倶楽部メモ(745)

平成27年 5月21日〜 8月 8日

「ふくしまDS号」 ・ 「復活海峡号」



投稿者

太田拓也

投稿日

2015年 5月21日(木)17時51分38秒

タイトル

最後の最後

こんにちは、太田拓也です。

去年の1月にこれが最後と思って「トワイライト」「北斗星」に乗ったのですが、
トワ廃止後に急に気になって上り「北斗星」の寝台券(ソロ)をゲットしました。
ブルートレインに乗るのはこれが本当に最後となるでしょうが、
583系からロイヤルまでいろんな寝台に乗った私、とうとう通常の二段式B寝台は
一度も乗りませんでした。(厳密には「さくら」でヒルネ経験あり)

それにしても往路の神戸新千歳のスカイマークが10,400円って…
新幹線で東京行くより安いw
つくづく乗り鉄は因果な趣味だと思い知りました。

(以下レス)
・尾久持ちの東海道列車・・・晩年の「出雲」ですか?
(あれは籍だけで実際に回送するのは難しかったような)

・進駐軍専用列車の要求は向こうには常識で
無理を通した認識の無い物が結構あります。
例えば以前ED76109先生が触れた東海道線下り列車の京都1番線停車、
あれもむこうにしてみれば頭端式ホームを避けるなど運行の都合優先で
バリアフリーをカケラも考えない日本がおかしいのでしょう。
件の回送線も都心の一等地に大金かけて線路を作りながら
なぜ「聖域」なのか理解に苦しんだはずです。

・確かED76109先生の赴任先は新幹線から外れてますよね?
それで上野直通が廃止となれば鉄でなくても愚痴をこぼしますよ。




投稿者

ED76109

投稿日

2015年 5月23日(土)19時56分15秒

タイトル

流儀の違い

 おばんでございます。
東京出張のために自宅へ帰還した「ED76109」でございます。

 太田拓也 様

 とにかく、国鉄と「RTO
(第3運輸司令部の下部組織 Rail Transportation 0ffice)
の関係は敗戦国と戦勝国との関係。
米軍のシャグノン中将の「マイ・レイルロード」の暴言が
すべてを語っているようであります。

 1 東京・上野間は、回送レと常磐線経由の鮮魚レが通過した運転実績
しかなかったにもかかわらず、合理主義の一言で運転を命令。
戦時中の軍用レであっても、「トカホセ・トホホセ」を結んでいたのは
「山手貨物線」だったのであります。
当然、国鉄としては前例がなく、「ヤンキー・リミテッド」の通過を
認めたくなかったようですが、
勝てば官軍がすべてでありました。

 2 ただし、「京都」や「博多」の上りレ専用の「一番線フォーム」に
下りレも入線させたことは、あくまでも「連合軍レ」の特例ということで、
一般の列車は後にも先にも「これだけ」だったようです。
昭和20年代の「大阪駅」の7時〜8時代は、
「下りアライド・リミテッド」に「シ」を増結。
次に「上りデキシー・リミテッド」の「ネ」を解放後に、「シ」を連結。
その後、昼間に連結されていた「クラブ・カー」がフォームを塞ぐこととなり、
運転担当職員の苦労は筆舌に尽くしがたったようであります。
ひょっとしたら、「マロネロ38様」は
その光景をご覧になったのではないでしょうか?

  3 「横浜・札幌」を結んだ「ヤンキー・リミテッド」は、
「横浜」延長時に「山線経由」から「室蘭本線経由」に
ルートが変更されています。
理由は「室蘭港」隣接の「東室蘭」及び「飛行場」隣接の「千歳」を
経由させたかったとのことでありました。
しかし、現状は先達の皆様方のご承知のとおりであり、
先取りではあったのかもしれません。
 その後、昭和29年の9月、米軍関係客車の
「青函連絡船洞爺丸」への積み込みが手間取り、
件の「近藤船長」の苛立ちを誘発した結果、
函館港内の停電と重なってしまい、「洞爺丸」の出港断念。
そして、あの悲劇へとつながっていたことは有名な逸話でもあります。

 長々と失礼いたしました。
以上、「北海道の湘南の高校教頭鉄ちゃん」の戯言情報でありました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2015年 5月23日(土)20時14分17秒

タイトル

白帯列車確かに見ています

ED76109教頭先生;
確かに大阪駅や三ノ宮駅で度々見ましたが、
オミなんて窓に金網を貼った車が囚人護送車?
てな錯覚で。
進駐軍列車停車中はホーム立ち入り禁止の時がありました。
三ノ宮は禁止に出来ないので
外側線柱に綱を張ったりで、一度車番を見ていたら
ポリ公に「側へ寄るな」と叱られ、
側に居た米国MPが何か言ったので、
”I like train "当時の中学生には此れがやっとでしたが、
MPが笑って"OK−−− 多分go ahead"。ポリ公おかしな顔でした。




投稿者

太田拓也

投稿日

2015年 6月15日(月)18時26分21秒

タイトル

The Last BlueTrain

この前書いたとおり、「北斗星」に乗ってきました。
ブルートレインと一般列車の食堂車はこれが人生最後となるでしょう。
(残る食堂車は独りじゃ大金出して乗る気になれない
「ななつ星」以降のクルージング列車と
食堂車の定義として異論の残る「おれんじ食堂」以降のグルメ列車のみ)

まあ今後海外の食堂車連結の長距離列車に乗らないとも限りませんが、
ブルトレに乗る機会の無いまま大人になったら衰退期という状況で
「日本海」のA寝台など廃止前に一通り乗れて満足しています。




投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 6月16日(火)21時31分53秒

タイトル

フル編成

6日の日、新都心で北斗星撮影していたら、
こんな素晴らしい列車が通過していきました。
機関車に星がなければもっと良かったのですが








投稿者

スハフ43

投稿日

2015年 6月23日(火)22時33分42秒

タイトル

オハ46 13

京都の鉄道博物館にオハ46 13が改めて保存されますね

一時期は状態が悪化し、ともにいたオハフ33が解体されたんで
心配していましたが
平成20年にJR西日本登録鉄道文化財に既に指定されていました。

動態保存ではなくなりますが貴重な軽量型スハ43の生き残りなので
末永く保存されてよかったです




投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 6月25日(木)07時35分39秒

タイトル

リバイバル八甲田?

ふくしまDS号の試運転を撮影しましたが、まるで往年の「八甲田」みたいでした。








投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 6月25日(木)07時37分38秒

タイトル

D51

こちらはD51側です








投稿者

ED76109

投稿日

2015年 6月27日(土)13時04分4秒

タイトル

海峡号復活

 ご無沙汰しています。「ED76109」でございます。

 戯言情報です。青函隧道を「海峡号」が復活走行いたします。
6月30日(火)限りの1往復のみではありますが、
ED79がPCを牽引するのではと考えております。

 以上、「北海道の湘南からの戯言情報」でありました。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2015年 6月28日(日)22時14分18秒

タイトル

RE:復活海峡号

ダイヤ情報に記載がないようですが、復活海峡号はびゅうの商品のようです。
東京ではパンフレットも出回っています。
青森からの一往復なので、はまなすの間合い使用でしょうね。
寝台車は外すのかな??
なお、パンフレットに記載された運行日は7月4日です。




投稿者

通りすがり

投稿日

2015年 7月14日(火)06時42分55秒

タイトル

海峡号

7月4日分は以下の通りでした
9121レ
ED7912
スハフ14506
オハ14535
オハ14531
スハフ14509
オハ14505
オハ14508
オハ14512 カーペット車
スハフ14555

朝のはまなす号の寝台車をはずしたものでした。




投稿者

EF621

投稿日

2015年 7月21日(火)16時15分45秒

タイトル

2015.6.6の下り臨時北斗星の編成について

初めて投稿します。
今年の6月6日の下り臨時北斗星札幌行きの編成と車番を
ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
最初で最後の北斗星に結婚30年記念に乗りました。
かつてゆうづるで一度乗ったツインデラックスを選び、
8号車のツインデラックスに乗りましたが、
迂闊なことに、編成の全車両の番号の記録をとりわすれてしまいました。
折角の記念日の乗車だったので、模型に残したいと思っています。
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
よろしくお願いします。




投稿者

ED76109

投稿日

2015年 8月 8日(土)21時44分16秒

タイトル

北斗星ファイナルカウントダウン

 ご無沙汰しております。「ED76109」でございます。

 本日、同僚の結婚式とあって、札幌駅へ繰り出しました。
16時頃でしたので、どれどれと4番線フォームに繰り出したのですが・・・。
いゃー、4番線フォームは黒山の人だかり。
3月の「トワイライト・北斗星」のファイナルランの再来とばかり、
カメラ片手の方々が「さぁ、来いや」とばかりに待ち構えておりました。
ついに「ブルートレイン」の運用の終焉が迫ってきています。
小生の「鉄」人生のエポックが潰えてしまうのかと考えると、
筆舌に尽くしがたい思いがいたします。
ファイナルランの8月22日、
慟哭しないように心の準備が小生には必要のようであります・・・。

 長々と失礼いたしました。
以上、昭和42年の夏「はやぶさ」から始まった「ブルトレの想い出」に
終止符を打つときが来た
「中年教頭客車鉄ちゃん」でありました。




 
 
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