気付いた今はもう遅い,という話です。
A 昭和50年代前半には不足の感もあった
ニューブルートレインの食堂車ですが,後半には余乗車になってしまい,
広島の20系「ホリデーパル」のサロンカーになったり,
「はやぶさ」用ロビーカーに改造されてしまいます。
もし,この時分に「青函ブルートレイン」即ち後の「北斗星」や
,「日本海の函館延伸」が具体化していれば,
それらの種車が北海道向けに改造され,スシ24の落成数は減っていた,
のではないでしょうか。
B こちらはJR化後のお話。
「元祖クルーズトレイン」とも言える「トワイライトエクスプレス」。
「展望寝台」とも言える「スイート」が好評で増備する際,
先行車と異なり車体中央にスイートを設置した車両を改造し
増結して要望に応えましたが,24系では無く,
「改造」してでも14系にしておけば,
「編成両端にスイートを設置することが出来た」のではないでしょうか。
発電用エンジンは中間のBコンパート車に設置で。
そうすれば,オハネフ25型300番台や,
SIV電源兼ラウンジカーは登場しなかったことになりますが,
「行き帰りともに展望スイート」というのは,よりセールスポイントになった,
のではと思うのです。
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