▼竹中様:
>
大江戸線の建設時に新幹線と東海道線の線路が移設され、
地下鉄建設も影響したとは、初耳でした。残った線路は、東京貨物ターミナル以北が
休止中との事ですが、何れは淘汰されるのでしょうか。この貨物線、汐留(貨)から
塩浜(操)までは1973年の開業との事。という事は、1964年の新幹線開業後も暫くは、
東海道線の旅客線と貨物線が、浜松町か田町の辺りで直接、繋がっていたという事?
▼XD1様:
TVで一瞥した線路は、枕木も雑草がびっしりで、幾らなんでも、営業路線でこれは
ないだろうけれど「微笑の国」は万事、大らかにも見えるしなぁ、などと勝手な事を
考えていたのでした。
============================================================================
昨日のNHK報道英語版で“Limestone
train back in service in
Iwate”と題した
岩手開発鉄道の運行再開の記事がありました。旅客営業を廃止して、既に20年近くが
経過した貨物鉄道が、外国人向けの報道で紹介される事は珍しいと感じますが、直接
津波の被害を被った区間が復活した事の意義が強調されているのでしょうね。
盛で接続する大船渡線は、先日申し上げた様に去就の狭間に揺れ、南リアス線も運行
再開の目処が立っていない中、孤立無援の運行再開という格好ですが、石橋の鉱山と
赤崎の工場の連絡を主務とする同鉄道にあって、盛での他路線との接続は、然したる
意味は無いのかも知れません。
同鉄道の旅客便は、四半世紀ほど前に、岩泉線とセットで「消化」しました。当時は
確か午前中に、岩手石橋と日頃市まで一往復ずつ、夕方に岩手石橋まで一往復という
内容だったと記憶します。
これ以上は簡便化できない、という作風が好感された
キハ202で、午前中の二往復に
試乗しましたが、貨物鉄道の軌道規格ゆえ、乗り心地は意外に良いのが印象的でした。
二往復目の日頃市では、キハが側線で折返しを待つ間、長大な貨物便同士が交換して、
なかなか勇壮な眺めでした。
趣味談義の掲示板には馴染まないかも知れませんが「東日本大震災からこうして避難、
そして大津波」という投稿動画で、下船渡〜大船渡と思われる大船渡線の線路敷地が
完全に津波に呑まれる様子が、克明に映し出されていました。改めて、今回の震災の
凄まじさを思い知らされた処です。 |