おばんでございます。「ED76109」であります。
先達の皆様方、本日(3月7日)は「青函連絡船運航開始日」でございます。
明治41(1908)年に「青森・函館」に運行が開始されて、昭和63(1988)年3月に
「北斗星」等に「北海道接続」を譲るまで「しょっぱい川(津軽海峡)」を航行していたのでありました。
小生が思うに、「鉄聖人」である「クモイ103様」にしてみれば、当然のことと一笑されてしまいそうでありますが、
色々と「戯言」させていただきます。
1 前述いたしましたように、明治41年3月7日に「帝国鉄道庁(国鉄)」が「青函連絡船」の運航を開始したのでありました。
当時就航したのは、最新鋭の蒸気タービン船「比羅夫(ひらふ)丸」。「青森・函館」間を4時間で結びました。
鉄道直営の「青函連絡船」自体は、「日本鉄道」によって計画され、連絡船そのものも同社によって発注されておりましたが、
就航は同社の国有化後になりました。
なお、「青函航路」の営業キロ上の距離は「113km」であり、「津軽海峡」という「特定海域(国際海峡)」を横断することから、
「宇高」「堀江」他の航路とは異なり「外洋航路」扱いとされておりました。
2 「青函航路」とありますように、桟橋が「青森」に3岸壁、「函館」に2岸壁が整備されておりました。
さらに、「青函連絡船」の貨物輸送の重要性を示すが如くに、昭和19年1月から同59年2月まで、
「五稜郭の貨車操車場」に直結していた貨物専用の「有川桟橋」がございました。
有川には2岸壁があり、それぞれを「函館3岸・同4岸」と呼ぶこともございます。
また、「桟橋」は天候状況による「函館本線及び室蘭本線」の不通に伴い、「室蘭」にたびたび「臨時桟橋」が設置されました。
昭和42年9月、「室蘭本線」の「豊浦・洞爺」が集中豪雨で不通となったことから、
「室蘭港」に未使用の橋梁を活用した臨時の「簡易可動橋」を設置。青森との間で代行輸送が行われました。
また、同50年8月に「函館本線及び室蘭本線」の土砂崩れによる列車代行のため、
「函館・室蘭」間で「摩周丸及び十和田丸」が就航。
上下あわせて約15,000人を輸送した歴史がございます。
3 「青森発着の特別急行列車(「ECはつかり」「ECみちのく」「DC・EC白鳥」など)及び
「夜行列車(「EC・PCゆうづる」「PC八甲田」など)」、
そして「函館発着の優等列車」(「DC北斗」「DC北海」「DCおおとり」「DC宗谷」「PCニセコ」など)や
「43レ・44レ」は、「青函連絡船」との接続重視のダイヤを編成していたことは、
先達の皆様方には「釈迦に説法」でございましょう。
特に、「上野・青森」を結ぶ「PC・ECゆうづる」は最大7往復を設定。
「青森」での有効時間帯を重視したダイヤ以外には、完全に「青函連絡船接続」を意図したダイヤ編成がなされたのでありました。
そのために、「常磐線」は特急優先の陰で「土浦方面の近距離電車」は1時間ヘッドの運転という、
現在では想像すらつかないダイヤが当然の如くだったのでありました。
※ 宮脇俊三「対話集 ダイヤ改正の話(中央書院刊)」
坂本幸四郎「わが青春の青函連絡船(光人社刊)」等
長々と失礼致しました。
以上、青函航路では「グリーン船室の指定席」がお気に入りであった「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |