倶楽部メモ(747)

平成27年10月30日〜12月22日

14系寝台客車について ・ 気動車併結改造



投稿者

うずしお

投稿日

2015年10月30日(金)22時45分34秒

タイトル

個室寝台の鍵について

こんばんは。突然の質問で恐縮です。
現在の個室寝台はテンキー方式、カードキー方式、シリンダー式で
外からの施錠が可能ですが、
以前の個室寝台車は内側からしか鍵がかけられなかったと聞きます。
一体どの個室寝台車から外側からの施錠が可能となったのでしょうか??
国鉄末登場のあさかぜデュエット車、カルテット車、
さくらやみずほの14系カルテット車、
北斗星としての活躍が有名ですが実は国鉄生まれのゆうづるツインDX車あたりは
どうだったのでしょうか??
はやぶさや富士のソロは当初から外からの施錠が可能だったと記憶しております。
すると同じ列車のA寝台オロネ25はお高いにもかかわらず
内側からの施錠しかできなかったのでしょうか??
晩年はオロネもテンキーで外から施錠が可能になっていましたが。
(なぜかテンキーになってから個室ドアの窓が無くなりましたね笑)
とても細かい質問で恐縮ですが、どうぞご教示いただければ幸いです。




投稿者

くまもん

投稿日

2015年11月15日(日)03時13分31秒

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スシ24-504~507の調理室側のまどについて

はじめまして、いつも拝見させて頂いています。
前から疑問だった事が一つあるのですが、
其れは、北斗星のスシ24-504~507の調理室側の小窓は
何時から一つ埋められ、2つになったのでしょうか?
最初から2つだったのでしょうか?基礎的な事を知らなくて、恥かしいのですが、
どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教授いただきたいのです。
よろしくお願いします。




投稿者

蜂屋

投稿日

2015年11月17日(火)12時57分30秒

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二軸客車運行開始

客車列車の廃止が続く中、私鉄ですが客車列車がデビューしました。
C型タンクがロッドをチョコチョコ動かし、二軸客車を牽いてます。
SL風DLですが、大正時代のタンク蒸気の汽笛を装備し、
甲高い汽笛を山間に響かせゆっくりやって来ます。
隣のいすみ鉄道が「昭和」で、小湊鐵道は「大正」のイメージ?。
2015.11.15  小湊鐵道 里山トロッコ4号




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2015年12月 5日(土)19時58分11秒

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14系寝台客車の謎

皆さん,はじめまして。
先日,題名とは全く別件でこちらのホームページ並びに掲示板を知りました。
最近,疑問に感じたことがありますので,ご教示をお願いしたいと思います。
第2世代ブルートレインの14系寝台客車ですが
A 何故「最初の営業運転」で投入された列車のうち,
同系の本領を発揮できる「分割・併合」が必要とされる列車は
「さくら」ただ1往復だったのでしょうか。
B 20系から14系の置き換えに伴い,
電源車即ち荷物車が「消滅」したことになりますが,
当時はまだ新聞を中心に荷物輸送の需要は多かったはずです。
一部に荷物室を設置しなかったり,荷物車を連結しなかったのは,
この時点で国鉄当局が「荷物・郵便は別に列車を仕立てる」
という方針になっていたからなのでしょうか。
C 営業開始の年に発生した「きたぐに」事故で,
「客車にエンジンを搭載する方式」の危険性が問題視され,
本形式は一旦製造が中止,
昭和50年代になって「客室と防火対策を見直した」
15型という形で「再登場」します。
座席車の14系にはエンジンの無いオハフ15があるのに,
「製造コストが安く付き,静粛性に優れ,
出火の原因にならない」という利点があるにもかかわらず,
「オハネフ14」や,「オハネフ15」といった
「発電用エンジンの無い緩急車」が
晩年の改造を含めても登場しなかったのは何故なのでしょう。
恥ずかしながら,鉄道に興味を持った幼児以来30年以上もの間,
上記全てごく最近まで全く不思議に思いませんでした。
想像或いは意見でも結構ですので,お付き合い頂ければ幸いです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年12月 6日(日)23時04分12秒

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Re: 14系寝台客車の謎

鈴木昌生様、はじめまして。

詳細なご質問の全てにすぐお答えすることはできませんので、
とりあえず「C」について。

鉄道ピクトリアル2007年7月号の特集記事
(今は亡き岡田誠一氏の執筆)によれば、
スハネフ14の給電能力は自車を含めて5両(食堂車を含む場合は4両)でした。
14系を使用した寝台特急の編成は基本・付属に分かれて
それぞれが6〜8両でしたから、
編成中に2両の電源車が必要、つまり両端ともスハネフ14でなければなりません。
特に食堂車を含む基本8両の場合、
食堂車に近い側のスハネフは給電能力いっぱいという事になります。
仮に電源機能のない緩急車を作れば、
その分電源車の能力を強化しなければならず、
それが物理的に可能か否かという問題と共に、
形式数をできるだけ増やさず「標準化」を目指すという
国鉄の“習性”にも逆行します。
結局14系寝台車においては、
電源機能のない緩急車の必然性はなかったのではないでしょうか。




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2015年12月 7日(月)21時04分31秒

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14系寝台客車について

クモイ103様,はじめまして。
回答して頂きまして,どうもありがとうございました。

Cの件ですが,昭和47年改正で本格営業運転が開始された当時,
ロネ,シ込み基本8両で,9両分電力を必要とするわけですから,
スハネフ2両込みでちょうど良い,というのは分かるのです。
しかし,付属6両の方は,スハネフ2両では「供給過剰」の様に感じたのです。
53年に「あかつき」に導入する際も,2段式故に輸送力が低下し,
スハネフが計算上1両で足りる5両編成化も出来なかったのだろうと思います。
尚,国鉄が形式数をできるかぎり増やさない「標準化」を行っていた−
客車でいえば20系の「反省」でしょうかーという点は初めて知りました。
しかし,おそらくこの道の大先輩と思われるクモイ103様に
このようにしつこく絡むのは,忸怩たるものがあるのですが,
民営化後,経費の点から「オハネフ14」が登場しても
おかしくは無かったのではないか,そう思うのです。
北海道では,キハ400・キハ183に14系寝台車を組み込みましたが,
その中のスハネフは,電源用エンジンを撤去しても
問題があったとは思えませんし,晩年の「彗星」は4両でした。
安全や万一の時,では無く,撤去する手間・費用・時間を
無駄と判断したのであれば納得がいきます。。

そもそも14系客車は,「分散電源方式」というメカニズムよりも,
「70センチ幅ベッド」という旅客設備の向上−
現実には合理化−に注目する車両なのでしょう。
「分割・併合」に便利,というのは副次的であって,
主目的は「低コストによるサービス改善」であり,
小編成で各方面への寝台特急サービスを提供しよう,
という意図自体,ほとんど無かったのでしょう。
山陽・東北両新幹線は建設中,青函トンネルも「新幹線規格で建設中」
という時代に誕生した車両ですから。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年12月12日(土)08時52分0秒

タイトル

Re: 14系寝台客車について

鈴木昌生様

こだわりのご高察、恐れ入りました。
14系寝台車のスハネフが供給過剰ではなかったか?ということですが、
私の感覚ではそれが国鉄のやり方、という事で全く違和感がありませんので、
鈴木様のような考えを巡らせたことはありません。

14系の電源車のあり方について、
国鉄〜JRの内部で何か議論や葛藤があったとすれば興味深いことで、
何らかの記録や当事者の記述などが出てくればいいですね。
またそういう情報がなければ、
部外者としてはあくまで想像を巡らせるしかないわけですから、
逆にそれを題材にして空想を広げてみるのも一興でしょう。

以前この掲示板で、20系のサービス用電源の電圧が
14系や24系と異なる点に着目され、もしもその電圧が同じだったら…
というフィクションを創作されているという方がおられた事を思い出しました。
そういう創作話は嫌いではありませんので、
あれば読者として楽しませて頂きたいです。


> 尚,国鉄が形式数をできるかぎり増やさない「標準化」を行っていた
> −客車でいえば20系の「反省」でしょうかーという点は初めて知りました。

標準化の背景に何かの「反省」があるとすれば、
それは明治末期に日本中の私鉄を国有化して、
言葉は悪いですが“百鬼夜行”の如き車輌を保有する事態となったことでしょう。
以後、鉄道院→鉄道省→国鉄は、懸命に「標準化」の道を歩んできました。

20系の各形式にはそれぞれ必然性がありましたし、
結果として形式数の増加を許したのは、
看板列車用の特別な系列ゆえの例外と考える方が自然だと思います。
同世代の20系(→151系)電車でもそうですが、
昭和20〜30年代の、星晃氏などが活躍した時代は、
旧習にとらわれない先進的な取り組みが積極的に行われていましたから。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2015年12月12日(土)18時24分33秒

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RE:14系寝台客車の謎

鈴木昌生様、皆様。

◯JR北海道の気動車併結について
鉄道ピクトリアル新車年鑑1991年版によれば、
改造にあたっての基本的な考え方として
1)保安設備等は気動車と同様とする。
2)客車列車にも使用可能とする。
3)編成位置は中間車として使用限定。
4)客車の給電は自車で行う。
とあります。
これは、気動車併結改造を行うが、将来に渡ってその使い方に限定する
ものではないという主旨なんだろうと私は読みました。
もし、気動車併結運用が間違いなく続くと予想したのであれば、
併結する寝台車は鈴木さんが考えるように自車電源を持つ必然性はありません。
しかし、その時は電源を下ろしたスハネフではなくオハネが選ばれたでしょうね。
そして形式がキサハネとなったことでしょう。

スハネフから電源セットを降ろさなかった理由、
逆に言えば電源セットを持ったスハネフが選ばれた理由としては
「編成を組まずとも自車電源で冷暖房が行える」ことがあると思います。
特急気動車が座席車だけで昼間の運用をこなし、ハネを連結して夜行運用、
という使い方を想定した場合、北海道の気候では編成を組んでから
暖房を入れたのでは遅いということがあります。
もちろん、地上設備から給電することは可能ですが、
費用対効果からスハネフの選択に軍配が上がるでしょう。

供給過剰という点ではスハネフ1両での運用はもったいないと私も思いますが、
色々と事情を総合的に判断したということでしょう。
供給過剰という点ではJR西日本のキハ181系3連運用もそうですよね。
でも、電源セットを下ろしたところで少し軽くなるから速く走れる?
でも座席数を増やすには大掛かりな改造が必要だし・・・




投稿者

旧保津峡駅

投稿日

2015年12月13日(日)09時12分6秒

タイトル

新日本紀行

NHKのSL特集で新日本紀行昭和46年6月撮影の冒頭部分(?)
に映るC62けん引の客車列車。
あの列車は何の列車ででしょうか?
荷物車、グリーン車(帯付き)、普通車、食堂車、で後続
はすべて普通車の十両編成。急行かとは思うのですが…
どなたかご存知の方、ご教授くださいm(__)m




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2015年12月13日(日)21時09分40秒

タイトル

寝台客車14系

竹中@ノーブジョーカー様
北海道のスハネフ14についての詳細な説明,どうもありがとうございました。
「オハネフ14」が登場しなかった理由は,同社においては正に氷解いたしました。

尚,クモイ103様のご提案に甘え,「14系寝台車使用列車偽史」を
この場にて発表させて頂くことを企んでおります。
その際,皆様から突っ込みを入れて頂ければ幸いでございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年12月13日(日)22時03分36秒

タイトル

Re: 新日本紀行

旧保津峡駅 様

その番組は見ていないのですが、C62牽引で
> 荷物車、グリーン車(帯付き)、普通車、食堂車、で
> 後続はすべて普通車の十両編成というのは心躍る編成ですね。
ただし昭和46年6月撮影という事になりますと、
該当する列車はなかったと思います。

そこで思い当たるのは有名な「ニセコ」で、
昭和46年には食堂車がありませんでしたが、
ヨンサントオ改正以前の「ていね」と名乗っていた時期には、
食堂車マシ35を組み込んで、まさにおっしゃる通りの編成になっていた様です。
従って、その映像は昭和40年10月〜43年9月の間に撮影された、
札幌発山線経由函館行き上り急行「ていね」だったのではないでしょうか。
(もしもその時代ならば「グリーン車」でなく「1等車」
という事になりますが・・・)

参考サイト:「中央本線&64写真館」
URL:http://homepage3.nifty.com/6480/ (httpを半角に直して下さい)
 →コンテンツ「主要客車列車編成表」




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年12月13日(日)22時21分16秒

タイトル

Re: 寝台客車14系

鈴木昌夫様

> 「14系寝台車使用列車偽史」を
> この場にて発表させて頂くことを企んでおります。

私の軽はずみな発言で・・・?(^^;
面白そうですね。煽ってしまった責任上(笑)、しっかり読ませて頂きます。




投稿者

旧保津峡駅

投稿日

2015年12月16日(水)07時18分55秒

タイトル

クモイ103様

ご返答ありがとうございますm(__)m
ていねかもしれないということですね。
NHKが当時の記録を間違っているのでしょうか。
いずれにしても急行に食堂車が連結…
客車列車としては非常に魅力的な編成ですね。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2015年12月22日(火)23時17分11秒

タイトル

RE:14系寝台車の謎

47年3月の時刻表を開き、東京発のブルートレインを見てみると、
16:30 さくら 1レ
16:45 はやぶさ 3レ
17:00 みずほ 5レ
18:00 富士 7レ
18:20 出雲 2001レ
18:25 あさかぜ1号 9レ
18:55 あさかぜ2号 11レ
19:00 あさかぜ3号 13レ
19:25 瀬戸 15レ
と9本のブルートレインがありました。
このうち1レ、5レ、11レが新製された14系、残りは20系ですね。
Aのご質問、「分割・併合」が必要とされる列車ですが、
長崎・佐世保行きの「さくら」、西鹿児島・長崎行きの「はやぶさ」が該当し、
他に切り落としのある列車としては「富士」「あさかぜ2号・3号」、
「出雲」があります。
14系の得意とする分割のある列車ですが、
「はやぶさ」は西鹿児島まで行ってますので単独運用とすると
基本編成が3本必要になります。
これを避けるため、3レ-22レあかつき3号-21レあかつき1号-4レ
という運用を組んでいました。
新車は東京発着の列車からという当時の慣習を考慮すると
「はやぶさ」「あかつき」への14系投入はちょっと微妙なところです。
また「みずほ」は「あさかぜ」の補完列車として生まれた経緯から
存在感が薄い列車でしたから、
14系投入でイメージアップを図ろうとした意図があるかもしれません。

Bのご質問、新聞輸送ですが、
9本のブルートレイン全列車が新聞を運んでいた訳ではないと思われます。
が、仮に「さくら」「はやぶさ」に14系を投入とした場合、
2本続けて荷物車を持たない列車となりますので、
これは支障があったかもしれません。

北陸トンネル事故をうけ、翌昭和48年の増備は24系に変更になった
と言われていますが、
この事故がなかったら48年以降も14系が増備されたのか?が私の疑問です。
積荷の新聞は、全国紙の朝刊なのですが、
新聞業界は印刷拠点を増やすことにより配送距離を縮め、
鮮度の高い誌面を供給しようと動いていた時期ではありますが、
国鉄がどのように対応しようとしていたのか?興味は尽きません。




 
 
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