倶楽部メモ(682)
平成23年10月24日〜10月27日

「瀬戸」「あさかぜ」用24系25形 ・ 宮原車のテープ帯


投稿者 qewsad
投稿日 2011年10月24日(月)20時33分40秒
タイトル 1998年の24系25形
はじめまして、qewsadと申します。

1.1998年瀬戸客車時代の広ヒロと広セキの24系25形客車の配置を教えてください。
2.1998年瀬戸電車化に伴い24系25形客車の大ミハへの転属の詳細を教えてください。
3.上記の転属後の大ミハの24系25形客車の配置を教えてください。

ありがとうございました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年10月25日(火)00時03分43秒
タイトル もう一本の客車列車
 あと数日、毎日1回づつ投稿します。


 写真を撮りつつプラプラしていたら、バンコク方面、北側から列車が入ってきました。あれっ、この時間に?

 バンコク発で、このトランを経てカンタングまで行く列車でした。
この時点で12時半ごろ、午前10時半ごろの予定が約2時間の遅れとなったようです。

 1等車は無し。エアコン車は開放2段の2等寝台1輌のみ。あとはエアコン無しでした。食堂車はあります。
先日までにUPしたトラン終着の列車は1等車もありましたし、そちらの方がランクが高いようです。




投稿者 天津甘栗
投稿日 2011年10月25日(火)20時47分14秒
タイトル 98年の25形いろいろ
はじめまして、qewsad様。天津甘栗と申します。

私の手元に鉄道ピクトリアルの2007年7・8月号があり、そちらの資料を参考に書き込みます。
1.1998年瀬戸客車時代の広ヒロと広セキの24系25形客車の配置
広セキ
カニ24
103,105,
108

オロネ25
301〜305

オハ25
301,302

スハ25
301〜303

オハネ25
156,158〜171,174〜177,186〜200,203,205,207

オハネフ25
130〜133,136〜140,142,143,145,147,148,150〜153,301〜303

広ヒロ配置の車両は98年までに全車が下関に転属しています。

補足
1、カニ24-105は97年の項目までは下関配置が確認されていますが、98年の項目は宮原で廃車になっています。
  (宮原転属→年度末に廃車?)
2、オハネフ25の100番台の内、数両は300番台と同じ向きに方向転換されて連結されていた車両があったようです。
  (このサイトの過去の掲示板で同様の議論がされていました。)

2.3は後日追記します。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年10月25日(火)21時51分8秒
タイトル 「瀬戸」「あさかぜ」用24系25形について
初めまして。
qewsadさまからのご質問について、わかる範囲でお答えいたします。

1、の項目について;広島配置の24系25形は1994年12月ダイヤ改正で全て下関に転属しました。
ただし、どういうわけか元々下関に配置されていたオハネフ25のうち
133、137〜139、147、148は
「瀬戸」が廃止されるまで引き続き7号車限定で使用されました。
オハネフ25のうちカニ24と同方向に連結するよう引き通し改造を受けた車両は、130〜132です。
したがって1998年時点で広島には24系25形の配置はありません。

2、「瀬戸」廃止に伴う宮原への転出車両
・カニ24 103、108
・オハネフ25 131、132、145、153
・オハネ25 158〜161、164、167、169、175〜177、189、191、196、198、203、207
※オロネ25 301、305は12月に転出。
※オハネ25 159、169、177、189、203は1999年度内に廃車。198は2001年夏まで使用され同年9月廃車。

余剰廃車分
・カニ24 105
・オハネフ25 130、138、147、151、152
・オハネ25 156、166、190
・オハ25 301、302

天津甘栗さまのリストにあるオハネフ25 136、142、143は「トワイライトエクスプレス」改造種車捻出で
不足気味になった車両を補充する目的で、1990年に宮原に転属しています。
「瀬戸」「あさかぜ2、3号」へのスハ25組み込みで余剰になったカニ24 104、106、107も
1990年に宮原へ移りました。

3、「瀬戸」廃止後の24系25形配置状況(トワイライト用を除く)
・カヤ24 7、8、10
・カニ24 103、104、106、108
・オハネフ25 36〜40、42、43、46、47、131、132、136、142、143、145、153
・オハネ25 42、44〜46、48、49、54、56〜58、60、63〜66、68、
70〜79
 158〜161、164、167、169、175〜177、189、191、196、198、203、207、251、252
・オロネ24 6、102、103

下関から100番台が転入し、玉突きで1999年以降廃車された車両を以下に記します。

・カヤ24 7、8
・オハネフ25 36〜39
・オハネ25 41、44、48、49、54、56、58、61、65、68、70、72
※オハネ25 57は廃車を免れ「きのくにシーサイド」オハ25 57へに改造)
※カヤ24 10は検査期限が残り、2003年まで使用。(最終全検1997年6月)

これらは資料以外に、実際に駅で編成記録を取って調べたものです。
「瀬戸」最終日の編成記録や、それ以前の記録、0番台100番台混成の「銀河」編成記録等も手許にあります。
不明点、疑問点ありましたら、分かる範囲でまたお答えします。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年10月25日(火)22時24分36秒
タイトル 訂正があります
「瀬戸」「あさかぜ」用24系25形解説の中で、補足、訂正箇所があります。

・「瀬戸」「あさかぜ2、3号」7号車使用車両について
オハネフ25 133が抜けていました。オハネフ25 133、137〜139、147、148が正です。
(管理者注:訂正済です)
13号車、または減車時の9号車限定はオハネフ25 140、145、151〜153になります。

・3、「瀬戸」廃止後の宮原配置状況について
オハネ25 71が抜けていました。オハネ25 70〜79が正です。
(管理者注:訂正済です)



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年10月26日(水)00時13分17秒
タイトル もう一本の客車列車 2


1枚目、エアコン無しの食堂車



2枚目、エアコン無しの3等座席車。塗装を真新しくしていますが、中身は昔ながらのボロボロ。



3枚目、数分の停車の後、出発しました。



投稿者 天津甘栗
投稿日 2011年10月26日(水)09時32分54秒
タイトル 私も訂正があります。
天津甘栗です。
私も、昨日の98年下関配置の車両の書き込みで訂正があります。
カニ24-107は京都に所属していた車両で、108の誤りでした。(管理者注:訂正済です)

2.1998年瀬戸電車化に伴い24系25形客車の大ミハへの転属の詳細
3.上記の転属後の大ミハの24系25形客車の配置
については赤まんと様が詳しく書き込まれていたので、
私は大ミハ車について(どうでもいい話ですが…)の情報でも追加しておきます。

1、予備車のないオロネ25-300が検査で抜けるときは、京都のオロネ14-300が編成に加わった。
2、下関から転属してきたオハネフ25-100はスハ25のパンタ降下用ジャンパ栓が残されたままだった。
3、98年頃からステンレス帯に代わってテープの帯(銀色)を巻いた車両が現れた。
4、トワイライトエクスプレス用のカニ24が銀河や日本海に入ることもあった。
(98年当時にそのような運用があったのかはわかりませんが…)
5、オハネ25-251,252はオハネ15からの改造車。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年10月26日(水)22時12分12秒
タイトル あまり知られていないこと、あれこれ
天津甘栗さまご指摘の通り、オロネ25 300は2両のみ宮原に転出し、予備車がありませんでした。
このため1998年9月に京都のオロネ14 300に対し引き通し改造工事が行われ、24系と混成が可能になりました。
合わせてオロネ25 300に空気清浄機が取り付けられています。
宮原の24系25形の銀テープ帯化第1号は、1997年9月全検のオハネフ25 43と思われます。
このとき、帯処理がオハネフ24に似たものになりました。

オハネ25 250番台は「銀河」運用主体で、「日本海」にはあまり使われませんでした。

「トワイライト」カニは1998年当時も変わらず「銀河」「日本海」組み込み運用だったはずです。
逆に、検査時期が重なったり、不具合発生時は、カニ24 100番台が「トワイライトエクスプレス」に組み込まれることも
まれにありましたが、残念ながら私の編成記録には残せませんでした。

京都のカニ24も予備がなく、検査時は宮原のカニ24 100がピンチヒッターに立ちました。

大阪口の夜行列車については、友人が折を見て記録を取って送ってくれるため、12年間で550本強の記録が手許にあります。
東京、上野口夜行列車については、ここ15年で4900本強まで記録がたまりました。
カマよりも、その後ろに連なる客車がとにかく好き。
自分では写真は撮らず、ひたすら車番ばかり追いかけてきた極め付きのカワリモノです。

「瀬戸」用車両や廃止後の宮原配置状況についての話題が出るのは、
3日後に迫ったトミーリニューアル「瀬戸」発売と、来年春発売が予告された「日本海」が影響しているのでしょうか?



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年10月27日(木)00時04分20秒
タイトル トラン駅前のSL模型
 とゆーことで、トラン駅構内で写真を撮った後、駅から出ました。

 駅前にこんなんが有りました。本物ではないと思いますけど、なかなかにカワユイ。




投稿者 天津甘栗
投稿日 2011年10月27日(木)08時48分23秒
タイトル 宮原車のテープ帯
赤まんと様。私もJR九州の14系に乗った際、各車に個性が出ている姿に衝撃を受けて、
それ以降は写真よりも編成の車番や、1両1両のマニアックな変化を見つけることを楽しみにしていました。

宮原のオハネフ25のテープ帯は形態が豊富ですね。
0番台の車両が、100番のように帯が2本とも前面にまわり込んでいる車両もあれば、
反対に100番台の車両が、0番台のように下部の帯が前面までまわり込まず、
車掌室の下で切り取られていた形の車両も出てきたような気がします。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年10月27日(木)16時02分20秒
タイトル 洪水
▼XD1 様:

洪水の影響は如何ですか? 一昨日 TV報道で、水没しかけた郊外地を行く気動車の
映像が紹介されましたが、ナレーション、テロップ、共に「電車」となっていた点が
妙に気になりました。英語報道で「チェーン・サプライ」「ディスラプション」等の
言葉がやたら飛び交うのを見るにつけ、東日本大震災の時もそうでしたが、国際的な
分業制を脅かしかねない、地球規模の異変を感じるこの頃です。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年10月27日(木)21時44分19秒
タイトル いずれは陽の目をみることがあるかと
未だにカメラを買ったことがなく、デジカメさえ持たず、ただただ地味に地味に編成記録ばかりを取り続けてきました。
ブルトレそのものの消滅が取りざたされるようになれば、編成記録に興味をもつ人も出てくるかもしれないなあと思いつつ。
こういった場で多少でも自身の記録が役に立つのであれば、取りためた甲斐もあろうというものです。
画一的で面白みに欠けると言われた14系、24系も末期には検査施工担当工場の合理化からか、
車両ごとに細かな形態差が見られるようになりました。
近年その形態差が注目されるようになってきたのは、なかなか喜ばしく、痛快に思っています。
今回の話題は西日本の車両でしたが、東日本、とくに青森の車両はさらに独特な改造修繕が行われています。
記録にとどめるのは今のうち、待ったなしといえます。

最後に。
宮原のオハネフ25で、銀テープが全面に回りこんだ車両はオハネフ25 43と47です。
0番台のように車掌室下あたりで帯をカットした車両はオハネフ25 132で、1999年の全検でこのような処理になりました。

1995年1月に起きた阪神淡路大震災の影響で、鷹取工場も被害を受けました。
オハネフ25 136は当時鷹取工場で全検予定でしたが、松任工場で全検を受けました。

2005年4月の福知山線事故の影響が多分にあると思いますが、
この年全検時期を迎えたオハネ25 71、75などは網干ではなく、下関で全検を受けています。

組織改編により、「幡生工」の全検表記が「下関部」に変わったのは1995年10月以降。
サボが黒地のオリジナルに切り替わったのは1996年8月以降です。

「瀬戸」「あさかぜ」にカニ24、スハ25の2種類の電源編成があることは記すまでもありませんが、
スハ25を組み込みながらも、カニ24給電で運転したことが何度かあります。
スハ25不具合なのかどうかは定かではありませんが、ビコムのDVDに少し映ったものがあります。
これは実際に1998年に編成記録を取りましたので、ご希望であれば機会を改めご紹介します。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年10月27日(木)23時09分46秒
タイトル 五稜郭・木古内旅客営業終了?
おばんでございます。「ED76109」でございます。

 本日の北海道新聞の一面に、「北海道新幹線」新函館開通時の「JR江差線」の扱いについて、
以下のニュースが報道されました。


 2015年度の北海道新幹線新青森−新函館(仮称)開業に伴い、
JR北海道から経営分離される並行在来線の江差線木古内−五稜郭間(38キロ)の旅客輸送について、
道はバス路線への転換を沿線自治体に提案することが26日、分かった。
収支予測を踏まえ、バス転換が道と沿線市町による公共負担がもっとも少ないことから最善と判断したとみられる。
31日、函館市内で開催する道と沿線自治体の函館、北斗、木古内の3市町でつくる協議会で伝える。

 道はこれまでの協議で、第三セクター方式による鉄道維持やバス転換など5方式の収支予測を提示。
鉄道の場合、初期投資も含めた30年間の公共負担額は69億5千万円、毎年の赤字額の累積が40億6千万円となるとし、
バス転換の場合はそれぞれ15億9千万円、1億7千万円との試算を示している。


 但し、「貨物輸送の重要性」から「貨物専用線」としての存続を模索していることも、併せて発表されました。
「木古内」は地元の木古内高校が閉校をすでに決定しており、
沿線の通学生からは「バスはいやだ!」の女子高生のコメントも・・・。
「北斗市(旧上磯町)長」からは、「廃止ありきの道の発言は許せない。
今後は旅客営業の存続を強く働きかけていく。」とのインタビューが流れました。


 以上、「戯言」情報でありました。



投稿者 きむたお
投稿日 2011年10月27日(木)23時15分24秒
タイトル マニ50とミハ24系
みなさまこんばんは。
宮原24系の話題、楽しいですね。赤まんと様の1台1台の詳細な調査にはいつも頭が下がります。

さて、T社のNゲージでマニ50「モトとレール」(3文字目は平仮名なのが重要ですよね!?)の発売が発表になりましたが、
富山にいる妻に連絡して、私の最も古い時期の記録になるマニ50組込みの編成データを知らせてもらいました。

1992/8/3、4001レ、日本海1号
EF81 102
(1)オハネフ25 39
(2)オハネフ25 32
 (3)オハネ25 85
 (4)オハネ25 91
 (5)オハネ25 72
 (6)オハネ25 66
 (7)オハネフ25 47
 (8)オハネ25 82
 (9)オハネ25 81
 (10)オハネ25 75
 (11)オハネフ25 28
   カニ24 107
   マニ50 5001


*ついさっき知ったのですが、オハネ25 91はオハネ25大窓車のラストナンバーなんですね。
*カニが100番台なのがある意味編成美を盛り上げている気がします(^^;)
*また、寝台車が全車0番台というのが往時の「日本海」らしくて良いですね。
末期のミハ日本海は100番台が多く混じっていましたが、
やはり「日本海」は0番台でないとしっくり来ないのが今、30代後半である私の思いですです・・・。



 
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