倶楽部メモ(743)

平成27年 3月20日〜 4月16日

10系客車の音について



投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 3月20日(金)14時29分17秒

タイトル

20系寝台客車

寝台特急に使われた客車で20系客車がありましたが、
この車両は1度も乗りませんでした。
埼玉県の大宮にある鉄道博物館には展示してあります。
車内に入る事は出来ませんが。
今となっては乗っておけばよかったなあと後悔しております。

これは余談ですが私の会社仲間で
禿げた人を20系寝台客車と呼んでいるのがいました。
理由は言わなくてもわかると思いますが。(笑)




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 3月21日(土)08時32分35秒

タイトル

Re: 20系寝台客車

20系客車のハネには何度かお世話になりました。
52cmという寝台幅をはじめ基本的なつくりは10系と変わらず、
今の感覚からは大変狭く感じますが、当時はそれが当たり前でした。

ただ10系ハネよりも格段に良かったのは、広々とした上段寝台でした。
10系ハネは天井に巨大な冷房装置がぶら下がっていて、
上段寝台の空間にそれが大きく張り出して圧迫していました。
20系ではそれが無く、あの車両限界一杯の丸い天井がそのまま
上段寝台の頭上に空間として広がっていましたので、
寝台内での着替えもさほど不自由しなかったと記憶しています。

10系での話ですが、札幌から乗車した急行「まりも」の下段で、
発車と同時に着替えを始めてその狭さに難儀し、
千歳空港(現・南千歳)を出て石勝線に入る頃ようやく落ち着きました。
20系の上段ならもっと早く就寝できたでしょう。




投稿者

赤まんと

投稿日

2015年 3月22日(日)21時36分50秒

タイトル

10系客車

20系客車は私も乗ることなく終わりました。
尾久駅の近くで育ちましたので、
東北・上越新幹線開業直前の頃の「十和田」「新星」などを、
夏の上野駅で見たことがあります。
日中は「天の川」などが出発収容線で、
165系や485系などと並んで休んでいる様子を見ることができました。
20系の優美なスタイルは、少年時代の私に大きな感動を与えましたが、
一方で気になる存在だったのが、10系客車です。
20系の持つ華やかなイメージにはやや及ばないものの、いぶし銀の魅力
(当時はこんな言葉は知りませんでしたが)を感じていたように思います。
「越前」「能登」等で、最後の活躍を見せていた時代です。
20系は花形の存在ですから、事ある毎にあちこちで取り上げられてきましたが、
10系客車はといえば、数えるほどしか特集記事が組まれていません。
不明点が数多く、保存車もほとんど無い今となっては、追跡取材もほぼ不可能、
などという記述さえ見られます。
それだけに、いっそう魅力的に映ることもまた、事実です。
昨年刊行が完結した「ナハ10形の一族」は貴重な一級ものの資料といえ、
価格を超えた価値があると思います。
10系客車活躍の時代を生で見ることができた方へ、質問があります。
10系客車は冷房車のオロネ10や、冷房改造を受けた車両は、
床下にディーゼル発電機を備えています。
私は、スロ62、スロ81がディーゼルの唸りを発しているのは
はっきり覚えているのですが、
オロネ10の騒音がどうであったのかについては、記憶にありません。
この目で走行シーンを見ているにも関わらず、です。
また、オロ11や、スハネ16等については、騒音はどうだったのでしょうか?
後年登場するスハフ12、スハフ14あたりと同等だったのか、
そこまではうるさくなかったのか。
本格的に10系客車を研究し始めて22年の疑問点です。
あと10年早く生まれていれば・・・。
タイムマシーンがあれば、1970年頃の東京駅夜行急行ウォッチをしてみたい。
こんなことを考えることがしばしばです。どなたかご教示いただければ幸いです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 3月23日(月)20時13分11秒

タイトル

Re: 10系客車

赤まんと様

> 10系客車活躍の時代を生で見ることができた方へ、質問があります。

もう7年も前、平成20(2008)年4月29日に同様のご質問を受け、
私もあやふやな記憶でご返答していますが、
当時この話題に応じて下さった皆様も、
10系のディーゼル発電機(DG)の音はさほど気にならなかった…
という事の様ですね。
過去ログ「倶楽部メモ418」〜「422」をご参照下さい。

10系のDGが12系・14系よりも大人しかった?のは、
一つには自車のみの給電で容量が小さかった事、
そしてもう一つの要因としては、冷房専用だった事もある様です。
10系は在来型客車(旧形客車)の一員ですから、照明用電源は車軸発電機が担い、
また暖房は蒸気暖房または電気暖房のどちらにしても機関車から供給されます。
しかし12系・14系では照明や暖房の電源もスハフの発電機が担っているため、
冷房使用時期でなくても常時数両分の電源を1両で賄う
大容量のDGが回っています。




投稿者

ミキスト

投稿日

2015年 3月25日(水)09時10分33秒

タイトル

オロネ10の音

オロネ10の遮音は他の旧型客車よりも格段に優れていた気がします.
オハネ系やスロ系を通ってオロネ10の客室に入った途端に
レールやエンジンの金属音が消え,
角のとれた丸い音だけが聴こえた記憶があります.いい音でしたよ.
共通設計のオロネ21がすぐれていたのでしょうね.
20系,14系,24系もロネは特別だったのでしょうか.
北斗星のロイヤルはソロよりも遮音が効いていた気がしますが,
改造車ではなく生え抜きのロネには乗ったことがありません.




投稿者

赤まんと

投稿日

2015年 3月25日(水)10時08分55秒

タイトル

回答いただきありがとうございました。

過去ログを参照して、ただただ、赤面するばかり・・・。
7年前に全く同じ質問をぶつけていたのは、私自身だったとは・・・。
せっかく貴重な時間を割いて回答して下さった方々に、ただ申し訳なく思います。
ミキスト様の投稿の、オロネ10の遮音の優秀さのエピソードは
興味深いものがあります。
以前、高砂工場勤務経験者の方のブログを見たことがありますが、
10系の中でもオロネ10はしっかりとした作りだった
という記述があったように記憶しています。
なお、ニューブルトレ世代のオロネ24は、
オリジナルの0番台、オロネ14改造の100番台両方に乗りましたが、
残念ながらハネとの明確な差を見出すことはできませんでした。
喫煙室で悠々タバコを吸えたこと、
「俺はA寝台に乗ったぞ」という自己満足くらいなものです。
年を経るごとに、貴重な思い出になっていることは確かですが。
このところ10系客車への思いがまた高まっており、
ほぼ毎日のように資料をめくって楽しんでいます。
しかし、クモイ103様ご指摘のとおり、
10系ハネのあの冷房ファンデリアの張り出しは、
いかにも時代を感じさせるメカニカルな雰囲気で、見るたびに唸らされます。
上中下段に均等に風が行き渡るよう、設計に工夫がされたとのことですが、
そう言われて見ると、20系にも通じる人の手の温もりを感じることができます。




投稿者

てりてり

投稿日

2015年 3月25日(水)20時18分10秒

タイトル

うろ覚えですが…

 昔C62牽引の急行ニセコを取り上げた番組の中で、
途中駅(銀山ダッタカナ?)を通過する場面があったと記憶しています。
その中に発電機の音が一瞬入っていたか、と。
 擬音に例えると『ヒュ〜ン』

 のちのスハ(ネ)フ等の発する『グオオオン!』よりか弱い印象でした。

 取り急ぎまで。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2015年 3月27日(金)14時18分14秒

タイトル

思い出

皆さんが客車の思い出を書いて居られますが、
私には忘れられない思い出が多くあります。
オロネ10の発電機が静かだったとの件、
一度夏に大阪から「しろやま」のオロネ10上段に乗り、
伊集院で下車した時でした。
本当に遮音の点では静かなロネでした。
其の前に大阪-高岡で下段に乗った時は春でしたが、
走行音も静かでエアサスなのでジョイント音も静かでした。
後から冷房をつけてオロハネ10になった合造車は若干喧しかったです。

でも「さくら」のナハフ21に下関から長崎まで乗車して、
こんなに静かで揺れない客車が
あるのだ----と感心した思い出があります。

思い出は尽きませんが、博多、都城準急の上りの宮島口→三ノ宮の旅で、
博多編成のスロ341(W屋根)に乗車出来たのは貴重な経験でした。

一番忘れられないのは戦前の『鴎』1032レの増8号車が、
マイネロフ37だった事です。
(戦後鉄道ファンになってからそうだったのかーーーと)


妄言多謝。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 3月28日(土)11時08分2秒

タイトル

快速「海峡」

もう廃止されましたが、
青森と函館を走っていた客車列車の快速「海峡」がありましたね。
14系客車と50系客車がありましたが、私は14系の方が好きでした。
2回乗りましたが共に函館から乗りました。
1回目は14系客車、2回目は50系客車でカーペットカーに乗りました。
14系客車のカーペットカーの方が良かったです。
前にコメントしましたが、14系客車の快速「海峡」に乗ったときは
寝台特急「北斗星」「はくつる」にも乗りました。
快速「海峡」と寝台特急「はくつる」は帰りに乗りました。
快速「海峡」の函館発の時間は忘れましたが
青森着は19時45分で寝台特急「はくつる」は21時5分発でした。
このときに行った北海道旅行が一番楽しかったです。
ちなみに行った場所は稚内の宗谷岬に行きました。
行きは寝台特急「北斗星3号」で札幌まで行き、
札幌から特急「ライラック」で旭川に行き、
旭川から快速「なよろ」で名寄まで行き、
名寄から普通で音威子府で途中下車して、
音威子府から急行「宗谷」で稚内に行きました。
音威子府駅で名物の駅そばを食べました。すごく美味しかったです。
この日は列車乗り継ぎで少し疲れました。
あと、深名線廃止後のバスにも乗りました。
名寄から深川まで乗りましたが、幌加内の少し手前で2人乗っただけで
幌加内から深川までは20人くらい乗ってきました。
あと、函館本線の山線にも乗りましたが倶知安から長万部まではガラガラでした。
北海道新幹線は山線経由で走りますが、
函館本線の山線は第3セクターになるんでしょうが
大赤字になって廃線になってしまうでしょう。
乗るなら今のうちでしょう。




投稿者

ED76109

投稿日

2015年 3月29日(日)08時21分18秒

タイトル

旧客バンザイ!!

 おはようございます。「ED76109」であります。

 先達の皆様方のお話を伺っておりますと、
久々にスカっとした気分になりますですね。
「鉄親父」の薫陶を受けて、乗車した「1102レ」と「122レ」が
小生にとっては全てだったように考えております。
 それでは、小生の繰りごとを・・・・。

 1 「出水」に伯母が在していた関係で、
「はやぶさ」「DCなは」「583系きりしま」などに親しめましたが、
最も小生に強いインパクトを与えてくれたのは「桜島のロザ」でありました。
昭和47年の春、せっかくなら「完乗」をと言う親父の意図で、
「西鹿児島」を15時すぎに出発して、
「門司」で「高千穂」との併結と「EF30」への交換儀式を見つめ、
「徳山」では「EF66」牽引の「フレートライナー」に抜かれる始末。
曇天の「大阪」からは、ガラガラの「オロ10」
でぼんやりと「EF58」を眺めながら「トカホセ」を上り、
16時過ぎに「東京」の9番線フォームに到着。
出迎えた従兄たちに「丸1日の旅」だったことを聞くと、
皆呆れ顔になったことは忘れられません。
「鉄親父」は、「昔の『はと』に乗れたのだから」と満足しきり。
テーブルが窓側用のものしかなく、謝罪する「東京車掌区のカレチ氏」に、
「いや、乗りたかった『はと』の二等にのれたのですから、満足ですよ」
と返していたことは印象に残ります。


 2 昭和48年の早春は「鉄親父」と初の渡道を果たし、
「PCニセコ」や「狩勝」などを初体験。
しかし、意外とふーんといった感じだったのが、
「C55牽引の321レ」完乗後に乗った「利尻のオロハネ」。
「A寝台」と「B寝台」の合成車ということで「期待」していたのですが・・・。
中央の入り口から自分の「B寝台の中段」に落ちつくと、
ただのB寝台だということに小生気付き、
妙にがっかりしたことを覚えています。
さらに、良く揺れてあまり眠れずに、「早暁の岩見沢」で
「222レの室蘭行」の乗り換えるためにたたき起こされて・・・。
あの「岩見沢のフォームの寒さ」は今でも強く記憶しています。


 3 2の翌日、「旭川」から「函館」まで「122レ」で
「狭窓のスハフ」で1日過ごしたことが、
「鉄としての開眼」であったように思います。
薄暗い背ずりが木のスハフは、ニスの香りが強かったようで、
白熱灯のぼんやりとした明るさとともに、
小学生の小生には強い憧憬として刷り込まれたように・・・。
「ED76」や「DD51」を眺めながらの長旅は、
「長距離旧客鈍行レ」の魅力が溢れる楽しい旅でした。
しかし、今や「山線」は風前の灯と化してしまい、
「祇園精舎の一節」を口づさんでしまいそうであります。


 長々と失礼致しました。
 以上、「旧胆振線の分岐点で北斗が停車する街の高校」に転勤した
「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2015年 3月30日(月)10時24分49秒

タイトル

スロハフ30

ED76109教頭先生;
北海道と言えばスロハフ30が多かったですが、
初めてこの型式に乗車できたのは昭和27年
の夏休みに、父と北海道旅行の途中でした。
網走から例のインチキ準急で岩見沢下車、
室蘭本線に乗り換えたらスロハフ30でしたが、
翌日長万部でこれの円屋根を見ました。
確か田中車両で3両だけ建造して一両が事故廃車。

当時はまだ室蘭本線に木造車が走って居た時代でしたが、
室蘭−札幌の準急「エルム」がC51牽引で、オロ31x2だったので、
室蘭−札幌間のビジネス客が多い事が解りました。
(白老?で離合)

○○紋別に転勤ですか?帰宅に便利になりましたね。




投稿者

太田拓也

投稿日

2015年 4月 3日(金)19時11分1秒

タイトル

お久しぶりです

久しぶりの書き込みとなります太田拓也です。

>赤まんと様

オロネ14/24は水周りと窓配置がハネと共通でかなり設計が合理化されてますね。
確かにハネが二段化されると居住性に大差がなくなっています。
ベッド幅が広いとはいえ、荷棚がないデメリットもあります。
なので25形登場時に不要とされたはずですが、
どういうわけか最晩年でも比較的高い乗車率がありました。
私は全通直後の東北新幹線で青森まで行った後に
「日本海」で大阪に戻ったのですが、
ハネがガラガラなのにロネは結構乗っていました。
寝台のセット・解体がなかったのは合理化もさることながらゴロゴロしていたい、
くつろいでいるところに割ってこられるのが煩わしい乗客心理の変化もあるかと。

程なくして「日本海」とともに
オロネ10の流れを汲む開放式A寝台は消滅しましたが
かつて児童書で憧れたA寝台に乗れて満足でした。


>ED76109先生
>ただのB寝台だということに小生気付き、妙にがっかりしたこと

私は2011年の夏にもう先が長くないと思って
583系「きたぐに」に乗ったのですが、
せっかくだからサロネ581を取ろうかと思ったのですが、横になってしまえば
B寝台下段と同じことに気がついてやめました。なので気持ちはわかります。


ところで話は変わりますが、以前から客車ファンが妄想していた
「旧客のレプリカ」が本当に作られることになりました。
ただイメージイラストがオリジナルそのままで冷房があるようには見えない、
背摺りに段のないオハ35や板張りのオハ31を再現したら一般人から
「現行のレトロ風12系よりサービスダウン」と非難されそうで不安です。
(12系改造時は鷹取に旧客が現存したが居住性の問題で使わなかった)




投稿者

理左衛門

投稿日

2015年 4月10日(金)20時37分43秒

タイトル

トワイライト

皆さんお久しぶりです。
12月の初めに、なんとかトワイライトを見送ることができました。
国鉄色117系も一緒です






投稿者

雪だるま

投稿日

2015年 4月16日(木)00時47分7秒

タイトル

ED76 109さま

知らない間にED76 109先生は北海道の湘南に転勤されていたんですね。
6月なら早起きで北斗星狙えますね。笑

肝心の北斗星の客車は札幌貨物ターミナルに集められておりますが。
711系くらい乗っておけば良かったです。
122レで札幌から函館までオユ10に乗っていると立ちっぱなしですからこわいです。
本線にご栄転おめでとうございます。




 
 
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