倶楽部メモ(652)
平成23年 4月30日〜 5月 5日 |
川越線の客車 ・ 中国の客車ウォッチング
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2011年 4月30日(土)18時19分28秒 |
タイトル |
川越線の 「ブルドッグ」 |
|
▼ED76
109様:
>「キハ30」などが走り回っていたイメージ
1960年には、第二回「アジア鉄道首脳者会議」への示威も踏まえ、落成したばかりの
キハ81系が、川越線で御披露目運転を行っていますね。会議期間中は、東京〜日光に
同編成を用いた視察用列車も設定されていますが、日光線自体は、1958年に電化され、
翌年には
157系による準急の運転も開始されています。
八高線と川越線が分岐する高麗川では、両者の間に割って入る形で、セメント工場の
専用線も分岐していましたね。到達先の事業所では、東武東上線西大家から分岐する
専用線も乗り入れ、八高線と東武東上線が貨物連絡線で結ばれていたかの如きでした。
同系列のセメント工場は常磐線内原駅付近にもあり、委託先の福島臨海鉄道のDLが、
僅かな距離でスイッチ・バックを繰り返していましたが、電留線設置を機に、完全に
常磐線とは線路が断たれ、現在は程好く草生した「トワイライト・ゾ〜ン」状態です。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2011年 5月 1日(日)09時12分54秒 |
タイトル |
在りし日の高麗川 |
|
おはようございます。連休もヘッタクレも関係ない「ED76109」でございます。
雑魚様
>八高線と川越線が分岐する高麗川
「ドキュメント感動の所在地1(ネコ・パブリッシング刊)」の「武蔵野西環状 川越・八高線」の項を見ておりますと、
昭和40年代前半の「高麗川」の様子が伺えます。
「腕木式信号機」、「デフなしの9600」、そして「信号変換テコ」・・・。
とても、東京近郊区間とは思えぬ長閑な風景。
小生は、前述の数年後に「乗り鉄」しましたが、あまり印象には残っていません。
しかし、昭和43年ごろは、「オハ60系」が「9600」に牽引されて「川越線」を通勤レで運転されているなど、
今では想像もつかぬ風景が見られております。
まだまだ宅地化されておらず、通勤客も雑木林沿いの線路のほとりを歩いて駅まで向かうショットも・・・。
定点写真で、現在の「川越線」沿線を見てみたいものであります。
長々と失礼致しました。
以上、「ブルドッグの姿」に「はつかり事故ばっかり」のフレーズが頭をよぎった「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
EH500 |
投稿日 |
2011年 5月 1日(日)13時26分39秒 |
タイトル |
川越線の客車 |
|
手元にあるRAIL
FAN誌102号に興味深い編成が紹介されております.
昭和36年4月29日 811レ 大宮-高麗川(丁度50年前)
69636(大宮)
オハフ6189(東オオ)・オハ61916(東オオ)・オハ609(東オオ)・オハニ366(東オク)・オハ6068(東オオ)
・オハ61918(東オオ)・スハフ3246(東オオ)
となっています。興味深いのはオハニ36で36-10まで急行運用もあったらしい?
のですが(所定では)貸し出し使用をしていた様です。
尚、手元にある配置表より東オオ車を列記しておきます。(69年北オオ変更)
1973 オエ618.6111.6112
1972 オエ618.6111.6112.オハ352902-352904.352906.オハ472058.オハフ332452.スハフ322243.オハフ362011
1971 オエ618.6111.6112.オハ352902-352904.352906.オハフ612187.612417.
312418.スハフ322137.322243
1969 オエ618.6111.6112.オハ352903-352904.352906.スハ32219.32222.オハフ
332248.332266.オハニ61230
1963 スエ382.スエ3012.オエ7035.オハ609.6010.6068.オハ61916.61918
スハ422.427.4224-4226.オハフ6189.スハフ3246.32149-32150.オハニ61111 |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2011年 5月 2日(月)22時10分30秒 |
タイトル |
Re: 川越線の客車 |
|
EH500様
川越線の通勤客レの編成記録、借入車を含んだ興味深いものをご紹介いただきありがとうございます。
気動車主体の川越線にあって、朝方上り、夕方下りの客レ1往復が長らく運転されており、
大宮にはそのためだけに客車が配置されていました。
ご紹介にあるような7連の中央にハニを配した独特の編成ですが、
各時代を通じてハニの配置が1両だけなので検査時はどうしたのだろうと思っていましたが、
目と鼻の先に大客車区「東オク」があるので、どうということはなかったのですね。
それにしてもオハニ61の代走にオハニ36とは、ちょっとした贅沢ですね。
昭和44年までキューロクが牽引していたようで、北浦和在住の小学2年生だった私は見に行こうと思えば行けた筈なのに、
当時その存在を知らなかったのが悔やまれます。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2011年 5月 3日(火)09時03分39秒 |
タイトル |
武蔵野のSLたち |
|
おはようございます。連休とはいっても、どこにも行けぬ「ED76109」であります。
EH500及びクモイ103様
前述しました「ドキュメント感動の所在地1(ネコ・パブリッシング刊)」を改めて見直しますと、
川越線の「822レ及び821レ」のスナップが確認できました。
夏の時期なのか、最後尾のデッキには白ワイシャツの高校生が多数屯しており、正しく昭和の風景が・・・。
雑木林の中を荒川鉄橋に向かって力行する「9600」に牽引された821レが、築堤を上って行くものであり、
往年の「ハエタタキ」もアクセントになっております。
当時、「大宮機関区」にはD51が7両、9600が13両の合計20両が配置されており、
ホッパー車による「石灰岩」が「奥多摩」から運搬されていたようであります。
特に当該貨物レは、「ED16」で「拝島」まで牽引されて、「D51」が「高麗川」まで担当。
しかし、意外と「八高線」は勾配が多く、「金子」周辺は「20‰」が連続する難所であります。
この辺りで「D51」を追いかけた先達の先輩方もいらっしゃるのではございませんか・・・。
長々と失礼致しました。
以上、意外と「八高線」と「川越線」が、魅力的な線区だったことを知った「中年客車鉄ちゃん」でありました。
|
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2011年 5月 3日(火)16時59分41秒 |
タイトル |
タキ、多木、タキロン |
|
八高線の非電化区間は、一部区間で東武鉄道が並行していますが、沿線風景は今なお
田園風味が強いですね。個人的に特に牧歌的な雰囲気が感じられる寄居以北にあって、
丹荘から分岐する、僅か
6q余の上武鉄道(1986年廃止)は、道路地図を眺める度に
気になる存在でした。
改めて
画像検索すると「D1001+ハフ3」など、実に良い味を出している客レ編成も
見受けられ、川越線的場への延伸も見据えた、車両基地引込線への転用計画の去就が
未だ明確でない、西武安比奈休止線の有名な雑木林区間でデモ運転に供したい程です。
この手の編成で思い出すのは、やはり別府鉄道。共に国鉄に接続する路線が、終点で
V字型に接続する状況からして、愛好家の琴線を擽る陣容でしたが、確か、土山線が
客レ専用区間でしたね。うろ憶えですが、我が地元でも、別府港駅常備の「タキ」を
見掛けた記憶があります。この形式、別府鉄道ゆかりの「多木化学」に因むものかと
勘違いした事もありました。
これまた勘違いしそうな、常磐線・神立駅分岐の「タキロン」東京工場の専用線でも、
タンク車を時々見かけましたが、それらを牽引していた、筑波物流の「トリコロール・
カラー」のL型入替機が、御気に入りでしたね。引退後、神奈川方面に引き取られて、
その後、処分に遭ったと聞いています。
川越線が電化された1985年から、八高「南線」が電化された1996年までの高麗川駅は、
非電化線から電化線が分岐する格好でした。かかる構図は、電化が進捗途上にあった
国鉄線から、中小の電鉄線多数が分岐していた時代には、珍しくありませんでしたが、
現在は、同じ八高線の越生や関西線の柘植くらいではないかと、拝察します。 |
投稿者 |
理左衛門 |
投稿日 |
2011年 5月 3日(火)17時10分58秒 |
タイトル |
久々の客車列車 |
|
列車番号にMやDの付かない列車を撮るのは久しぶりのことです。
来月はC57になりますね。
|
投稿者 |
きむたお |
投稿日 |
2011年 5月 3日(火)22時50分53秒 |
タイトル |
客車ウォッチング |
|
皆様こんばんは。
中国も5/1は労働節ということで、4/30〜5/2で三連休でした。
この連休ですが、気候も暖かくなりましたので前から行ってみたかった上海火車駅近くの跨線橋に行ってきました。
区間としては上海−上海西になります。
まずは5月2日に撮影の列車写真を3点ご紹介します。
1.T109次(北京→上海)
SS9
0208の牽引する25K客車です。
2.K516/K517次(上海→長春)
電気機関車牽引の25G客車、郵便車を最後尾に去っていきました。
3.T166/T163次(拉薩→上海:左)
この列車はサボをチェックしていないのですが、その外観から上記列車と推定しました。
このT166/T163次は、かの青蔵鉄道を走ってくる列車で、実はこれを見たくて、ここで張り付いていました。
所定では上海11:15着なのですが、12:45頃の通過でした。
5月2日は約2時間半張り付いていましたが、その間に15本の客車列車が通過し、
久々に線路際でわくわくしながら列車を待つ気分を味わえました(^^)
6月になれば梅雨に入り毎日のように雨ですし、梅雨明けには猛暑となる上海、
外で撮影できるのも今の時期と思っています。 |
投稿者 |
きむたお |
投稿日 |
2011年 5月 3日(火)23時05分6秒 |
タイトル |
25K客車各種(1) |
|
先の投稿に挙げました北京からの列車ですが、11時台に2本あり、いずれも25K客車で構成されています。(T103次とT109次)
終点が近いこともあり、列車は減速していますので、形式ごとの撮影もできましたので紹介します。
1.空調発電車:KD25K
998715(T109次)
日本で言うところの電源車です。
2.餐車:CA25K
893036(T109次)
日本で言うところの食堂車です。
3.行李車:XL25K
206089(T103次)
日本で言うところの荷物車です。
*列車のほとんどは寝台車、座席車で構成されているのですが、
どうしても上記のような編成に1両しか組み込まれていない車に目が行ってしまいます。(^^;) |
投稿者 |
きむたお |
投稿日 |
2011年 5月 3日(火)23時14分36秒 |
タイトル |
25K客車各種(2) |
|
引き続き、一般的な寝台車、座席車です。
1.軟臥車:RW25K
553327(T109次)
日本で言うところのA寝台車です。
2.硬臥車:YW25K
672381(T103次)
日本で言うところのB寝台車です。
3.硬座車:YZ25K
346918(T103次)
日本で言うところの普通車です。
なお、一般的にRW車は一本の列車に1両だけ組み込まれているケースが多いですが、
T103次、T109次ともに2両組み込まれており、さすがに首都北京と大都市上海を結んでいる列車、
貫禄だなぁ、と思わせられます。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2011年 5月 4日(水)10時13分55秒 |
タイトル |
上武のSL保存中 |
|
雑魚様:
上武の1-C型,Pittsuburg製ですが、今は京浜急行新馬場駅下車で海の方角へ坂を
下った左側にある東品川公園に保存中ではありませんか?(平成9年に撮影しました)
阪鶴鉄道(福知山線)A5型12号→官鉄2851→播丹鉄道(加古川線)8(2代目)→西武
No.7→上武
元々伊賀鉄道の注文流れらしいですが。製造は明治30年。
|
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2011年 5月 5日(木)12時47分28秒 |
タイトル |
確かにこれです |
|
理左衛門さん:
確かにこれです。
阪鶴鉄道が最初に運転したカマですので、上武廃止の時に尼崎市長に「譲ってもらって
JR尼崎駅前にでも展示を」と進言したのですが駄目でした。地元歴史に関心が薄い
首長は駄目ですね。箱物優先に目が行ってしまって----------。 |
|