おはようございます。「ED76109」であります。
「SG1A」様
>客車列車と言っても京都駅近くで生まれ育ったので山陰線の旧客の思い出しかありません
「南国しおさい」様
>祖父母に連れられて門司からよく山陰本線の客車列車によく乗っていました
小生が高校生〜大学生だった昭和50年代の中後半、幾度と無く「山陰本線」の旧客に惹かれて足繁く通ったものでございます。
特に、「250q」以上の運転区間を持つ「猛者」が数多く走っておりましたので、時刻表と首っ引きで「制覇」。
「京都」からの朝一の「浜田行(833レ)」や「出雲市行(835レ)」、
「大阪」からの朝一の「出雲市行(721レ)」の最後尾の「ハフのボックス」に陣取って、
「福知山」や「豊岡」、「米子」等で付属編成が切り離される度に、バッグ片手にウロウロしておりました。
「豊岡」からの「門司行(831レ)」、有名どころだった「門司」からの「福知山行(824レ)」も
ほぼ1日かけて「乗りつぶし」ましたですね・・・。
昭和59年の改正で「旧客」から「レッドトレイン」に置換されるとともに、何本かの「猛者」が鬼籍入りしてしまって・・・(滂沱)。
締めは「出雲市」からの「下関行(827レ)」。
そして、「関門海峡」を眺めながら「下関」や「門司」から「さくら」や「はやぶさ」で帰京というのが、小生の想い出であります。
四季折々の日本海、遠くに中国山地を望む甍の並ぶ町並み、そして穏やかな物腰の心優しき人々。もう30年経つのですねぇ・・・。
先達の皆様方の仰るように、もう一度「旧客レ」に揺られてみたいものです。
長々と失礼致しました。以上、最近の時刻表を眺める度に「回顧主義」に浸ってしまう「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |