倶楽部メモ(638)
平成23年 1月 1日〜 1月10日

謹賀新年 ・ 「箱根駅伝」


投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 1月 1日(土)01時13分59秒
タイトル 謹賀新年
あけましておめでとうございます。
このところ皆様のお話を拝読するばかりで書き込みがお留守になりがちですが、今後も参加していくつもりです。
今年もよろしくお願いいたします。




投稿者 にんにくたあ
投稿日 2011年 1月 1日(土)12時00分49秒
タイトル あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。

今年も、撮り鉄、乗り鉄に納得がいくまでのめり込みたいと思います。
特に世代交代が予想される古い車両には目を離せません。

しかし、寝台特急の【日本海】【あけぼの】が今年も健在なのはなによりです。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

投稿者のホームページ



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 1月 1日(土)12時04分1秒
タイトル 年賀
謹賀新年

本年もどうか宜しくお願いします。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 1月 1日(土)15時45分26秒
タイトル 賀正
今年も、よろしく御願い申し上げます。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2011年 1月 1日(土)17時29分19秒
タイトル 謹賀新年
ご乗車の皆様、あけましておめでとうございます。
また、多くの方から年頭のご挨拶をいただき、ありがとうございました。
年々客車列車が減少している昨今ですが、昨年の「日本の客車」の復刻をはじめ
ここ数年多数の資料が発行されてもいますので、本年はよりいっそう客車の話題
特に客車の本質的な話題で盛り上がれたらよいなと願っております。
本年も「客車列車の旅」「客車倶楽部」をよろしくお願いいたします。




投稿者 きむたお
投稿日 2011年 1月 3日(月)01時05分25秒
タイトル 恭賀新年
皆様、あけましておめでとうございます。
当方、昨年は上海に異動になり3月に乗った「北陸」を最後に当分は客車列車に乗車することはないだろうなぁ・・・
と思っていましたが、こちらの出張で乗る列車はほとんど客車列車という予想外な状況になっております。
もっとも、日本のように自由な趣味活動はできませんし、中国の客車に興味のある方も少ないとは思いますが、
国は違っても客車は客車ですから少しずつでも情報を提供できれば、と思っております。

写真は平成23年にちなんでナハネフ23を組み込んだ「あおもり」です。
*すみません、こちらに持ってきているナハネフ23に関する写真はこれしかありませんでしたm(__;)m





投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月 3日(月)20時11分19秒
タイトル 遅ればせながら・・・
 新年おめでとうございます。「ED76109」でございます。

 小生、今年は次のような「目標」を立てました。

 1 「TVモニター」等の「著作活動」によって、「鉄」旅資金の確保に努める。
    (昨年の「ジャパンカップ」以来、「馬」による活動資金の調達に苦心(!?))

  2 1の資金により、「トワイライトEXP」等の「乗車活動」に努める。
    (何としても「ブルトレ」の乗車記録更新を!!)

  3 先達の皆様方の「鉄知識」の理解に努め、「北の大地」からの「鉄情報」の発信に努める。
    (先達の皆様方にとって有益なインフォメーションたれ!!)


  今年もどうぞよろしく御願い申し上げます。
以上、「山の神一人だけじゃ、W大にやられた!」と嘆く義兄に付き合った、
「箱根駅伝初シード獲得」の美酒に酔う「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月 5日(水)16時01分36秒
タイトル 「箱根駅伝」に係る戯言です
 中1日での登場、失礼致します。「ED76109」であります。

 本年最初の「戯言」でありますが、「箱根駅伝」に係る様々なエピソードに「鉄」的な部分が見られます。
今日はそのような事柄を「戯言」させていただきます。

 1 「花の二区」と称されるコースには、「保土ヶ谷や辻堂辺りのトカホセ」と交差する部分がございます。
現在ではガードとなっているのですが、昭和30年代までは平面交差の踏切となっておりました。
その際、遮断機が下りてしまいランナーの行く手を塞いでしまうこともあったとのこと。
古い映像ではランナーたちが「タキやワムを牽くEF15」や「EF58牽引の客車レ」の直前をすり抜けると
いったシーンも少なくなかったようであり、まだ長閑であった時代のエピソードの一つに数えられております。

 2 「復路」のスタート地点は「芦ノ湖畔」であり、最初の中継ポイントである「小田原」の直前で、
ランナーたちは「小田原・早川のトカホセ」の下を潜ります。
十数年前だったと思うのですが、この地点で「EF66が牽引するブルトレ」が映りました。
ダイヤを推察すると「上りはやぶさ」のようであったのですが、小生の印象に強く残っております。
現在では「九州ブルトレ」は鬼籍入りであり、駅伝ランナーとの構図は望むべくもありません。
しかし、今年同じ地点で画面に映し出されたのは「E231系」。
長年、ランナーたちと湘南路を走っていた「113系」が姿が見られない一抹の寂しさを、小生は感じました。

 3 「往路」では一斉に走るランナーが、そして「復路」では必死になって「大手町」を目指すランナーが
印象深い「品川の八ツ山橋」。小生はいつもテレビに釘付けとなる辺りであります。
しかし、ここ「八ツ山橋」はある映画の名所であります。
先達の皆様方であれば、ご存じの方々も少なくないと存じますが、「ゴジラ(東宝・昭和29年制作)」がそれであります。
東京に上陸した「ゴジラ」は「東シナ」を破壊し尽くして、逃げ遅れた人々を「八ツ山橋」へ追い詰めていきます。
すると、橋下を「トカホセ上りの急行レ(おそらく『阿蘇』か『霧島』だと思うのですが?)」が接近。
「EF58の機関士」は、「ゴジラの脚」を発見して急制動をかけるも、「ゴジラの脚」に激突してしまい、列車は大破。
挙げ句の果ては、逆鱗に触れた「ゴジラ」に「オハ35らしきPC」が踏みつぶされてしまい・・・
といったシーンが展開されたのでありました。
小学生の時に「日曜映画劇場」で初めて見ましたがこのシーンの衝撃は強く、
小生が「山手線のかぶりつき」に恐怖を覚えて「車掌室からの眺め」に転向(!?)するきっかけとなったのが、
このシーンでありました。

 長々と失礼致しました。
以上、「大手町のゴール付近」から見える「中央線」が、「オレンジ色」でないことに、
筆舌に尽くしがたい「寂しさ」を覚えた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 JIN
投稿日 2011年 1月 6日(木)00時45分44秒
タイトル Re:「箱根駅伝」に係る戯言です
こんばんは。
こちらに書き込むのは大変お久しぶりになります。
箱根駅伝ファンとしてED76109様のコメントを少し補足したいと思います。

>「保土ヶ谷や辻堂辺りのトカホセ」
これは2区の戸塚と3区の藤沢ですね。

以前は戸塚駅東側にある国道1号の踏切を渡っておりました。
専修大学と日本大学が優勝を争った第20回の昭和14年、1位の専大が踏切を渡った後に閉まってしまい、
日大が足止めをくった事がありました。
日大が必死に後を追ったのですが、ギリギリで追いつきませんでした。
そのタイム差は、踏切が閉まっていた時間とほぼ同じ。
その結果、専大は現在に至るまで唯一の優勝、日大は5連覇を逃し、21、22回に優勝しているので、
この時優勝出来ていれば中央大学6連覇を超える8連覇になっていたはずです。

箱根駅伝放送でCMに入る際に過去の映像が流れますが、
その中に早稲田の選手が踏切をくぐり抜けた後をEF15が通り過ぎる映像が出る事があります。
5年ぐらい前の話ですが、そのシーンのテロップが「蒲田の踏切」となっており、
日テレにクレーム入れたら翌年から単なる「踏切」と変わりました。

この踏切は後に吉田茂が踏切が開かない事に腹を立て、立体交差のバイパスを造った事から
今でも「ワンマン道路」と言われており、現在のコースはそちらに異動しています。

>「小田原」の直前で、ランナーたちは「小田原・早川のトカホセ」の下を潜ります。
復路の小田原の中継所は風祭なので、東海道本線は通ってませんよ。
7区を少し走ると箱根登山鉄道の下をくぐり、その後再び箱根登山、東海道本線とくぐります。
小田原中継所の直前だったとしたら、もしかしたら往路の4区と勘違いされてるのかもしれませんね。

箱根駅伝中継ではそれ以外にも2区の保土ヶ谷付近で東海道本線の横を通ったり、
5区の箱根湯本付近で小田急ロマンスカー、小涌谷の踏切で待つ登山電車等の鉄スポットが見られます。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 1月 6日(木)07時32分22秒
タイトル 多謝返礼であります
 おはようございます。「ED76109」であります。

 JIN様

 初めまして。「ED76109」であります。
産は「東京」でありますが、現在は「時計台」の街の高校に勤務しております。

 >早稲田の選手が踏切をくぐり抜けた後をEF15が通り過ぎる映像が出る事があります。

 おそらく、小生が視聴したことのある映像であろうと推察いたします。
「ワンマン道路」に係るエピソードは有名でございますね。しかし、「専大と日大のエピソード」は初耳でした。
現在であれば、新聞報道等で大騒ぎになりそうであります。
「踏切」に係るエピソードでは、
「箱根登山鉄道」の踏切で「中継車」が置き去りにされてしまい、必死にランナーの後追い映像を流したり、
数年前に「東海大のランナー」が「京急蒲田の踏切」で、足首を捻挫してしまい「途中棄権」を余儀なくされたりと、
ドラマがありますですね。


 >7区を少し走ると箱根登山鉄道の下をくぐり、その後再び箱根登山、東海道本線とくぐります。

 どうやら、小生の勘違いのようでありますね。「7区」であったのではないかと思われます。
どう考えても「12時前後」に「下りはやぶさ」が「小田原」辺りを走るはずはありませんから(笑)。
できれば、どこの大学のランナーであったか記憶していればよかったのですが・・・
(あまり拘わりますと当板の趣旨と外れてしまいますので)。

 小生の「戯言」を補足いただき、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。
以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 JIN
投稿日 2011年 1月 8日(土)08時10分24秒
タイトル いえいえ
こちらこそ、よろしくお願いします。

箱根登山鉄道の踏切は、以前はランナーは優先だけど車はダメだったのでそのようなシーンが起こりました。
記憶にあるのは、昭和62年往路の1位日体大、翌63年復路1位順天堂大です。
往路は上りなのですぐ追いつきましたが、復路は下りで速度が速く、なかなか追いつけませんでした。
蒲田の踏切で足を挫いたのは、平成20年の事でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 1月10日(月)22時03分27秒
タイトル 10年経ちました
私がこの「客車倶楽部」に初乗車してから、実は昨日で丸10年が経過してしまいました。
仙コリ(管理人)様、長いお付き合いをさせて頂きありがとうございます。
まだまだこれからもよろしくお願いいたします。

倶楽部メモ(73)に収録された私の初書き込みを改めて読み返すと、実は誤りがあります。

> 手元の時刻表復刻版・昭和31年11月ダイヤ改正号によると

昭和31年11月のダイヤ改正は有名な東海道全線電化の時で、改正日はよく知られているように19日でした。
時刻表11月号はまだ改正前であり、改正号は翌12月号だったのです。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2011年 1月10日(月)23時15分46秒
タイトル 10年ですか
クモイ103様
初乗車いただいてから10年ですか。
こちらこそ長くお付き合いいただき、また何度も詳しい解説等で助けていただきまして
本当に感謝しております。
これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

サイト自体も今月末で開設13周年となり、その間のアクセスも年間約10万アクセス
という状態が続いており、本当にご乗車いただいている皆様には感謝です。
最近大掛かりな更新をしていない状態ですが、今年はなにか新しいコンテンツを追加
したいと考えておりますので、ご乗車の皆様の希望・アイデア等がございましたら、
どしどし書き込んでいただけると幸いです。



 
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