倶楽部メモ(660)
平成23年 7月 2日〜 7月 8日 |
蒸機列車の併走 ・ マレー鉄道乗車記
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2011年 7月 2日(土)16時29分8秒 |
タイトル |
蒸機列車の併走 |
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車を運転しながらラジオを聞いた程度の話なので、残念ながら映像は見損ねましたが、
本日、観光キャンペーンの一環として、高崎から上越線と信越線に向け、蒸機列車が
同時発車する一幕があったそうですね。
資料を改めると、水上行が、C61・C57の重連+「ばんえつ物語」用12系、横川行が、
D51+12系+EF64のPP編成で、後者は往路「SLググっと群馬碓氷」復路「EL
ググっと群馬碓氷」を名乗ります。明日は、D51+C57が「ばんえつ物語」用12系を
牽いて、水上まで往復する予定との事。
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分岐駅を利用した蒸機列車の併走は、数年前に会津若松でもありましたね。どちらも
駅から分岐点まで
1km前後ありますが、会津若松での国道49号線宜しく、併行区間を
俯瞰できる陸橋が、高崎には無い様で、三脚組の皆さんは、臍を噛んだ事と思います。
上・信越線の分岐点は、信越線から上野に直通する特急・急行と、上越線下り便との
干渉を防ぐ為、信越線の高架上り線が、上越線の上下線を跨ぐ格好ですが、信越線の
定期列車が、高崎〜横川の各駅停車のみとなった現在、上記の高架上り線は、普段は
安中発の貨物便が通過するくらいなのですかね。
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蒸機列車同士と
少し趣が異なりますが、奥羽線が新庄まで広軌化された後「つばさ」
上り便と、陸羽東線の蒸機列車との併走もありました。南新庄付近までの並行区間は
5km以上に及ぶ為、さぞ
壮観だったと思いますが、走行機能差に鑑みて「つばさ」は
手加減による臨時ダイヤだったのでしょうか。
新庄以北の列車が「こまくさ」廃止以降
701系に統一され、閑散区間の趣が強まる中、
分水嶺を越える事情もあって、旅客流動が最も小さくなる、県境の及位〜院内に限り、
複線化されている事に、益々、違和感を覚えます。
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以前、言及した様にも思いますが、中央線上松では、王滝森林鉄道との、確信犯的な
蒸機同士の競争もあったそうで、勝負に熱くなる余り、分岐点の曲線を失念していた
林鉄側の機関車が脱線転覆、乗務員が重傷を負うという事故もあったそうですね。
状況が許すのであれば、白石・沼ノ端・岩沼・松岸・新潟・甲府・松本・小諸・豊野・
福知山(宮福線側)肥前山口・大分(豊肥線側)八代でも「夢の競演」を、実現して
頂きたいものです。 |
投稿者 |
仙コリ |
投稿日 |
2011年 7月 2日(土)23時57分16秒 |
タイトル |
Re:蒸機列車の併走 |
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雑魚様
私も情報は知っていましたが、本日だったのはすっかり失念しておりました。
蒸気機関車3両ぶんのドラフト音はきっと迫力があったでしょうね。
会津若松での並走は一度列車内で経験しましたが、大盛り上がりでした。
こうなったら地元郡山で3列車並走を実現できないものかと考えてしまいました。
距離は数百メートル程度で1本線路をはさんでしまいますが、磐越西線・東北本線下り
磐越東線という形で可能であると思います。
走行実績等を考えると磐越西線にはD51・磐越東線にC11で、東北本線にはC61か
C57でしょうか?
いつの日にか震災復興記念等で実現することを願ってしまいます。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2011年 7月 3日(日)09時33分12秒 |
タイトル |
鉄雑感あれこれ |
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おはようございます。「ED76109」であります。
雑魚様及び仙コリ様
>高崎から上越線と信越線に向け、蒸機列車が同時発車する一幕
昨日の正午のNHKニュースで、報道されておりました。
「高崎」は「鉄」の先達の皆様方がフォームに繰り出して、警備員が規制するといった大盛況。
「D51牽引」の12系横川行と、「C57」と「C61」の重連競演による「ばんえつ物語号仕様12系」の水上行が、
長笛一発で黒煙を上げながら同時出発・・・。
小生、見とれていたところ、愚娘が一言、「パパ、震災の節電策がこの電車なの?」。
まあ、訪問して「乗り鉄」は無理でありましょうが、多くの「鉄」の先達の方々で上州が賑わってほしいものであります。
さて、今回はTVニュースで感じた「戯言」を少々申し上げます。
1 当地のオホーツク沿岸を、「SLオホーツク号」が「C11」牽引の「14系茶色」で走り始めました。
走行区間は「北見・知床斜里」で、昭和50年以来の36年振りとのこと。
オホーツク海を望み、遠く斜里岳が拝める「釧網本線」をSLで走るのは格別であります。
インタビューでは「埼玉県」から渡道された「鉄」の先達の方が、
「景色も素晴らしく、今度は流氷を見ながら乗りたいですね」と笑顔でSLの旅を堪能されておりました。
なお、昨日の「網走」の気温は、正午で「15.9℃」。抜けるようなオホーツクブルーが印象的でありました。
2 本日の朝の「NHKニュース」で、「マレーシア・シンガポール」の鉄路が廃止されたニュースが伝えられておりました。
映像では、「アムトラック」を彷彿させるかの如く、DLに牽引された「PC」が南国の平原を快走するシーンが展開。
奥様との思い出を懐かしむ御仁氏の「シンガポール」まで直通する最終列車で、
窓からの涼風を浴びながら最後の旅を楽しむ様子が映像を飾りました。
ちなみに、2018年頃までに両国間を結ぶ「高速鉄道」を建設する計画があるとかで、
「PC」が消えた後を担うのは「高速鉄道」といった寂しき図式は万国共通のようであります。
3 まだまだ「福島原発」に揺れる「浜通り」。
昨日のニュースで、久しぶりに「浪江」の駅舎の姿が映像で確認できました。
遠くに「阿武隈」の山並を望む、本線の主要駅だけあって風格は感じられたものの、構内の様子には愕然と致しました。
津波か地震の揺れで倒壊した「交流線区独特のポールと金属柱」。
そして雑草の生い茂る中で錆が浮き上がってしまい、廃線の如く茶色に変色したレール・・・。
ここを「ED75」が「十和田」や「ゆうづる」、「旧客レ」
そして「EF81」が「迂回運転された北斗星」を牽引していたんだなと思うと自然と熱いものが・・・。
何時になるの小生は想像もつきませんが、
もう一度いつの日か「広野原」を「乗り鉄」する決意を強く感じた映像でありました。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2011年 7月 3日(日)10時15分10秒 |
タイトル |
併走演出への妄想あれこれ |
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▼管理人様:
>
地元郡山で3列車並走を実現できないものかと考えてしまいました。
これは卓見ですね。現在、福島県が抱えている御苦労を考えれば、事態が沈静化して
安全が確認された後、行楽客誘致の呼び水として、有効でしょう。ガンバレール
9様
御提唱の、常磐線いわき以北における「ゆうづる」演出も、また然り。
常磐線と云えば、DJ誌の最新号にて 651系の後継形式となる
E-657系の紹介記事が
ありました。震災不通区間の動向に関わらず、来年の春から秋にかけて、上野発着の
全特急を、順次、置換して行くそうです。
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既に、紹介済みの画像ですが、水戸城址の掘割における、水郡線と旧那珂川貨物駅の
引込線の並行区間を改めると、ここでも「併走演出」は十分可能でした。そうなれば、
後方の陸橋から、格好の構図が確保できた事でしょうね。ただし、那珂川貨物駅には、
転車台は無かった様に思います。
その様に考えると、廃止時期は不明ですが、美祢線〜宇部線直通の石灰列車用として
山陽線の宇部〜厚狭で三線区間を形成していた貨物線も「SLやまぐち」運用区間に
近い事もあり、かなり壮大に演出し得た区間だったと感じます。
当該貨物列車は、専らDL牽引でしたが、貨物線は電化されており、なぜかと思えば、
宇部駅構内の配線に制約があったのか、下関直通の宇部線電車(しかも旧型国電)に
供されていたとの事。旧国と蒸機の組み合わせも美味しいですね。なお、宇部線では、
鹿児島線「蚯蚓色」421系が直通していた事もあり、厚東川橋梁で捉えた写真が
当時、
宇部線紹介の御約束であった様にも思います。
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そうそう、宇部線といえば、新山口〜上嘉川は、現在でも「併走演出」が効きますね。
その他、貨物線も活用しての現役候補地を模索するに、鹿児島線門司〜折尾の複々線
区間なら、戸畑〜枝光の「離合区間」も程好いアクセントとなり、丁度良さそうです。
当該区間は、大都市近郊区間の指定を受けている政令指定都市域という繁忙区間ゆえ、
ダイヤ設定には苦労がありそうですが、定期普通客レとして最後まで残った、筑豊線
50系がラッシュ時に乗り入れた事情もあり、そう無理な話ではないと感じます。
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投稿者 |
よっしー |
投稿日 |
2011年 7月 3日(日)14時51分36秒 |
タイトル |
SLニセコ号専用客車について |
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皆様,この間はどうも有難うございました。
またお聞きしますが,SLニセコ号でC11が牽引しているスハフ42-2261,
2号車:オハシ47-2001,オハフ33-2555,スハフ42-2071の4両はどのような標記がされていますか?
車体ナンバーと等級標記以外が解らないので教えて下さい。
後,所属している運転所も教えて頂ければ幸いです。
よっしー |
投稿者 |
XD1 at
Phuket |
投稿日 |
2011年 7月 3日(日)21時59分59秒 |
タイトル |
「マレーシア・シンガポール」の鉄路が廃止 |
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横レス失礼します。これについて少し補足させてください。
従来、マレーシア主体で運用されている客車列車は、シンガポール中心部の「SINGAPURA」駅まで走っていました。
この駅舎や鉄路の所有権とか管理権とかでシンガポールとマレーシア間でゴタゴタあったようです。
今回一部廃線は、マレー鉄道の終着が国境の橋を渡ってシンガポールに入って直ぐの「WOODLANDS」
という場所になったということです。
「WOODLANDS」にはマレー鉄道とは別の新しいシンガポール電車の駅もあるようです。
したがってマレーシアから見れば、少し短くなっただけで、大きな違いはありません。
画像は、上側が古い時刻表の一部切り出し、下側が現在有効な時刻表。
http://www.ktmb.com.my/
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投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2011年 7月 4日(月)13時23分27秒 |
タイトル |
シンガポール領内の マレー鉄道 |
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▼XD1 様:
> マレー鉄道の終着が国境の橋を渡って シンガポールに入って直ぐの「WOOD
LANDS」
元々は、出入国管理の為の信号所らしき位置づけだった様ですね。ここから、従来の
終点だったタンジョン・パガー駅(シンガポール駅)までは
正に「ウッド・ランド」
風味の森林地帯らしきを抜け、途中、ブキッ・ティマ駅(出入国管理の都合上、旅客
乗降扱いが無い、事実上の信号所)を経由して、実に20km近く(御掲出の時刻表では、
所要約30分)に及ぶのですね。
タンジョン・パガー駅が、マー・ライオン像を含む市街中心部(更にはチャンギ国際
空港)にも比較的近い立地である事を考えると、それを承知で廃止したのは、他国が
管理する鉄道が、自国域の奥深く入り込む状況に対する抵抗感、延いては、1965年の
分離独立の当時にまで遡る、政治的な経緯の産物かと、あれこれ勘繰ってしまいます。
時刻表の資料を一瞥すると、ジョホール海峡を往来する列車は、東海岸線、西海岸線、
共に、一日三往復程度と見られ、今回の路線短縮にしても、ウッド・ランドにおける、
御指摘の都市鉄道の接続を以ってすれば、然したる影響は無い、という事でしょうか。
既に(或いは元々?)グーグル地図では、シンガポールにおけるマレー鉄道の表記は
ありませんが、航空写真でトレースが容易です。廃止されたタンジョン・パガー駅は、
直前で線路が二股に分かれ、南側の頭端式二面三線構造が旅客駅、十数本もの側線が
広がる北側の操車場が貨物用と推察します。
マレーシアとは異なり「ラディエーション・チェック」を求められる事も無く、今も
関係先を通じて、商材見本の同地宛輸出に与していますが、中心街に近い立地条件柄、
遠からず再開発の対象になるであろう、タンジョン・パガー駅跡が「健在」なうちに、
出張命令が出ないものかと、もどかしい日々が続くのでした。
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投稿者 |
XD1 at
Phuket |
投稿日 |
2011年 7月 4日(月)15時38分59秒 |
タイトル |
シンガ |
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実はこの汽車に乗ったことがあるんです。1993年のことで写真も無いのですが、なぜか切符が残っていました。
マレーの部分はともかく、シンガに入ってからはかなり都市化が進んでいたような記憶があります。
線路の近くに木があっても、その向こうのビル群が見えるような。でも、かなりあやふや。
>
南国の平原を快走するシーン
これはシンガではなくマレーでの撮影かなぁとか思ったりもしていますけど、実際にその番組を見ていないので。
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投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2011年 7月 5日(火)10時44分28秒 |
タイトル |
併走演出 |
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今でも惜しいなと想うのは広尾線の廃線です。
帯広発車後の下り「まりも」の車窓から、広尾線の9600牽引の貨物列車が長いこと
併走してきたのを見ていただけに、あの区間ならば撮り鉄にも最適だったなと----
こちらはC57、貨物が9600では競争にならないのですが、9600が妙に頑張っていた
みたいで、アレでは相当早着するなと?
