みなさんこんにちは、jfsです。
このたびは私の疑問に対し、クモイ103様、スハネ30生様、仙コリ様に
詳しいご説明、貴重な情報を戴き誠にありがとうございました。
私なりに一応の結論、見解を得ましたので、なにかスッキリした気分です。
まず、帯色に関してはクリーム帯が私の認識の黄色帯とは違って
20系客車の色であったために、目撃した車両の帯を白だと思い込んだ。
当時まだ幼い子供であった私は一等車=白帯という先入観で
クリーム帯の存在を知らなかったという事です。
従って、この時代の一等車はやはり全てクリーム帯であったという事が
どうやら真実でありそうです。
また目撃した車両は仙コリ様がご指摘の物、
つまりマイフ293であったことにほぼ間違いないと思います。
この客車について緊急調査したところ、
昭和30年の7月に返還されマイフ293となり、
帯色はクリーム1号であったこと、また31年の11月に廃車になり
台枠をオシ17に転用した事などが判明しました。
従ってこの客車の存在時期が私が目撃した30年8月〜31年10月の期間という
時期と見事に一致します。
他の営業用の一等寝台車は既に青帯に変更されたようで、
この時期白(クリーム)帯の車両は恐らく無かったという観点から、
目撃したのはマイフ293であったとの一応の結論に達しました。
シートピッチに関してはマイ38は1140oと確認しました。
私が話した1080mmピッチは供奉車から
一般車に改造当初のスイ38のピッチであり、
冷房化と同時に前位のテーブルとその周りの4つの
回転椅子を撤去してマイ38になった時に1140oピッチに改造されたことが判明、
やはり1080oは改造前の姿だったということで納得しました。
マイテのシートピッチに関してはスハネ30生様の説明の通り
窓割り寸法と合っていなかったということで納得です。
またベンチレータに関しても調査の結果ノッペラボウであった事を確認しました。
これらの結果を持って感じるのはNゲージの模型と言う物は
あまり正確な時代考証とかはされない物だなあと思いました。
ですからやはりNゲージの完成品は走らせて楽しむ物だということですね。
では、また機会を見てこちらの客車に乗車させていただきます。
ありがとうございました。
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