倶楽部メモ(753)

平成28年 5月17日〜 5月21日

あさかぜ用車両の金帯化について ・ 特ロのシートピッチ



投稿者

Uzu

投稿日

2016年 5月17日(火)16時16分36秒

タイトル

あさかぜ用車両の金帯化について

こんにちは!
あさかぜ用の24系客車の金帯化についての質問です。
オハネ25とオハネフ25、カニ24(100番台)に関しては
金帯化の際に車番変更を伴っていません。
手持ちの資料でオハネ25 146、210〜218、220、221、224〜226、
オハネフ25 122〜129、203〜205が
1986年末に金帯化されているのが確認出来ましたが、
それ以外のオハネ、オハネフおよびカニの金帯化時期が
判りませんでしたのでご教示頂けませんか?
また金帯車両は出雲号でも使用されていたことで有名ですが
国鉄時代でも運用に入っていたのでしょうか?




投稿者

ミキスト

投稿日

2016年 5月19日(木)12時14分21秒

タイトル

特急つばめ特ロがスロ60からスロ54へ交代(後退?)した理由

いつもお世話になります.
つばめの特ロがスロ60からスロ54へ交代した経緯がありますが,
シートピッチはスロ60の方が広く,格下げのように感じます.
定員増を狙ったが故なのでしょうか.
交代後のスロ60は急行用に転用されたとのことですが,
急行の方が看板列車のつばめよりもゆったりしていたとは興味深いことです.




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 5月20日(金)20時44分58秒

タイトル

スロ54

1-2,3-4レのスロ60がスロ54になった理由ですが、
スロ54の方が新しかったのと定員が44→48に増加も
当時特急券が取りにくかったとか、
シートピッチが当時の日本人の体格には広すぎたの理由でしょう。
私は大学生の時に177cmでしたので、スロ60で不自由を感じませんでしたが、
長旅になるとスロ54の方が疲れない様でした。
それにスロ54は初めから車内灯が蛍光灯だった事も理由の一つかも知れません。
拙い説明で失礼しました。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 5月21日(土)07時59分40秒

タイトル

特ロのシートピッチ

マロネロ38様の言われる通り、
スロ60のシートピッチ1250mmは当時の日本人には広すぎたという話を、
たしか星晃氏が書かれていたと思いますが、出典を失念しました。
次のスロ50・51は急行用という事で一気に狭くなり1100mmとなりましたが、
こんどはちょっと狭いという話になり、
スロ53の1160mmで落ち着きました。スロ54・ナロ10も同じです。
そして昭和28年に新設された「かもめ」にはスロ54が使用されます。
従って当時の認識としては、1160mmが特ロの標準であって、
そこに特急用と急行用の区別はなかったと考えられます。

「つばめ」「はと」の2等車がスロ60からスロ54へ交代したのは
昭和31年の青大将化の際でした。特ロだけは「かもめ」の方が上だったとの
論評もありましたが(これも出典忘れ、申し訳ありません)、
これでやっと「つばめ」「はと」も「かもめ」に追いついた事になります。
マロネロ38様のご指摘通り、この時点でスロ54は特ロで唯一蛍光灯を装備した
最新形式であり、国鉄の看板列車に抜擢されたのは自然な流れと言えるでしょう。

なおスロ60・50・51・52・53の各型式も、
その後昭和34年ごろまでに近代化工事を受けて蛍光灯化されました。
ちょっと興味を引くのは、昭和35年ごろの急行「十和田」で、
スロ54が指定席車に、スロ60が自由席車に使用されていたことです。
これは座席定員の都合だったのかもしれませんね。

さて昭和34年、営業制度としての「特別2等車」が廃止された後になりますが
実質的には「最後の特ロ」と言えるオロ61が登場します。
この車のシートピッチは、広すぎると言われたスロ60よりまだ広い1270mm。
窓間隔1335mmのオハ61を種車として、最低限の車体改造で済ませたため、
窓と座席の位置関係を少しずつずらしてごまかした苦心の設計でした。
後に冷房化されスロ62となって昭和50年代まで活躍しましたが、
学生時代に利用した友人が「足載せに届かなくて自分の足の短さを痛感した」
とこぼしていたことを思い出しました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 5月21日(土)10時16分56秒

タイトル

スロ50,51,52

クモイ103様:
本当にシートピッチが狭すぎでしたが、
4人連れの客に片方を回転されると、
前の席の背もたれを完全に倒せませんでした。
足乗せが返って邪魔だったりで、並ロのオロ41の方が、
1040mmなので足を伸ばせて楽でした。
「十和田」と似た?編成を502レ「日本海」経験しましたが、
高岡からの帰途ロネもハネも取れずに特ロに乗ったらスロ50でそれも白熱灯車、
後ろの自由席がスロ60の蛍光灯でした。
(夜行区間なので白熱灯の方が返って仮眠出来ましたが)。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2016年 5月21日(土)11時05分26秒

タイトル

RE:あさかぜ用車両の金帯化について

Uzu様

時期的に微妙なところですね。
私の記録では62年4月に金帯のカニが出雲に入っているので、
3月以前にも入っていた可能性は大きいとは思います。
HPで公開していますのでご笑覧ください。

ノーブルジョーカー>客車編成表>出雲




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 5月21日(土)12時34分21秒

タイトル

特ロの話題について

皆様がおっしゃる事と重なりますが、主に二つあります。

第一にスロ60が戦後早い時期の製造で内装の出来がよくないからです。
そのため新しいスロ54に置き換えられました。
国鉄末期のアルファコンチネンタルエクスプレスに
キロ26が増結された事がありますが
グリーン料金不要にもかかわらず不評でした。このように普通の人間は
シートピッチよりも内装が新しくてきれいな車両を好むものです。

第二にいろいろあって(クモイ103様参照)シートピッチは
1160mmがベストと判断されたからです。
現在でも新幹線全てと在来線特急の大半のグリーン車が
このシートピットを踏襲しています。

ただこの説ですと元がローカル線用で車体がボロい上にシートピッチがバカ広い
スロ62が旧客グリーン車の最期まで残っていた事を説明できません。
スロ62が長生きした理由をご存知の方いらっしゃいましたらお願いします。

マロネロ38様へ
私もスペーシア(スロ50と同じシートピッチ)と
新幹線普通車(オロ41と同じシートピッチ)で同じ事考えました。




 
 
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