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倶楽部メモ(763)
平成28年 8月15日〜 8月20日
戦前の客車塗色に関して ・ 動態保存機関車と客車


投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 8月15日(月)13時30分57秒

タイトル

Re: 戦前の客車塗色に関して

客車様

これは貴重な情報をご紹介下さり、ありがとうございます。
1935年といえば昭和10年、その時点でまだ黒塗装の客車が残っていたとは、
大変驚いております。

大正期には黒色だった客車の車体塗色が、ぶどう色、
当時の呼称で「深褐色」になったのは、
昭和4(1929)年3月11日に制定された「車両塗色及標記方式」からでした。

******************************
鐡道公報 第六百五拾五號より
車輛塗色及標記方式(昭和四年三月十一日 達第一五一号)

 (二)客車(電車ヲ含ム)
第七條 客車ノ車體外部ハ深褐色、臺枠以下ハ黒色トス
    但シ車體兩側の窓下ニ一五〇粍ノ幅ヲ以テ
    一等車ハ白色、二等車ハ青色、三等車ハ赤色に塗粧シ
    郵便車ハVB一一一三四圖ニ依リ白色地ノ上ニ赤色ノ標示ヲナスモノトス
******************************
(原文は縦書き、なお「黒」「青」も旧字体ですが、
 環境依存文字なので現行自体に変えました)

これによれば、客車と電車は全て「深褐色」に塗装しなければなりません。
6年後の昭和10年にまだ黒色の車両が現役で走っていたというのは、
一見矛盾します。
当時の車両は今より頻繁に検査を受け、
車体も度々塗り直されていたでしょうから、
「深褐色にしなさい」という達が出されていたにもかかわらず、
その後の検査時に従前の塗装を施してしまった現場があった可能性がありますね。

これは、国鉄が恐ろしく巨大な組織だった事を踏まえれば
理解できなくもありません。
戦後もだいぶ経った昭和44年9月の塗色規程改正で、
A寝台車のグリーン帯を消すべき所が
北海道内の対象車11両の帯が46年3月の時点で全て残っていたとの記録があります。
また塗装より重大問題である車号に関しても、
やはり昭和40年前後だったと思いますが、
クハ55形の改造車で同一車号のダブりが発生し、
慌てて改番した“事件”もありました。
これは極端な例ですが、
とにかく国鉄内の組織間の連絡は必ずしもスムースでない場面があり、
ましてや時代を遡って昭和初期ともなれば、末端組織まで達が浸透するのに
時間と手間を要したという事は容易に想像できます。


ここで客車様に伺いたいのですが、
引用された1935年頃の読者投稿欄の記述において、
「1935年当時の一等車は全て黒だった」のでしょうか? それとも、
「たまたま見かけた一部の一等車が黒かった」のでしょうか?
それによって話が大きく違ってきます。

前者ならば大事件で、
そもそも一等車だけ塗色を区別するという発想はありませんから、
塗色の歴史に関する従来の定説を見直さなければなりません。

後者ならば、前記のような要因で塗色変更が遅れた車両があった可能性
がありますが、もう一つ、考えられる事があります。
古山善之助氏の「蒸機全盛時代の国鉄の特急と急行列車」
(The Rail No.13)によれば、
このころ(昭和10年前後と思われる)の富士にはよく増結があり、
外国人観光団用に1等寝台車がつくと、東トウにはイネの予備車があまりないため
下関から木製のスイネ27100形または27150形を持って上ってきたとのことです。
ここからは想像ですが、昭和初期に鋼製のイネ車が登場したのに伴い、
木製のイネ車は定期運用を失って、
波動用の予備車になっていたのではないでしょうか。
そうなると普段は使用されませんから休車扱いで検査期限が延長され、
塗り直しの機会も減って、なかなかぶどう色に塗ってもらえず黒いまま…
といった要因もあったのではないか? と想像してしまいます。


ご紹介の戦前の雑誌「鉄道」は、鉄博のライブラリーにはあるのでしょうか?
実は一昨日あそこで調べ物をしてきたばかりで、
あと3日早くお話を伺っていれば確認できたかもしれないと、
ちょっと悔しいです。
次に行けるのは正月休みかな?




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2016年 8月15日(月)23時18分54秒

タイトル

20系レプリカ

EF58 129様
これはいわば「指が滑った」とでも申しましょうか,急な思いつきでした。
蒸気の為に,客車が必要→現役時代 
昭和50年12月以前に「日常的に見られた,乗車出来た客車の姿」
でなければ→じゃあ,20系ブルートレインでもいいのでは,ということです。
その理屈・必然性に関しては皆様の方がよくご存じでしょうから,
「編成」を書いてみます。

カニ22 ナロネ20 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハ21 ナハフ20

もちろん,現実に20系を使用した列車は無視です。
ただ,選定の理由は「一応」はあります。
カニ22  営業用客車としては珍しいパンタグラフ付き。
ナロネ20 当時としては最も豪華な車両だったから。
ナロ20  夜行の特急列車にも「座席車」があったという時代の記録。
ナハフ20 上に同じですが,2種類と利用者に選択の幅があったことも記録。
ナハ21  急行格下げ後に登場した車両も連結することにより,
      20系の歴史を伝える。

勿論,夜行列車や途中駅で停車して「車中泊」で使うべきですが,
「昼間のみの運転」でもこれなら問題は無さそうですね。
「予備」の意味も込め,カニ21やナハフ21,ナハネフ23も
用意しておくべきかもしれません。
ただ,現実的にはロとハは「いつの時代で復刻するか」で問題になりそうです。




投稿者

EF58 129

投稿日

2016年 8月18日(木)11時30分0秒

タイトル

御返事ありがとうございました

>鈴木昌生様
御返事ありがとうございます。感謝致します。
いえいえ、20系は客車の位置づけとしては非常に重要でありながら
動態保存車が全くないという不当な扱いをされている車種だと思います。
日本の鉄道というのは編成ものをそっくり保存する
ということを全くしない傾向が強く、
せいぜい東武8000系位しか例が無いような気がします。
そして20系の保存なのですが、
考証をどの時代に置くかで編成が決まってくると思います。
例えば末期ならカヤ21+ナハネ20×5+ナハネフ22といった三段ハネだけの編成や、
ナハネ20をナハ21に差し替えた1985年の「エキスポライナー」
を思わせるような編成、
栄光の「あさかぜ」を主眼に置くなら鈴木様ご提案の編成も
いい車種のセレクトだと思う次第です。
ただ、動態の編成では優等車は嫌われる傾向があり、
JR西日本のマイテ49など近年宮原の庫の中で静態保存然としている様ですし、
同様に「サロンカーなにわ」「あすか」も走ると
バカ鉄が出没して警察沙汰になるので運転もできず、
現実的なのはナハネ20中心の編成に
更にナハネ20を2両ほど足して9両編成で
団臨・多客臨にも活用できるような経済性を求められる様な気がしてなりません。
無論、ナシ20を挟んでイベントをやるのも現実的でしょう。
軽食とビールがあれば成人した鉄チャンは喜んで集まりますw

確かに「ロ」(ナロ20)と「ハ」(ナハフ20・21、ナハ20、21)の登場時期、
考証する時代に左右されるということがありますよね。
ナハ21以外は昭和30年代、ナハ21は急行格下げ後の車種なので昭和50年代となって
しまうので、考えどころですね・・・。
個人的には昭和30年代の「あさかぜ」編成が
豪華で均整が取れた編成だと思いますが、
実用的な考えではナハネ20中心の「ハネ」編成になってしまうと思います・・・orz
そしてカニ22は制約がある車種なので少々厳しそうな気がします。
重すぎて東海道本線・山陽本線・鹿児島本線しか走れない、
又直流区間でなければMGは使えず、
牽引機もEF58指定機、EF60 500、EF65P、PF初期型と限られ、
末期は「あけぼの」辺りでパンタもMGも降ろされ、
カニ21と同様になってしまった事実から、
牽引機に制約のないカヤ21が妥当な気がする次第です。

なんか現実ばかり見てしまい夢を壊す様な話になってしまい
申し訳ありませんでした。
あと付け加えるなら、20系のドアは手動のままの方が嬉しいと思います。
末期は半自動(自動で閉めて手動で開ける)がいい雰囲気なので・・・。




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2016年 8月18日(木)23時26分31秒

タイトル

動態保存機関車と客車

EF58 129様
こちらこそありがとうございます。
遅くなりましたが
>利府駅構内の交流電機
ウィキペディアで各機種を検索すると一応記載があったと思います。
>蒸機のみ復活の理由
確かにお金が掛かるのですが,
それを補って余り有る「経済効果」はあるようです。
むしろ,ここまで増えると価値は低下しそうなものですが。
また部品も,電機と異なりハンドメイドでなんとかなるようですね。

まずそもそもレプリカですが,「外見だけ復刻」するのか,
「可能な限り車内の『素材』まで行うのか」という問題があります。
私は前者だけで良いと思います。そういうわけで,西には期待します。
編成ですが,これは
「20系の歴史を走るホテル時代から晩年まで一編成で伝承する」
という発想です。
もちろん,各列車ごとが良いとは思いますが,
「やや」現実的になってしまいました。
だから,ナロネ20もナハ21も共存しているのです。
カニ22も「ガワだけ」の再現でいいと思います。
ただ,旧客にもいえることですが「扉開閉問題」は気になります。
ここは,案内員を各車両に配置して「手動」にすべきだと思うんです。
その代わり,人件費として「もっと」費用を利用者は負担すべきです。
価値を考えれば「特別指定券」とでも称して
大人1枚1500円から2000円位取って良いのではないでしょうか。
別に急行や特急料金は徴収しないのですから。
イメージは「動く博物館」なのです。
車内に20系の誕生背景,世間の評判,使用列車等の掲示をする。
これに乗っていた人とほぼ同じ体験をする。
「そういったことが分からない,興味が無い人」は乗って頂かなくて結構ですね。
「客の選別」もしたいです。

>「あすか」 あれは引退ではないのでしょうか。
>マイテ49 この時代の車両となるとほぼ無知ですが,
復活の際にはこれも「いつの時代」で揉めたであろう事が推測されます。
まだ走行は可能なのですね。
ただ,グリーン車マークが付いていたのではないですか。




投稿者

EF58 129

投稿日

2016年 8月19日(金)02時39分43秒

タイトル

交流電機と蒸機

>鈴木昌生様
少々熱中症で寝込んでおりました。
ここのところ釣りと地元関東鉄道常総線の花火臨が
立て続けにあったので少々撮り鉄してました・・・。

利府駅構内の交流電気機関車は
一応新幹線総合車両センタに保管されている様です。、
駅構内に留置されていた時、土地の人間の民度が低いのか
スプレーでいたずら書きをされた車輛もいたようです。
そして移動後も「老朽化が激しい」という言い訳で非公開との事でした。
一体老朽化するまで駅構内で放置していたのはどこの誰だ!と言いたくなります。

蒸機ばかりの復元、車体だけは自前で復元できますが、
ボイラーだけはご存知大阪のサッパボイラ社に外注するしか選択肢がありません。
故に復元費用がお高いのは分かります。
経済効果で復元費用をチャラにできるとは・・・。
しかしブームのせいかマナーの低下が顕著に表れている現実を
JR東日本は直視するべきではと思います。
現地迄自家用車で乗り付け、
JRにはびた一文落とさずうまうま撮影する撮り鉄に対して、
1万円もするパックツアーで参加しているにも拘らず、
長時間停車の際ホームに降ろしてもらえず、撮影できない上、
外部の人間が入場券も買わずズケズケ乗り込んで好き勝手に
撮影している事実、終点の常陸大子では撮影できないホーム、
それも跨線橋ギリギリで最悪のポジション。
そんな危険なポジションに群れてガキの記念写真撮影に執着するママ鉄。
(2014年水郡線の列車にて)
また、前にも書いたと思いますが、「SLみなかみ」など、
上下列車とも渋川で長時間停車するものの足回りの撮影できない3番線に入線、
更に親子鉄の記念撮影タイム。
遺伝病を持っていて子供がダメな私には癪に障っていけません。
また水上の構内はその昔障害物の無い撮影しやすい駅だったのが、
今では鉄チャンに対する嫌がらせとして電柱やワイヤーを張り巡らし、
転車台は回ればオルゴール音、留置線には檻を施すといった嫌がらせぶり。
ここまで愚弄されるなら蒸機の運転なんて止めちまえ!とついキレてしまいます。
よくYouTubeやニコニコ動画で
悪質な撮り鉄が公開処刑されていることがありますが、
裏を返せば、一番JRに利益をもたらしている乗り鉄・飲み鉄・録り鉄・撮り鉄を
(この撮り鉄は列車に乗っていて、
長時間停車の際ホームから撮影することを指します)
ないがしろにすることがその様な事態を発生させているのではと思う次第です。

対向式ホームを備えた駅で撮影できる時間を確保し、
撮り鉄と親子鉄の撮影時間を区切って双方の不満を解消する事くらい簡単な行為。
それすらしないJRって何なの?と思います。
それに乗車券・指定席券・特急券や酒肴、駅弁や飲み物まで駅構内で購入している
本来のお客様をないがしろにして、
沿線の撮り鉄ばかりうまい思いしているのが気に入りません。
とにかく何が写っているのか分からない親子鉄の記念画像と
車体に異常なまでに近接し溶接の痕でも撮ってるの?
と意地悪く問いたくなる様なガキ。
どちらも現場に来るなと言いたくなります。20系のお話は一旦区切って打ちます。




投稿者

EF58 129

投稿日

2016年 8月19日(金)03時33分52秒

タイトル

20系客車

>鈴木昌生様
前文は少々荒れてしまいすいませんでした。
どうも親子鉄と小学生の傍若無人ぶりに閉口させられることが多いもので・・・。
ところで20系レプリカのお話、
つい現実案を並べてしまい申し訳ありませんでした。
初期の20系なら日立と日車(?)の作り分けが必要になりますので
少々厄介ですよね・・・。
しかしコンセプトが動く20系博物館であればあの組成で問題ないと思います。
カニ22の重量問題にしても、
MGではなくインバータを搭載すればかなりの重量低減できます
ので(あの下関「あさかぜ」の様なパンタ付ロビーカーの技術を応用すれば
実現可能ではないかと思う次第です。

そして保存車輛使用列車から高い料金を徴収することは私も賛成です。
特に無駄な親子鉄等排除の対象でしょう。車内ではキーキー騒ぎ、走り回り
長時間停車になれば前頭部にわらわら集まって
我先にガキの記念画像を撮りまくり。
それもスマホやガラケーで・・・。
あんなのは指定席券500円少々しか徴収しないから、
物の価値の分からない連中が湧く訳です。
あんなのは後述の大井川鐵道の「トーマス列車」にでも乗ってりゃいいんです。
本物の車輛など贅沢。プラスティックのお面を煙室扉に付けられ、
オレンジ色に塗られた旧型客車を引いている姿、ぞっとします。
いくら一般受けが良かろうが、私は認めません。

その大井川鐵道だって「SL急行券」として特別料金を徴収している訳ですから、
いっそJRも特急料金と同額の協力金を徴収して然るべきだと思います。
但し、JR東日本もそれだけ徴収するなら客車の本格的整備(43系の完全復元等)や
蒸機だけでなく電機の復元も分け隔てなく実施する
といった義務を負うことになりますがw
この金が東京駅丸の内駅舎の様な建築物としては価値があっても、
その駅舎にふさわしい列車が出入りしないと・・・。
新幹線はもってのほか。あとはステンレスの安っぽい電車。
「つばめ」「はと」とは言いませんが
重厚な旧型客車がEF58にでも牽かれてくれば似合いますが・・・。

「客の選別」既に書いてしまいましたが、やはり大人の空間としてのものとして、
絶対に騒ぐガキやモラル・マナーが全くできていない学生は
乗れないようにするのも大事ですね。
いっそドレスコードも指定して、
最低限スーツ着用くらいやってもいいと思います。

最後になりましたが、「あすか」展望車が先月吹田に回送されたとの由。
もう終わりです。
マイテ49 2、資料を見る限り末期の状態(「つばめ」「はと」時代)の様です。
実は車内は私の嫌いな塗りつぶし車なのですが、乗ってみたいものです。
これも当時の車輛が残っていないという欠点がありまして・・・。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 8月20日(土)09時20分3秒

タイトル

イギリスが羨ましい

旧LNERの”Flying Scottsman"が蒸気機関車共に復活していますが、
流石に鉄道創始国だけありますね。
某財閥商社の英領植民地にある支店に6年勤務経験があった亡父が、
「英国人は上等の物を買って、それを長く愛用している」と言っていましたが、
将にそれだと想います。

戦時中のウヤ時代を除いて、
LondonのKingskross駅発車が終始一貫午前10.30だったのも
イギリスらしいなと--本当に乗ってみたかった列車の一つです。

日本でもスロ54時代の「つばめ」を復元してEF58で戦前並に
東京−神戸間に観光特急列車を復活してほしいものですが、
国鉄復活でないと無理かも?




 
 
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