倶楽部メモ(750)

平成28年 4月12日〜 4月24日

国鉄型車両の定義 ・ 末期の「銀河」「日本海」編成記録



投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 4月12日(火)06時37分20秒

タイトル

国鉄型車両って何?

分割民営化から約30年、巷では国鉄型車両のXデーの話も出ていますが、
そもそも「国鉄型車両の最後」とはどの時を指すのでしょうか?

というのも、205系などJR初期に製造された形式の場合、
同型車が残っている時点で国鉄引継車の引退がそこまで騒ぎになるか
という疑問があります。

また、初代「ゆふいんの森」や「ノースレインボーエクスプレス」は
国鉄型か?という疑問もあります。
「ゆふいんの森」は車籍こそ1960年代ですが
国鉄時代の部品はほとんど残ってませんし
ノースレインボーは制御回路などを国鉄時代の車両に似せているだけで
車体もエンジンも新規設計です。

>赤まんと様

ちなみに青森の「日本海」は晩年はA寝台車以外全て金帯でした。
そのためA寝台車だけ洗面所が未更新という逆転現象が発生していました。
(ペーパータオル設置など気は使っていたが)

またこのA寝台車、4年前に連結する列車が無くなったにもかかわらず
なんと先月号まで時刻表のピンクのページに記述がありました。




投稿者

てりてり

投稿日

2016年 4月12日(火)09時51分25秒

タイトル

個人的見解ですが…

 太田拓也 様
 言われてみれば最近目につきますね。
手に採って眺めると殆ど感情論で書かれている様な気がします。
 国鉄時代(ともすれば旧字体で書かれているものもありますが)に
設計・製造されたものは全て国鉄型車両である、と。
 205系が山手線に投入されたのは1985年・国鉄時代ですが、
置き換え完了は1988年・民営化時代となります。
それを考えると6扉車は?となってしまいます。
 また民営化を意識した61・11時刻改正に登場したキハ54や31.121系電車は
国鉄型となってしまいます。
183系気動車はジョイフルトレイン(最早死語ですね)や
九州向けはどうなるのでしょうか。
EF81は450・500番台66の100番台は…、と疑問は尽きません。
 セテウスの船なる言葉を思い出しましたが、
SL人吉に使われている機関車は大正生まれ、
となっていますが台枠は21世紀製造です。
ある人が『サイボーグ機関車』『ゾンビ機関車』と揶揄して居りましたが成程、
と苦笑しています。
また、発報無線アンテナやATS受信装置など登場時に装備された事は
絶対ありえないのですが、さて。
 身の回りではデジタルは当たり前。テレビ放送や電話はそうですし、
録画もビデオテープではなくDVDです。
『チャンネルを回す』『巻き戻し』は死語と化した、とか。
電話電話、と電話ボックスを探すことも無く、
しまった!今バスは何処に居るのか、と急いででバス停に向かうのではなく
手持ちの端末で位置が確認出来るようになりました。
お金を持つ事も無く支払いはICカードで済みますし
時間を見つけて積み増しすれば何度でも使えます。
効率や無駄を省く事がともすれば文句無く良い事、美徳とされ、
鉄道に限らず何処を眺めても一緒の様な気がします。
 つまらない、と言う事 昔ハヨカッタナアと言う郷愁や感情が
 日本国有鉄道に出て来るのかもしれませんね。
 かなり本論とずれてしまったことをお許しください。
 恐らく電車は205系・211系、気動車はキハ40系、
機関車はEF65や66の0番台の全面撤退が一つの転機になるのかもしれません。
 長文失礼致しました。それでは。




