倶楽部メモ(770)
平成28年12月10日〜12月17日

スハ32 2000番台? ・ 幻のオホーツク縦貫線


投稿者

ED76109

投稿日

2016年12月10日(土)09時44分8秒

タイトル

オホーツクとスーパー宗谷は見納めか?

 ご無沙汰しております。「ED76109」でございます。

 厳冬の北の大地は、「JR北海道」の先行きで連日喧騒諤々といったところであります。
 先週の日曜日で「留萌本線 留萌・増毛」が廃止となり、「名作の終着駅」は終焉を迎えてしまいました(滂沱)。
次は、「鉄道員」の舞台となった「幾寅」が廃線の危機となっている状況でして・・・。
「日本一の運転時間」である「滝川・釧路」間を走る「DC鈍行」も、8月末からウヤとなっており、
このままでは「富良野・新得」の復旧作業に手をつけずに「廃線」といった事態も、現実味を帯びてきております。
 とにかく、「宗谷線」「石北線」そして「根室線」は、原則「JRのみでの路線維持は不可」との発言で、
何らかの手立て(上下方式等の導入など)を講じないと「廃線」も・・・。
「JR幹部」の発言で、オホーツクと道東、道北は鉄路が消える可能性
(最悪の場合、平成30年度で廃止の検討開始)も大の状況であります。
 しかし、「北海道」は「そんなお金がどこにある?」と及び腰。
地域の町村は「JRが頑張って」の大合唱。
果ては、「もう一度、『国鉄北海道』の復活しかない」との声も大きくなってきております。
 「まりも」や「からまつ」が轍を歩んだ鉄路が風前の灯となっている現状。
まさしく「無死満塁の大ピンチ」といった感の「JR北海道」なのであります。

 長々と失礼いたしました。以上「マロネロ38様の復活」にほっとした「中年教頭鉄ちゃん」でありました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年12月13日(火)13時49分56秒

タイトル

藤山海運の復活が---?

ED76109教頭先生:
御無沙汰してます、北海道はJRが経営放棄状態みたいですね??
これは道民のみならず全国民の大問題ですが、以前申し上げた如く国鉄を分割せず資本
形態だけを旧満鉄式に「半官半民」の「JR日本KK」にしておけば、こんな事態にはならなかったかも知れません。

皮肉?見たいですが昭和11年7月号の所謂「三本松時間表」を繰って見ると、小樽-増毛-留萌-
焼尻島とか、小樽-礼文-利尻-稚内なんて藤山海運(後の北海商船)航路がありますが、
JR北海道が宗谷本線や留萌線を廃止したら、この航路がまた必要になる??かも知れません。
今度はローテーションを小樽-稚内-利尻-礼文とか?????(小樽-稚内間は急行利尻の
時間帯で)三千五百トンクラス20KNのフェリーならペイするかもです。

どうも国鉄末期の「新幹線以外は鉄道に非ず」みたいな感覚がJR各社にあるのが困りますね。




投稿者

オロハネ10

投稿日

2016年12月17日(土)01時25分56秒

タイトル

スハ32 2000番台

いつも楽しく拝見させてもらっています。
ここの皆様の生の声はいにしえの鉄道の風景をよみがえらせてもらい、時間旅行をしている様な気持ちになります。

さて、お伺いしたいことがあります。
客車の歴史を文献やWebから調べているのですが、スハ32系列で不思議なことがあります。

皆さんご存知の通りスハ32系列は戦前に製造された車体長20mの鋼製客車で、
その三等車スハ32は、途中二重屋根から丸屋根に変わって900両近く製造されています。
このうち丸屋根のスハ32はスハ32800として製造され、1941年の車両称号改正でスハ32に改められています。
ところがこの元スハ32800の中で、100両を超える車両が、番号順で有りながら2000番を足して付番されています。
例えばトップナンバーの32800はスハ32 137と付与されず、いきなりスハ32 2137と付与されている様なのです。
交流電化開始にともなう客車の電気暖房化改造で2000番を加えるのは知っておりますが、
それが始まったのは1958年頃からですから、称号改正の遙か後。
また当時東海道線東京口で後の方式と違う直流での電気暖房が採用され、スハ32もこの改造を受けたものがある事に関しては
この掲示板でも話題になりましたが、その客車は番号では区別されず△マークの付与で区別されていたはずです。

この1941年での2000番台に何の意味があったのでしょうか。
それとも単に私の調査ミスで2000番台になったのはもっと後なのでしょうか。
おわかりの方がいらっしゃいましたらご教示くださると助かります。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2016年12月17日(土)10時32分50秒

タイトル

カシオペア北海道乗り入れ終了

久しぶりのコメントになります。
現在、ツアー用に使用されているカシオペアですが来年の2月で北海道への乗り入れが終了すると発表されました。
北海道内の機関車の手配が難しくなったようです。また新型の「四季島」が完成したのもあるようです。
カシオペアは今後は本州内のみで使用されるようです。
今まで北海道に乗り入れしてた客車列車が消滅してしまうのは残念ですが。
あと、カシオペアの牽引に使われていたEF510のカシオペア色(509、510)は
JR貨物に売却してカシオペアのマークを外して銀ガマで使用されています。
せめて510番だけはJR東日本に残してほしかったですが。

ED76109さんがコメントしたJR北海道の赤字路線ですが、国鉄時代で廃止された路線は、かなりありました。
最初に白糠線から始まり、万字線、相生線、渚骨線、広尾線、士幌線、胆振線、富内線、興浜北線、興浜南線、
湧網線、瀬棚線、羽幌線が廃止になり、
JRになってからも松前線、標津線、天北線、名寄本線、深名線、江差線が廃止されました。(他にもありますが)
この後も廃止になる路線が出るかもしれません。
もし、釧網本線が廃止されたらオホーツク沿岸に走る路線は無くなってしまいます。
前は天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線がありましたがすべて廃止されました。
興浜北線と興浜南線はトンネルとか作って繋げる予定でしたが繋がらず廃止されてしまいました。
仮に繋がっても廃止されていたでしょう。
これ以上、北海道から鉄道が無くなってほしくないんですが。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月17日(土)12時40分15秒

タイトル

Re: スハ32 2000番台

オロハネ10様、こんにちは。
鋼製客車の附番法が大幅に変更され、「5桁番号」から「形式2桁+製造順」になったのは
仰る通り1941(昭和16)年のことでした。
一方、電気暖房の普及に伴い電暖車の番号を「+2000」することが行われたのは、
ずっと後の時代である1959(昭和34)年以降のことです。
現に「2000番台の電暖車」登場の直前となる1958(昭和33)年10月1日現在の客車配置表に、
2000番台の番号は見当たらず、例として挙げられたスハ32 137も、
盛セキ(一ノ関客貨車区)にしっかり配置されています。

> 例えばトップナンバーの32800はスハ32 137と付与されず、いきなりスハ32 2137と付与されている様なのです。

というお話しは、どのような情報源から来たものでしょうか?




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月17日(土)13時17分44秒

タイトル

幻のオホーツク縦貫線

だめおやじ様が触れられた興浜北線、興浜南線は、1985(昭和60)年にバスでつないで乗り通しました。
写真の1枚目と2枚目は南線の終点・雄武駅の光景。駅の先に確かにトンネルがありますね。
(これがずっと続いているわけではないでしょうけど…)
写真2枚目の手前の線路はトンネルへ向かわず右手に逸れていて、おそらく貨物側線か何かでしょう。
3枚目の立派な高架橋は、北線の終点・北見枝幸駅から少し南へ歩いたところの未成区間です。
画面奥が北見枝幸駅方向です。

ちなみに当時の時刻表をひも解くと、網走から稚内へ下記の様な乗り継ぎで“縦貫”することができました。
(私がとった行程とは一部異なります)
網走8:42(勇網線924D)11:03中湧別11:37(名寄本線628D〜興部で分割直通〜興浜南線825D)13:49雄武14:37
(宗谷バス)15:47北見枝幸16:17(興浜北線928D)17:01浜頓別17:32(天北線727D)19:50稚内
なお網走発6:00の922Dで出発しても、興部で興浜南線の接続が無いため上記の825Dまで待つことになります。








投稿者

だめおやじ

投稿日

2016年12月17日(土)16時45分41秒

タイトル

ありがとうございます

>クモイ103様
興浜北線と興浜南線の貴重な写真、ありがとうございます。
この二つの路線は興浜北線は1985年(昭和60年)7月1日、興浜南線は同じ年の7月15日に廃止されています。
クモイ103様が乗ったときは残雪があるから4月頃ではないでしょうか?

あと、お詫びと訂正です。渚骨線と書きましたが渚滑線が正解です。
国鉄時代に廃止された路線で美幸線と手宮線、岩内線が抜けていました。
JR北海道になってから歌志内線、幌内線も廃止されました。
大変失礼いたしました。(他にもあるかもしれませんが)
あと、羽幌線ですがこの路線は国鉄最後の廃止路線でした。
1987年3月29日に廃止されています。3日後に国鉄からJR北海道に変わっています。
来年は国鉄が分割・民営化(JR北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州・貨物)になって30周年を迎えます。
分割・民営化になったのがついこの間だと思いましたが。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月17日(土)21時33分39秒

タイトル

美幸線も

だめおやじ様

国鉄時代の廃止路線として美幸線を挙げられましたが、これも今回の話にちょっと絡む路線でしたね。
宗谷本線の「美」深駅から東へ分岐してオホーツク海岸を目指し、
北見枝「幸」駅で興浜北線と出会うべく建設されながら、道半ばで力尽きてしまい、
「日本一の赤字線」の不名誉な称号を奉じられたことも、今ではどれだけの人が覚えているやら。
その終点・仁宇布駅からさらに東を目指す未成区間を見た景色をご紹介します。
行く手を阻む山々の向こう、何十キロか先に、北見枝幸の街があるのですね。
雪深い山間の駅舎にも“鉄道の現場”が息づいていました。

さてオマケを一つ、「客車列車の旅」なので客車を出しましょう。
同じ日に音威子府駅で撮った上り急行302レ「宗谷」です。これも有名になった、
夜行急行「利尻」と共通運用のため寝台車を連結した編成です。普通車自由席の扱いでした。
実は前書き込みで添付した雄武駅と北見枝幸駅付近の未成区間の写真も、
この仁宇布駅・音威子府駅もみな同じ日、1985(昭和60)年、お察しの通り4月7日の撮影です。








 
 
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