倶楽部メモ(744)

平成27年 4月18日〜 5月18日

「福が満開ふくしま号」 ・ 上野-東京回送線



投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 4月18日(土)19時17分28秒

タイトル

福が満開ふくしま号

旧中山宿駅で撮りました。明日は沼上発電所前で撮影予定です






投稿者

仙コリ

投稿日

2015年 4月19日(日)18時29分34秒

タイトル

福が満開ふくしま号

理左衛門様も「福が満開ふくしま号」の撮影に出かけておられたのですね。
きっとどこかでニアミスしていたものと思われます。

私は試運転時は主に中山宿駅付近で、
昨日は主に喜久田駅付近で桜をからめて撮影していました。
本日は少し体調を崩してしまい出かけなかったので、
理左衛門様の写真を楽しみにしています。






投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 4月21日(火)05時54分21秒

タイトル

福が満開ふくしま号

仙コリ様
2日目は、沼上発電所で撮りました








投稿者

IDI

投稿日

2015年 4月26日(日)18時45分50秒

タイトル

上野-東京回送線

懸案の疑問があり、諸兄のお力をお借りできればと思い、
初めて書き込みさせて頂きます、IDIと申します。
宜しくお願い致します。

かなり以前に他の掲示板で話題になったのですが、
いま話題の上野東京ラインこと上野-東京回送線で、
実は戦前より東海道線の列車を回送として
尾久に収容するが計画があったという話です。

東海道線は当時電化されていましたから、その為東京-尾久間も電化され、
尾久には電機用にトラバーサー付の機関庫(修繕庫?仕業庫?)
まで用意されたという自分にとっては驚きの話でした。
この計画は実際には、
・運転の管轄が新橋・上野両運輸事務所にまたがる事、
・冬期東北方面列車がダイヤの乱れで東海道列車が影響を受ける事、
・東北線の電化計画がおくれていること
等の理由で実現しなかったようですが、
ただその後も細々とは行われていたようで、
戦後も(昭和30年代?)明星・月光・阿蘇当たりの
東シナ持ちではない列車の一部が、
東京到着後品川ではなく尾久へ回送されていたとの事でした。

そこでお聞きしたいのは、戦後のいつ頃のどの列車が尾久へ回送されていたのか、
運用表等をお持ちで具体的にもしわかるようでしたら御教授頂けないでしょうか。

不躾な質問で恐縮ですが宜しくお願い致します。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 4月30日(木)21時07分55秒

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Re: 上野-東京回送線

IDI 様、はじめまして。
昭和30年初頭までの客車運用は系統だった情報が少なく、調査に苦労しますね。
私もまとまった情報を持っていませんが、一点だけご紹介します。

昭和27(1952)年7月ごろの「瀬戸」の基本編成は尾久の受け持ちで、
東海道系統の急行列車が軒並みスハ43主体で組成される中、
なんとスハ32が多用され異彩?を放っていたという事です。
これは当時を経験されたオールドファンの方から直接伺った話ですから確実です。




投稿者

ヒゲ無し雷鳥

投稿日

2015年 5月 1日(金)23時45分13秒

タイトル

尾久入庫列車

ご無沙汰しております。
東海道線列車の尾久区回送車両についてわかる範囲で調べてみました。
昭和23年7月
  東京門司間不定期準急2021・2022列車は車両自体が尾久持ちでした。
昭和24年12月
  東京大阪間急行17・18レ、昭和25年5月東京長崎間急行3・4レ、
昭和26年2月
  東京大阪間急行15・16レ、急行11・12レ、
  東京長崎間急行35・36レは他区所属車両が尾久回送列車でした。
昭和26年7月運転の東京宇野間臨時急行3039・3040レも
尾久持ちだったようです。




投稿者

IDI

投稿日

2015年 5月 2日(土)14時56分18秒

タイトル

上野-東京回送線

クモイ103様
早速の御返答ありがとうございます。
おっしゃる通り、客車運用は断片的な資料が多く、悩まされます。
昭和27年7月頃だと、「せと・いずも」で併結の頃ですね。
基本だけ(?)でも尾久持ちなら尾久に回送されていた可能性は高そうですね。
ただ、では何時までという新たな疑問が・・・相変わらずですが、奥深いです。

ヒゲ無し雷鳥様
ありがとうございます。お手を煩わせてしまい恐縮です。

・S23.7 2021/2022レ
少し調べてみましたが、
対九州・不定期準急・2夜行・尾久上野関係というキーワードが、
以前こちらで話題になった南風崎→上野の復員引揚列車の8012レと
関係がありそうな無さそうな。
ちょっと気になります。

・S24.12 17/18レ
急行「流星」ですね。
他区所属車両の回送はこれから始まったという感じでしょうか。
かなり早い時期からだったんですね。

・S.25.5 3/4レ
列車番号みて???となりましたが、当時の急行はこんな若番もあったんですね。
勉強になります。

・S.26.2 15/16レ・11/12レ・35/36レ
「彗星」・「明星」・「雲仙」になるのかな。
ちょっと驚きました。26年当時だと本数も割とある感じですし、
「彗星」なんてイネ・ロネ込みのある意味看板編成ですよね。
東京駅での機回しによる輻輳や品川の収容力の限界から
尾久へ回送してたのかと思いましたが、
昼行1本・夜行2本ですし、そういう意味よりは
尾久を積極活用しようとしてた感じなのですかね。

・S.26.7 3039/3040レ
↑の「せと」の前身ですね。もともとが尾久持ちだったんですね。なるほど。

大変参考になりました。どうもありがとうございます。

始まりは見えてきた気がします。
あとはいつ頃終わりになってしまったのか?
普通列車にもあったのか?辺りですね。
これからも長い目で調べていきればと思います。
いろいろ勉強になりました。今回はどうもありがとうございました。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 5月 3日(日)17時26分13秒

タイトル

Re: 上野-東京回送線

IDI様

> 東京駅での機回しによる輻輳や品川の収容力の限界から
> 尾久へ回送してたのかと思いましたが、
昼行1本・夜行2本ですし、
そういう意味よりは尾久を積極活用しようとしてた感じなのですかね。

戦後、昭和27年頃までの客車事情を考えるには、
日本を占領統治していた連合軍の輸送を視野に入れなければなりませんが、
とりわけ品川客車区は連合軍専用客車の拠点として、
至上命令であるその整備作業に日夜追われていました。

昭和24年、戦後初の特急「へいわ」の客車を
品川でなく宮原が受け持った背景にも、
品川の連合軍専用客車と管理を分ける配慮があったと言われます。

ですから当時、東海道本線の列車の一部が尾久へ入っていたのは、
軍輸送に追われる品川の負担を軽減する措置だったのではないでしょうか。
そう考えると、昭和27年の講和条約発効を機に軍輸送が減少していく過程で、
尾久に“疎開”していた東海道線列車も
順次品川に復帰していったのではないかと想像できます。
残念ながら私の手元に詳しい情報はなく、この話は想像の域を出ませんけど。




投稿者

ED76109

投稿日

2015年 5月 3日(日)21時35分16秒

タイトル

ご無沙汰しています

 単身赴任から帰還しました「ED76109」でございます。

 マロネロ38様

 赴任早々のPTA歓迎会で、隣席のPTA会長氏から
「教頭さん、鉄ちゃんなんだって。
じゃあ、「すずらん」よりも「たるまえ」の方が話が進むかい?」と言われて、
「実は『ニセコ』のC62が、『すずらん』の函館・長万部で
運用の合間に活躍していた」こととか、
「室蘭から函館までのPC鈍行が走っていた」話などで、異様な盛り上がり。
「新幹線のために、トワイライトや北斗星が廃止になることは、
絶対に納得できん!!」と血気盛んな方とお見受けしました。
今後の宴席が、大変楽しみであります。

 太田拓也 様

 至極当然なのですが、当時小学校四年生の年端もいかないガキにしてみれば、
「合造車」に乗れるということだけで、異様に興奮していました。
しかし、車内に入ればただの「B寝台の中段」(笑)
なあんだとなってしまいました。
ただ、当サイトで「中央東線のPC夜行レ」に組み入れられたことを知って、
「101系」とすれ違っていたことに感動したものであります。


 雪だるま 様

 当地のNHKローカル「北海道中ひざくりげ」の「岩見沢市」編に、
「711系のさよなら運転」が取り上げられておりましたですねぇ。
小生の愚娘も「高校生がたむろするから、ボックスじゃすわれない」
とおかんむりだったのに、
いざ引退となると「私もお世話になった電車だよね」とにやり。
娘なりの思いがあったようであります。


 IDI様

 初めまして。「ED76109」と申します。
東京の産なのですが、現在道南の某高校の教頭であります。
以前、「ひげなし雷鳥」様から、
「時刻表トリック推理作家」の「鮎川哲也」氏の「黒いトランク」
及び「碑文谷事件」に登場する「2022レ」が、
「東ヲク」持ちだったことをリサーチいただきました。
とにかく、「合理主義」の一言で「連合軍レ」を
「運転実績の無い東京・上野」に運転させたのですから・・・。
「RTO」恐るべしであります。


 長々と失礼いたしました。
 以上、「黒磯・熱海」を結ぶECにぜひ乗り鉄したくなった
「中年教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

ヒゲ無し雷鳥

投稿日

2015年 5月 6日(水)21時18分27秒

タイトル

終戦後の急行

IDI様
こんばんは。
急行17・18レの「流星」命名時期について確定的な資料はないようですが、
昭和25年6月16日からの1等寝台車連結を機に
旅客サービスの一環として愛称を募集したことから、
これ以降の命名と思われます。

3・4レは昭和24年9月改正で東京長崎間に設定された急行列車ですが、
車両不足のため設定当初は京都門司間という変則運転で、
12月から本来の東京長崎間を通しで運転することとなりました。
ちなみにこの変更により昭和24年9月改正で
荷物列車から急行に格上げされた41・44レは
東京長崎間から東京博多間に運転区間が縮小されてます。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2015年 5月 8日(金)16時43分34秒

タイトル

昭和21年7月JTB時刻表

復刻版で印刷が悪く読みにくいですが、
不定期3レ東京10.30→、門司翌日12.00、定期4レ
博多19.40→東京翌日21.21、
他に1レ東京8.30→博多翌日11.30、不定期2レ、門司19.35→
東京翌日20.21等が出ていますが、
この時刻表は全くの粗製濫造で表示も出鱈目、通常下り
→上りの編集が逆になっており、
時系列も滅茶苦茶で戦後の混乱期を象徴しています。
駅名にローマ字表記がありますが、長万部がなんとChomanbe。
青函連絡船は下り3便、上り4便で昼間の船は所要6時間ですから、
徳寿丸クラスだったのでしょう。
おまけに関釜、博釜、稚泊連絡船の運賃が出ています。
運賃は東京→大阪3等36円。
この時刻表は大阪のJTB発行らしく関西地方が主に掲載されていて、一部3円。
復刻はJTBではなく京都の鉄道ファンF氏が手がけた物です。




投稿者

スハネ25 503

投稿日

2015年 5月14日(木)06時05分4秒

タイトル

1994年の編成

初めまして。スハネ25 503と申します。
以前から閲覧はしていたのですが、書き込むのは初めてです。

早速で申し訳ないのですが、
1994年2月12日に北陸本線で運転された「Happy Train 夢空間」の
編成車番をお持ちの方はいらっしゃいますでしょうか。
マイテ49-2と夢空間が末端にきている編成になります。
もしよろしければ御教授ください。




投稿者

きむ

投稿日

2015年 5月17日(日)19時18分21秒

タイトル

夢空間の件、回答ではないですが、補足

スハネ25 503様

1994年のこの列車、当日の富山県内は久々の積雪・降雪で
ダイヤが乱れまくったために、当方は記録できずじまい。
忘れたような時間に踏切でマイテ49が通過していって
唖然としたことを覚えています。
なお、列車名は「夢空間ハッピートレイン」です。
マイテなしの'95年の編成は当HPの過去ログ(倶楽部メモ410)
に載せておりますのでご参考までに。




投稿者

スハネ25 503

投稿日

2015年 5月18日(月)21時56分23秒

タイトル

夢空間ハッピートレイン

きむ様

補足ありがとうございます。
マイテ49が入っていた編成というのはほかの年にもあったのでしょうか?




 
 
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