投稿者

赤まんと

投稿日

2016年 4月12日(火)23時16分44秒

タイトル

「客車区」名の消滅から10年

今日は仕事の都合上、久しぶりに尾久を通りました。
時刻は21:30。
構内には、務めを終えたE531が、1本のみでした。
尾久客車区が組織改編で車両センターになり、10年が経ちます。
先月「カシオペア」も廃止され、
とうとう定期的な客車の検修作業もなくなりました。
かつてはこの時間帯、出庫待ちの夜行列車で活気づいていた構内も、
21世紀生まれの電車が1本いるだけという眺めには、正直驚きました。
こうなるといずれ一部の線路がはがされ、
再開発ののちマンションかなにかに転用されてしまいはしないか、
という思いにかられます。
8年前まで尾久に住み、鉄道ファンになるきっかけになった客車区も、
いまやこの寂しさです。

翻って、堂々国鉄型の24系、青森持ちの「日本海」は
確かに末期は金帯主体の編成になり、
太田拓也さまが書かれていたように、オロネ以外金帯、という日さえありました。
大阪在住の友人が営業回りのついでに、よく編成記録を送ってくれたおかげで、
東京にいながら編成を把握することができました。
過去の記録を見てみると、「はくつる」廃止間近の2002年秋頃から
金帯車が頻繁に組み込まれるようになっています。
金帯と白帯のマダラ編成も多いですね。
白帯主体の編成記録が送られてくると、
客車にはそう詳しくない友人も珍しいと感じるらしく、
一言コメントが添えられていたものです。
客車の記憶、国鉄時代を彩った車両の記憶、大事にしていきたいですね。




投稿者

YU

投稿日

2016年 4月15日(金)23時17分0秒

タイトル

RE: 末期の「日本海1、4号」と「銀河」編成について

赤まんと さん>

お返事おそくなりすみません。
「銀河」「日本海」編成の情報提供をありがとうございます。

「銀河」はいつの間にか0番台から100番台主体の編成に
なってしまったような印象があったのですが、
洗面所を更新するなど、少しでも状態の良い車を「日本海」へ回すことで
起こってしまったことだったのですね。

あと、「銀河」の2号車はオハネフ25になったのは「あさかぜ」廃止後、
もう本当に末期の末期なのですね。
関西方面への出張・旅行に愛用していたころ、
オロネの隣がオハネフという編成に乗車した記憶があるのですが、
なぜか手元の鉄道ピクトリアル等の紙媒体の資料に出てこない組成ので、
記憶違いかオハネの代車なのかと思っておりました。

わがままを申し上げて恐縮ですが、
2号車がオハネフの増結9連の編成例をご存知でしたら、
ご教示いただけないでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。

尾久はすっかり寂しくなってしまいましたね。
あれだけ沢山あった青い客車も残り7両。
カニが無くなり、もうお客さんを乗せて走ることは無いのかと思うと、
寂しいものがあります。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 4月16日(土)11時25分15秒

タイトル

オール20mW屋根編成長距離鈍行

確か昭和30年頃でしたが、大阪駅で見た上り128レ国府津行き鈍行が、
ものの見事に全車両がスハ32系茶色のW屋根車でしたが、
所属客車区がどこか失念しました。
それにしても大変芸術的センスがある客車区長が居たものだと------?
支線でオールW屋根編成は珍しく無かったですが,
幹線の長距離列車がこんなのは珍しかったです。




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 4月19日(火)20時48分26秒

タイトル

知識の整理

私のホームページで、
旧型客車の形式を車種別・番号順に並べたリストを載せました。
ttp://takuyaohta.konjiki.jp/keishiki/kyakusha.html

これ作ってる最中、マイロネフ37のマイネロフ37が紛らわしくて混乱しました。
どちらもマイロネフ29→マロネフ38になるので分けて考えることもできませんし。
ただマロネフ38で面白いのは
旧マイネロフが一等寝台の格下げ時に洗面台を撤去して
一等寝台廃止時にロネC扱いされたのに対し、旧マイロネフは二等特別室時も
洗面台が残っていたためロネAとなり事実上一等へ返り咲き、旧イロネ合造を
表すマロネフ58に改番され対照的な運命を見せていることです。

あと旧型客車に形式の概念は無く便宜的に分類しているだけとよく言われますが
二等寝台車の代表格マロネ29は5桁時代は3形式に分かれており「オハ31系」
「スハ32系二重屋根」「スハ32系丸屋根」の分類を知らないと
理解できないと痛感しました。




投稿者

赤まんと

投稿日

2016年 4月20日(水)09時43分8秒

タイトル

末期のある日の「銀河」編成記録 1

YUさまご依頼の件。
2006年3月以降の「銀河」増結編成記録、
頻繁に東京駅へ通ったせいで、まとまった量が手許にあります。
ピックアップし何回かに分けてご紹介します。

Lot No.2592 06/3/24 102レ「銀河」

カニ24 103(15-4網干総)
オロネ24 102(14-6網干総)
オハネフ25 133(15-3下関部)
オハネ25 207(17-1網干総)
オハネ25 251(14-6網干総)
オハネ25 196(17-6下関部)
オハネフ25 47(14-2網干総)
オハネ25 191(17-7網干総)
オハネフ25 145(13-10網干総)
 EF65 1114

当時職場が大森で、通勤途中、大森駅で通過をとらえました。
車番を暗記し、帰宅後に清書という荒業を日常的にこなしていました。
全検データは大阪の友人からの情報と、
自分で東京駅でメモしたものを合わせています。
ダイヤ改正当日は2号車はオハネでしたが、
1週間経過した当日、初めて2号車オハネフ編成を確認しました。
従って、いつから2号車オハネフになったかの特定はできていません。
2号車は「あさかぜ」お下がりなので下関全検のままです。
5号車は宮原車ですが、前年の福知山線脱線事故対応で
、担当の網干のキャパが不足。
一部の車両が下関で全検を受けています。

Lot No.2595 06/3/25 102レ「銀河」

カニ24 11(15-2網干総)
オロネ24 6(14-5網干総)
オハネフ25 140(16-7下関部)
オハネ25 252(17-9網干総)
オハネ25 158(16-3網干総)
オハネ25 161(16-12網干総)
オハネフ25 131(15-3網干総)
オハネ25 167(14-8網干総)
オハネフ25 132(15-3網干総)
 EF65 1107

前日初めて2号車オハネフ編成を目撃し、
「オハネ不具合の代替対応か、イヤ宮原の予備車の多さから判断し、
下関から2〜3両オハネフを転入させ編成変更したのではないか」・・・
疑問解消のため、即座に対の編成チェックを敢行しました。
まあ、当時は極力翌日に対の編成を確認するのがモットーだったのですが。
2日とも2号車がオハネフということは、編成変更とみて間違いなさそうです。
この日のオハネフ25 140は2004年全検車で、
当時下関の2004年全検車に見られた、床下グレー車両でした。
当時既に汚れて黒ずんできていましたが、
運用を重ねるにつれ、さらにグレーは目立たなくなっていきました。
転入以来一度も全検を受けず、検査期限を全うし廃車されました。

Lot No.2624 06/4/29 102レ「銀河」

カニ24 103(15-4網干総)
オロネ24 103(16-5網干総)
オハネフ25 150(14-12下関部)
オハネ25 207(17-1網干総)
オハネ25 160(16-5網干総)
オハネ25 196(17-6下関部)
オハネフ25 47(14-2網干総)
オハネ25 191(17-7網干総)
オハネフ25 145(13-10網干総)
 EF65 1112(15-2土崎工)

4月上旬にはオハネフ25 150が運用に入り、
これで133、140、150は「銀河」2号車専用で回すようだと
当たりがついてきました。
下関に1年野ざらしだったとみえ、
屋根に若干サビが浮くなど、やややつれた風情でしたが、
宮原車は手入れが良かったので、
運用を重ねるうち、それなりにキレイになっていきます。
オハネフの133と150は翌2007年に全検を実施します。

Lot No.2630 06/5/2 101レ「銀河」

 EF65 1109
カニ24 11(15-2網干総)
オロネ24 102(14-6網干総)
オハネフ25 140(16-7下関部)
オハネ25 252(17-9網干総)
オハネ25 158(16-3網干総)
オハネ25 251(14-6網干総)
オハネフ25 131(15-3網干総)
オハネ25 167(14-8網干総)
オハネフ25 132(15-3網干総)

小売業はGWももちろん仕事で、かきいれどきです。
仕込みが終わらず、売場切り替えも長引き、ボロボロの状態で退社。
疲れているならサッサと帰ればいいものを、
大森で10分待てば「銀河」通過を見られることに気づきました。
定時23:12に90キロ程度の速度で、矢のように走り去りました。
「ブルトレは遅い」なんて、とんでもない話です。
現金なもので非常にかっこいい走りっぷりと、
きっちりGWの増結記録をモノにできたことで、
意気揚々と帰宅したのでした。

Lot No.2735 06/7/15 102レ「銀河」

カニ24 11(15-2網干総)
オロネ24 103(16-5網干総)
オハネフ25 133(15-3下関部)
オハネ25 71(17-12下関部)
オハネ25 196(17-6下関部)
オハネ25 158(16-3網干総)
オハネフ25 47(14-2網干総)
オハネ25 252(17-9網干総)
オハネフ25 142(16-7網干総・洗面台更新)
 EF65 1109

当日は小売業勤務者にとって、奇跡の土曜休みでした。
増結することは事前に確認していたため、早起きして東京駅へ。
早起きは三文の徳、とは、よく言ったものです。
まず2号車と8号車に、通常「日本海」運用の車両が入っています。
おまけに8号車は洗面台更新車です。
さらに、降車の多さといったら。
団体でも入ったのでしょうか。
その割には、旗を持った添乗員ふうは、見かけませんでしたが。
さらに、取材班の腕章をはめた人が複数、
カメラを構え慌しく動いているさまも見かけました。
じつは、翌月発売の「鉄道ジャーナル」2006年10月号は、
「夜行列車を考える」という特集を組み、
まさにこの「銀河」で前夜大阪を発って取材をしていたのでした。
「寝台急行銀河 ハレの夜 今夜こそはの実乗87%」の記事がそれです。
もちろんその号は今でも大切に持っています。
降車の多さは団体客ではなく、実際の乗りだったのですね。
長く頻繁に編成記録をつづけると、
時に思いがけない幸運や珍記録に出くわします。
いろいろな偶然が重なった、思い出深い編成記録です。

Lot No.2753 06/7/28 102レ「銀河」

カニ24 103(15-4網干総)
オロネ24 6(14-5網干総)
オハネフ25 140(16-7下関部)
オハネ25 160(16-5網干総)
オハネ25 191(17-7網干総)
オハネ25 161(16-12網干総)
オハネフ25 132(15-3網干総)
オハネ25 196(17-6下関部)
オハネフ25 131(15-3網干総)
 EF65 1109

オロネ以外、綺麗に100番台で揃った編成です。
かつては「安芸」「あさかぜ」「瀬戸」に使われた車両たちです。

後日つづきを紹介します。




投稿者

赤まんと

投稿日

2016年 4月20日(水)10時44分33秒

タイトル

1998〜1999年の「銀河」「日本海」編成記録

YUさまのご依頼の件。
2006年以降の増結例と別に、
下関から宮原へ25形100番台が転入した頃の記録もありますので、
参考までに紹介しておきます。

Lot No.0660 98/9/5 102レ「銀河」

カヤ24 10
オロネ24 103
オハネ25 175
オハネ25 63
オハネ25 251
オハネフ25 39
オハネ25 57
オハネ25 176
オハネ25 66
オハネフ25 143
 EF65 1110

「瀬戸」廃止から2ヶ月後の編成です。
当時下関の車が転用されると知らず、2ヶ月ぶりに東京駅に顔を出して、
大変驚いたものです。
就職活動等で忙しく、東京駅から一時的に足が遠のいていたのです。
オハネフ25 143は1990年に宮原に転入済みの車両で、
「瀬戸」が廃止されるまでは「日本海1、4号」主体に使われていました。

Lot No.0661 98/9/12 102レ「銀河」

カニ24 104
オロネ24 6
オハネ25 46
オハネ25 61
オハネ25 252
オハネフ25 131
オハネ25 160
オハネ25 161
オハネ25 64
オハネフ25 37
 EF65 1026

カニ24 104とオハネ25 46も「日本海1、4号」主体だった車両でした。
100番台が多く占める編成になった「銀河」には、驚くばかりでした。

友人提供 99/4/8 4001レ「日本海1号」

カニ24 106(11-1鷹取工)
オロネ25 301(9-5下関部)
オハネ25 191(10-11鷹取工)
オハネ25 198(9-1下関部)
オハネフ25 145(11-1鷹取工)
オハネ25 76(9-7鷹取工)
オハネ25 207(10-11鷹取工)
オハネ25 45(10-2鷹取工・洗面台更新)
オハネフ25 153(9-7下関部)
 EF81 101

カニ24 106は1990年に転入済みですが、
他の100番台車は「瀬戸」廃止後1998年7月に転入したものです。
早々鷹取で全検を受けている車両が多く見られます。
転入当時は「日本海」にも比較的多く100番台が入っていました。

友人提供 99/8/17 4004レ「日本海4号」

 EF81 106
カニ24 106(11-1鷹取工)
オロネ14 301(9-7出雲区)
オハネ25 191(10-11鷹取工)
オハネ25 46(10-6鷹取工)
オハネフ25 153(9-7下関部)
オハネ25 161(9-5下関部)
オハネ25 79(9-7鷹取工・洗面台更新)
オハネ25 74(11-6鷹取工)
オハネフ25 145(11-1鷹取工)
オハネ25 164(11-1鷹取工)
オハネフ25 132(11-4鷹取工)
オハネフ25 131(11-6鷹取工)

1999年の秋あたりになると、「銀河」に100番台を、
「日本海」に0番台を充てる運用が固まってきます。
これはあくまで推測ですが、
車両の走行距離を考えての措置だったのではないでしょうか。
25形0番台のほうが経年は上ですが、
下関からの転入の100番台はデビュー以来長距離運用をこなしてきており、
積算距離も結構かさんでいたはずです。
いっぽう宮原の0番台も、「日本海1、4号」で1978年10月以降定期で、
長年往復2,000キロのロングラン運用を抱え、
下関車と変わらない積算距離を刻んできたと思われます。
そこで、宮原の0番台のうち、洗面台未更新車で、
2000年までに検査期限が切れる車両を廃車し、
下関から転入した100番台は全て洗面台未更新のため「銀河」へ。
洗面台更新車が一部存在する0番台と、更新車のオハネフ25 136、142を
主に特急である「日本海」へ回すことで、
走行距離と設備のバランスを図ろうとしたのではないでしょうか。
オハネフ25 136、142、143はKE70ジャンパ栓改造を受けた直後、
宮原に移って「日本海」主体に運用されてきましたから、
ジャンパ栓と牽引機の関連性は無いと見ています。
なお、「瀬戸」お下がりの下関車のうち、
オハネ25 159、166、177、189、198、203は、その後の需給の関係からか、
1999年から2001年にかけ順次廃車されています。
余談ながら166、189、203は宮原転入後は
ついに編成記録にとらえることなく終わりました。
当時大阪の友人から頻繁に「日本海」編成記録を受け取っており、
その中に一度も登場せず、
使用されずじまいだったのではと勘ぐっています。

以上、多少でも参考になれば幸いです。




投稿者

YU

投稿日

2016年 4月21日(木)00時17分16秒

タイトル

お礼>ミハ25形の編成

赤まんと さん>

貴重な資料をご提供いただき、ありがとうございます。
瀬戸廃止後から、段々と0番台が
「銀河」からいなくなっていく様子が良く判りました。

末期の、B寝台の帯色や寝台側の窓の大きさの揃った「銀河」も魅力ですが、
「瀬戸」廃止直後の頃だと、赤いEF65 1118が
0番台・100番台混成の「銀河」を牽いた可能性も無い訳では無く、
これも模型的には楽しそうですし、
グレー床のオハネフを、2号車にこっそり混ぜてみるのも面白そうです。

しばらくは頂いた資料と睨めっこして、
どんな「銀河」にしようか、悩みたいと思います。
重ねて、ありがとうございました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 4月21日(木)09時58分1秒

タイトル

マイネロフ37

太田拓也様
この1.2等合造車には戦前の1032レ「かもめ」で
父の郷里東京見物に神戸から乗車しました(ロに)。

戦後は昭和29年3月だったと記憶しますが、
父の東京、金沢出張に同行して上野から601レに
乗車した時に特別2等寝台室(2人部屋:4人部屋を仕切つた部屋)に
金沢まで乗車しましたが、引き出し形洗面所がついていました。
まだ本格的な鉄道ファンではない時代で車番も所属も控えて居なかったですが、
601-602レが東ヲク持ちだったのに確か東シナでした。

解放室の窓配置が2+2+2----だったのでカレチに「かもめの古では」?
と聞いたら「そうです」との事でした。




投稿者

赤まんと

投稿日

2016年 4月23日(土)10時20分7秒

タイトル

末期のある日の「銀河」編成記録 2

YUさまご依頼の編成記録で、さらに悩ませる内容のものをご紹介します。
今回はレインボー機登板の増結3本を含みます。

Lot No.3088 07/3/17 102レ「銀河」

カニ24 104(17-9網干総)
オロネ24 102(18-8網干総)
オハネフ25 140(16-7下関部)
オハネ25 167(18-11網干総)
オハネ25 252(17-9網干総)
オハネ25 207(17-1網干総)
オハネフ25 47(19-2網干総)
オハネ25 191(17-7網干総)
オハネフ25 145(18-9網干総)
 EF65 1118(12-3土崎工・レインボー)

Lot No.3104 07/3/27 102レ「銀河」

カニ24 10(16-10網干総・トワイライト)
オロネ24 102(18-8網干総)
オハネフ25 150(19-2網干総)
オハネ25 167(18-11網干総)
オハネ25 252(17-9網干総)
オハネ25 251(18-6網干総)
オハネフ25 47(19-2網干総)
オハネ25 191(17-7網干総)
オハネフ25 145(18-9網干総)
 EF65 1118(12-3土崎工・レインボー)

レインボー機登板で、しかもトワイライトカニをしんがりに従えたレア編成です。
とうとうオハネフ25 150が全検を受けました。


Lot No.3163 07/5/2 102レ「銀河」

カニ24 103(18-11網干総)
オロネ24 6(14-5網干総)
オハネフ25 150(19-2網干総)
オハネ25 252(17-9網干総)
オハネ25 207(17-1網干総)
オハネ25 251(18-6網干総)
オハネフ25 131(15-3網干総)
オハネ25 160(16-5網干総)
オハネフ25 136(18-1網干総・洗面台更新)
 EF65 1118(12-3土崎工・レインボー)

レインボー機登板に加え、
8号車に「日本海」運用主体の洗面台更新車が入っています。
この頃になると増結は惰性によるものではないかと疑りたくなる降車の少なさで、
下段でさえ未使用の寝具が多く見受けられました。
8月末には、友人からオフレコを念押しされたうえで、
「銀河」08年3月廃止の報を聞きました。

Lot No.3480 08/1/27 102レ「銀河」

カニ24 11(19-3網干総)
オロネ24 102(18-8網干総)
オハネフ25 140(16-7下関部)
オハネ25 64(19-5網干総)
オハネ25 196(17-6下関部)
オハネ25 60(18-7網干総)
オハネフ25 47(19-2網干総)
オハネ25 167(18-11網干総)
オハネフ25 153(16-11網干総)
 EF65 1112(15-2土崎工)

閑散期になぜ?と訝りたくなる増結でした。
その通り、閑古鳥が鳴いていました。
珍しく0番台がポツポツ挟まった編成で、
当時オハネの60、64は「日本海」に多く運用されていました。
末期は「銀河」運用主体だったオハネフラストナンバーの47も、
元は「日本海」運用が多かった車両です。


Lot No.3575 08/3/14大阪にて 9102レ「銀河」

カニ24 104(17-9網干総)
オロネ24 6(19-10網干総)
オハネフ25 150(19-2網干総)
オハネ25 191(17-7網干総)
オハネ25 161(16-12網干総)
オハネ25 207(17-1網干総)
オハネフ25 47(19-2網干総)
オハネ25 167(18-11網干総)
オハネフ25 46(18-6網干総・洗面台更新)
 EF65 1112(15-2土崎工)

わざわざ大阪へ出向き、
「銀河」「なは・あかつき」最終編成記録取材を敢行しました。
ホーム上の混乱ぶりは凄まじく、入線は最徐行。
客扱いもままならない状況でした。
結局ドアが開いたのは発車時刻が迫った22:20。
3分遅れて22:25に発車しました。
8号車に「日本海」運用主体の洗面台更新車が入っています。


Lot No.3578 08/3/15大阪にて 9101レ「銀河」

 EF65 1114(14-6土崎工)
カニ24 11(19-3網干総)
オロネ24 102(18-8網干総)
オハネフ25 133(19-5網干総)
オハネ25 158(16-3網干総)
オハネ25 196(17-6下関部)
オハネ25 251(18-6網干総)
オハネフ25 131(19-5網干総)
オハネ25 160(16-5網干総)
オハネフ25 132(19-8網干総)

前夜東京を発った下り最終です。3分遅れて7:21着。
7:30に宮原へ向け回送されていきました。

回数や日数は減ったものの、2006年〜2007年も年末年始、春休み連休、
GW、盆、9月、10月、11月の祝日を挟む連休時には増結をしていました。
順序が入れ替わるものの、使用車両もほぼ同じで、
100番台主体の編成で運用されていました。
運用距離が短いため、差し替えの頻度もあまり高くはありませんでした。
2006年8月に大阪の友人を訪ねた際、
宮原に案内され敷地外から構内入換作業を眺めました。
収容線には増結に使われる予備車が固めて留置されていました。
オハネ+オハネフ、オハネ3両+オハネフで組まれており、
時期が来たらそのまま引き出して「銀河」「日本海」に組み込める状態で、
作業効率化がされている様子が窺えました。
たしかに、このような状態で置かれていれば、
増結数回は、同じ組み合わせで運用されるはずだなと思ったものです。

長々と紹介しましたが、しばらく悩みに悩んで、
納得のいく編成を再現し楽しめることを願います。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年 4月23日(土)17時38分37秒

タイトル

マイネロフ37

4月21日の書き込みにミスがありました、窓配置(解放室)が1+1+1+1---です。
2+2+---ならマイロネフ37(戦前東京−敦賀港)に使用されたになります。

マイネロフ37→マロネフ3812は金沢駅で『能登』の最後尾(米原寄り)
に連結されて居たのを撮影しており、
客車写真館にも提供しています。
オリジナルより窓が1個多いですがどうも
給仕室部分かと?

太田様のHPを入力しても見られないのですが、
お書き込みのURLで宜しいのですか?




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 4月24日(日)08時47分19秒

タイトル

レスです

マロネロ38様へ
直リンクがやりにくかったのでhttpのhを抜いてあります。
お手数ですがURL入力時に頭にhを入れてください。
ttp://takuyaohta.konjiki.jp/keishiki/kyakusha.html

ところで二等特別室は個体によって「一等寝台の証」洗面台が
あったりなかったりしたようですね。
マロネフ38-10番台はイネ廃止前に格下げされ
洗面台が撤去されたためロネCに区分されたと
Wikipedeiaに記述がありますがマロネロ38様の乗車時は残っておりました。
生まれつきの二等特別室であるマロネ38でも進駐軍接収時に設置された車両があり
解体直前にいのうえ・こーいち氏が洗面台を撮影されております。

なお添付した写真は京都鉄道博物館保存のオロネ24 4に乗った時のものです。
(全通直後の東北新幹線で青森に行った帰り)




 
 
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