倶楽部メモ(773)

平成28年12月24日〜12月30日

何としても走らせるという気概 ・ 38豪雪の事



投稿者

だめおやじ

投稿日

2016年12月24日(土)16時27分59秒

タイトル

運休の可能性大

北海道の大雪による列車や飛行機の運休がひどい状態でありますが、
もしまだ「北斗星」「トワイライト・エクスプレス」があったら
運休になっていたでしょう。
今回の北海道の大雪はハンパじゃないです。
先月の10日、11日に私は会社の旅行で札幌に行ってきました。
新千歳空港は雪が全然なく、札幌市内は少しではありましたが雪が残っていました。
小樽では雪は札幌と同じ状態でした。
札幌だけでなく、小樽も大雪になっているようです。
今年は北海道新幹線が新函館北斗まで開業しましたが後に札幌まで延びますが、
札幌まで延びた後にこの大雪だと運休になるんではないでしょうか?
(少し客車の話からそれてしまってすいませんでした)




投稿者

ミキスト

投稿日

2016年12月28日(水)11時13分23秒

気象状況に先手を打って半予定的運休の傾向は,現代社会では致し方ありませんね.
安全第一は最重要課題です.
一方で,国鉄時代には特急つばさが奥羽本線の真室川駅で大雨のため足止めになり,
新庄に引き返して陸羽西線経由で秋田に向かった(山形県史より),
特急日本海,白鳥が豪雪のため富山駅で足止めになり,
炊き出しや毛布の配給などでしのぎ,
3日目に終点を目指して走り始めた(故郷が富山なので実体験)など,
何としても走らせるという気概と熱があったことが懐かしく,誇らしいですね.




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月28日(水)23時21分21秒

タイトル

何としても走らせる

> 何としても走らせるという気概
確かに時代を遡るほど、それは感じられますね。
気象の悪化を予測して鉄道が早めに運休の手配をとる考え方が強くなったのは、
伝説の昭和38年「サンパチ豪雪」以後の事という話をどこかで読んだ気がします。

かつて陸上における長距離交通機関の先駆けとして登場したのが鉄道でした。
クルマもヒコーキもない時代、鉄道の運休はすなわち交通の途絶です。
だから多少の悪天候でも運休は避けたい。
そしてひとたび発車した列車は、風雪に阻まれようとも、
とにかく這いずってでも終着駅を目指しました。
「輸送を完遂する」という当たり前の目標が、
非常事態でも仕事に対する誇りとして鉄道員を突き動かしたのです。
また沿線の人々も、雪に閉ざされ立ち往生した列車の乗客に
炊き出しをして応援しました。

以前この掲示板で言及しましたが、
「サンパチ豪雪」における新潟発上野行き704レ急行「越路」の逸話が
それを象徴しています。
ロータリー車のシリンダが焼き付くほどの豪雪のさなか、
「越路」は一進一退を繰り返し、
車内に持ち込んだ炭火で一酸化炭素中毒が発生するといった苦闘の末、
5日がかりでついに上野まで走り通しました。
遅れは実に106時間21分、満身創痍で辿り着いた雪だるま状態の列車を、
大勢の駅員が整列して出迎えたという事です。

今から半世紀以上も前、
鉄道が今より重い役目を背負っていた時代のお話しでした。




投稿者

ED76109

投稿日

2016年12月29日(木)08時37分17秒

タイトル

24時間遅れのトワイライト

 おはようございます。「ED76109」でございます。

 先達の皆様のお話を伺っていますと、
廃止直前の「トワイライトの遅延騒動」を思い出してしまいます。
単身赴任先へ戻る途中、札幌で出会った「8002レ」。
列に並んでいた方々を見送った時はただ羨望のまなざしでしたが、
翌日のニュースで「青森県境」で大雪に阻まれ、10時間近くの立ち往生。
何だかんだで、大阪到着は「約15時間(?)」の遅延で「3日目の早暁」だった
というお話であります。
あのときは荒天続きで、何度か「車中泊2泊」のトワイライトが話題になり、
「24時間遅れのトワイライト」も出現しました。
しかし、乗客のほとんどは「最後のトワイライト」を心底楽しみ、
大阪駅ではカレチさんたちとの「記念写真」で盛り上がったとの逸話に、
小生「入選業務」を放り出して出かけたかった思いで一杯でありました・・・。

 失礼いたしました。
以上、「この忙しい時期に、まさか乗り鉄はしないよねぇ。」と
校長先生に「指導」されてしまった「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年12月30日(金)20時16分49秒

タイトル

38豪雪の事

丁度正月明けに金沢と高岡出張の予定があったのですが、
年末から北陸本線も高山本線も不通で延期し、
やっと動き出しても505レ「ゆのくに」がウヤで503レ「立山」しかなく
て、それもオハ35、スハ32、オロ40、スロ50のごちゃごちゃ編成で
まともに金沢へ到着は保証の限りに非ず(大鉄局広報の回答)で、
仕方なく早朝「西海」のスハフ42のデッキに立ったまま
米原で循環準急《こがね》に乗り換え----
これもごちゃごちゃ編成でキハ20に乗せられました。
途中沿線の農業倉庫などがペシャンコになっているのをみて驚いたり、
西金沢の工場へ行くと「渡り廊下の屋根が落ちた」とのこと。

その後高岡駅の積雪状況の写真を見せられて「こんなに降ったのか」!でしたが、
傑作なのは高岡商工会議所発行の「英文豪雪証明書」の英語でした。
未だに冒頭を記憶していますが、
”Takaoka City was visited by heavy snow falling-----"
まるで中学生の英語で受取った関西の貿易 商社達が大笑い。
帰途がまた大変で504レで帰る予定が
「海外の客が1日早く来たから午後3時までに帰れ」
で、早朝の「しろがね2号」のキロハ25に乗ったら暖房故障で
後ろのキハ26でやつと暖かい車内に入り(それでも客車の電暖よりは寒かった)
米原からサハ87で帰阪。
キハ26の窓が凍結して米原まで開けられずでした----。

米原で乗り換え待ちの時間に食べた駅売りの「熱い蕎麦」が
なんと美味しかった事か
で思わず2杯平らげました。
北陸本線が雪で不通でも案外高山本線が生きている事が多かったのですが
38豪雪だけは両方ともやられました。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2016年12月30日(金)22時29分28秒

タイトル

長く乗れた

ED79109さんの24時間遅れのトワイライト・エクスプレスありましたね。
これは廃止直前だから乗客の苦情がなかったと思います。
廃止直前でなかったら苦情を言ってた乗客はいたでしょう。
トワイライト・エクスプレスは廃止の数日前は
悪天候で運休になったのがありました。
徹夜して並んで買った人、
ネットで通常より高く購入した人は
ガッカリしたのと同時に残念だったと思います。

これは余談ですが、私が最後に乗った寝台特急「あけぼの」ですが
2014年1月中旬に乗りましたが、
このときは日本海側は大雪で運休はしませんでしたが
高崎駅で1時間遅れで到着して、
さらに通勤時間帯なので通勤電車優先で神保原駅で1時間停車して
終点上野駅で2時間以上遅れて到着しました。
遅れてはいましたが、その分長く乗れたので自分としては満足でした。
38豪雪ですが、この雪を溶かそうとして自衛隊が火炎放射器を使ったのですが
結果は空ぶりでした。
昭和38年ですが私は、この年に産まれました。
(これ書いたら私の年齢がバレてしまいましたが)




 
 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから