倶楽部メモ(751)
平成28年 4月27日〜4月30日




投稿者

おはぎ

投稿日

2016年 4月27日(水)23時40分37秒

タイトル

1970年代の夜行列車のことで

1971年7月、宮崎から鹿児島に普通列車に乗車した際に、生まれて初めて蒸気機関車に牽かれた客車に乗車し、
この世界にどっぷり浸かりました。
当時の列車のことを調べて模型で再現したいと夢を追ってます。 門司港発で寝台客車も併結した夜行列車でした。
後年、 山陰・南紀・ながさき・からまつ と称される前身のもののようですが、 他の地方にも存在していたのでしょうか?
 お詳しい方是非お教え願います。




投稿者

ED76109

投稿日

2016年 4月29日(金)10時42分52秒

タイトル

「みやざき」号のことですかね?

 おはようございます。「ED76109」であります。

 おはぎ様
  >門司港発で寝台客車も併結した夜行列車

  北海道在住の東京産である「ED76109」でございます。
  昭和48年6月版のJTB時刻表では、「門司港発西鹿児島行」の急行「みやざき」が運転されておりました。
この「みやざき」は、「宮崎・西鹿児島」間が「普通レ扱い」で運転となっており、そのまま「ネ」を併結したままだったはずであります。
  当時、当地で運転されていた「夜行大雪」が、「網走・北見」間が「普通レ」扱いで
高校生などの朝の時間帯のローカル列車扱いだったのと、同様の措置ではと小生は考えております。

  しかし、「豊肥本線」は本当に「災害」に左右されてしまうのですね。
台風被害や豪雨など、今回の地震被害も含め、数年おきに「1年単位の復旧作業」がなされているのでは・・・
(小生が贔屓にしている肥薩線も同様ですが。なお、被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。)。

  ダイヤ改正(47年3月)を挟んでいますので、ひょっとしたら誤りや勘違いがあるかもしれません。
他の先達の皆様のレスがあれば幸いであります。


  長々と失礼しました。
以上、「日高本線の長期不通」や「DCサロベツ・オホーツク減便の可能性」をほのめかした「JR北海道」に、
十数年後「新函館北斗」駅の「駅名標のラインの色」が、「黄緑から濃緑」へ変化してしまう可能性を感じている
「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 4月29日(金)16時29分58秒

タイトル

日豊本線501−502レ

急行「みやざき」の編成(昭和50年1月号JTB時刻表)から。
501レ                      502レ
二+ユ+指ハニ+ハネ+ハネ+ロ+指ハ+ハ+ハ+ハ

指ハ二がオハニ36だったのかスハニ35だったのか?
指ハがナハ10系、スハ43系かスハ44だったのか?

当時の編成をご存知の方が居られたら良いのですが。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 4月29日(金)21時25分6秒

タイトル

Re: 1970年代の夜行列車のことで

おはぎ 様、はじめまして。

宮崎から鹿児島まで寝台車のついた普通列車…ということで、
私もED76109様やマロネロ38様と同様、
急行「みやざき」崩れの末端普通列車区間をまず思い浮かべました。

しかしちょっと待てよ…
おはぎ様は「1971年7月」とおっしゃいましたね。
1972年3月の山陽新幹線岡山開業に伴う全国ダイヤ改正より前です。
たしか…と思って手元にある一番近い、
交通公社の時刻表1971年11月号を引っ張り出して確認しました。
急行「みやざき」はまだ存在せず、日豊本線の夜を貫くのは、
門司港発西鹿児島行き普通521レ、B寝台付きでした。
門司港21:35発、宮崎5:59着・6:09発、鹿児島9:38着、西鹿児島9:50着です。

ちなみに対となる上り522レは、西鹿児島19:00発、鹿児島19:10発、
宮崎22:41着・22:49発、門司港7:58着でした。

この当時、のちに「山陰」「南紀」「ながさき」「からまつ」と命名される
4往復を含めて全国で5往復の寝台車付きの普通列車が運転されていたのですね。
しかしそのうちこの521・522レだけが翌年のダイヤ改正で急行に格上げされ、
さらにずっと後に、特急「ドリームにちりん」にまで出世しました。




投稿者

仙コリ

投稿日

2016年 4月29日(金)22時30分10秒

タイトル

日豊本線の夜行列車について

おはぎ様、初めまして。

1971年頃に日豊本線の門司港−西鹿児島間で運行されていた寝台車連結の夜行普通列車
ということで調べてみましたが、手持ちの直近の時刻表(1968年10月号:ヨンサントウ改正)
によると同区間を通しで運行している列車は521列車1本だけで、寝台車も連結していました。

ちなみに運転時刻はこの時点で門司港21:35発、宮崎は5:59着 6:09発、鹿児島9:38着
終点西鹿児島には9:45着でしたので、おはぎ様がご乗車されたのはこの列車ではないかと
思います。

この列車が次のダイヤ改正(1972年3月)で、先にご紹介のあった急行「みやざき」に
なったものと思われます。

と、ここまで入力したところで、クモイ103様から先に書き込みがあったようようで
ほぼ同じ内容の書き込みになってしまいました・・・

さらに、この列車の編成についても調べてみると、そのものずばりはなかったのですが、
この列車はヨンサントオ改正前は1521列車という列車番号で、その当時の編成記録が
見つかりました。

1971年にご乗車との事なので、4年前になってしまうのですが、おおよそ似た編成であった
のではないかと推測されます。

編成は西鹿児島方から スハニ マユニ オハネ12 オハ オハ オハ オハ オハフ
といった編成だったようで、門司港客貨車区の車両が使用されていたようなので、
当時の配置車両を調べてみると、
スハニはスハニ32、ユニはスユニ60、スユニ61(1971年にはマユニは存在しない)
オハはオハ35かオハ46かオハ47、オハフはオハフ33かオハフ61といったところなので、

スハニ32 スユニ60 オハネ12 オハ35 オハ35 オハ35 オハ35 オハフ33

といった編成が、私が調べた範囲では近い編成なのではないかと思います。

確定的な情報ではなく申し訳ありませんが、参考になれば幸いです。




投稿者

赤まんと

投稿日

2016年 4月29日(金)22時31分23秒

タイトル

急行「みやざき」

急行「みやざき」の編成について。
知り合いの話によれば、1974年当時、スユニ61〜オハニ36〜オロ11〜オハネ12 3両〜ハザ4両という編成だったようです。
スユニ、オハニは門司港、ほかは鹿児島持ちで、ハザはオハ46やナハ10、ナハ11、ナハフ10またはナハフ11。
大分のDF50が牽いていたようです。
当時鹿児島には10系冷房改造の端緒となったオハネ12 71や、
幸運にも保存が成ったオハネ12 29、オロ11トップナンバーの配置がありました。
私は10系客車が大好きで、10系客車を実際に目にした最後の世代です。
一番の好みはナロ10/オロ11です。
余談ながら、残念なことに私が生まれたまさに1974年に、オロ11の廃車が始まっており、個人的に複雑な思いがしています。




投稿者

仙コリ

投稿日

2016年 4月29日(金)23時01分56秒

タイトル

日中線廃線跡

クモイ103様

以前の書き込みで話題になりました日中線の廃線跡に先日訪れてきました。
廃線跡の会津村松駅近辺は遊歩道として整備され、桜の名所として、この時期は大変な賑わいようでした。

写真を撮影してきましたが、1枚目は線路跡かと思われる遊歩道です。
バックの建物がクモイ103様が撮影された当時と同じですよね。

2枚目は会津村松駅の駅舎があったと思われる場所で広場となっており、桜の間からかすかに見える
緑の屋根の家が、クモイ103様が撮影された当時の赤い屋根の家だと思われます。

3枚目は会津加納駅跡周辺で、数mながら線路が残されており、後方に写っている火の見やぐらが
当時から駅のそばにあったままであるようです。








投稿者

ED76109

投稿日

2016年 4月30日(土)08時55分7秒

タイトル

桜島・高千穂のG車だったんですよね?

  おはようございます。久々の連投である「ED76109」でございます。

 赤まんと様
 >オロ11トップナンバーの配置

  ご無沙汰であります。小生がいつも書き込ませていただいている「桜島」でお世話になったG車がこれですよね。
東京車掌区のカレチ氏は、「はとのお古」と「鉄親父」に話していましたが、西鹿児島から東京までの長旅は楽しいものでした・・・
(今では遠い想い出であります)。

    クモイ103様

    いつものとおりのご明察なリサーチに敬服いたします。
言われてみれば、「都城行(鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由)」と双璧の夜行鈍行でした。
昭和46年の出水の伯母宅訪問の際に、興味を抱いた旧客鈍行レでありました。


  マロネロ38様

   ご無沙汰しております。
本校の生徒募集PRポスターに、「伊達紋別駅」のフォームを撮影場所に選んだのですが、映り込んだ「乗車案内」に
「洞爺・長万部・函館・上野方面」の文字があり、「上野方面」の一語に一抹の寂しさを感じております。
北海道新幹線を見ても、何か素直に喜べない小生がおります・・・。

 失礼いたしました。以上、感傷的な「教頭客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 4月30日(土)09時35分30秒

タイトル

日中線 会津村松駅

仙コリ様

日中線跡の現在の姿をお見せ頂き、ありがとうございます。
会津村松は桜の名所になっているのですか。
きれいに整備され、人々が集まる場所になっているのは
ちょっとうれしいですね

そこで現役時代の会津村松駅のスナップです。
各写真とも、上段はC11が最後の活躍をしていた1974年9月、
下段はDE10時代の1978年12月です。
4年の間に待合室の荒れ具合が進行しているのがわかります。
それからさらに5年半後の1984年3月末、日中線は廃止されました。








               
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