倶楽部メモ(746)

平成27年 8月16日〜10月24日

「食堂車の終焉」 ・ 「北斗星」運転終了



投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 8月16日(日)11時10分45秒

タイトル

70年前と同じ背景

先月発売された鉄道ピクトリアル9月号、特集「鉄道の戦後70年」ということで、
表紙には戦後間もない頃のC57 1が牽引する列車の写真が使われています。
ところが「昭和21年宇都宮機関区配置当時」とだけで撮影場所が書いてありません。
知り合いと「この場所はどこだろう?」と話題になりました。

私は思い当るところがあり、8/11にその場所を確認しに行ったら「当たり」でした。
表紙写真の立ち位置は線路と同じレベルですが、現在は立ち入ることが出来ず、
ほぼ同じ位置と思われる歩道橋上からの撮影となりましたが、
背景に見える大きな建物(お札などを印刷する印刷局の工場)は
70年前と変わっていないことに感慨を覚えました。

金網の間からレンズを突っ込んでの撮影で、
シャッターチャンスの直前に緊張のため力んで、
金網に押し当てていたレンズがずれてしまったため、
シャッターを押すのが一瞬遅れてしまいました。
もうこの写真を撮り直す機会もないでしょう。

皆様、この場所がどこかお判りになりますか?






投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 8月16日(日)20時25分12秒

タイトル

乗れて良かった

ちょうど、20年前の今頃ですが私は北海道の深名線を乗りに行こうと思って、
臨時寝台特急エルムで行きました。
その頃は深名線の廃止直前でした。
列車で行こうと思って北斗星に乗りたかったんですが切符が取れず、
エルムになってしまいました。
あの当時は北斗星に乗りたいという気持ちが強かったです。
今となってはエルムに乗れて良かったと思っています。
そのエルムは廃止され、北斗星も消えようとしています。
北斗星は2回乗れましたが、もう一度乗りたかったです。

あと、20年前に廃止された深名線ですが線路跡は、ほとんど残っていません。
雨竜川のトラス鉄橋は残されていましたが今もあるんでしょうか?
来年には留萌本線の留萌〜増毛間も廃止されます。
この後も廃線になる路線、区間が出るかも知れませんね。




投稿者

客車

投稿日

2015年 8月17日(月)21時31分49秒

タイトル

Re:70年前と同じ背景

線路の右の森は、飛鳥山公園でよろしいですか。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 8月18日(火)20時10分46秒

タイトル

Re2:70年前と同じ背景

客車様

お判りになりましたか。
昔から変わらない森と、特徴的な線形ですから、
東京付近にお住まいならご存じの方も多い場所ですよね。




投稿者

太田拓也

投稿日

2015年 8月20日(木)07時07分56秒

タイトル

食堂車の終焉

クモイ103様
ヤマ張った撮影地で運転日の限られた「北斗星」の撮影ご苦労様です。
この手の定点比較って「撮影地点に立てない」という壁によく当たりますね。
路面電車の写真だと車道のド真ん中だったりして。

それでラストラン真近の「北斗星」ですが、私にとっては「ブルートレインの終焉」
というより「食堂車の終焉」という感慨が深いですね。

実際6月に乗った時は食堂車激混みでした。
朝食は6時半の開店直後に行っても係員が
「オーダーストップまでに席空くかわからない」
と説明するほどでした。(私は1時間前からロビーカーで並んでいた)

満席の「北斗星」は今までにも何度か乗っているのですが、
自席で弁当という一般人が多く食堂車はそこまで混みませんでした。
しかし現在の「北斗星」は乗客がテツばかりで食堂車志向が強いようです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 8月21日(金)20時39分20秒

タイトル

Re: 食堂車の終焉

太田拓也様

あの撮影地へ「北斗星」の通る時間帯に行けたのは偶然でした。
考えてみればまさに千載一遇のチャンスでしたね。
今こうして投稿文をしたためている間、
「北斗星」の下り最終列車が札幌を目指しているのですね。
もうすぐ仙台が近いあたりでしょうか。

食堂車の終焉、というお話し、確かにその通りですね。
私も一度だけグランシャリオのディナーを利用した事がありますが、
ずいぶん前のことで、確かに席に余裕があった様な気がします。

食堂車は好きでよく利用しました。
1990年前後の大阪勤務時代、北浦和の実家に帰省するたびに
食堂車のついた「ひかり」を選んでいたことも思い出されます。
かつて食堂車が一般的だった頃は、
気が向いたらふらりと行けば食事が出来る、気軽なものでした。
画像は1985年12月30日、3028D「おおとり」のキシ80 29車内です。
苫小牧〜登別付近にて。食事中に日が暮れました。

なお「北斗星」の終焉は、食堂車の終焉であると共に、
ブログ「トレインブックス:店長のツブヤキ」によれば
最後尾に荷物車が連結される客車列車の終焉でもあるのですね。






投稿者

ED76109

投稿日

2015年 8月22日(土)13時40分22秒

タイトル

さらば北斗星!!

失礼いたします。「ED76109」であります。

 先達の皆様方、先ほど「白石駅」手前のカーブで
「下り北斗星」を見送らせていただきました。
札幌貨物ターミナル脇のところであります。
通過10分前に到着したのですが、
陸橋はカメラを設えた撮り鉄の皆様方で賑わっており、
線路端の道路も老若男女が最後の旅路を看取りたい
という思いの方々が数多く待機されておりました・・・。
 北海道の短い夏の掉尾を飾るかの如くの澄んだ青空の中、短い汽笛が一声。
「あー、来た」の家族連れで見送るの男の子の声。
DD51の逞しい「ゴー」という響き。
そして、沿線から惜別の手を振る我々に、
笑顔で振り替えされる車内の旅人方の姿・・・。
絶対に泣くもんかと気丈に振る舞っていても、
自然と頬を伝う熱いものに思わず「ありがとう!!」と叫ぶ小生がおりました。
 北の大地に渡ってから、古里を繋ぐ絆の最後に一抹の寂しさを感じながら、
同時に数限りない旅人たちの思いを紡いできた最後に立ち会えて、
「鉄」として感謝の思いでいっぱいであります。
「ありがとう 北斗星!!」「ご苦労さま ブルートレイン!!!(慟哭)」


 長々と失礼いたしました。
以上、帰路の車中に流れた「谷村新司さんの
『浪漫鉄道・蹉跌編』に号泣が止まらなかった
「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

赤まんと

投稿日

2015年 8月22日(土)15時40分45秒

タイトル

上野は曇天でした。

皆様こんにちは。
昨日の下り最終「北斗星」を上野駅で見送りました。
シフト制勤務というのはこういう時に大変便利なもので、
前もって特定しておけば、希望する日に休むことができます。
その代わり土日祝日は大概仕事ですが、それも慣れ、というものです。
昨日の関東はスッキリしない蒸し暑い一日でした。
折りしも「北斗星」入線から発車の時間帯は黒く低い雲が垂れ込め、
いつ降ってもおかしくない空模様でした。
発車を見届けたあと、「北斗星」の5分後を追う各駅停車で帰りましたが、
結構本格的に降りだしており、「北斗星」も雨の中の旅立ちとなったようです。
雨は局地的なもので、尾久を過ぎた辺りでやみましたが。
尾久には、一部で登板が期待されたEF81 81が休む姿が見え、
はやばやサボを外されたオロハネ24 501とオロハネ24 550が
哀れな姿を見せていました。
今回最終下りの運行にあたり、スシ24、オロハネ25、カニ24の3両が差し替えられ、
当日上りとは違う編成となりました。
明日は上り最終を押さえる予定で、これを以って19年半続けた編成車番記録も、
実質的に終了となります。
ブルトレに憧れて始まった我が35年の鉄道趣味歴にも、
ひとつ区切りがつくことになります。
今後は模型と資料が趣味の中心になりますが、
ブルトレの実物が走る姿を見られなくなるのは、寂しいことです。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 8月23日(日)18時08分51秒

タイトル

さようなら、寝台特急「北斗星号」

皆さんが北斗星号のコメントしているので私からもさせていただきます。
本日の上野到着で寝台特急「北斗星号」の運転が終了しました。
引退する前に乗りたかったんですが切符が取れないので諦めてました。
でも2回乗れたから満足です。2回とも上野から乗りました。
1回目は1997年の6月に北斗星3号で札幌まで乗りました。
B寝台の開放の上段ベットでした。
下段ベットは老夫婦の方がいて、
「下で座ってもいいですよ」と言ってくれました。
とても感じのいい老夫婦でした。老夫婦も札幌まで一緒でした。
札幌に着いて、降りるときも老夫婦から
「お先にどうぞ」「お気をつけて」と言われました。
札幌から特急「ライラック」に乗って旭川に行き、
旭川から快速「なよろ」に乗って、
名寄から普通に乗って、音威子府で途中下車して名物の駅そばを食べました。
あまりのうまさで2杯食べてしまいました。
その後は急行「宗谷」で稚内に行って泊まり、
翌日はレンタカーで宗谷岬に行きました。
宗谷岬の後は稚内から普通に乗って名寄で泊まり、
翌日は深名線のバスに乗って深川まで行った後に
特急「スーパーホワイトアロー」で札幌に行って泊まり、
翌日は函館本線の山線経由を乗りました。
当時は札幌から山線経由の長万部行きがありました。
小樽までは結構乗っていて、倶知安まではそこそこ、
倶知安から長万部まではガラガラでした。
長万部から特急「北斗」に乗り、函館から14系の「海峡」に乗りました。
このとき、函館駅には寝台特急「日本海」も停まっていました。
「海峡」に乗って青森からは寝台特急「はくつる」で帰りました。
このときの旅が自分にとって一番いい思い出の旅でした。
2回目は2002年の6月で、
このときはすでに「北斗星号」は1本のみになっていました。
このときはもちろん上野からでB寝台の下段ベットで
上段ベットに乗る人はいませんでした。
(途中駅から乗ってきましたが)
このときは南千歳で降りました。
なぜ、南千歳で降りたかと言うと特急「スーパーおおぞら」に乗るためです。
札幌だと特急「スーパーおおぞら」は発車した後に着いてしまうからです。
南千歳だと乗れるからです。この旅行は根室の納沙布岬に行く予定でした。
「スーパーおおぞら」に乗って釧路に行き、釧路から普通に乗って根室まで行き、
バスで納沙布岬に行きました。
北方領土は見えなかったのは残念ですが。
このときの旅行は根室で泊まった後に札幌、函館に泊まりました。
このとき、ワールドカップの日本・韓国大会開催中で
釧路から札幌に行くときに乗った特急「スーパーおおぞら」の車掌が
車内アナウンスで日本とチュニジアの対戦報告を流していました。
(このときは日本が勝ちました)
札幌で泊まり、翌日は特急「北斗」で函館へ泊まり、
五稜郭へ行った後に50系の「海峡」に乗って
青森から特急「スーパーはつかり」で盛岡へ行って
東北新幹線「やまびこ」で帰りました。
2回、「北斗星号」に乗ったときは
食堂車でモーニングメニュー(洋)を食べました。
このときは2回とも進行方向左側のテーブルに座りました。
内浦湾(噴火湾)を眺めながらの朝食は最高でした。
2回目に乗ったときは車内で、かなりビールを飲みました。
かなり酔いましたがいい気持ちの酔いでした。
ちなみになんで6月に乗ったかというと6月は私の誕生日だからです。
誕生日の前後に休暇を取って旅行に行ってたのです。
これが出来なくなるのは非常に残念です。

最後に一言
さようなら、寝台特急「北斗星号」、いい思い出を作ってくれてありがとう。

(長文およびあまり関係ないコメントしてすいませんでした)




投稿者

太田拓也

投稿日

2015年 8月24日(月)17時41分23秒

タイトル

ブルートレインの定義

「北斗星」フィーバーの裏で聞こえる声「あれ?『はまなす』は・・・」

国鉄末期の児童書ではオール寝台の「銀河」は」もちろん座席車と併結の急行も
20系・14系・24系の寝台車を連結していればブルートレインとして扱ってました。
また「ブルートレイン」の呼称のルーツとされる故・竹島紀元氏は
「天北」をブルートレインと呼んでました。
しかし現在では「寝台車中心で編成された特急」
であることを要求する傾向が強いようです。
(「殿様あさかぜ」ですら座席車があったのでオール寝台までは要求できない)

個人的に疑問なのが北海道の気動車夜行とトワイライトエクスプレス。
前者は10系寝台車が、後者は14系座席車オンリー編成が
ブルートレインではない理由を逆説的に満たしています。
特に「青信号」に代表される日本人の色彩感覚で24系25形そのものの
トワイライトがなぜブルートレインと呼ばれないのか理解できません。




投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 8月27日(木)18時20分4秒

タイトル

最終列車

私は、笹原川で見送りました




投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 9月21日(月)11時33分50秒

タイトル

はまなす、カシオペアも廃止

先月、寝台特急「北斗星」が廃止されましたが、
はまなす、カシオペアも来年の2月で廃止されるのが決定になりました。
廃止の理由は、皆さんもご存知ですが青函トンネルに新幹線が通るため、
今の機関車(ED79)が使えなくなるからです。
なお、カシオペアの車両は東日本線内で臨時列車等で使用されるみたいです。
あと、トワイライト・エクスプレスの車両は
西日本線内で臨時列車で使用されていますが、
これの使用も来年の3月までのようです。
あの車両も北斗星と同じ国鉄時代から使われている24系客車を
改造されていた車両で、
かなり老朽化していますから引退してもしかたありません。
ただ、残念ではありますが。




投稿者

特急さちかぜ長崎行き

投稿日

2015年10月 7日(水)16時47分49秒

タイトル

鉄道辞典

国鉄が1958年に制作した鉄道辞典上下巻および1966年の鉄道辞典補遺版が、
交通協力会のホームページでPDF化されていて参照できることを最近知りました。
全文ダウンロードして電子書籍として使用したいと思いますが、
多人数で分担しないと作業量が大きすぎて困難です。
何か名案はないでしょうか。
PDFは一枚ずつ表示され、一括でダウンロードはできないようです。




投稿者

ED76109

投稿日

2015年10月24日(土)20時38分4秒

タイトル

「はまなす」を巡る話題について

 ご無沙汰しています。「ED76109」でございます。

 「北斗星」が、ブルートレインが鉄路を去ってややしばらくでありますが、
来年2月に廃止予定の「はまなす」について、
何とか存続されないかという話が小生の周辺でもわき上がっています。
どういう話かと申しますと、「はまなす」の役割からの話なのです。
 「はまなす」は「青森」への長距離客の需要に加えて、
「長万部」までの「最終レ」の役割が重要視されており、
特に小生の在する「伊達紋別」などの「西胆振」の市町村が、
JR北海道へ「はまなす」存続の要請を展開しているのです。
JRは、代替レとして「すずらん」の新設を提案しており、
「苫小牧」「登別」の東胆振と「室蘭」の方々は納得しているようですが、
「伊達」や「虻田」までは・・・と渋っているのであります。
いっそのこと、「新函館北斗」始発の「はやぶさ」に接続する
「夜行北斗」でも運転してくれればと、
小生は考えているのですが、そんなことはJRは考えてもいないようです。
 「はまなすがあるから、酒の入った商談ができるのに」であるとか、
「札幌出張で一杯・・・」と言った御仁の方々も、
小生の周囲には少なくないのであります。
貴重な客車レが存続される可能性は皆無ですが、
「はまなす」の有効性がこんな所にも存在していることを
知っていただければと思い、投稿いたしました。

 長々と失礼いたしました。
 以上、「はまなす」で帰還することには、少々勇気のいる
「伊達」在住の「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




 
 
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