倶楽部メモ(738)
平成26年 7月11日〜9月19日

12系・14系座席車活躍の頃


投稿者 きむ
投稿日 2014年 7月11日(金)21時12分46秒
タイトル

1993(平成5)年の臨客編成記録から

みなさまこんばんは。
個人的な話ですが中国より帰国して4ヶ月が過ぎました。
そして、地元JRのトワイライト廃止のニュース・・・。
今度の週末は宇奈月へ編成記録に行こう!と思いながらも行けていません・・・。

さて、昔のメモ帳から編成記録を紹介します。(一部はここで既に書き込んだことがあるかもしれません)
1993年のゴールデンウィークの上野駅を中心とした記録です。
客車の形式横の「↑」は洗面所のある向き、「自」は自由席、「指」は指定席、「禁」は禁煙車です。

93/5/1 快速 SL奥利根号
↑D51 498
水(6)オハフ13 39↓
上(5)オハ12 24↑
 (4)オハ12 23↑
 (3)オハ12 22↓
 (2)オハ12 21↓
 (1)スハフ12 154↑

93/5/1 急行 加賀
↑EF65 1022
長スハフ12 34↓
岡オハ12 77↓
 オハ12 78↓
 オハ12 79↑
 オハ12 80↓
 スハフ12 14↑

93/5/1 急行 おが
↑EF65 1011
秋(7)スハフ14 7↓(自)
田(6)オハ14 202↑(自)
 (5)オハ14 207↑
 (4)スハフ14 62↑
 (3)オハネ25 5↑
 (2)オハネ25 32↑
 (1)オハネフ25 202↑
*(1)と(2)は金帯。

93/5/1 急行 天の川
↑EF81 146
村(6)オハフ15 19↓
上(5)オハ14 66↑
 (4)オハ14 67↓
 (3)オハ14 68↑
 (2)オハ14 69↑
 (1)スハフ14 20↑

93/5/1 急行 十和田
↑EF81 80
青オハフ13 29↓
森オハ12 113↓
 オハ12 114↓
 オハ12 130↓
 オハ12 112↓
 スハフ12 111↑
*機関車は北斗星色。

93/5/1 急行 おいらせ
↑EF65 1025
青(9)オハフ15 48↓(禁)
森(8)オハ14 136↑(禁)
 (7)オハ14 92↓
 (6)スハフ14 59↓
 (5)オハ14 129↓
 (4)オハ14 188↓(指)
 (3)オハ14 96↑(指)
 (2)オハ14 199↑(指・禁)
 (1)スハフ14 14↑(指・禁)

93/5/1 急行 妙高81号
↑EF62 46
妙(6)スハフ12 160↓(自・禁)
高(5)オハ12 362↓(自)
高(4)オハ12 361↑
原(3)オハ12 370↓
 (2)オハ12 372↑
 (1)スハフ12 160↑(禁)

93/5/2 快速 ユーロ妙高・志賀
↑EF64 35
妙スロフ12 702
高オハ14 703↑
高オハ14 704↑
原スハフ14 4↑
*最後尾のスハフ以外、ユーロ色。

当時の上野はすでに20系客車の「おが」や客車「能登」がいなくなった後であり、個人的につまらなくなった、
と思いながら記録をしていたものですが、今見ればやはり懐かしく、記録していてよかったと思います。
編成はどれも似たり寄ったりの12系や14系ですが、いろいろな機関車に牽かれた客車列車が
一晩にこんなにたくさん出ていたというだけで楽しくなってきますね。



投稿者 クモイ103
投稿日 2014年 7月13日(日)10時19分18秒
タイトル

12系・14系座席車活躍の頃(1)

きむ様(=きむたお様ですよね…?)
お久しぶりです。
12系・14系座席車が八面六臂の活躍をしていた時代の編成記録、当時の雰囲気を思い出して懐かしく拝見しました。
14系座席車+25型寝台車の組み合わせは意外でしたね。

12系客車は大阪万博を翌年に控えた昭和44(1969)年、14系座席車は3年後の昭和47(1972)年に登場しました。
当初から波動用メインでの使用が宿命づけられており、のちに定期列車への使用も増えましたが、
やはり団臨をはじめ臨時列車での活躍が印象に残る系列です。

最近スキャナを更新した機会に昔のネガの取り込みを少しずつ進めていますが、
その中から12系・14系の画像を拾ってみました。
不鮮明な画像ですがご容赦のほどを。



1枚目:1980年夏・蕨駅にて。当時はありふれていた165系急行と12系臨時列車の離合。牽引機のゴハチも定番でした。



2枚目:1979年夏・西川口付近にて、ミステリー列車ブームの火付け役?となった「銀河鉄道999号」。



3枚目:既出ですが再度上げます。
12系は在来型客車(旧客)との混結用に電気暖房の引き通しを持っているので、このような編成も自由自在でした。
1979年3月31日・西川口にて、急行「津軽4号」。



投稿者 クモイ103
投稿日 2014年 7月13日(日)10時21分1秒
タイトル

12系・14系座席車活躍の頃(2)

12系・14系客車は旧客と違って暖房が自前なので、牽引機を選ばないのが強みでした。



1枚目:1980年初頭、大久保駅にて。本来貨物用のEF15が14系の団臨を牽引。
中央東線ではかつて旅客列車をEF13が牽いていた歴史があり、貨物機が客レを牽くのは伝統だったのですね。



2枚目:1983年3月27日・新宿駅にて、青梅線の古里まで運転されたED16さよなら列車の客車も当然12系。



3枚目:1978年9月ごろ?・蕨駅にて。
信越本線へ向かう臨時列車でしょうか、当時でも上野口では珍しい存在だったEF62が14系を牽いて行きます。



投稿者 クモイ103
投稿日 2014年 7月13日(日)10時23分24秒
タイトル

12系・14系座席車活躍の頃(3)

民鉄へ乗り入れてご当地機関車とコラボを演じるのも、12系客車の得意とするところでした。
1983年5月3日、臨時快速「つくば」が今はなき筑波鉄道のDD501のエスコートで筑波山のふもとまで乗り入れます。
この4年後には赤字で廃止されてしまうローカル線も、GW真っ只中の当日は行楽客で賑わっていました。

連投失礼しました。




投稿者 だめおやじ
投稿日 2014年 7月15日(火)19時56分3秒
タイトル

クモイ103さんへ

筑波鉄道に12系客車が乗り入れていたのは、知りませんでした。
この写真は貴重な写真ですね。
ところで筑波鉄道が廃止した日は1987年(昭和62年)3月31日ですが、この日は国鉄最後の日でもありましたね。
この日で筑波鉄道に乗るか国鉄に乗るかで悩んだマニアも何人かいたでしょうね。
ちなみにこの日ですが私は謝恩フリー切符で国鉄に乗りました。
当時は、上野から上越新幹線で新潟へ行き、新潟から特急いなほ号で青森へ行き、
青森から特急はつかり号で盛岡へ行き、盛岡から東北新幹線で上野へ行きました。
当日で、青森まで行って、帰ってきました。
このとき、東北・上越新幹線に初めて乗りましたが、国鉄で乗ったのは最初で最後でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 2014年 7月20日(日)10時20分52秒
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国鉄最後の日

「国鉄最後の日」、もう27年も前なのですね。謝恩フリー切符は早朝から並んだけれど買えませんでした。
筑波鉄道の廃止は当時眼中になく(^^;、国鉄最後の急行「銀河」に乗って歴史の節目を車中で迎えました。

当夜、東京・上野からJR旅客6社へ向けた団体臨時列車「旅立ちJR号」が運転されましたが、全て客車列車でしたね。
(北海道号の道内区間は気動車だったかも?)
当時は12系・14系改造のジョイフルトレインが流行り出した頃で、
西日本号が12系一般車+マイテ49だった以外はみな「JT」だったと思います。



写真1枚目:「ふれあいみちのく」を「パック」が牽引した「旅立ちJR北海道号」、浦和付近にて。
      青函連絡船を介して札幌までの長丁場なので、他に先駆けてまだ陽の高い時刻に上野を発車しました。



写真2枚目:「ゆうゆうサロン岡山」を使用した「旅立ちJR四国号」。
      宇高連絡船に接続して高松までの行程でした。



写真3枚目:復活したてのマイテ49をしんがりに東京駅10番線で発車を待つ「旅立ちJR西日本号」。
      復活マイテが東京駅に入ったのはこの時だけかも?
      手前の12番線ホームは某TV局が占有して一般客は締め出し。
      丸の内側の駅前広場にも別のTV局が特設スタジオを設けて生中継しました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2014年 7月23日(水)10時47分21秒
タイトル

14系座席車末期の活躍記録(1996年)

みなさまこんにちは。
きむ様の編成記録公開に触発され、私も手持ちの編成記録からピックアップし紹介します。
2008年6月まで34年間、尾久で育ちましたが、引退するまではいつも尾久構内にまとまった数の12系、14系がいたものです。
今では構内もガラガラで、E231やE233が幅を利かせ、
疎開留置中の211や横浜線205が侘しさを誘う、すいぶん寂しい眺めに変わりました。


Lot No/0034 96/4/29 8105レ「八甲田」

スハネフ14 39
オハネ14 59
オハネ14 103
スハフ14 7
オハ14 25
オハ14 206
オハ14 203
オハ14 204
スハフ14 54
EF65 1019(レインボー)

GW恒例、尾久の3段ハネ3両に、青森のハザ6両を組んだ編成です。
レインボー機登板で得した気分でした。
青森のハザは末期まで青モケット車が存在し、前回全検から日が経ったものも多く、
褪色気味の車両が結構いて、哀れでした。

Lot No.0039 96/5/4 8105レ「八甲田」

スハネフ14 38
オハネ14 104
オハネ14 105
スハフ14 62
オハ14 22
オハ14 207
オハ14 40
オハ14 26
スハフ14 46
EF65 1026

4/29発8105レの対の編成です。


Lot No.0040 96/5/5 8108レ「銀河82号」

スハフ14 23
オハ14 78
オハ14 79
オハ14 80
オハ14 81
オハフ15 20
EF65 1119

私の本命、西の14系使用の「銀河」です。
張り切って早朝5時半に起き、6:03着から延々、7:28の「あさかぜ」を押さえるため、東京駅にいました。
車番オタク、編成記録マニアの私には、全く苦になりませんでした。
当日は岡山の14系を下関のEF65が牽きました。
運用の関係上、隔日で西の14系は下関のPFが、東の14系は田端のPFが担当しました。


Lot No.0061 96/8/8 8105レ「八甲田」

マニ50 2156
マニ50 2120
スハフ14 63
オハ14 23
オハ14 207
オハ14 203
オハ14 53
オハフ15 52
オハ14 49
オハ14 39
スハフ14 54
オハネ14 59
EF65 1102

夏季恒例「MOTOトレイン」です。98年夏までの命でしたから、末期の姿です。
当日は珍しく、品川(東京機関区)常駐のカマが登板し、ビックリしました。
ふだんは田端常駐のPF初期型が担当しました。


Lot No.0062 96/8/8 8801レ「うえつ」

スハフ14 61
オハ14 93
オハ14 92
オハ14 198
オハ14 123
スハフ14 46
 EF81 97

本当に需要があるのか、疑いたくなる臨時列車です。
回送線踏切で押さえたあと、上野駅に行って確認しましたが(ヒマですね。熱帯夜なのに元気ですね)、
案の定ガラガラでした。
まあ、編成記録のネタが多いのは嬉しいことです。
尾久構内にはまだ14系が遊んでいましたが、なぜか6号車スハフ14 46のみ青森から借り入れです。不思議です。


Lot No.0066 96/8/9 8611レ「加賀」

スハフ14 40
オハ14 167
オハ14 166
オハ14 134
オハ14 129
スハフ14 39
EF65 1053

これまた設定の必要性を疑う列車で、やはり閑古鳥が鳴いていました。
前夜の「うえつ」同様、途中駅からの利用客があったのでしょうか?
どうも空気を運んでいたようにしか思えないのですが・・・。
これまた珍しく、品川常駐のPFが担当しました。さすがに田端常駐機が不足気味だったのかもしれません。
この年は94年、95年より幾分マシでしたが暑さが厳しく、夜遅くにならないと30度を割らない蒸し暑さでした。
スハフの甲高いエンジン音と紫煙が構内に反響していました。


Lot No.0067 96/8/10 8108レ「銀河82号」

スハフ14 10
オハ14 165
オハ14 48
オハ14 28
オハ14 173
オハフ15 23
EF65 1132

岡山の14系が来るものと思っていたら、見慣れない車番ばかり。なんと、下関車を使用していてビックリしました。
しんがりスハフ14 10は6月に全検上がりたてで、ピカピカでした。
こういうサプライズがあると、早起きしての編成記録はやめられません。
ちなみに当日は後続の「出雲2号」は4両フル増結12両でしたし、
167系使用の「伊豆マリン号」の運転もあり、賑やかで華やかな早朝でした。

Lot No.0075 96/8/11 8108レ「銀河82号」

スハフ14 14
オハ14 188
オハ14 187
オハ14 94
オハ14 197
スハフ14 41
EF65 1113

この日は見慣れた尾久の14系使用で、とくに有り難味がなく、淡々と記録しました。
今となっては貴重な記録ですが。
なお、この年は9月中旬の連休、11月上旬の連休にも「銀河81,82号」の運転がありました。
下関、尾久の14系が使われました。

Lot No.0109 96/11/1 8611レ「加賀」

スハフ14 45
オハ14 195
オハ14 190
オハ14 134
オハ14 129
スハフ14 39
EF65 1019(レインボー)

11月の連休にまで設定するからには、需要があると思いたいところですが、ガラガラでしたねぇ。
夏季に使った編成をチョイチョイといじっただけで、長く構内に放置していたことがわかります。


Lot No.0141 96/12/27 9801レ「うえつ」

スハフ14 26
オハ14 198
オハ14 93
オハ14 92
オハフ15 49
オハネ14 105
スハネフ14 38
 EF81 97

尾久の14系ハザ5両に3段ハネ2両という、いっぷう変わった編成です。
当時既に数を減らしていた、オハフ15が入っているのも珍しいです。


Lot No.0143 96/12/28 8108レ「銀河82号」

スハフ14 10
オハ14 48
オハ14 28
オハ14 165
オハ14 176
オハフ15 7
EF65 1129

年の瀬、冷え込みが厳しくても、下関や岡山の14系のためなら、いくらでも早起きができるのです。
「瀬戸」まで押さえたあと、朝8時から夜8時までみっちりアルバイトに励み、なかなかハードな一日でした。


Lot No.0148 96/12/28 8611レ「加賀」

スハフ14 61
オハ14 200
オハ14 128
オハ14 187
オハ14 188
スハフ14 14
EF65 1020

アルバイトで疲れているなら早く帰ればイイのに、わざわざ時間調整し、冷え込む中回送線踏切で押さえました。
96年トリの記録になりました。



投稿者 ED76109
投稿日 2014年 8月16日(土)11時37分10秒
タイトル

トワイライトに乗せてくれ・・・!!

  本当にご無沙汰しています。「ED76109」でございます。

 本日は、本当に戯言であります。

 小生「6月の下旬」に「トワイライトEXP」のBコンパートが入手できたことから、
最後のお別れ乗車を決行しようとしたのでした。
ところが、その日が勤務校の「甲子園予選の地区ブロック決勝当日」という皮肉。
校長から「教頭さん、決勝進出したら、全校応援するぞ」の一言。
結果は・・・。本校の野球部はいつも一回戦で負けていたのに、校長さんの執念か何と予想とおりの「全校応援」。
函館まで、全校応援の責任者として、球場で指揮するはめに・・・。
 試合は、甲子園出場経験校に惜敗・・(滂沱)。
その上、「国縫」の先で何と「乗るはずだったトワイライトEXPに遭遇」してしまった次第となりました!!
  こういう時は、上手くいかないもので、夏季休業中に知り合いの業者氏に頼み込んでも、「先生、ダメでした・・・。」
のご返事を2回伺う羽目に。
 あーあ、「はやぶさ・富士」と同じことになるのか、覚悟を決めつつも、何とかもう一度と祈るような日々でございます。

 本当に戯言で失礼致しました。以上、「サラリーマンの悲哀」を真に感じ取った「教頭鉄ちゃん」でありました。




投稿者

雪だるま

投稿日

2014年 8月23日(土)00時42分48秒

タイトル

遅れカシオペア、北斗星

函館線長万部ー森が夕方から雨で抑止になったため、カシオペアは長万部、北斗星は洞爺で抑止となり、
日付が変わる頃運転再開になりました。
8/22札幌発カシオペアが4時間50分、北斗星が4時間30分遅れになっています。尾久での折り返し大丈夫でしょうか?




投稿者

赤まんと

投稿日

2014年 8月27日(水)10時31分53秒

タイトル

昨日、今日は定時でした

雪だるまさま投稿の件。
8/22の北海道大雨の影響で、翌23日「カシオペア」は上野21:30頃、
「北斗星」は21:50頃発見込みと運行情報に出ていました。
ごく限られた時間内で、どうにか整備をして送り出したようです。

昨夜の上野発「北斗星」、今朝の上り「カシオペア」「北斗星」ともども、定時でした。
とくに昨夜の「北斗星」は、予備車オロハネ24 501が入っており、車両好きには記録に収める絶好の機会でした。
今朝の「カシオペア」は専用機EF510-510が牽いてきました。




投稿者

雪だるま

投稿日

2014年 8月28日(木)01時53分17秒

タイトル

赤まんとさま

初めまして。
カシオペア、北斗星のフォローありがとうございます。
乗ってすぐ寝る時間の発車でしたね。
年末からは青函トンネルで新幹線の試運転が走るので運休の日が出来ますね。EH800も試運転が始まっています。




投稿者

特急燕

投稿日

2014年 9月18日(木)22時14分26秒

タイトル

質問、日本海モトとレールについて

いつも突然現れて質問する無礼、まことに申し訳ありません。
今回は日本海モトとレール(旧称モトトレイン)です。
某サイトによると、モトとレールに使用されたマニ50は青函トンネル開通後に登場したらしいのです。
しかし別の某サイトには1986年夏からモトトレインは運転しており、青函連絡船で航送していたとも。
両者は矛盾しています。

モトトレイン運転開始は何年なのでしょうか?御享受願います。




投稿者

赤まんと

投稿日

2014年 9月19日(金)20時54分14秒

タイトル

「MOTOトレイン」と「モトトレール」は別物です

特急燕さま初めまして。
ご質問の件について。
「MOTOトレイン」は国鉄末期、1986年夏季輸送から運行を開始するため、
尾久で余剰になっていたマニ50を改造したものです。
急行「八甲田」に連結され、青函連絡船で航送していました。民営化後はJR東日本に引き継がれ、青森に転出しました。
一方、「モトトレール」は民営化後の登場。
JR西日本が1988年夏季輸送から「日本海1、4号」に組み込み、青函トンネルを介し函館まで運行しました。

両車は使用目的は共通していますが別物で、サイトの記述に矛盾は特にないといえそうです。

余談ですが、「モトトレール」は「元が取れる」から採った、関西特有の洒落が語源と言われています。

以上、ごく簡単ですが、参考になれば幸いです。




投稿者

特急燕

投稿日

2014年 9月19日(金)22時17分43秒

タイトル

赤マントさん、ありがとうございます

やはり日本海モトとレールは、1988年夏つまり青函トンネル開通後に登場ですよね。連絡船での航送はなかった。
モトとレールが1986年登場との記事(Wikiに記載あり)は八甲田のMOTOトレインと混同、誤解したためでしょうね。

ちなみに名称ですが、「モトトレイン」は「元が取れん」に聞こえるために
「元が取れる」に聞こえる「モトとレール」に改称したそうです。




 
 
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