

在りし日の会津加納駅の写真を見せていただきまして、ありがとうございます。

特徴的な三角屋根が大変懐かしいです。

ところで火の見やぐらですが、
前述の私の小学生時代(1970年代前半)にはありました。

母の実家に訪れる際に(父の車ででしたが)
会津加納の集落に着いた際の目印的な存在でしたので
当時から存在していたはずです。

私の写真では奥の家のすぐ前に見えますが、
望遠レンズによる圧縮効果でそう見えてしまっていて
奥の大きな家は旧会津加納駅の熱塩より、
火の見やぐらは旧会津加納駅の喜多方よりにありました。

maffei4100様の最初のお写真のポイントの右側位の位置にあったと思います。
そうなると最後のお写真に写っていても良さそうではあるのですが・・・




投稿者

maffei4100

投稿日

2018年10月31日(水)23時45分0秒

タイトル

Re12 :日中線の客車運用

仙コリ様
ありがとうございます。
失礼いたしました。火の見やぐらをこの時代以降に建てるのは?
と思いながら画像を誤解して書いてしまいました。
確認できないことを書いてはいけないと肝に銘じているつもりなのですが、、、 
反省します。

仙コリ様のおっしゃるように火の見やぐらは
ぼくが思っていたよりもっとずっと手前なのですね。
最後の写真にぎりぎりで写っていない位置なのかもしれませんね。

ぼくも沿線を歩いて巡ってみたいと思います。




投稿者

クモイ103

投稿日

2018年11月 1日(木)08時23分5秒

タイトル

Re13 :日中線の客車運用

maffei4100 様

会津村松、上三宮の写真も追加いただきありがとうございます。

会津村松駅の貨物上屋については記憶にありませんが、
昭和49年の駅舎正面の写真で左側に建物が続いていないように見えるので、
その時点で既に無かった可能性もありますね。
ちなみに貨車は貨物ホームから大きく外れた位置に停車していました。
すぐ目の前に日通の事務所がありましたので、
貨物扱いを委託していたのかもしれません。

写真は上三宮です。
1枚目は朝の621レ最後部から、SL引退間近でデッキは超満員でしたので、
他人の股の間から撮っています。撮影場所がわからなかったのですが、
先に紹介したHPにある1975年の空中写真で
ホームと線形の位置関係から場所を特定できました。
2枚目は夕方の624レの到着シーンです。SL目当てのファンが何人かいます。
(中央の人物は母で、当時中学1年生の私が
学校から一人旅行を許されなかったため
同行してもらいました)
3枚目は待合室に掲げられていた時刻表です。
駅舎の全体は撮っていませんが、
会津村松と同じような荒れ方だった印象があります。

会津加納駅近くにあった火の見やぐらについて、私は直接見ていませんが、
maffei4100様の投稿「Re:10」の3枚目の写真では、
もしかして駅舎の立派な屋根の向こうに隠れている可能性は考えられませんか?








投稿者

仙コリ

投稿日

2018年11月 1日(木)18時36分42秒

タイトル

Re14 :日中線の客車運用

maffei4100様

本題からは外れた話題でつっこんでしまいまして申し訳ありませんでした。

この火の見やぐらについては、
ネット上で旧会津加納駅の写真を探してみても、
映り込んでいる写真はごく一部でして、
位置関係等について私も疑問に思ってしまったので、
本日仕事が休みだったので、現地調査に行ってまいりました。

1枚目の写真は喜多方側からの撮影で、
おおよそ最初にご投稿いただいたお写真と同じようなアングルにしてみました。

ここから横に広げると2枚目の写真となり、
右側に火の見やぐらが見えてくるので、
予想通り一般的な駅風景の撮影をすると、
ギリギリ火の見やぐらは写らないアングルになったのであると考えられます。






投稿者

仙コリ

投稿日

2018年11月 1日(木)18時43分17秒

タイトル

Re15 :日中線の客車運用

同様に熱塩側からの写真ですが、1枚目はたぶん駅舎があったあたりの場所
からの撮影で、火の見やぐらがバッチリ写っていますが、
ここから少し熱塩側に移動しますと2枚目の写真となりまして、
クモイ103様の推測通りに今建っている建物にも隠れている状況でして、
大きな三角屋根であった旧会津加納駅には完全に隠れてしまっていたもの
と思われます。






投稿者

maffei4100

投稿日

2018年11月 1日(木)22時07分42秒

タイトル

Re16 :日中線の客車運用

仙コリ様
これ今日なんですね! 今現在こんな感じなんですか! 
なんとも言えない不思議な感じです。
火の見やぐらの件はクモイ103様のご推察と仙コリ様の実証で解決ですね。
ぜひぼくも現地を訪ねて、往時の駅を偲ぶとともにこの火の見やぐらを
見上げてみたいと思います。

クモイ103様
貴重な写真をありがとうございます。
2枚目の写真、いいですね。
このようなローカル駅の記録は極めて貴重だと思います。
ウィキベテアでは上三宮駅の駅舎は昭和40年代に火事のために建て替えられた、
とありますが、
・この年代に、わざわざ木造で再建したのか、という点
・クモイ103様の写真やぼくの写真から見る朽ち具合
から、ちょっと疑問に思います。




 
 
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