倶楽部メモ(755)
平成28年 5月31日〜 6月 4日

寝台のセットと解体


投稿者

秋田市のho

投稿日

2016年 5月31日(火)12時23分30秒

タイトル

オハネフ25-0とオハネ25-0の上段寝台昇降装置

太田 拓也 様


オハネフ25-0とオハネ25-0の上段寝台が上がりました状態に関しまして、
私の個人的な記憶をば、
曖昧な記憶も含めまして、
書かせて頂きますです。

証拠写真が無い為、
その点、
大変すみませんけれども、
15年位前に、
青森駅のホームで、
トワイライトエクスプレスの、
Bコンパートメントの上段寝台が上がりました状態を見まして、
下段寝台から見ました頭上空間の圧迫感の無さに、
感動した記憶がございます。

ちなみに、
トワイライトエクスプレスの、
Bコンパートメントで、
上段寝台昇降装置のスイッチが見受けられましたのは、
第3編成だけでございました。

基本的に、
青森駅のホームへは、
寝台特急はくつるの、
元祖オロネ25を見る為に行きました。

オハネフ25-0とオハネ25-0の上段寝台が上がりました状態の写真に関しましては、
比較的最近の、
月刊鉄道ダイヤ情報に掲載されておりましたので、
後程、
何号でありましたものか?、
確認をさせて頂きますです。




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2016年 6月 1日(水)23時01分17秒

タイトル

キサシ改めやはりスシとなる

太田拓也様

>無作法とは思いますが
いえいえ,決してそうは思いません。むしろ,的確な助言を思いもよらず頂戴し,感謝いたします。
キサシ→オシの理由ですが,キサシの重量から「これはオでいいんだ」と判断したからです。
そもそも車体の金帯も「暫定的」に「文房具用品の太い金色テープ」を貼ってごまかしたままで,
将来的にはもう1両でっちあげることも企んでいるのです。
しかも,これで今まで疑問に思うことがあった「何故サシ481改めスシなのか。
一体何が重量増をもたらしたのか」という疑問の答えにも近づく事が出来ました。
鉄道模型のフリーランスの場合,「戯画的」とでもいうのか「構造的・技術的,
更には経営面での条件を無視」して塗装・形態を楽しむ,という物と,
「ある条件下でそのルールを守って,有り得たかもしれない車両をでっちあげる」という2点があると私は思うのですが,
これは前者では無く後者に近い物ですので,ご指摘が役立ちそうです。

「オシ25改め仮称スシ25」は「北斗星」用として思いついたものだったか・・・
白状しますと最近電車付随車の客車化を思いついたのですが,それは今は内緒。

ところで,第二段落ですが,「つばさ」「しなの」のキサシがお役御免になっていた昭和53年頃のご想像でしょうか。




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 6月 2日(木)08時04分41秒

タイトル

答えます

鈴木昌生様へ

>鉄道模型のフリーランスの場合

私は模型やらないので2ちゃんねるの妄想企画レベルなんですが、経営面の条件はともかく
(そうじゃないと新型ブルートレイン作れない)
「その時代の技術で実際に作れるか」はかなり気にしますね。
「もし、ヨンサントオ改正で青函トンネルが開業していたら・・・」というシュミレーションの場合、
トンネルの安全基準はさておき、711系ベースの専用電車が改正までに量産できるか?
準備期間を考えるとED79+12系プロトタイプ(図面が実在する20m車体)になるのではと悩んでます。

>「つばさ」「しなの」のキサシがお役御免になっていた昭和53年頃のご想像でしょうか。

はい。「はやぶさ」「富士」やEF65置換えの記述でおわかりと思われますが。
ただ書き込みの後で「ナシ20いくらでもあるじゃん」いうことに気付いてしまいました(笑)。
当時の鉄道ジャーナルでも「いなば」のオシ14転用という意見がありましたし。


あと秋田市のho様、レスありがとうございます。
トワイライト第三編成で使われたことあるのですね。
ただ昇降装置が使われなくなったのは合理化だけでなくくつろいでいるところに係員が入りづらい
下段が他人だと上段の客の居場所がないなど乗客側の事情もあったのではと思われます。


以上、京都鉄道博物館のナシ20がずいぶん昔の車両に思えてスシ24保存車と
一年半しか違わないことに驚いた太田拓也でした。
(ナシ20 24・・・昭和45年10月あけぼの用、スシ24 1…昭和47年3月白山用)




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2016年 6月 2日(木)12時28分40秒

タイトル

寝台のセットと解体

太田さま

>昇降装置が使われなくなったのは合理化だけでなくくつろいでいるところに係員が入りづらい
>下段が他人だと上段の客の居場所がないなど乗客側の事情もあったのではと思われます。

寝台のセット前、解体後は、下段を座席として使用するものなのです。
上段が固定になった二段寝台であっても、最初の頃は作業員の方がカーテンを
開け、下段の寝具を上段に上げ、ハシゴを閉じるという作業をやっていました。
この儀式により寝台が座席に転換となり、下段の座席に2人(三段寝台であれば
3人)で座ることになるのです。
その後、寝台の解体がセルフになると、上段の人が下段に座るタイミングが
なくなってしまい、午前中の利用時間が長い列車を中心に上段の人気がガタ落ち
になりました。
寝台のセットと解体で強制的に座席と寝台の切り替えになっていたんだという
歴史的背景を押さえておいてください。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 6月 2日(木)20時12分22秒

タイトル

スロ62(←オロ61)が長生きした理由

がっつり遅レスですみません。
5/21に太田拓也様からコメントのあったスロ62が長生きした理由について、
私も正確な事はわかりませんが、いろいろ想像してみました。
考えられる要因として、次の3点が挙げられます。

(1)特ロとしては最新形式だった
(2)両数的に大所帯だった
(3)電気暖房搭載車が多かった。

(1)について…
昭和42年度からの1等車冷房化で、客車においては
スロ54、ナロ10、そしてオロ(オロフ)61のみに限定されました。
これは将来も長く使用する形式に限ったものと説明されています。
明らかに(特ロとしては)新しい順に選んでいますね。

国鉄は一種の“お役所”でしたが、実は国鉄のやる事を監査していた
会計検査院という“もっと上のお役所”があって、
設備投資が効果的に行われているかなど、目を光らせていました。
せっかくお金をかけて改造した車両が短期間で廃車となる様な施策には、
エラい人のハンコがもらえなかったことでしょう。
多少座席配置の問題があろうとも、とにかく一番新しい特ロを
一番長生きさせる前提で全体の計画を立てなければならなかった筈です。

(2)について…
上記各型式の両数を見ると、スロ54は47両、ナロ10は33両、
それに対してオロ61とオロフ61を合わせると114両です。
末期にはスロ(フ)62はお座敷車への改造で歯抜けになっていきますが、
それでも相当の大所帯でした。これも残り易い要因と言えるでしょう。

(3)について…
オロ11は、軽量構造がたたって老朽化が速かったようですね。
そのため寒地を避けたのかどうかわかりませんが、早くから運用範囲が
東京以西に限られ、結果的に1両も電気暖房が搭載されませんでした。
(そのあたりの各事象間の因果関係は、私も整理できていませんが…)

スロ54には電暖車が存在しますが、多数ではありません。これは、
昭和30年代半ばの電気暖房の伸長期が丁度オロ61の増備時期と重なった為、
電暖化する線区に新規改造のオロ61電暖車を投入し、スロ54など在来の
非電暖車を他線区に回すという“玉突き”が多く行われた事によります。
常磐線高萩電化・EF80運転開始の昭和37年10月改正時、常磐線系の急行の
1等車が突如としてオロ61一色になってしまったのは、この為です。

結果的に、旧客急行が末期まで残った東北地方で使用可能な
電暖付きのグリーン車は、もともと大所帯だったことも相まって、
スロ62が圧倒的多数を占める事になったのではないでしょうか。
なお、本当に最後の旧客急行は北海道でしたが、
こちらは電暖と関係なく、スロ54も末期まで残っていましたね。

********

ところで、太田拓也様の言われる
> 元がローカル線用で車体がボロい
…というのは、具体的にはどの様な点を指しておられるのでしょうか?
> シートピッチがバカ広い
…という点は従前からの話の通り明らかですが、車体について、
例えばスハ43系などと比べて何か劣る点があったのでしょうか?




投稿者

秋田市のho

投稿日

2016年 6月 2日(木)21時34分37秒

タイトル

オハネフ25-0とオハネ25-0の上段寝台が上がりました状態の写真

太田 拓也 様


『月刊鉄道ダイヤ情報 2015年1月号 No.369 特集:寝台列車』
の、
14ページに掲載されておりまして、
寝台区画の、
片方の上段寝台は上がりました状態で、
もう片方の上段寝台は下がりました状態で、
といったような感じの写真でございますです。

今思えば、
秋田市から新津駅迄はマイカーで行くなり致しまして、
トワイライトエクスプレスの第3編成のBコンパートメントに乗るべきでありましたです。




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 6月 3日(金)07時50分27秒

タイトル

レス多いのでまとめて返事します

▼竹中@ノーブルジョーカー様
おっしゃるような「寝台車のマナー」が寝台のセット・解体を経験しない若者に伝わらず、
逆に開放式A寝台や25形0番台の作業を煩わしく受け取られたのでは?というのが私の趣旨です。
また若い世代は下段だけでも足りるような乗車率でも上段を取ってお座敷車感覚でくつろぐ傾向があります。

▼クモイ103様
説明ありがとうございます。国鉄の考え方からして「多数派だから」というのが理由みたいですね。
スロ62はWikipediaに「断熱は不十分だった模様で、冬期の保温性が悪い傾向があったという。」という記述がありますが、
それ以前にどこかで評判の悪さを読んだ記憶があるのです。

▼秋田市のho様
雑誌撮影用なら(片方だけならなおさら)担当者のサービスとしか思えないのですが。
むしろ第3編成が・・・という証言の方が貴重です。
第1編成も0番代改造なのになぜなんでしょうね?




投稿者

ED76109

投稿日

2016年 6月 4日(土)11時09分24秒

タイトル

薄紺シャツの作業員の方が解体作業をしていました

 おはようございます。また、ご無沙汰しております「ED76109」でございます。

 竹中@ノーブルジョーカー様

 そう言われてみれば、50代ぐらいの「鉄」でないと
「寝台解体経験」をした先達の方々はいらっしゃらないかもしれませんね。
年の功と言ってしまえばそれまでですが、小生は経験者であります。
そのときのことを、いつもの「戯言」風で述べてみます。

 1 以前にも記しましたが、昭和46年の盛夏に出水在の伯母宅へ「鉄」親父とお世話になった帰路、
急遽伯母も名古屋に在していた従兄弟宅まで同行することとなり、「583系きりしま」にお世話になりました。
記憶では、「岡山」発車直後に「寝台解体予告」の放送が入り、
薄紺のシャツを羽織った作業員(カレチ氏だったかもしれません)が、
「すいません。座席に戻します。」と声をかけながら、三段寝台を解体していました。しかし、本当に見事でしたね。
583系の寝台を座席にする光景は、子ども心に「この出っ張りに金具が収まるのか。」
「窓上のボックスに毛布を入れるんだ。」などと興味津々。
同じ年頃の家族連れの方々も「よう見とき。夏休みの宿題になるんやないか。」と
父親が女の子に話していた記憶があります。
時速100km以上の揺れる車内での作業は過酷なものであった記憶が小生にはあります。
しかし、「終了しました」の一言に、乗客が「ありがとうございました」と口々に挨拶を返して、
作業員の方が笑顔で応えていた光景は、寝台列車の朝の風景であったと思います。


 2 昭和49年頃の「旅と鉄道」に、「博多あさかぜ」の追跡レポが掲載されており、
その中で「カレチ氏」が6人のコンパートの寝台を解体する風景が掲載されていた記憶があります。
「座席に戻しますので、通路にお願いします。」と声をかけても、下段の一つから声はなく、困惑するカレチ氏。
やがて、ゴソゴソと音がして、サラリーマンが起き出し「こんな時間に起きるなんて、百姓だぜ」との捨て台詞を吐いて、
同室の乗客から冷たい視線を浴びて、早々に洗面台に退散するという光景がルポされていた記憶が。
そんなことにはお構いなしに、ただ黙々と寝台解体に取り組むカレチ氏、そして、その姿を頼もしく見つめる乗客の姿・・・。
そんな内容に小生、ブルートレインへの憧憬を募らせたものでした。


 3 以前、修学旅行で「エルム」筋の「団体レ」での「車内放送」をさせていただいた話を掲載しました。
そのとき、函館から「団体DCレに乗り換える苫小牧」までの間、
「上段は使用させないでください」との札幌車掌所のカレチ氏の依頼があり、
生徒指導担当だった小生は最後尾からカレチ氏よろしく、「午前7時以降は寝台は使えない」の一言をかけながら、
生徒をたたき起こした記憶があります。
その時、併せて下段で使っていた寝具の類いもすべて「上段」に上げさせることも。
後で車内巡視したカレチ氏から、「鉄道ファンの先生に助けられました」とお礼を言われたことがあります。
しかし、昔寝台解体していたカレチ氏は、毎日毎日「乗客からの嫌み」に耐えていたのかなぁと、
その時ふと「薄紺の作業員」の方の思いが感じられました。

 長々と失礼いたしました。
以上、「カシオペア」団体ツアーの広告に「夢よ、もう一度」との思いを新たにした「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




 
 
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