失礼致します。「ED76109」であります。
先達の皆様方の北九州に係るお話で盛り上がっておりますが、
小生いつものように「夏季休暇」が1日だけ取れましたので(休み無しの方々には大変恐縮ですが・・・)、
いつものように「乗り鉄」報告をさせていただきます。今回は「常紋峠」を再訪しました。
1 朝一番の「183系のオホーツク1号」で、先ずは「北見」へ。
「道内フリーきっぷ」ではなく、「列車指定のRキップ(オホーツク1・7号及び同2・8号のみ、
11,500円也でかなり安価)」であったために、「北見」で「金華」までの乗車券を購入。
さて、「金華行DC」の改札時に、小生のきっぷを眺めた改札の駅員氏には「金華の折り返しは15分程度ですから・・・」
と言われてしまいました(どうやら「乗り鉄」の扱いには慣れているご様子)。
運用の関係で「2両編成(キハ40+キハ54)」に「5人」の乗客が乗り込み、一路「常紋峠」の麓へ。
全開の窓からは「32℃の生暖かい風」が吹き込み、あっという間に「金華」到着。
残暑厳しき、周囲を深緑の山々に覆われた無人駅に降り立ったのは、小生を含めて「4人」でありました。
小生、周辺の散策と「常紋トンネル慰霊碑」見学を兼ねて、1時間半ほど逗留する予定だったのですが、
「お客さん、先週近くで熊(!?)が出たから、折り返した方がいいど。」との運転士氏の一言で駅舎やフォーム散策で終了。
僅か15分の「金華」参りでありました。
2 1もあって、山間の交換駅の雰囲気を堪能した後、早々に「DC」に引き揚げ、運転士氏と懇談と相成りました。
ベテランの運転士氏は、「鉄旅人」には慣れているのか、「常紋峠」に纏わるお話を・・・。
「先輩から聞いた話だども、よく、トンネルの壁に『死んだ人夫の顔』が出るって言うけど、あれは嘘さ。
丁度、夜行だと夜中に峠越えるべ。ウトウトしていると、自然にブレーキが掛ってはっとする。
無線で『何かあったか』って聞かれだら、本当のことは言えねぇべさ。
だから『幽霊が・・・』ってことになるわけさ。」と運転士氏はにやり。
小生、「運転士さんは、幽霊は見たことあるのですか。」と尋ねたところ、「一度だけ」とにっこり。
どうやら、件のお話は「先輩ではなく、ご自身の体験」のようでありました。
その後、折り返しの「DC」で「北見」にとんぼ帰り。
交代された「北見」で「気をつけて」と一声掛けられ、愉しい一時を過ごせました。
3 小生とともに「金華」に降り立った「3人」は、「名古屋」からの「鉄御一家」。
木造の駅舎や駅名表、フォーム等のスナップを撮られた後、「暑い、暑い」を連発して車内に・・・。
小学3年生と幼稚園年長のお子さんと3人で、道内を一週間かけて回られている「大曽根」のサラリーマン氏とのこと。
「ボクたち、何が一番おもしろかった?」と2人のお子さんに尋ねると、口を揃えて「(新幹線の)はやぶさ号」。
父親氏は「僕らの世代だと、『八甲田』だとかは臨時レだったし、
『北斗星』や『トワイライト』は大抵満員で乗れませんでしたから。」と、「PC」には御関心が薄いご様子。
しかし、40年前に「鉄」親父とで初めて渡道した小生の想い出が、
2人のお子さんを眺めていると自然と思い返されました。
御一行は「上相ノ内」で「(上りに)乗り換えて、『旭川』まで戻ります。」と下車。
「おじさん、バイバイ!!」と手を振る2人のお子さんに、「今度は新幹線で札幌までおいで。」とこちらも手を振って、
今生の別れを惜しみました。
4 旅の最後は、「生田原」で下車して駅近くの「ノースキング」という「第3セクター」経営の「温泉ホテル」で
一風呂浴びて、地元の牛肉に舌鼓を打ちました。
すると、レストランには「タマネギ列車」を牽引する「DD51」の雄姿が壁一面に。
聞けば「峠で写真を撮られる鉄道ファンの方がよくいらっしゃいますよ。」とのこと。
カウンターには、「レイルマガジン」や「国鉄時代」などの「鉄」雑誌も見られ、
「鉄」に優しい姿勢が小生に嬉しく思えました。
さらに去り際、今回はお忍び旅だったのですが、
フロントの女性に「ひょっとして、遠軽高校の先生だった方ですか?」と声をかけられ感激。
聞けば、お子さんが通学していた頃の保護者だったとのことで、
「オホーツク8号」が到着するまでの間、想い出話に花が咲きました。
今回は「遠くへ行きたい」の雰囲気を感じながらの「鉄旅」を満喫できました。
特に、「生田原」の「ノースキング」は、洋風のホテルの雰囲気で「常紋峠訪問」の拠点には便利なところです。
今年で廃止が検討されている「タマネギ列車」。晩秋の峠は、紅葉に映える「DD51」の姿が一際光ります。
どうぞ、「撮り鉄」の先達の皆様、最期の「DD51」の姿を撮りに「常紋峠」へ。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |