倶楽部メモ(639)
平成23年 1月11日〜 1月21日

荷物輸送全廃はいつ決定? ・ 大雪


投稿者 のり
投稿日 2011年 1月11日(火)15時47分23秒
タイトル 荷物輸送全廃はいつ決定?
皆様こんにちは、少し質問させて下さい。
昭和61年11月改正で基本全廃された国鉄荷物輸送ですが、全廃の方針決定はいつ頃決定したのでしょうか?
マニ44等は遅くまで増備されていますし、東海道山陽線へのEF62化に伴う荷物車の電暖化改造等、
財政が大幅に悪化たにもかかわらず遅くまで荷物部門への投資がされていたように感じてしまいます。
結果としてこれらは短期間でムダと終わってしまうわけですが…  
ある本で具体的な時期こそ明記されていませんが、比較的早い時期に全廃の方針が決まっていたような
ニュアンスの事が書かれていたので、気になって質問させていただいた次第です。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月12日(水)17時45分47秒
タイトル Re:荷物輸送全廃はいつ決定?
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 のり様

 「ED76109」でございます。
全く小生の知り得ぬ分野でありましたが、自分の「鉄」勉強も兼ねまして、
「日本経済新聞」の資料等、関連サイトを精査いたしました。
以下のようなことが確認できましたので、記させていただきます。

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 昭和60年、宅配便に対抗した「国鉄」は「小荷物営業の改善」目的に、宅配サービス等を付加した取組み
「宅配鉄道便Q(小荷物を相手方に宅配するもの)」や「ひかり宅配便(小荷物を取次店での引受させて、宅配するもの)
を打ち出しました。
しかし、この時点で当時の郵政省が、「郵便輸送」を鉄道から自動車及び航空機にシフトを切り替えました。
さらに、雑誌や新聞等の輸送手段も、同様の措置が取られ始めております。
つまり、小荷物輸送の財源だった「新聞や雑誌等の大口荷物」及び「鉄道郵便」が撤退した結果、
「荷物専用列車」のダイヤ設定にも大きな影響を与え、幹線輸送体系が崩壊していったのであります。
また、分割民営後は原則「3社以上に跨る列車」の運行は再考されるという方針も「荷物輸送」の足枷となりました。
そして、同61年5月に国鉄の小荷物営業自体の撤退廃止方針が定められ、
同年11月予定のダイヤ改正で小荷物営業の全廃に至りました。
ただ、全国輸送網のシステムを変えて、小荷物営業は最後まで維持する方針であった模様であり、
「ひかり宅配便」は鉄道荷物会社の営業に移管し、「鉄道コンテナ」で幹線輸送を行うといった計画がございました。

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  以上でありますが、小生得意の「勘違い」や「曲解」があるかもしれません。
先達の皆様方からの補足等を御願い申し上げます。

 「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 タクロウ
投稿日 2011年 1月15日(土)15時17分46秒
タイトル 今も残る旧型客車
大井川鉄道にはSLかわね路号の牽引する青とチョコレート色の旧型客車が今も残ってる。
昔は蒸気機関車が国鉄時代に旧型客車を牽引したのが懐かしい。
それに貨物列車を蒸気機関車が牽いたんだが、非電化区間ではディーゼル機関車が代わって牽いたんだ。
蒸気機関車とディーゼル機関車は旧型客車が似合うんだけど、電気機関車は似合わないな。
国鉄がJRに変わり、北斗星とトワイライトエクスプレスとカシオペアが電気機関車とディーゼル機関車牽引となり、
日本海とあけぼのは電気機関車牽引となった。
寝台と貨物の牽引は電気機関車が似合うだろう。
昔活躍した蒸気機関車が牽引した寝台客車は似合わなかったな。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 1月15日(土)16時43分49秒
タイトル 常磐線の荷物列車
▼ED76 109様:
> 同年11月予定のダイヤ改正で小荷物営業の全廃に至りました。

常磐線における「キニ」運転も、当該改正限りでしたかね。確か二両編成と記憶する
この荷物列車は、正確な設定区間や運行頻度は存じませんが、特急も雁行する稠密な
ダイヤに影響を及ぼさない為か、当時の非特急型気動車としては、エンジンの咆哮も
高らかに、相当の韋駄天振りを発揮しており、上り便が水戸停車中に特急を退避した
水郡線直通急行「奥久慈」にも、見習って欲しいものと、感じていました(^^)

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この寒波の中、センター試験に挑む受験生の皆さんは、本当に、御苦労様な事ですね。
よりによって、こんな大事な日に東北新幹線で大幅な遅延が発生し、仙台では受験生
数名の会場入りが遅れたとの事。受験競争がより熾烈とされる国柄ゆえ、警察車両が
遅刻しそうな受験生の送迎に供される事もあると聞く隣国の様な「公共サービス」は
望むべくもありませんが、運行障害に備えた除雪車の待機など、通常より警戒体制を
強化する様な事はあるのでしょうか。

北国・札幌でも、この時期、試験当日のダイヤ確保は、大きな関心事と思われますが、
そもそも、札幌都市圏への人口偏在率が高い道内では、どの程度の頻度で試験会場が
分布しているのやら(例えば、雪深い「山線」沿線を、小樽会場が一律管轄する様な
状況にあるとしたら、保線の御苦労も一入ですね)

以上「共通一次」の試験会場で先輩に会ってしまい、気まずい雰囲気に動揺した挙句、
結局、都内の私大に進学した雑魚でした(^^)



投稿者 のり
投稿日 2011年 1月15日(土)19時59分58秒
タイトル ありがとうございました
ED76109様、御返答ありがとうございました。 61年5月に廃止決定ですか。
ただ前年にひかり宅配便を打ち出しテコ入れを図ったり、廃止後もコンテナ利用での営業継続の構想があったりと…
かなり末期まで荷物営業継続の意思があったと見るべきなのでしょうね。
なるほど…それなら短期で廃車された新鋭荷物郵便車達も少しは浮かばれるような気がします(笑)
ED76109様、改めてお礼申し上げます。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月15日(土)21時58分43秒
タイトル 戯言情報等
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 まず、本日の「札幌発トワイライトEXP」は、悪天候のために「ウヤ」となっております。
明日の北陸筋等での撮影・車番確認等の皆様方、ご注意下さい。

 のり様

 小生自身も「鉄」勉強になりました。こちらこそ、お礼申し上げます。
しかし、今回のリサーチで、最終日ごろ(昭和61年10月下旬)の編成を見ますと、
「汐留発東小倉行の荷レ」が「EL+マニ+マニ」といった有様。
「老兵は死なず、唯消えゆくのみ」だったようであります。

 雑魚様
 >試験当日のダイヤ確保は、大きな関心事

  今年は、まず「初日」は何事も無かったようであります。
しかし、昨年度は「2日目」に「札幌北東部」が大雪に見舞われて「札沼線」が不通。
「北海道教育大札幌校」のある「あいの里教育大」行が途中駅で足止めを食い、受験生たちが一時「パニック」状態に。
結局、全員が「北大」で追試ということで、一件落着といったことがありました。
当地では、「公立高校入試」の際が際立っており、小生が「教育庁勤務」の折に、
試験当日の早暁(午前5時30分)に「JR北海道の運行統括本部」から連絡を受けて、
各支庁の「教育局」や報道機関等へ情報提供する仕事を何度か致しました。
何しろ「札幌」から「函館」、「稚内」や「根室」の距離間は約「350q」の広域さ。
「留萌線の除雪及び釧網線標茶駅のポイント故障復旧完了により、全線平常運行」の一声に、
今でもその時の緊張感が甦ることがございます。

 長々と失礼致しました。
以上、自宅のある「○別市」が、積雪「112p」の豪雪に霹靂している「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 1月16日(日)14時44分27秒
タイトル すべらサンド
▼ED76 109様:
> 試験当日の早暁(中略)に「JR北海道の運行統括本部」から連絡を受けて

運行当局でも、受験生の輸送には、かなり神経を尖らせている様子ですね。

昨日の報道によると、福井駅では「SLやまぐち」が使用している車輪空転防止用の
砂を入れた毎年恒例の御守り「すべらサンド」を受験生に無料配布。末広がりという
験を担いで 888個を用意したとの事ですが、そうした語呂合わせ感覚を援用するなら、
東海道線 888M(小田原 1710発→東京)高山線 888D(富山 1911発→越中八尾)も、
験担ぎに使えそうですね。受験を後押し、との意味合いで「横軽」「セノハチ」でも、
何か出来ないものでしょうか。

受験シーズンを迎える度、元東横線沿線住民としては、大学が移転して久しい東横線
学芸大学・都立大学の駅名に些か違和感を覚えます。開業当時の旧称である碑文谷や
柿の木坂の方が、歴史を踏まえた地域性が窺えると感じますが、都立大の前身である
旧制府立高の当該地への誘致は、東急の沿線開発策の一環だそうですね。



投稿者 雪だるま
投稿日 2011年 1月16日(日)22時10分54秒
タイトル 本日の函館線
今日は岩見沢方面大雪のため午後まで江別駅から岩見沢駅は不通でした。
ED76109 様
この大雪なんとかならないですかね?
国道は大渋滞でした。

函館線下りは上幌向でキハ40が止まっていたのでその後ろにスーパーカムイ、普通列車、
江別駅に普通列車とコンテナ列車、厚別にオホーツクがお昼まで閉じ込められました。
列車の遅れは拡大して夜には最大100分に至りました。
私は会社帰りはJRはあきらめバスにしましたが渋滞に閉口しました。

北斗星は50分遅れと発表されています。
長々と失礼しました。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月17日(月)23時49分46秒
タイトル 降り積もる雪々、又雪よ・・・
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 雪だるま様
 >この大雪なんとかならないですかね?

 御意。自宅前は雪を捨てる場所がもう・・・。130cmは積ってますかねぇ。
そういえば、今年成人の愚息が「成人の日」の連休に、2日連続して「札幌」から朝帰りの愚挙
(小生は快挙だと思っていますが)の折、始発の「921D」が「深川止まり」だったと言っておりました。
「車掌さん、『大雪のため』って言ってたな。」とのこと。
「オホーツク」も「サロベツ」も「1時間の遅れ」であり、「トワイライト」もウヤ続きですか。
大げさでは無く、このままでは「2011年冬」から「イチイチ豪雪」とでも命名されそうであります。

 雑魚様
 >大学が移転して久しい東横線学芸大学・都立大学の駅名に些か違和感を覚えます。

 小生も、元沿線住民でございますが、逆に「碑文谷」や「柿の木坂」に戻るのはいかがなものかと考えます。
「駅名」に対する考え方は多様なものがあるではありましょうが、「伝統」という認識から考えれば、
「学芸大学」という駅名を見聞きする度に「故郷」の香りを小生は感じます。
戯言ですが、「ヒキガエル」はもう走っていませんね・・・。「元町・中華街」行となって久しいですね・・・。

 長々と失礼致しました。以上、室生犀星の詩の一節が頭をかすめた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 1月18日(火)20時14分47秒
タイトル 雪には機関車+客車が強い?
ED76109先生:
日本海沿岸と北海道が大雪だそうで:-----大変ですね。
どうも雪にはDLかEL+客車が一番強いようですが、50系(北海道は51系)客車を残してお
かなかったのか? 経済性重視だけで自然現象を全く考慮していないJRには呆れます。

50系はオハフ以外はトイレ無しなのが欠点ですが、改造でトイレ設置可能な筈で、
冷房化も出来る設計だったと。

初発921D成る程旭川行ですね?(先生の最寄駅6.13???)100%架線の下ですが、
運用がどうなって居るのか?旭川近辺でアルバイトして、結局934Dで札幌戻りかもと
想像しますが。

ご子息様2日に亙り朝帰りとは、相当豪傑???



投稿者 雪だるま
投稿日 2011年 1月18日(火)22時24分20秒
タイトル 934Dについて
函館線934Dですが、苗穂のキハ40 2両での運用です。
この列車は旭川と苫小牧の気動車が苗穂工場入場するときに回送扱いで連結されます。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 1月19日(水)17時22分54秒
タイトル 常磐線特急の系統分割
▼ED 76 109様:
>「学芸大学」という駅名を見聞きする度に「故郷」の香りを小生は感じます。

当該駅前に「学芸大学」を名乗る商店街が定着して久しい事もあり、こうした感覚も
然もありなんでしょうか。一方、学芸大や都立大に進学した友人の「名実不一致」と
東横線沿線に対する憧憬ゆえのボヤキから、色々と感じる処もありました。

上記の事例とは事情が異なりますが、山陽線の西川原駅では、近接する大学の名称を
駅名に冠する事の是非を巡って、協議が難航したとの事。その背景には、交通導線の
実情とは無関係に「出雲大社口」と改め、旧総務庁の要請も踏まえて再改称する事で、
地元の費用負担が嵩んだ、出雲神西駅の「教訓」がある為だそうです。

同駅は、伯備線電化に合わせて整備された様に記憶する旧出雲運転区(旧知井宮での
折返し運転例から、一般型も留置対象と思いきや、実は、特急型専用だそうです)の
バーターで設置された、という経緯があるのですね。

1985年刊の資料によると、高架化前の出雲市駅の構内側線は、24系「出雲」の留置に
供されていた様にも見受けられますが、国鉄分割民営化の直後には、短期間ながらも
14系による 3号崩れが、出雲運転区への回送序でに、出雲市→旧知井宮のみ一般開放
されており(どの様な意義があるのかは判然としませんが、大社線に普通列車扱いで
直通した「だいせん」を彷彿とさせます)出雲市駅の高架化と「出雲」減便が、ほぼ
同時期だった事もあって、それ以前は同じ「南シナ」同士ながら、実は14系と24系で、
塒を棲み分けたのか、とも勘ぐっております。さて、実態や如何に?

> 戯言ですが、「ヒキガエル」はもう走っていませんね…。

生息地は後年、福島交通・上田交通・長野電鉄・松本電鉄・岳南鉄道・熊本電鉄など、
広範に渡りましたが、五島氏ゆかりの信州は、事業系列関係もあり、特に多いですね。

>「元町・中華街」行となって久しいですね。

営団日比谷線が中目黒に到達する以前、日吉の大学に在籍していた親父は、同窓会で
現地に赴き、電車の運行体系上「渋谷行」以外、訳が判らないと「浦島太郎」状態を
嘆いていました。副都心線や神奈川東部方面線との直通運転が始まれば、尚更ですね。

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鉄道誌によると、常磐線の特急運転体系は、上野発着を新型で揃えた上で、いわきで
系統分割する事になるそうです。地元の水戸から杜の都に直通する便が無くなるのは、
寂しい話ですが、こうなると、短距離化傾向にある特急の複数系統を跨いで運転する
ブルトレの長距離性が、何とも頼もしく感じられますね。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月19日(水)23時19分26秒
タイトル 「鉄」雑感あれこれ
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >50系(北海道は51系)客車を残しておかなかったのか?

 札幌圏の都市化に伴い、「51系」は淘汰されてしまいました。
「ED76500番代」に牽かれる姿は懐かしいところであります。
「PC宗谷」も「キハ400形」投入までの一時凌ぎ。
小生にしてみれば「ED76」と「DD51重連」で「14系版スーパー宗谷」を復活させてみたいものであります。

 >先生の最寄駅6.13?

 鉄道林に囲まれた「大学生が乗り降りする駅」が最寄り駅であります。

 >ご子息様2日に亙り朝帰りとは、相当豪傑

 ただ小生に似た「阿呆」であります。
しかし、「金がありゃ、『北斗星』でどこか行きてぇなぁ・・・。」と先日呟き、
「パパみたいなこと言うんじゃありません」と愚妻に「指導」されておりました。

 >結局934Dで札幌戻り

 「雪だるま」様のレスのとおりであり、
時たま「旭アサのキハ54」が最後尾に「くっつけられ」て「札ナホ」まで顔を出すことがあるようです。


 雑魚様
 >14系による 3号崩れが、出雲運転区への回送序でに、出雲市→旧知井宮のみ一般開放
されており

 当地でも、「回1レ」や「回8001レ」が「札サウ最寄りの手稲」まで同様の措置が実施されれば、
毎週「楽しませて」いただけるのですが・・・。

 >上野発着を新型で揃えた上で、いわきで系統分割する

 小生にしてみれば、「鉄」の原風景の一つである「常磐線PC鈍行」の想い出が
完全に遠いものとなってしまうのですか・・・(絶句そして滂沱)。
1本程度でいいですから、「ひたち」で「仙台」まで行けないものですかねぇ。


 長々と失礼致しました。
以上、昨年の修学旅行引率で「東向島」で出会った「南栗橋行の東急8500系(?)」に、
淡い衝撃を感じた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 1月21日(金)12時44分14秒
タイトル 本線格の変質
▼ED76 109様:
>「鉄」の原風景の一つである「常磐線PC鈍行」の想い出が完全に遠いもの

かつては名実共に幹線として機能した全国の「本線」も、今では、宗谷・石北・高山・
久大・豊肥・長崎(旧線は度外視)各線を除いて、昼行旅客列車の運行体系上、既に
一体性を喪失していますが、その傾向がいよいよ常磐線にも及んだ、という事ですね。

私にとって、日常的に水戸駅を利用していた昭和50年代の感覚が、常磐線を語る上で、
ある意味、標準と言えますが、既に、平(当時)以南の普通列車は概ね電車化されて
日に数本残っていた旧客便は、東北線の優位性が確立されていた優等列車体系を含め、
貴重な仙台直通(平折返し便もあり)としての憧憬を憶える存在でした。

確か、15・17・18時台に、下り便の設定があったと記憶しますが、特に15時台の便は、
平日なら、帰宅ラッシュ前の静かな時間帯、EF81から交替したED75の汽笛と共に、
連結器の衝撃が次々と伝播しゆっくり動き出すという発車場面が、厳かな雰囲気すら
感じられて、実に印象的でしたね。

思えば、かつて伝統的とされた大学進学における仙台志向が、漸減傾向にあったのは、
かかる仙台直通体系が、特に優等列車面で崩れつつあった事と関連ありと感じますが、
今回の「いわき分断措置」は、2014年に仙台まで到達する予定の常磐道で予想される
高速バス体系(仙台空港発着を含む)との整合性を先取りした措置の様にも感じます。

なお、いわき以北の特急には「フレッシュひたち」用の編成を、色調を統一した上で
充当するそうで、いよいよ「リフレッシュひたち」の登場でしょうか(^^)その一方、
登場時に「タキシード・ボディー」などと持て囃された「スーパーひたち」用編成が
波動用に退く様で(と言う事は、勝田の 485系は廃止?)改めて時の流れを感じます。
特急型ですら、この状況ですから、EF81の淘汰は、当然の結果なのかも知れません。

>「東向島」で出会った「南栗橋行の東急8500系 (?)」に、淡い衝撃

城南の「上品な地区」の象徴と目されがちな東急電車が、大宮以北の東北新幹線から
一瞥(南栗橋車両管区)できる現況には、感慨を覚えます。阪神なんば線を介しての、
近鉄奈良線や阪神本線の運転体系の広域化についても、同様の感覚があるでしょうね。



 
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