▼ED76 109様:
> 道は バス路線への転換を沿線自治体に提案することが
26日、分かった。
採算性も考慮すると、やはり、そうならざるを得ないのでしょうね。地元高校が来春
閉校予定とは意外でしたが、函館志向の通勤・通学需要は、上磯で大きく一段落して、
木古内までは、あまり及んでいない、という構図かと想像します。
============================================================================
長野電鉄屋代線に続き、十和田観光電鉄も来年三月末限りの廃止を正式発表しました。
新幹線と交差しながら、接続駅を持たない侭に廃止が取り沙汰される辺り、くりはら
田園鉄道に通じるものを感じます。
元々の敷設動機が、東北線と三本木(十和田市の旧称)延いては、十和田湖畔を結ぶ
発想である事から、路線距離が短く済む三沢起点を採用した節が窺えますが、人口が、
十和田より少ない三沢自体は、鉄道の起点としては、やや心許ない印象が否めません。
新幹線の経路から外れた事にも鑑みれば、一大拠点都市である八戸への直通がやはり
重要だったかと感じます。
例えば、下田から東北線に乗り入れる様な形態なら、六戸町の中心も網羅できますが、
旧国鉄が、東北線の様な主要路線で、ローカル私鉄との直通運転を認めたかどうかは
懐疑的ではありますし、八戸駅自体、中心街(八戸線の本八戸駅界隈)とは馬渕川を
隔てた「微妙な」位置関係にあるのは、少々悩ましいですね。
かつて八戸と五戸を結んでいた南部鉄道は、1968年の十勝沖地震による被災を契機に
廃止されました。今回の廃止決定と、東日本大震災との間には、直接的な因果関係は
無さそうですが、大地震の翌年という符合性に、因縁めいたものを感じます。
画像は、三沢駅に近い古牧温泉での撮影で、上段は宿泊部屋からの俯瞰です。構内で、
電鉄線と国鉄連絡貨物線が錯綜する「トワイライト・ゾ〜ン」状態は「鉄」な方々の
宿泊動機に、少なからず与していた事と存じます。この温泉旅館の創業者が、十和田
観光電鉄ゆかりの方という事もあり、廃止後も旅館構内だけは、モニュメントとして
これらの線路や架線柱を保全して頂きたい処です。
|