ED76109先生をくすぐってしまう様な思い出ですが、先生この頃汽車よりも
高校野球予選応援にお忙しいのでは???
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投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2011年 7月 5日(火)23時44分9秒 |
タイトル |
鉄点描あれこれ |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
XD1 at
Phuket様
>シンガではなくマレーでの撮影かなぁ
窓から吹き込む風に髪の毛がなびいているという、夏の汽車旅の懐かしい風景が展開されていました。
夕陽が差し込むとともに、車窓には緑の平原が・・・。
「XD1 at Phuket」様にご投稿されていた、マレーシアの田園風景のように小生は考えました。
マロネロ38様
>この頃汽車よりも高校野球予選応援にお忙しいのでは???
御意。母校の初戦が10日からなのです。
今から小生、「甲子園の試合開始時間」に併せて、「トワイライトEXP」や「日本海」、
「きたぐに」の乗り継ぎ等で「北の大地」からの「応援ダイヤ」を確認済みであります。
しかし、勝ち抜けるかどうか・・・。
とにかく、後輩たちにリベンジしてもらい、ご紹介頂いた「マンボ」訪問とともに、
今夏のイベントにしたいものでございます。
戯言失礼申し上げました。以上、夢の続きを心待ちにしている「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2011年 7月 7日(木)17時41分28秒 |
タイトル |
更に併走の話 |
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マロネロ38様が言及された、根室線と広尾線の分岐は、暫く並行した後、別れしなに
揃って札内川を渡る趣向でしたね。東海道線と樽見鉄道の関係を彷彿とさせる様です。
そう言えば「パシナ倶楽部」下り「あさかぜ」前面展望映像では大竹通過後、県境の
小瀬川橋梁を挟み、三井化学専用線が暫く並行する区間で、工場に向かう貨物列車が
併走していました。この専用線「ミレニアム」の頃に廃止された様で「グーグル」の
航空写真を改めると、上記橋梁以遠の線路が撤去された状況が見て取れます。
並行区間が長々と続くと云えば、羽後本荘や山本(佐賀県)の例もあります。南新庄、
東小諸よろしく、並行区間の一方のみ停留所を擁するという構図が、琴線を擽ります。
多層建の分割なので、並走とは趣旨が異なりますが、肥前山口の分岐点では、間髪を
置かずに「さくら」「あかつき」の長崎行編成、佐世保行編成が、それぞれ好ましい
雰囲気の分岐点を、次々と続行する構図が名物でしたね。 |
投稿者 |
XD1 at
Phuket |
投稿日 |
2011年 7月 8日(金)10時51分57秒 |
タイトル |
マレー鉄道乗車記 |
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先にお書きしましたように、1993年にマレーの首都クアラルンプルからシンガポールまで汽車に乗った事があります。
それに加えて今年の6月、タイのハジャイからクアラルンプルまで夜汽車で南下しました。
ヤボ用でタイ南部の自宅からマレーに行く必要があったのですが、ついでに。
その乗車記を数日かけてお書きします。
画像は全てこの6月に新規に撮影したものですが、一部には前の投稿と類似の物もあるかもしれません。
また、タイの鉄道との比較も意識して書こうかと思います。
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とゆーことでバスを降りてゆっくりハジャイ市内を移動して、午後4時5分前に駅に到着。
ハジャイまで来ているマレー国際鉄道は1日に1本。
タイ時間午後4時ハジャイ発、1時間時差があるマレーで終着の新クアラルンプル駅には午前5時半着予定。
ハジャイで一泊し、乗るのは明日の予定。
明日のクアラ行きの切符が買えるかなぁ。
とりあえず明日以降の切符を売っている予約券売り場に行ったら、「外の4番窓口に」とか言われた。
そこに行ったら、「クアラルンプルね、今日? 明日?」とか。
あれっ、もう4時で今日の汽車は出る時間だぞ。「明日」と回答。それから「寝台、下側」とも。
切符はオンラインではなく、手書きでカーボンコピー。
だからオンライン端末の予約券売り場では取り扱っていないのね。タイ国内ならすべてオンライン発券なのに。
写真は切符売り場と切符です。
お値段は、518B(約1400円程度かな)。
ハジャイからタイの首都のバンコクまで2等寝台下側で約1000Bでした。
それよりも距離は短いのですが、12時間半の乗車で518Bはタイよりも安い設定だと思います。
4番窓口に着いたら、簡単に買えました。窓口も空いていましたし。
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投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
2011年 7月 8日(金)20時28分53秒 |
タイトル |
並走あれこれ |
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>>雑魚様
>その様に考えると、廃止時期は不明ですが、美祢線〜宇部線直通の石灰列車用として
山陽線の宇部〜厚狭で三線区間を形成していた貨物線も「SLやまぐち」運用区間に
近い事もあり、かなり壮大に演出し得た区間だったと感じます。
ウィキペディアによると1997(平成9)年03月31日だった由。
昔からあったものと思っていたのですが1968(昭和43)年に造られたものと知って驚きました。
当該貨物列車は、専らDL牽引でしたが、貨物線は電化されており、なぜかと思えば、
宇部駅構内の配線に制約があったのか、下関直通の宇部線電車(しかも旧型国電)に
供されていたとの事。旧国と蒸機の組み合わせも美味しいですね。なお、宇部線では、
鹿児島線「蚯蚓色」421系が直通していた事もあり、厚東川橋梁で捉えた写真が
当時、
宇部線紹介の御約束であった様にも思います。
開通当初はまだ美祢線の無煙化前でしたのでここを走る貨物列車の先頭をD51も務めました。
小学校の修学旅行の帰路、EF5813にエスコートされた12系6連の学童臨、
窓から首を出して眺めていた田舎の小学生に擦れ違いざまに短い汽笛を軽く鳴らしてくれました。
もう40年近い昔=1972(昭和47)年05月=の話です(^^);
お話にあった宇部駅の構内配線の都合でしょうか?
そういえばこの3線区間、宇部〜小野田間では短絡線と本線下りがまるで複線のように寄り添い、
上り線が離れた場所を通っていました。
おそらく新線を本線上りに転用し、旧下り線を短絡線に、旧上り線を本線下りに振り替えたモノと思われます。
そして、小野田〜厚狭間で短絡線は上下本線をオーバークロスし海側から山側に渡りますが、
その場所が丁度かつて九州ブルトレ華やかなりし頃の定番撮影地、所謂オノアサです。
ブルトレが雁行していた頃は貨物列車の本数も多く、しばしばブルトレとも並走していました。
電化されていたおかげで宇部線系統の電車がここを走れ、鉄道ファン誌の何時の号でしたか?
下りみずほと宇部線電車の並走シーンのカットが掲載されていました。
>そうそう、宇部線といえば、新山口〜上嘉川は、現在でも「併走演出」が効きますね。
添付画像の1枚めは山陽本線嘉川〜新山口間を走る上り列車から並走してきた宇部線電車を撮影したものです。
2009(平成21)年01月06日の撮影です。
当時と今では列車番号も時間も変わっていますが、
ほぼ同じ時間帯に山陽本線3376M、宇部線1848Mがあるのでうまくすれば或いは…(^^);
>その他、貨物線も活用しての現役候補地を模索するに、鹿児島線門司〜折尾の複々線
区間なら、戸畑〜枝光の「離合区間」も程好いアクセントとなり、丁度良さそうです。
当該区間は、大都市近郊区間の指定を受けている政令指定都市域という繁忙区間ゆえ、
ダイヤ設定には苦労がありそうですが、定期普通客レとして最後まで残った、筑豊線
50系がラッシュ時に乗り入れた事情もあり、そう無理な話ではないと感じます。
この場所ならしばしば並走を見掛けます。
2枚めに紹介するのは鹿児島本線を行くにちりん車内から撮影したもので、
ステンレスボディのEF81304のエスコートする貨物列車です。
そして3枚めに紹介するのは黒崎付近で撮影しました。
上り快速電車内から並走する貨物列車を撮影したもので、カマはEF81403でした。
その昔、西鉄北九州市内線が元気だったころは更に並行シーンが色々あったのですが…
(晩年の西鉄北九州線は乗り鉄もしているのですが…撮影した筈の写真が行方不明です)
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