倶楽部メモ(748)

平成28年 1月 1日〜 1月16日

夜行列車による新聞輸送 ・ 「ながさき」について



投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 1月 1日(金)19時46分36秒

タイトル

謹賀新年 H28申年

平成28(2016)年、あけましておめでとうございます。
客車列車の多くが過去のものとなってしまいましたが、
客車列車の歴史が消え去るわけではありません。
今年も客車列車の歴史を通じて、
日本の鉄道の歴史をひも解いていきたいと思います。
今年もよろしくお願い致します。




投稿者

太田拓也

投稿日

2016年 1月 3日(日)07時00分39秒

タイトル

14系といえば

あけましておめでとうございます。太田拓也です。

どうも当時の国鉄はブルトレの荷物輸送を廃止したかったようで
24系の電源車は当初マヤ24でした。
それがどうしても断れない取引先がいたのかカヤ24やカニ24になり、
21世紀に入っても「あさかぜ」のオハネフ25-300の荷物室が結構使われてました。
もし北陸トンネル事故がなく14系の製造が続いていたら
どういう対応になっていたか興味があるところですね。

ところで登場時の14系といえば私が個人的に気になるのは
「付属編成にA寝台車が無い」ことです。(20系にはあった)
等級制が廃止されて直後の当時は狭い三段寝台を避けて
普段グリーン車には乗らないけど寝る時はA寝台という人が結構いたので
分割編成にA寝台が無くて困った人もいるのではないでしょうか?




投稿者

理左衛門

投稿日

2016年 1月 4日(月)22時25分27秒

タイトル

謹賀新年

あけましておめでとうございます。新年最初のカシオペアをお送りします




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2016年 1月 6日(水)00時02分10秒

タイトル

24系と新聞輸送

皆様、今年もよろしくお願いいたします。

さて、昭和48年10月改正で24系が登場しますが、
この時の電源車はマヤ24形で荷物室がありません
でした。
鉄道ピクトリアルの14・24系特集を開いてみると
24系が充当された列車は
25レ・26レ「あかつき3-1号」 急行「雲仙」の格上げ
45レ・46レ「彗星3-4号」 急行「べっぷ」の格上げ
29レ・30レ「あかつき4-3号」 20系を置き換え
47レ・48レ「彗星4-1号」 14系を置き換え
となります。
急行「雲仙」「べっぷ」とも荷物車の連結なし、14系は
勿論荷物輸送なしです。
マヤ24形にも荷物室に転用できるスペースがとられて
いましたから、とりあえず荷物輸送のない列車に投入、
荷物輸送が必要になった時は改造するということだった
のではないでしょうか。




投稿者

ひがさん

投稿日

2016年 1月 6日(水)23時00分51秒

タイトル

謹賀新年2016

あけましておめでとうございます。

毎年、貴重な情報をありがたく拝見しています。
実車の撮影も一段落して、
頂いた情報と研究を、もう一つの趣味。
鉄道模型に生かす日が来たようです。
特に今は昭和48年の20系青森車の資料をしらべています。
日本海とつるぎです。あけぼのと使用車両が分けられていたようなので、
目当ての車両が、特に日本海つるぎに使われたのか悩んでます。
列車無き後も、追跡せずにはいれず、楽しませてくれます。

本年もよろしくおねがいします。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2016年 1月 8日(金)00時02分0秒

タイトル

今年もよろしくお願いします

少し遅れましたが、あけましておめでとうございます。

昨年は「北斗星」「トワイライト・エクスプレス」の廃止がありましたが
今年は「カシオペア」「はまなす」の廃止があります。
今まで走っていた客車列車が次々と廃止されるのは非常に残念です。
無くなっても客車列車が走っていた事に変わりはありません。
また、どこかで客車列車が走る事のを祈るだけです。




投稿者

急行ゆのか457

投稿日

2016年 1月 9日(土)22時30分22秒

タイトル

ながさきについて

お初にお目にかかります 急行ゆのか457と申します 
夜行普通列車ながさき号についてお聞きしたいのですが? 
現在Nゲージでながさき編成を集めていますが、
客車の車体の色はマニ36以外は青色だったのでしょうか?
それとも茶色塗装の客車も連結されていたのでしょうか?
もしよろしければ御回答のほど御検討下さいますようよろしくお願いいたします




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 1月10日(日)11時16分53秒

タイトル

Re: ながさきについて

急行ゆのか457様、はじめまして。

昭和50年代に有名だった寝台付き・愛称名付き普通列車のうち、
門司港−長崎間を大村線経由で結ぶ「ながさき」ですが、
昭和58(1983)年12月に九州旅行で3回利用しました。
旅客車両はほとんど青色でしたが、1回だけ乗車した佐世保行きの附属編成に
ぶどう色のスハフ42が1両入っていました。

1983年12月26日 1421レ編成(調査駅:門司港)
   ED76 10[門]
   マニ36 83[門モシ]
   マニ36 79[門モシ]
   オユ11 1006[門モシ]
(1)オハネ12 58[門サキ]
(2)スハフ42 279[門サキ]
(3)オハ46 551[門サキ]
(4)オハ47 139[門サキ]
(5)スハフ42 43[門サキ]
(6)スハ43 289[門モシ]【佐世保行き】
(7)スハフ42 302[門モシ]【佐世保行き・ぶどう色】

過去にどこかで、「ながさき」に充当される客車の中で
このスハフ42 302だけなぜかぶどう色で異彩を放っていた、
といった話を聞いた様な気がしますが、記憶が定かでありません…

ご参考までに他の日の記録もご紹介します。

1983年12月28日 1420レ編成(調査駅:長崎・早岐)
   DD51 736[早]【早岐まで】
   ED76 5[門]【早岐から】
(7)スハフ42 301[門モシ]【佐世保発】
(6)オハフ45 22[門モシ]【佐世保発】
(5)ナハフ10 2003[門サキ]
(4)オハ47 37[門サキ]
(3)オハ46 618[門サキ]
(2)ナハフ11 17[門サキ]
(1)オハネ12 29[門サキ]
   オユ10 1002[門モシ]
   マニ36 62[門モシ]

この日は当時のメモに塗色に関する特記が無いので、
おそらくマニ以外は青色だったのだと思います。
6号車のオハフ45は、翌日の折り返し運用ではスハ43 102に代わっていましたので、
おそらくスハが所定で、オハフは何らかのイレギュラーだったと思われます。

写真1・2枚目は12/26門司港にて。1枚目の左側は急行「かいもん」、
右が「ながさき」の茶色いスハフです。
3枚目は12/29未明(午前1時台)早岐にて。
前2両が佐世保編成ですが、
スハフとオハフの車掌室が向き合っているのが面白いです。








投稿者

仙コリ

投稿日

2016年 1月11日(月)22時27分39秒

タイトル

Re2:ながさきについて

大変遅くなりましたが、皆様明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、急行ゆのか457様からご質問の
夜行普通列車ながさき号の車両についてですが、
すでにクモイ103様から実編成記録という、
これ以上ない貴重な回答がよせられていますが、
資料的に補足させていただきます。

「ながさき」の使用車両は長崎行き基本編成(1〜5号車)が[門サキ]、
荷物車・郵便車と佐世保行き付属編成(6〜7号車)が[門モシ]の車両が
充当されていたようで、
当時の配置を調べると、昭和58年時点で

[門サキ](長崎客貨車区)
オハネ12   29
スハネ16   62
オハネフ12  58
オハ46   551 618 670
オハ47    37  90 139
ナハフ10  2002 2003
ナハフ11   17
スハフ42   43 279

[門モシ](門司客貨車区)
スハ43   102 289
スハフ42  301 302
オハフ45   22

となっており、クモイ103様からもありますが、
この中で スハフ42 302 だけがぶどう色で
残りの車両はすべて青色となっています。

Nゲージで再現との事なので、発売されている車両で組成すると

マニ36 オユ10 オハネフ12 スハフ42 オハ47 オハ47 スハフ42 スハ43 スハフ42

といった編成で再現する事が出来ますし、3両目のオハネフ12をスハネ16とする、
4両目もしくは7両目のスハフ42をナハフ11とすることもありです。
問題のぶどう色のスハフ42ですが、基本的には上り・下り2編成のうち、
どちらかの編成の最後尾のスハフ42はぶどう色であった事になるので、
ぶどう色にしたほうが、「ながさき」の編成らしい
とも言えるのではないかと思います。

なお、ご存知かとは思いますが、
「ながさき」については季刊jtrain49号(2013年春号)
特集「夜行列車の時代1」にて詳しく書かれていますので、
もしお持ちでないようでしたら、
入手されることをお勧めします。

急行ゆのか457様にとって、少しでも参考になりましたら幸いです。

参考資料
 国鉄客車編成表80年版〜国鉄気動車客車編成表83年版(ジェー・アール・アール)
 季刊jtrain49号(2013年春号)特集「夜行列車の時代1」(イカロス出版)




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 1月12日(火)19時43分30秒

タイトル

Re3: ながさきについて

仙コリ様、詳細な資料の補足をありがとうございます。

10日の私の書き込みで、1点訂正があります。

1983年12月26日の1421レの編成で、
(1)オハネ12 58[門サキ]は、「オハネ」でなく「オハネフ」が正当でした。
申し訳ありません。
旅行当時のメモではちゃんと「フ」が入っていましたが、
転記の際に慌てて書き落とした様です。
仙コリ様の資料を拝見して、改めて見直し誤りに気づきました。

当時の写真をもう一枚、26日・門司港発車前のくだんのスハフ42 302です。
ニス塗りの内装材や本物の“網棚”など、
ほぼ原形?と思われる車内の様子がわかります。
これに乗って佐世保へ行き、松浦線の乗りつぶしに向かいました。




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2016年 1月13日(水)21時33分7秒

タイトル

あさかぜと新聞輸送

皆さん,遅くなりましたが新年おめでとうございます。
昨年は色々教えて頂きましてありがとうございました。
大田拓也様の投稿で思い出しましたが,
平成16年に「あさかぜ」廃止が報じられた際,
書店で「週刊新潮」を見ていたら,
「あさかぜ廃止で困る新聞社」という趣旨の小さな記事が
掲載されていた覚えがあります。
これは業界紙・専門紙に分類される新聞だったと記憶していますが,
その時点では他の輸送手段も無く,
「あさかぜ廃止」で配送が不可能になるので困ったという記事でした。
昭和50年代になっても,1年も続かなかったとはいえ
「北星」に荷物車を1両増結するなど,
地域や新聞の種類によっては,
まだ夜行列車による新聞輸送は重要だったようですが,
10年少し前まで「そういう新聞」もあったわけです。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2016年 1月15日(金)21時54分22秒

タイトル

マンガに出ています

鈴木昌生様がコメントしてる新聞輸送ですがマンガの「カレチ」に出ています。
単行本の2巻の第14話「列車指令」に新聞輸送の事が出ています。
新大阪駅で寝台特急「あかつき3号」に新聞を積み込もうとしたら、
新聞輸送のトラックが遅れて新聞の積み込みが出来なくて、
大阪駅、神戸駅でも出来ずに姫路駅で積み込もうとしたら、
駅でなく、農道の踏切で新聞の積み込みをすると言う回です。
その新聞輸送も平成22年の3月に全廃されたと書いてあります。
このマンガをご存知の人も多いと思いますが見てください。結構面白いですよ




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2016年 1月16日(土)22時50分9秒

タイトル

Re:マンガに出ています

だめおやじ様,はじめまして。
ご指摘の回の「カレチ」は立ち読みし,覚えています。
ああいう事例が実際にあった,とは思いませんが,
リアリティを感じさせる「嘘」だと記憶に残っています。




 
 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから