倶楽部メモ(671)
平成23年 8月16日〜 8月18日

富山雑考・田刈屋信号所 ・ 「SLレトロ碓氷」・横川の客車


投稿者 きむたお
投稿日 2011年 8月16日(火)21時03分20秒
タイトル 8/13・14の日本海
ご無沙汰しております。

さて、先週は日本の本社での出張(会議)とお盆の帰省を兼ねて6日ほど富山に行って来ました。

で、13日と14日の朝は久々に「日本海」に会ってきました。



1.2011/8/13、4002レ
EF81 107
オハネフ24 21
オハネ25 147
 オハネ25 215
 オハネフ24 8
 オハネ25 220
 オハネ25 216
 オハネフ25 117
 オロネ24 4
 カニ24 511


*EF81の「↑」は屋上抵抗器カバーのある向き
*オハネフ24、オロネは白帯、他は金帯。
*オハネフ24 8のみ形式番号表記白文字。



2.2011/8/14、4002レ
EF81 44
オハネフ24 7
オハネ25 210
 オハネ25 152
 オハネフ24 23
 オハネ24 51
 オハネ25 151
 オハネフ24 27
 オロネ24 2
 カニ24 23


*EF81の「↑」は屋上抵抗器カバーのある向き
*EF81は「トワイライトエクスプレス」色。
*24形は白帯、25形は金帯。


▼ 雑魚様
猛暑に関する心遣い、ありがとうございます。
確かに上海は非常に蒸し暑いです。でも、今回帰省時の富山も暑かったでした(+_+)
また、別投稿で報告しますが、休み中に訪問した群馬も熱くて暑かったです(笑


写真は上が8/13、下が8/14で、いずれも富山−呉羽にて。久々にここで撮ると背後の新幹線の高架が異様です・・・。



投稿者 きむたお
投稿日 2011年 8月16日(火)21時37分48秒
タイトル 8/12 信越線客車列車
引き続き。
友人に依頼し、8/12の「SLレトロ碓氷」〜「DLレトロ碓氷」の指定券を確保してもらいました。

久々の日本の客車、しかも旧型客車で1ヶ月前からこの日を楽しみにしていました(^^)

2011/8/12、9135レ〜9136レ
↑C61 20
スハフ32 2357(6)↓
オハ47 2266(5)↑
 スハフ42 2173(4)↑
 オハ47 2261(3)↑

オハ47 2246(2)↑
オハニ36 11(1)
DD51 842

・横川行きが9135レ「SLレトロ碓氷」号
・高崎行きが9136レ「DLレトロ碓氷」号

*客車の「↑」はWCのある向き。
*C61は客車側がテンダー。
*オハニ36はDD51側に荷物室。

復活したC61の大きさも感動でしたが、ピッカピカに整備された客車が最高!!
私にとって、やはり機関車は客車のおまけでしかありません(^^)
編成はオハニ36の荷物室を端に寄せた整った姿で、
中間に挟まったスハフが付属編成と基本編成の連結部みたいで良い味を出していました。
乗車は往復ともにオハ47 2261でしたが、背もたれにあるセンヌキを使用してみるなど、
今まで雑誌などで仕入れた知識の現物確認をしたりして充実したひと時をすごせました。
なお、大好きな客車に乗れば冷房なんか無くたって暑さは忘れるだろう、と思っていましたが、
すごく暑くて、水分補給が欠かせませんでした(^^;)

さて、今回、これらの客車で一番驚いたのは自動で閉まる扉です。
家庭用みたいなドアクローザがドア上部についていて、
全開状態で吸着している電磁石をオフにすることで自動で閉まるような構造みたいですが、
高崎駅から出る回送列車のドアが一斉に「バタンッ!」と閉まるのは「銀河鉄道999」の客車のようで奇妙でした・・・。

写真は上から、



1.高崎駅に到着した9136レの編成。側灯があるのがちょっとなじめません・・・。



2.ドア部に仕込まれた施錠のための配線。



3.横川に停車するC61 20先頭の編成。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月17日(水)09時47分51秒
タイトル 信越線情趣
▼きむたお様:
> 久々にここで撮ると背後の新幹線の高架が異様です…。

風景から推すに、隧道西側の長岡地区からの撮影でしょうか。だとすると、新幹線は
日本海側を並行する事になり、呉羽山公園からの御約束の展望でも、北陸線の撮影は
妨げられずに済みそうですね。もっとも、北陸新幹線の開業後は、並行在来線の処遇
次第で「日本海」「トワイライト」が淘汰される可能性は、少なくないと思われます。

> 高崎駅から出る回送列車のドアが一斉に「バタンッ!」と閉まる

扉が自動化されたくらいですから、便所では当然、タンク対応なのでしょうね。今時
垂れ流しでは、沿線住民から苦情が出かねませんし。

----------------------------------------------------------------------------

横川〜軽井沢が廃止されて以来、信越線のイベント列車が、高崎〜横川のみの運転に
限定されるのは止むを得ませんが、碓氷川の谷が極まり、難所を喘ぎ登った先に突如
高原の風景が広がる劇的な車窓風景にこそ、信越線情趣の真骨頂を感じる私としては、
やはり、もどかしさは否めません。

そう考えると、しなの鉄道の、湘南色 169系による「リバイバル信州」モドキにこそ、
往年の風情を選り感じる処。一時「妙高高原越え」イベント便にも動員されましたが、
保安設備上の理由で、今夏からJR区間への直通が不可になったとの事。一大要衝の
長野を目前に入線できないと云うのも、実に中途半端な話ですね。

長野電鉄では、上記の「信州」と多層建を組んだ「志賀」の経路に供された屋代線を
今年度限りで廃止すべく、国交省に届出を提出しました。同電鉄は元々、県都始発の
本線ではなく、信越線と千曲川東岸域(松代・須坂・小布施・中野)を、渡河無しに
連絡する旧河東線が嚆矢である事を思うと、歴史の皮肉すら感じられます。

この際、来年で開業90周年となる同路線の歴史に敬意を表して「リバイバル志賀」を
上記 169系で運転して欲しい処ですが、物理的な制約があるなら「ゆけむり」による
ラッピング列車「モンハン特急」の延長感覚で、元 NEX「スノーモンキー」を動員し、
松代(国連特務機関の第二実験場が所在)ゆかりの「汎用人型決戦兵器」描写による
惜別企画を密かに期待する雑魚でした。

そっちの世界に、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ………(^^)



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 8月17日(水)14時15分48秒
タイトル Berlin Phil? oder-----
ED76109先生:教え子の方でフルートの名手の方はベルリンフイルですか?
ウイーンに日本人がいたかな?で多分ベルリンかと。(小生が一番好きなオーケストラです)
きむたお様の領分ですが、ベルリンフイルが高岡の老子製作所の鐘を使っていますね?
「幻想交響曲」用に、故カラヤンが音を気に入って注文したとか。
呉羽山のトンネルは呉羽駅側ですか?あそこは電化時に新しく掘り変えたトンネルですね?
富山側なら昔の田刈屋信号所の所が撮影場所の一つでしたが。



投稿者 きむたお
投稿日 2011年 8月17日(水)21時33分34秒
タイトル 「日本海」の撮影場所と横川の客車
▼ 雑魚様、マロネロ38様
コメントありがとうございます。
先に投稿した写真は呉羽山の東側(富山より)になり、マロネロ38様のおっしゃる、旧田刈屋信号場の辺りでの撮影であります。
田刈屋という地名を地元の方以外が使うことは珍しい印象ですが、私はその田刈屋にある小学校を卒業しており、
1981年の入学から〜1987年の卒業まで北陸線、高山線の列車を眺めて生活していました。

雑魚様のおっしゃる呉羽山からの俯瞰は残念ながら新幹線にはばまれ、在来線は見えない位置になります・・・。
また、呉羽トンネルは現在の下り線は電化時に新規掘削、上り線は改築したもので、
今でも、上り線の富山方にはレンガ・石積みのポータルの一部が残っています。


さて、話は変わりまして、去る8/12はレトロ碓氷の折り返し待ちの間に横川の保存車を眺めてきました。
今回は一部の車内が公開されており、冷房の効いた「くつろぎ」のスロフ12車内に妻と娘を待たせ、
猛暑の中、軽量客車を堪能してきましたので、写真を紹介します。



1.ナハフ11 1の車掌室
 古い写真などで妻窓から見える手ブレーキハンドルを触りたかったのですが、
残念ながら軸だけが残ってハンドルそのものはありませんでした。



2.オハネ12 29の空調室内機
 ついにAU14の室内機をじっくり拝むことができました。
思えば。中学生時代にRJ別冊「客車列車1984」に掲載された「山陰」のオハネフ12の同空調装置の写真を見て以来、
一度は見たいと思っていたものです。
(以前、高崎に留置されていたころにも見せてもらっているのですが、あまり記憶にないのであります・・・)
 なお、同車や先述12系の空調室外機はカバーで覆われており、その姿を見ることはできません。



3.オハネ12 29室内
 当日はカンカン照りの太陽の下、冷房が入らない「ナハネ11」状態の室内はまさに蒸し風呂状態でした。
それでもあこがれの10系寝台車の車内からはなかなか出られずにウロウロしていました(^^;)



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月18日(木)09時34分12秒
タイトル 富山雑考
▼きむたお様:

あ、そうか。上り「日本海」を後追いで撮っているので、奥が大阪寄りになりますね。
逆方向と勘違いしていた様で失礼ました。そうなると、呉羽山から俯瞰する北陸線は、
新幹線の高架に、完全に阻まれる訳ですね。

小学校御入学が1981年との事ですから、その前年に廃止された富山地鉄射水線の事は、
ある程度、御記憶かと思います。北陸線と高山線の分岐箇所を築堤仕様で跨いでいた
射水線の跡は、呉羽山からも、良く見渡せますね。私自身、現役時代に通過した事が
ありまして、当時、北陸線の主流だった旧客便との「夢の共演」シーンもあったかと
存じますが、雄大な北アルプスを背景に、そうした様子を捉えた写真は、残念ながら
見た験しがございません。

射水線はかつて、富山市内線を介して富山駅方面に直通しており、上記分岐点付近の
中学から、路面電車が行き交う富山大橋に近い、神通川河畔の高校に進学した知人に
色々と伺うも、直通運転自体は、知人が生まれる以前の1961年に廃止されていました。

この高校と南富山駅付近の高校、そして高岡「藤子不二雄A」の母校が「御三家」と
聞きますが、富山市内の二校では、学区分けが見当たらないのに、同格の進学実績を
誇る辺り、どの様に棲み分けているのか、地理好きとしては気になります。

少々ブレ気味ですが、画像は、富山市役所の展望台から見た富山大橋です。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 8月18日(木)11時05分28秒
タイトル 田刈屋信号所
きむたお様
「日本海」は田刈屋側からでしたか、地名ですが私は仕事とプライヴェートの両面で
富山地方とは約半世紀往来していました。
それで田刈屋信号所も、岩峅寺(いわくらぢ)、下立(おりたて)、開発(かい
ほつ)、石動、砺波、四方(よかた)などの難読駅名も解ります。

雑魚様の「射水線」も一度富山の西町から新高岡=現高岡駅前まで5000系に乗り通し
をやり、流石にへとへとになりました。新富山駅と国鉄富山駅が神通川を隔てていたので、
一番近道が、富山口で下車して真っ直ぐ国鉄富山駅へ向かう乗客が多いので有名?
でした。

新富山駅の配線が、旧越中鉄道駅がコの字型行き止まりで、市内直通は横を勾配付きで
8号線まで上がって、直通電車の客扱いは路面停留所でした。中途半端な新産業都市
計画でぶちきられて、フェリー連絡ですっかり利用者が減って廃線は何だか不合理な
結果です。



投稿者 ミキスト
投稿日 2011年 8月18日(木)11時57分49秒
タイトル 田刈屋
雑魚様,きむたお様,
当方は70年代中盤にきむたお様と同じ小学校に通っておりました.通過する列車が時計代わりでした.
校歌に「あしたの汽車の通る頃,胸のヒバリが歌いだす♪・・・」とありましたっけ.
北陸線はレールもよく高速で通過して行きます.高山線は細いレールでジョイント音も甲高く,ゆっくりした速度でした.
金沢から来る「急行のりくら」は北陸線では結構な速度で富山駅に驀進していくのですが,
暫くして折り返して高山方面に向かうときはうって変わってゆっくりとカーブしていくのが面白かったですね.
そしてその上を射水線がモーター音を残して築堤を上っては下りていきました.
豪雪では坂を上りきれなくて再チャレンジすることもありました(笑).のんびりした夢みたいな頃です.
高校は雑魚様の御友人と同じ神通川沿いでした.
射水線の市内線直通に関してですが,廃止の直前の1〜2年間復活したんですよ.
市内線から分岐して新富山駅に向かう軌道はいつも気になっていたので,復活したときは軽く興奮したものです.
しかし射水線への合流点が新富山駅の終端ホームよりも四方寄りであったため,
市内線からの直通電車と新富山発の電車の発着ホームが別れる事になり,
直通電車用は市内線から分岐した直後にプレハブ小屋の待合室を設えた新設ホームとなり,
利用者からは次の電車は上のホーム,下のホーム?・・と判りにくく不便だったようで,
増収には繋がらなかったとのことです.
海までのんびりと走る電車,大好きしたよ,射水線.



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 8月18日(木)12時42分40秒
タイトル 雑魚さま
 レス遅れてしまいました。
こちらタイでは確かに暑いのですが、雨季の今、良い感じで雨も降っており、
まあこんなもんかいな、慣れてまっせ、と言う感じです。
ネットのニュースでは、むしろ日本の方がしんどい思いをされている方が多いような印象です。
今年の日本は天候、電力ともに特別な事情がある為なのでしょうが。

 さて鉄道ネタですが、だーーーいぶ前、タイの南部の鉄道は事故などで悪い状況だと書きました。
記事のリンクをメモするのを怠ってしまい、ここの記事をここの紹介する事は出来ませんが、
その後も良くないニュースを目にしています。
1ヶ月先、9月半ばにはまたハジャイに行く予定もあるのですが、
どうかなぁ、予算や日程もあるのですが迷っています。

 一方に置いて、首都バンコクの比較的新しい電車は、頑張っているようです。

http://www.newsclip.be/news/2011816_031777.html
バンコク高架電車BTS、延伸区間開業で乗客10%超増加

http://www.newsclip.be/news/2011817_031791.html
バンコク高架電車BTS、1日の乗客数が初の60万人超



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月18日(木)16時50分49秒
タイトル 更に富山雑考
▼ミキスト様:
> 当方は70年代中盤に きむたお様と同じ小学校に通っておりました。

奇遇ですね。高校が神通河畔という事は、2002年に「ノーベル化学賞」を受賞された
島津製作所の方と御同窓か、または卒年が近いのではと、拝察します。この方も日々
通勤の際に、電車の「前面展望」を日常的に楽しまれる様な「鉄」だったそうですね。

>「あしたの汽車の通る頃,胸のヒバリが歌いだす♪…」

北陸線 沿線ですから「ヒバリ」ではなく「雷鳥」や「白鷺」と歌うべきでは?(^^)
私の所は、創立百周年記念歌に「橋の下には続いて行くレイルウェイ」という一節が
ありまして、該当する水郡線では、気動車に混じり、那珂川貨物駅発着の貨物列車が、
曲線部分で軋みながら、ゆっくり通過しておりました。

> 金沢から来る「急行のりくら」

兄弟分の「ひだ」も1985年まで金沢に直通しましたね。その後、急行「のりくら」が
特急に集約されるまで、飛騨古川以北の特急は、名鉄直通「北アルプス」のみでした。
こちらは、夏期限定ながら、富山から先では、地鉄を立山まで乗り入れていましたね。
急行「むろどう」を踏襲した措置でしょうけれど、名鉄特急が、高山線経由で地鉄に
直通するなど、木曽川の併用橋の風情を含めて「古き良き時代」の趣でした。

一方「ひだ」との比較において、短絡経路でエンド交換も無いのに、所要時間が殆ど
一緒で、新幹線乗継割引や岐阜での乗降需要に与らない分、反って不利になりかねず、
名鉄のローカル色が垣間見える様で、御愛嬌でした。

> 利用者からは次の電車は上のホーム,下のホーム?…と判りにくく不便

統合に向けた、過渡期の広島電鉄の「広電西広島/己斐」に通じるものを感じますね。

射水線は、郊外線とも軌道線ともつかない仕様の電車が印象的でしたが、同じ 600V
仕様の笹津線も同様の雰囲気でしたね。こちらの富山市内線への直通は、1967年まで。

その笹津より南側の高山線では、急に谷が深まりますね。かつては神岡鉄道が接続し、
運転管理上の拠点たる印象があった猪谷も、元々、周辺人口がかなり少ない事もあり、
今や、JR管轄の境界に伴う乗務員の交代が無ければ「ひだ」が停車する必然性すら
覚束ない印象ですが、一昨年までは、JR東海の乗務員が富山まで通し乗務したとか。

猪谷〜杉原では、宮川の水力発電施設所の関連と思しきインクライン軌道が、高山線
列車から一瞥できますが、長期不通を招来した2004年の水害が、影響しているか否か、
永らく気になっています。



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから