初めてお邪魔させて頂きました。
24ページまで読んで感想を書かせて頂きたく
大変遅いレスで申し訳ありませんが・・・。
クモイ103様
2014.7.13付「12系・14系座席車活躍の頃(3)」の筑波号(1983年5月3日運転)、
当時小学校6年の私がそれに乗車しておりました。
私は関東鉄道常総線沿線在住ですが、取手ではなく上野から乗車したかったので
一人先発し上野から乗車、後から家族が合流するという嫌な餓鬼でした。
当時編成をメモしたのですが紛失してしまいうろ覚えで申し訳ないのですが、
この12系客車は高崎のもの、常磐線内はEF80の牽引でした。
尚、翌年1984年春は尾久の14系に変更、窓が開けられなくなり非常に不満を覚え、
1985年は科学万博輸送で中止、1986年も復活せず、1987年3月31日筑波鉄道自体
廃止という非情な最後となりました。
1987年3月31日と云えば同年7.20付「国鉄最後の日」、私も葬式鉄に行きましたが、
夕方以降混雑がひどくなるのと、
父親がうるさいので早々に帰宅せざるを得ませんでした。
「旅立ちJR号」は全て落選(乗客は葉書による公募)し、
見るだけ悔しいというのもありましたがTVでその模様は観ておりました。
特に癪だったのはマイテ49の最初で最後の上京。
「旅立ちJR西日本」は東京10番線発車、撮影するなら12番線で三脚を張るのが
常套手段ですが、日本テレビ(もう時効でしょう)が特番放映で〆切独占。
観ていて「あれはずるいやり方だ!」と憤ったものです。
翌日のニュースでは案の定ホーム下の階段で鉄と鉄道公安官がもみ合いになり、
抑えきれず警察出動と報道されてました。
そしてマイテ49もあの日以降30年近く経ちますが、一度も上京しません。
悔しいですね。せめて鉄道博物館のマイテ39 11が動けばいいのですが・・・。
長くなりそうなので一旦終わります。
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