倶楽部メモ(661)
平成23年 7月 9日〜 7月10日

「皇帝のいない八月」 ・ 3線区間の併走


投稿者 きむたお
投稿日 2011年 7月 9日(土)00時52分19秒
タイトル 杭州站にいた客車
皆様こんばんは。

少々前の話題(6/23)ですが、杭州へ出張に行った際(残念ながら高鉄利用)に杭州站で
それまで見かけたことの無いスタイルの客車の写真を撮りましたので紹介いたします。



1.RZ225K110729
 今までに見た客車とはいろいろ異なっていますが、一番目につくのが、すべてが固定窓であることです。
それに、床下機器も覆われていて、何か特別な車両のような雰囲気です。
 また、この車の表記も変わっていて、今までに見た軟座車は、出入り台の横に「軟座車」「RUAN ZUO CHE」とあるのですが、
この車は「二等座車」「ER DENG ZUO CHE」とあり、高鉄の電車のような感じです。



2.RZ225K110792(左)とRZ225K110729(右)の連結部。
同じ形状の空調機のようですが、前位と後位で取り付け高さが異なっています。

以上は杭州発池州行き、K8522/K8523次に連結された車でした。(ちなみに同列車は全車軟座の快速列車です)



3.YZ22B665906
この車は杭州站の側線に留置されていた22B硬座車ですが、
日本の国鉄近郊電車などでおなじみのAU75に酷似した空調装置が目にとまりましたので撮影しました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月 9日(土)08時40分2秒
タイトル いつも通りの駅の光景
 ハジャイで一泊し、次の日は早めに駅に入りました。
いつも通りの駅の光景です。のんびりした感じ。屋台が居多いです。写っている車輌はタイの物です。

 マレーでは、国境のパタンビザールと終点のクアラルンプルのホームに立ちましたが、屋台がありませんでした。
お国柄の違いでしょうか。この連載(?)が続けば、これらの駅のホームの画像も出せると思います。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月 9日(土)14時01分26秒
タイトル 皇帝のいない八月
昨夜、晩酌しながら懐かしの映画ネタを検索していた処「皇帝のいない八月」という
1978年公開の邦画に辿り着きました。クーデターを企てた自衛隊の部隊が、走行中の
上り「さくら」を占拠、B寝台車の通路側に腰掛けた実行部隊長が、その思想背景を
滔々と語る場面の抜粋が、動画投稿サイトにありました。

これが、クーデターではなく「鉄」の単なる世迷言であったなら、以下の様な妄言を
喝破し捲った事でしょうね(^^)

============================================================================

我々の愛する、美しい編成の客レを骨抜きにした、動力分散化の方針に意見をぶつけ
叫ぶ奴はいないのか。我々は「鉄」の魂を持つ、真の愛好者として蘇るのだ。

我々日本の国有鉄道は、古来から重量型の布陣厚く、機関車を先頭に頂いた編成群を
形成して来た。然るに今、何処に国鉄塗装があるか、どこに国鉄固有の編成があるか。
塗装は分割先ごとに無秩序に乱れ、機関車は片端から廃車されようとしている。国鉄
メークを守るのは「鉄」である。愛好者が目覚めて、真の「鉄」たらんとする時こそ、
懐古趣味が目覚める時である。

鉄道趣味の本懐、それは客レを中心とする、国鉄の歴史、文化、伝統を守る事にしか
存在しないのである。我々は待った。ただひたすら待った。JR自らが目覚める時を。
しかし聞け!!! 集中動力方式の復活は、既にダイヤ改正の方針から、除外されたのだ。
然るべきダイヤ改正が、JRの下で不可能であれば、我々の取り得る道は、ただ一つ。
我々自身が、趣味の掲示板で妄想を全開させる事である。

無秩序な車両陣容を牽制しろ。ブログ炎上は再生の炎だ。コアな魂を持った者だけが
残って指差呼称をする。それから俺達は妄想列車で東京を発車する。あの真っ直ぐな
東海道線を、ひたすら走るのだ。あの広い路盤を、あの美しい富士山の麓に向かって。

============================================================================

寝台車の登場する映画といえば、やはり「さくら」が登場する、1967年公開の「喜劇
急行列車」を思い出しますが、同作品で車掌を演じた「寅さん」は「皇帝の〜」では
一般乗客を演じ、反乱部隊長によるアジ演説の車内放送(さすがに、チャイムは無い
様子でした)に「冗談じゃない、私は未だ独り者なのに」と慌てる様子が傑作でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月 9日(土)17時37分21秒
タイトル 更に並行区間の話
▼青列車様:
> 美祢線の無煙化前でしたのでここを走る貨物列車の先頭をD51も務めました。

美祢市内の宇部興産伊佐セメント工場と宇部港とを結んだ貨物列車は、美祢と厚狭で
エンド交換となる為、SL牽引だと、あれこれ手間が掛った事でしょうね。意外にも
上記セメント工場の専用線は、今なお健在だそうで、中国電力三隅火力発電所関連の
貨物列車が、山陰線岡見まで設定されているとの事。但し、スルー運行が効く長門市
経由ではなく、これまた厚狭経由。益田以遠の山陰線の立場が垣間見える措置ですね。

> 新線を本線上りに転用し、旧下り線を短絡線に、旧上り線を本線下りに振り替えた

何やら、槻木における東北線と阿武隈急行の分岐点付近を彷彿とさせますね。ここも
駅から分岐点(立体交差地点)までは、白石川の橋梁を挟んで 1km以上、並行区間が
続く構造です。ただし、架線柱の作風は大きく異なりますが。

> その場所が丁度、かつて九州ブルトレ華やかなりし頃の定番撮影地、所謂オノアサ

私自身、そのブルトレ定番構図を見ている内に「謎の第三の線路」が気になり出した
経緯があります。それにしても、ブルトレと貨物の並走とは、何とも豪気な話ですね。

> 西鉄北九州市内線が元気だったころは更に並行シーンが色々あったのですが…

さすがに 西鉄の軌道線規格では、国鉄列車との速度差が大き過ぎた事でしょう(^^)
それにしても、路面電車の規格ながら、本線系統だけで、総延長が30km近くに及んだ
西鉄北九州線は、異色の存在だったと感じます。

添付画像は、架線柱仕様がアンバランスながらも「蜜月振り」を発揮している、東武
桐生線と上毛電鉄との並行区間です。




投稿者 青列車
投稿日 2011年 7月 9日(土)18時38分22秒
タイトル 【岡見貨物】災害終了
>>雑魚様

>中国電力三隅火力発電所関連の貨物列車が、山陰線岡見まで設定されているとの事。

はい、昨2010(平成22)年夏までは不定期ながら運転されていました。
美祢線は元より山陽本線内もDD51がエスコート、
更には新山口から先は重連牽引と言う事で頗る人気も高かった(赤ホキの貨物列車が運転終了しただけに…)のですが、
不幸にも同年夏、山陽小野田市(未だにこの名前にピンと来ません)周辺を襲った集中豪雨は並行する厚狭川を氾濫させ、
美祢線は第3厚狭川橋梁流出崩壊を始め沿線各所で道床流出、信号ケーブル切断等甚大な被害を受け
同年7月15日以降全線で不通となり今日に至っても未だに復旧は終わっていません。

>但し、スルー運行が効く長門市経由ではなく、これまた厚狭経由。益田以遠の山陰線の立場が垣間見える措置ですね。

これは愚考しますに、山陰本線の益田以西に於いて、JR貨物が免許を持っていないのかも知れません。
もっとも、旅客輸送に於いても半ば忘れ去られたような状況で、優等列車は既になく、
益田〜奈古間では3時間以上列車が来ない時間帯すらあります
(最早廃止目前の第1次地方交通線レベルでしょうか?しかもキハ120の単行が珍しくないのですから…)。

折角沿線には全国的にも知名度の高い観光地萩市や美祢線沿線には長門湯本や俵山と言った温泉街、
また秋吉台秋芳洞にも近いだけに何とか活性化を期待したいのですが、
かつて貨物輸送量では全国屈指の実績を上げた美祢線も今や見る影もなく
(運休前もキハ120単行で朝夕の通学制が賄えてしまう程度)、災害を機に廃止の意向すらあったほどです。

幸か不幸か山口県は道路整備が充実していて、人口希薄な寒村でさえ時速60キロで巡行可能な舗装道路が通じています。
大体行政府・自治体までもが完全にクルマ依存を前提としていますから、公共交通事業者はいずれも苦境に立たされています。

添付写真の1枚めと2枚めはその岡見貨物で2009(平成21)年09月13日に撮影しました。
また3枚めは同年9月19日に撮影した赤ホキ編成の石灰石輸送貨物列車で、件の第3厚狭川橋梁です。
偶然ですがどちらもカマはDD51852でした。

投稿者のホームページ



投稿者 米芋
投稿日 2011年 7月 9日(土)22時19分13秒
タイトル 宇部興産の3線区間
いつも拝見しています。持ちネタがないので読む専門ですが・・・。ただ、気になったので1つ書かせていただきます。
宇部興産の鉄道輸送が終了したのは平成10年3月31日だったと思うのですが
(個人的には9年夏は山陰の客レ亡き後、美祢線にシフトしたので)、
例の3複線はその時点ではすでに線路を剥がされ、貨物列車も本線上を走行していました。
何かで昭和53年頃まで使用していたと読んだ記憶もあるような。なお、平成9年3月31日は大嶺支線の廃止では?
さて、併走区間ですが、大井川鉄道が金谷から出て、川に向かってカーブするまでの間、
東海道本線と併走するように地図の上では見えますが、直線でないし、高低差もあったような気もします。
一応思いついたので・・・。
それにしても大井川鉄道のオハニ367はじめトラストトレインはどうなったんでしょうか?



投稿者 青列車
投稿日 2011年 7月10日(日)08時11分53秒
タイトル 3線区間
>>米芋様
荷主企業は或いは宇部興産自身ではなく協力会社・系列企業だったのかも知れませんが、
美祢線から宇部線へと走る貨物列車自体は2009(平成21)年まで運転がありました。
また、短絡線の廃止時期はウィキペディアの記載を出典としています。
尚それによると美祢線の大嶺支線の廃止時期は翌4月1日とのことです。

短絡線の使用時期がいつまでなのかは生憎存じませんが、少なくとも1986(昭和61)年05月の時点では使用されていました
(実はその頃オノアサで撮り鉄をしたことがあり、短絡線を行くDD51牽引の貨物列車を実見しています)。
ただ同年10月の人事異動で海を越えてしまい(赴任先は愛媛県)、更に翌年には関西、
以後北陸・関東と異動し概ね20年地元を離れていましたのでその間の界隈の変化は残念ながら心許ないのが実情です
(仕事柄盆暮れ正月GWなどには休めない立場でしたので帰省も閑散期を狙って4〜5年に1度、
それも夜行往復が殆どで界隈の鉄事情を調べる余裕がありませんでした)。

ご提示の大井川鉄道とJR東海道本線の並行区間ですが、駅構内こそお互いレベルですが、
大井川鉄道は発車してすぐ高度を下げて行きますので並走するお互いを観察する余裕はあまりないと言えましょう。
とはいえ、時間帯によっては並走シーンもありますし、
高度を下げ鉄橋を渡りつつカーブした先では大井川を渡る東海道本線を遠望できます。
ただ、旅客列車同士だと接続の関係も遭ってあまり並走シーンは見られませんが、
どちらかに遅延が生じた時には並走シーンになった事もありました
(東海道本線のダイヤが乱れた際には大鉄も接続待ちをするでしょうが、
大鉄に遅延が発生しても果たして東海道本線は待ってくれるのか?は微妙かも知れません。
島田以東なら運転本数も多いのですが大井川を挟んで段落ちしてしまい1本乗り逃がすと結構大変です)。

添付画像はオノアサで撮影した朝のブルトレで1枚めは1986(昭和61)年05月の撮影です。
2枚めと3枚めは2008(平成20)年02月01日の撮影です。20年余りの間に背景に道路の高架橋が出来てしまいました。
また、1枚めの背景にある短絡線はこの当時現役でしたが、
2枚め3枚めのカットの頃にはこの短絡線は廃線になっていました。

投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 7月10日(日)08時15分35秒
タイトル 3線区間の併走
ちょっと出遅れました。
宇部−厚狭間の「第三の線路」には、美祢線から宇部線へ直通する気動車普通列車も通っていました。
画像は昭和55(1980)年3月・宇部駅にて、
九州からやって来た山陽本線小郡行きの421系と、美祢線から宇部線へ向かう宇部新川行きDC列車の同時到着です。
この時は下の画像の方が主目的で、併走シーンは偶然出くわして慌てて撮ったものでした(^^;





投稿者 ED76109
投稿日 2011年 7月10日(日)08時55分47秒
タイトル 「皇帝のいない八月」を巡る戯言
 おはようございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様

 >「皇帝のいない八月」という1978年公開の邦画

 小生、高校一年生の折、小説の中身に興味を持ち、実際に近隣の映画館(確か武蔵小山だった)に参りました。しかし、・・・・。
とりあえず、「戯言」させていただきます。

 1 当初、撮影に協力的姿勢だった国鉄でしたが、「さくら」の最期の話に至るやいなや、
爆破してというストーリー展開に激怒。「新幹線大爆破」の時と同様に、全く協力が得られないという事態に陥りました。
(確かに、人質となったカレチ氏が射殺される部分は・・・)
そこで、作成会社である「松竹」は、撮影自体セットを多用することとなってしまいました。
ラストシーン(「さくら」が自衛隊員に爆破されてしまうシーン)は、「三菱大夕張鉄道」の「旧客」を
14系に見立てた張りぼてを付けて、「南大夕張駅」構内で撮影といった顛末となったのであります。
一緒に鑑賞した「鉄」友人の話では、「(さくらが)TR11イコライザー台車何か使うか」と爆笑しておりました。


 2 原作は「小林久三」さんであり、もとは「社会派推理小説」を目指されたようでありましたが、
内容は「カサンドラ・クロス」もどきの感はいがめません。
映画を見ていても、「下関」で「EF651000番代を連結」する時に、
自衛隊員が爆弾を仕掛ける様子が描かれていました。
しかし、現実では駅員に発見されてしまうでありましょうし、
最後尾の1号車に視線鋭き男性(変装した自衛隊員)ばかりとなれば、違和感極まれりでありましょう。
そして、「徳山」で「さくら」は制圧した「自衛隊員」らによって、一路ノンストップで「東京」まで走るとなれば、
「運転指令」が黙っているわけがないと、小生唖然としておりました。

 3 主演の「渡瀬恒彦」さんは、現在は「十津川警部シリーズ」で主役を演じておられますし、
「渡瀬」さん演じる「反乱自衛官」の妻役でご出演されていたのは、日本の名女優「吉永小百合」さんであります。
特に「吉永」さんは、ご自分が出演されていた「ラジオ番組」で、「鉄道ファン」であることを公言されておられます。

 長々と失礼致しました。
以上、「雑魚様の決起文」に「吉永小百合」さんを中心とした決起部隊の「鉄クーデター」を想起したしまった
「中年客車鉄ちゃん」でありました



投稿者 米芋
投稿日 2011年 7月10日(日)09時07分24秒
タイトル 続・3線区間
青列車様 レス、ありがとうございます。
貨物線の廃止がまだまだ美祢線貨物の全盛のS53ってことはないですね。
使用停止はやはりJRになったあたりでしょうか。
新たな事実も出てきて、記憶もあまり自信ないのですが、大嶺支線の最後の日、乗りに行ったような気がします。
キハ23の1を含む4両編成で走ったような。写真を探せば確実なんですが・・・。
それより、さすが青列車様、大井川鉄道にはお詳しいですね。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月10日(日)13時39分40秒
タイトル マレーの3両編成
 やはりタイの車輌ではないからか、入口から遠いホームに入っていました。3両で、

  電源車 ←エアコン等の為の発電機を積んでいる
  エアコン2等寝台 ← 自分が乗るの
  エアコン2等座席

という編成でした。国境を越えてマレーに入ると、かなり増結されます。

 この時点では、機関車は見当たりませんでした。国境まで、タイ国内はタイの黄色の機関車の筈です。
出発直前にこの3両に機関車が連結されたのですが、その時にはすでに寝台に乗っていたので、見る事は出来ませんでした。


 次回から、各車両の詳細を。

=========================

渥美清主演の映画、TVで見た事があったかも。かなり記憶もあやふやですか、

娘「さくらなんて名前、芸者みたいでいや」
父「何を言うか、さくらは日本の一番列車」

みたいなシーン、ありませんでしたっけ?




 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから