倶楽部メモ(769)
平成28年12月 2日〜12月 9日

交通科学博物館のマロネフ59


投稿者

仙コリ

投稿日

2016年12月 2日(金)07時22分0秒

タイトル

交通科学博物館のマロネフ59

クモイ103様

マイロネフ37290については、芳賀様のお話を聞いたときに、どこかで見た覚えがあるような…
と思い、昔の写真を探して見つけ出した物です。

お話だと2等座席車のようだったので違うなと思っていたのですが、夢の話であれば可能性が
あるかなと思った次第です。
また、本当にタイムスリップしてこの車両に乗ったとなると、皇族かその関係者としての立場
という凄いことになりますよね。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年12月 2日(金)16時08分48秒

タイトル

マロネフ59

交通科学博物館(弁天町)の開館式日の鉄道友の会見学会で中に入れましたが、その後は
10月14日の鉄道記念日に公開していたかと?記憶します。仙コリ様の写真では確かに
2重窓になっていますね。
庶民には縁がなかった車両なので一寸想い付きませんでした。




投稿者

理左衛門

投稿日

2016年12月 2日(金)19時30分8秒

EF58 129さん
ありがとうございます。
しかし、それでも客車そのものを滅ぼした東海よりはましな会社だと思います。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月 2日(金)22時24分11秒

タイトル

弁天町のマロネフ59

仙コリ様

> 皇族かその関係者としての立場という凄いことになりますよね

その通りですね。皇族方がご乗車になるのは区分室で、
プルマン式の部分は随行員用のスペースでしょうけれど、
それにしても“殿下”と呼ばれる方と行動を共にする立場ですから
たいへんなものですね。戦前なら高級軍人だったかも?

マロネロ38様

鉄道記念日には車内を公開していましたっけ。
私も一時大阪にいたことがあり弁天町はよく訪れていましたが、
車内公開についてはよく覚えていません…




投稿者

てりてり

投稿日

2016年12月 4日(日)23時45分8秒

タイトル

ニュース映画に出て来た御料車

 ご無沙汰して居ります。皆様のマロネフ59についての記述を興味深く拝見して居りました。
 高松宮殿下のお名前が出たところで、以前ニュース映画で御料車にお乗りになられる場面があった事を思い出しました。
 現在NHKが『戦争証言アーカイブス』というホームページを作成、
その中で1940〜48年の『日本ニュース』を公開して居ります。
その中の戦前編第三号「特報 満州国皇帝陛下輝く御入京」で、
横浜港に上陸された満州国皇帝溥儀を高松宮様がお出迎えされる場面がありました。
その後横浜港駅から東京駅まで運転されるのですが、御料車は10号(牽引機は8620の模様)である様です。
この車両は今日さいたま市の鉄道博物館に展示保存されております。
 また同号『満州帝国皇帝陛下御訪日の御途へ』で満州国の首都であった新京(現在の長春市)から御召列車に乗りこまれ
大連まで行かれたそうですが、最後に満州国の御料車と思われる6両編成の列車が出てきました。
最後尾の車両は『あじあ号』のテンイ8に似ていますが、
尾灯のデザイン、漢字の亜を模したそうですが、これがありません。
 1983年頃の鉄道ジャーナル誌だったと思いますが、全く残されていない幻の車両、という記述があった筈ですが、
もしかしたらこれがそうかも知れません。
 この他にも第一号では東京から京都までの御召列車が運転された事も公開されています。
 今日体を休めている車輛達にも様々な経歴があった事を感じさせられました。

 つらつらと書き連ねた事をお許し下さい。皆様時節柄御体御自愛下さい。
                                  それでは。




投稿者

陸奥光政

投稿日

2016年12月 5日(月)01時34分11秒

タイトル

ご返答ありがとうございました

クモイ103様

先日は私のご質問にお答え頂きありがとうございました。マロネ38は7両しか居なかったのですね。
全く知りませんでした。年代も比較的早くに無くなっておりますね。
急行霧島がやるなら一番有力かなと思いました。
S36年落ちですと、ぶどう2号+青帯ではなくぶどう1号のままというのが多そうですね。




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年12月 5日(月)17時47分41秒

タイトル

同一列車内の座席移動

こんにちは、太田拓也です。
ちょっと話題変えますね。愚痴かもしれませんが。

不思議なことに、いつの時代の時刻表を読んでも「全区間乗る人が
途中で切り離される車両に乗りたいときの扱い」が書かれておりません。
わかりやすい具体例を言いますと、651系時代の「スーパーひたち」で原ノ町方面へ行く人が
グリーン車(多客期以外はいわきで切り離していた)に乗る場合の扱いです。

事情に詳しくない人は青森時代の「きたぐに」のように夜行区間しか連結されない寝台車を見て
「遠くに行く人ほど寝たいのに使えないなんて殺生な」と思うかもしれませんし、
逆に「種村直樹の汽車旅相談室」に報告されるようなバカ駅員が
急行料金を打ち切って計算したトラブルもあるようです。

「スーパーひたち」「サンダーバード(グリーン車は和倉・富山のどちらか一方のみ)」の場合は
ビジネスマンの利用例も多く対応も容易だったようですが
「鉄道ジャーナル」誌が「はやぶさ」のソロに乗るときはマルスで発券できず
熊本までのソロ券に手書きで「西鹿児島まで立席」と書き加えていた記述があります。
またソロを取れなくてもせめてヒルネ用の寝台解体が無い付属編成にと考えても
駅員が寝台列車の号車移動の意図を理解してくれるかという疑問があります。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月 6日(火)21時12分49秒

タイトル

マロネ38入り「霧島」の編成

陸奥光政様

ぶどう色1号から2号への変更は昭和34年7月以降であり、
当時の客車は1年間程度(?)で工場へ入っていたと思われますので、
サンロクトオ改正直前の最末期には、
おそらくぶどう色2号主体の姿になっていたと私は考えています。

私の場合、模型化にあたっての時代の節目を昭和36年5月現在に設定しており、
急行「霧島」もこの時点の編成で模型化しています。
ご参考までに編成をご紹介しますと、下り方から、

 マニ60(名ナコ・下り東京→静岡間のみ)
 マニ60(鹿カコ)
1マロネ38(東シナ・東京−博多)
2ナハネ11(東シナ・東京−博多)
3ナハネ11(鹿カコ)
4ナロ10(鹿カコ)
5ナロ10(鹿カコ)
6オシ17(鹿カコ)
7ナハ10(鹿カコ)
8ナハ10(鹿カコ)
9ナハ10(鹿カコ)
10ナハ10(鹿カコ)
11ナハフ10(鹿カコ)
12スハフ42(熊クマ・東京−熊本)
13スハ43(広セキ・東京−下関)
14スハフ42(広セキ・東京−下関)

下りの東京−静岡間は客車16両、機関車EF58を含めればなんと17両編成でした。
ちなみに当時の広セキにはスハフ42の軽量化改造でオハフ33に編入されてしまった
異端車オハフ33 630がいて、霧島の14号車に組み込まれた編成記録がありますので、
私もキングスホビーのスハフ42キットから製作して組み込んでいます。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年12月 9日(金)20時37分37秒

タイトル

1レに鹿カコの食堂車

クモイ103様の編成所属で想い出しましたが、確か昭和25-26年ごろ601レに乗車して
米原停車中に入構してきた下り1レ「つばめ」にW屋根の食堂車を発見しておや?でした。
鹿カコのスシ3757で、多分カシ36の発電機故障で冷蔵庫使用不能の時の借り入れ代車??

それにしても鹿カコもえらく古典的な車を大ミハソに貸した物だと---春だったので冷房の
必要が無いからまだ良かったかと----。




 
 
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