倶楽部メモ(756)

平成28年 6月15日〜 7月17日

1970年の東富山駅付近の客車編成 ・ スハネ30?



投稿者

雑魚

投稿日

2016年 6月15日(水)22時30分1秒

タイトル

御無沙汰でした

東日本大震災で混乱していた当時以来の御無沙汰になるでしょうか、
茨城の雑魚でございます。
現場の仕事が増え、鉄ネタ集めを兼ねた隔地出張も殆ど無くなり、
地元で悶々としている内に、ブルトレも「トワイライト」を含めて、
過去帳入りしてしまった様で、尾久の現況が気になる昨今です。
取り敢えずの手土産画像として、二、三年前の欧州出張で、
ウィーンから利用したコンパートメントの様子を掲出します。




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 6月21日(火)17時41分8秒

タイトル

長崎・西鹿児島のホーム有効長

こんにちは、太田拓也です。

鈴木昌生様のような架空歴史を作ろうとして疑問に思った事があります。
長崎本線肥前山口以西と鹿児島本線熊本以南って
何両まで入線可能なのでしょうか?
たいていこの駅で切り離すため長編成の入線記録がなくよくわかりません。
調べた限りでは長崎は客車12両+機関車、鹿児島は583系12両が最長のようです。

なぜこのようなことを気にするのかというと
「佐世保乗り入れは『みずほ』にして『さくら』は長崎までフル編成の方が
分割・併合作業を減らせて合理的ではないのか?」
などのIFネタが出てきたからでして。




投稿者

きむ

投稿日

2016年 6月25日(土)09時42分52秒

タイトル

今月発売誌の残念な感想

皆様、ご無沙汰しています。
来週から24系客車とかが現役の国に転勤
(ただし、会社は鉄路すら無い地域)が決まりました・・・。

さて、昨日書店に寄ると「国鉄時代」誌が客車列車の特集でしたので、
買ってきました。
で、付録のDVDには「安芸」の動画があるというので
楽しみにして観てみました・・・。

が、とても気分の悪くなる内容でした。
いずれも、機関車のアップばかり。
肝心の「安芸」に至っては1両目のオハネフ12が
まるまる映らないうちに次のシーン。
それの繰り返し。荷物列車もしかり。
こんなの撮りたいのなら、「安芸」とかローカル列車なんて撮らないで、
単機回送でも構内入れ替えでも撮って喜んでいればいいと思いました。
とても残念な内容で、そのくせ単価も高い雑誌ですので、
購入を検討している方はご注意ください。

以上、少々悪い表現ではありますが、
楽しみにしていてがっかりさせられてしまいましたので、
書き込みさせていただきました。


さて、下記は先月、5/22に乗車した客車列車の編成です。

←木ノ本
C56 160+スハフ12 155+オハ12 341+オハ12 345(乗車)
  +オハ12 346+スハフ12 129(+EF65 1124:回送)

この覚えやすい番号のオハ12 345はかつて、
「だいせん」で乗車したことのある思い出の車輌です。




投稿者

きむ

投稿日

2016年 6月25日(土)15時36分55秒

タイトル

スハネ30?

富山県内の各駅の航空写真を眺めていました。
下のリンクは1970年の東富山駅付近ですが、
側線に12両編成の客車編成が見えます。
そして、その編成の中ほど7両が屋根の真ん中に細長い棒状のものが見えます。
もしやスハネ30?
「つるぎ」はまだ特急になる前、富山止まりの時代かと思いますので、
富山到着後は東富山駅に留置していたのでしょうか?
水田の太陽光の反射から見ると昼頃ですし、
当該の線路も運用中の客車が通るところではなさそうです。
ttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=314377&isDetail=true

私が海外へ旅立ったあとに発売されるKATOのNゲージ
スハネ30が楽しみな今日このごろです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 6月25日(土)21時28分27秒

タイトル

Re: スハネ30?

きむ様

「24系客車が現役の国」へご赴任とのこと、お仕事たいへんご苦労さまです。
ネット環境はあるのかな…? くれぐれもお体にはお気をつけて。

東富山駅の客車編成ですが、43-10改正時の資料で急行「つるぎ」を見ると、
大阪方から マニ+マユ35+オロネ10+スハネ30×7+スハ+スハフ
となっていますので、まさに該当しそうです。

それにしても、非冷房のスハネ30が1970(昭和45)年まで急行運用に
就いていたというのは意外です。ヨンサントオ改正では辛うじて生き残った
ものの、その後早々に急行運用は消滅したものとばかり思っていました。

普通列車では、小樽−釧路間(のちの「からまつ」)で
もう少し後まで活躍していた様ですね。




投稿者

青列車

投稿日

2016年 7月14日(木)17時44分17秒

タイトル

Document of 9521 on 2016/07/09 vol.1

皆様ご無沙汰しておりますm(__)m
さて、去る2016(平成28)年07月09日(土曜日)
久々に土曜日と公休日が重なりました。
懸案だったお天気も何とか落ち着いたので久々の[鉄]分補給に出かけました。
場所は例によって例の如く、JR山口線徳佐〜船平山間、
新山口起点51キロ地点付近、宇津根踏切の辺りです。
当初は地福駅付近を考えていたのですが一旦市役所に立ち寄り
老母共々期日前投票(翌10日は仕事の為投票できません)
をするのに時間を取られ、この場所に変更しました
(現住所山口県周南市からだと国道315号線を使うと
この場所の方が早く着けるのです。
[鉄]にクルマを使うのは邪道にも程がありますが、
齢82=恐れ多くも今上陛下と同い年=にして
足腰の衰えた要介護後期高齢者を同行させるには
これを使わざるを得ないのです)。
さて、9521レ通過時刻の30分以上前に到着したおかげで
クルマを邪魔にならない場所に停めることは出来ましたが
流石に早くも数人の[御同業]各位の姿がありました。
程なく地福駅で交換する上り2546Dが通過、
微かに風に乗ってC571の汽笛が聞こえ、
木立の向こう、徳佐駅に着いたC571の吐く煙が
高く立ち上る姿がはっきり黙認出来ました。
御同業諸氏も三々五々集まり辺りも賑やかになり
いよいよ発車の汽笛が聞こえましたが次の瞬間!
いつもと違う音色が聞こえてきました…








投稿者

青列車

投稿日

2016年 7月14日(木)17時56分52秒

タイトル

Document of 9521 on 2016/07/09 vol.2

いつもと違う音色それはDD511043のAW-2型警笛でした。
C571の次位にDD511043が付き、更にその後ろにはスハフ1236が!
あくまで推測ですが、編成内の電源車スハフ12702の発電システムに
何らかの異常が生じ、サービス電源供給用に急遽スハフ1236が起用され、
そうなるとC57の牽引定数をオーバー
(おそらく9521・9522レにおけるC57の牽引定数は換算20両程度、
所定の12系700番台現車5両換算18両なら定数に収まりますが
スハフを1両増結すると仮に空車であっても3.5両、
積車扱いだと4両増え換算21.5〜22両になってしまいます)、
そこでDD511043のアシストが必要になったのでしょう。
添付画像2枚目は、そのDD511043とスハフ1236が
丁度C571の[背中]で隠れましたので
普段通りの姿の様にも見えるかと存じます。
また、3枚目は今度は後続の客車が隠れC571+DD511043+スハフ1236と、
まるで1972(昭和47)年頃、現役蒸機末期の臨客レ風になりました(^^;)
(12系は元々波動輸送用に登場し得てして
季節列車・臨時列車・団体専用列車に登用されましたが
定期列車は電機・DL牽引でも臨時列車までは近代動力車がカバーできず
予備役の蒸機が最期のご奉公とばかりに起用されたもので、
蒸機牽引12系客車編成の姿は諸先輩方によってああたの記録が残されていること、
こちらにお集まりの諸兄諸姉には[釈迦に説法]もいいところですね)。








投稿者

青列車

投稿日

2016年 7月14日(木)18時10分12秒

タイトル

Document of 9521 on 2016/07/09 vol.3

駄菓子菓子…もとい!だが然し!
眼前を通過する9521レカマ次位のスハフ1236の姿には驚きを禁じ得ませんでした。
そのあまりのやつれ様にまるで長く第二種休車状態で
側線の端っこに転がされていた保留車の廃車回送?と思った位です。
この日は恐らくこのスハフ1236は客扱いはせず、
電源車としてのみ使われていたものと推測します。
また、mixiでは翌10日にこの列車に乗った人のつぶやき
(おそらくツィッターと連動)がありましたが
10日にもスハフ1236は起用された由。
スハフ12702は恐らく7月11日以降はMaintenanceが行われ
きっと16日からはまた本調子で活躍しスハフ1236は
また昼寝を貪る様になることでしょう。
さて、気になるのは折り返し。
SLやまぐち号5号車オハ12703は編成端が展望室になっていて
9522レの時は広い視界が楽しめるようになっているのですが、
その後ろにスハフ12がいるとそれが楽しめません。
9522レではオハフ13701の展望デッキは立ち入り禁止になりますので
旅客サービス上はスハフ1236はオハフ13701の前につなぐと
イイと思うのですが…
(しかし9年前!2007/平成19年08月17日には
9522レの最後尾にスハフ1236がそのまま繋がっていました。
その時はC571+C56160の重連で
スハフ1236も客扱いで乗客の姿があったのですが…)
許されるなら折り返し9522レの勇姿も撮りたかったのですが、
老母の体調もあってそれは断念、早めの帰宅と相成りました。


当日の様子はこちらにも紹介しています。
*ttp://plaza.rakuten.co.jp/letrainblue/








投稿者

青列車

投稿日

2016年 7月17日(日)23時18分45秒

タイトル

Re.今月発売誌の残念な感想

聊か連続投稿気味で恐縮至極m(__)m
≫きむ様
ご指摘の本私も購入しました(当該DVDは未見ですが…)。
ただ…これはあくまで私見ですが、
それはある程度やむを得ないのではないか?と愚考します。
何分にもあの時代、「堅気の衆」まで巻き込んだSLブーム。
素人さんは元より、[鉄]衆まで興味の中心はあくまで「カマ」。
優等列車を牽いていても後ろの「その他大勢」はあくまで「その他大勢」
せいぜいステージ上のバックダンサー程度の扱いだったのでしょう。
事実カマには造詣は深くても客車・貨車にはからっきしな[先輩方]も
珍しくありません。
当時活躍されていた方がブログやサイトに
ご自身が撮られた写真や動画などをUPされているものの中に
珍しい客車が写っているのをコメントなどで指摘すると
とても驚かれるケースが多々ありました。
如何に客車が主体と言っても写真や動画として[列車]を捉えた際、
カマが映っていないとそれこそ人物ポートレートで
頭や顔が写っていない様な感触です
(確かレイル誌の客車急行特集でも巻末のComboCabooseに
その旨の記述があったように記憶しています)。

>この覚えやすい番号のオハ12 345はかつて、
「だいせん」で乗車したことのある思い出の車輌です。

オハ12345は私も出会ったことが有りますので画像を紹介しましょう。

東日本にいたオハ1234はしかし秩父鉄道に譲渡され
パレオエクスプレス用の一員になった由
(確か形式番号も車体塗装も変わったのでは?)。

かつては当たり前にいた12系原型車も今や東西併せて14両?
(東のオヤ121・西のスハフ1236含む)。
絶滅危惧種と言っても過言ではなさそうですね。








 
 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから