倶楽部メモ(635)
平成22年12月 1日〜12月13日

中朝間の国際列車 ・ 日本鉄道時代の線区名称


投稿者 コスモス
投稿日 2010年12月 1日(水)19時42分18秒
タイトル 中朝間の国際列車
平壌ー北京間の国際列車(列車番号K27次)ですが、11月18日北京発で、平壌まで乗った方がおります。
11月24日に帰国されましたが、その様子がその方のブログに写真、動画も交えて掲載されています。
URLはttp://d.hatena.ne.jp/Elekt_ra/ です。(頭にhを加えてください)
それによりますと、「途中の瀋陽で既に連結されたモスクワ発満洲里経由北京行きの国
際列車「ボストーク号」の中から平壌行付属編成(同じく寝台2両)と合わせて平壌に
向かいます。」とのことです。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年12月 2日(木)10時57分19秒
タイトル このブログも
http://vienna-pyongyang.blogspot.com/

たまたま検索でヒットした英語ブログですが、これもすごい鉄道旅行記です。
文字通りViennaからPyongyangまで。
英語ですが写真が豊富で、写真を見るだけでも価値あり。
あの北の国は過去も現在もいろいろあり、私としても思うことあります。
でもむしろ、その一端(外国に公開されている作為的、表層的なものであることを踏まえてですが)を
見ることにも意義があるでしょうか。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年12月 2日(木)18時03分47秒
タイトル 夢遙かなり「国際列車」
 既に「北の大地」は冬の装いであると痛感する「ED76109」でございます。

 コスモス様及びXD1 at Phuket様

 益々「シベリア鉄道」への思いが募って参ります。様々な情報提供、ありがとうございます。
小生、まだ「日本以外の鉄路」に「乗り鉄」したことはございません。
しかし、「シベリア鉄道」は高校生のころからの「夢」であります。
それでは、いつものように「戯言」させて頂きます。

1 最もポピュラーかつ王道を行くコースは、「ウラジオストック」から「ハバロフスク」へ向かい、
「バイカル湖畔のイルクーツク」を経由して「ウラル越え」をする「ロシア号」であり、
「ウラジオストック・モスクワ」を約7日間で結んでおります。
また、同区間には「9泊10日」の日程で運転されている「直通鈍行列車」が、「EL牽引」で運転されており、
体力が続けば「制覇」したい思いもございます。
戦前の「欧亜連絡」のメインルートの一つであり、「ウラジオストック」からの航路が到着する「敦賀港」からは、
「特急富士」に併結された「オイロネフ17280形1・2等寝台車」が運転されていた歴史がございました。

2 コスモス様からの御指摘のあった「ボストーク号」は、「北京」から「東北平原」を縦断して
「ハルピン」から「満州里」・そして国境の町「ザバイカルスク」を経由して「チタ」で「シベリア鉄道」に合流致します。
かつての「旧南満州鉄道のエースあじあ号」が走った鉄路から大平原に沈む夕陽を眺め、一路「満州里」へ向かいます。
しかし、現在でも「中国」は「1435mmの標準軌」、そして一方「ロシア」は「1524mmの広軌」であり、
「ザバイカルスク」で6時間程度停車して台車交換を実施するのであります。
以前、眺めたTV映像では、霧に霞む「国境地帯」を通過した後、クレーンで持ち上げられる「グリーンのPC」が、
まるで「鉄道模型」の如くでありました。

3 もう一つのルートは、「北京」から内モンゴルの「包頭(パオトウ)」を経由してモンゴル共和国「ウランバートル」へ、
「ウラン・ウデ」で「シベリア鉄道」に合流する「国際列車」であります。
このルートは「黄河」から「砂漠地帯」、そして「草原地帯」と目まぐるしく車窓風景が変化し、
「シベリア鉄道」に乗り入れてからは「タイガ」が3日間続く・・・と言った「乗り鉄」ご推奨のルートであります。
事実、外国人を中心とした観光客が多い路線でもあるようであります。
ほとんど知られることない「モンゴルの鉄道」ですが、「ロシア」と同様の「広軌」であり、
「中国」の「二連(アーレン)」で上記に記された「台車交換作業」が繰り広げられるといった長閑な国際列車であります。

 上記の列車たちには全て「食堂車」が連結されており、「中国」や「ロシア」など国ごとに「食堂車」は切り離されて、
各国の料理が楽しめるようであります。
長時間停車でのフォーム散策や他民族との出会い、そして車窓に流れるユーラシア大陸の自然・・・。
小生の憧憬は広がるばかりであります。

 長々と失礼致しました。以上、「824レ×10」の鈍行紀行への夢広がる「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年12月 3日(金)17時03分37秒
タイトル 手抜きの シベリア
▼ED76 109様:
>「ウラジオストック・モスクワ」を約7日間で結んでおります。

成田〜西欧に12時間前後を要する航空便も、半分以上はロシア上空です。窓際席で
何度か往来すると、結構「御馳走様」状態ですね。XD 1様が紹介されたサイトの
凄まじい内容にも鑑みるに、シベリア鉄道走破に憧憬を抱いた厚顔のブ少年当時の
モチベーションは、一体、何処に行ったのかと、天を仰ぐ哀しき中年でした(^^)

シベリアにせよ欧州にせよ、季節によっては、日本に比べると天候が不安定の様で、
航空機からだと雲海が大半で、鉄道のそれには敵わないのですが、下段画像の様に、
夏なのに、重厚な雪山(確か、ウラル山脈の手前でした)が見える特典もあります。
これって、北極圏ですかね?





投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年12月 4日(土)10時30分10秒
タイトル シベリア
雑魚様の貴重な写真を見せて戴きました。
ソ連時代は撮影禁止だったと聞いていますので少しは自由になったのですね。
浦塩など外国人立ち入り禁止だった時代に、ソ連の船会社からカレンダーを貰い、
きれいな駅舎が出ていたので嬉しかった事があります。今は伏木から直航貨客船が
あるので、ED76109先生がこれでシベリア鉄道へ続く長旅へでしょうか?



投稿者 ED76109
投稿日 2010年12月 4日(土)21時25分28秒
タイトル 長距離列車の想ひ出
 おばんでございます。「東北新幹線全線開通」に、意外と冷めている「ED76109」であります。

 雑魚様及びマロネロ38様

 >ソ連時代は撮影禁止だったと聞いています

  件の「NHK特集」のスタッフは、「ソ連の鉄道施設への撮影」は「犯罪」であるという市民の認識に、
数度となく「ロシア号」を撮影する度に「警察」に通報されてしまい、
「ソ連当局の許可証」を提示していたとの後日談を伺ったことがございます。
体制の違いとは言っても、当時は違和感一杯でありました。

 さて、話題を変えて。本日、「新青森」まで「東北新幹線」が全通致しました。
しかし、これで「トホホセ」は「東京・盛岡」扱い(当地のTVニュースによる)とのことに、
小生強いショックを受けております。
「昭和48年6月版JTB時刻表」によりますと、「上野・青森」には次のような列車が走っております。
いずれにしましても、「新函館」に来るまでに「北斗星」及び「トワイライトEXP」には
再乗車する決意を新たにいたしました。

 (特急)

 「ECはつかり」(4往復)  「ECみちのく」 (常磐線経由・1往復) 
 「ECいなほ」 (上越・羽越・奥羽本線経由・1往復)
 「PCゆうづる」 (常磐線経由・2往復)
 「ECゆうづる」 (常磐線経由・3往復)
 「ECはくつる」(1往復)
 「PCあけぼの」(1往復・奥羽本線経由)

 (急行)

 「PC八甲田」(1往復)
 「PC十和田」(常磐線経由・2往復)
 「PC津軽」(奥羽本線経由・2往復)

   もう一度、「上野駅の地平フォーム」から「PC急行」に無性に乗りたくなった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年12月 5日(日)10時05分54秒
タイトル 奥羽線のニ番??
これは管理人さんの守備範囲みたいですが、日本鉄道時代の東北本線の「線名」が今と
同じだったのでしょうか?
小説(ED76109先生がお好きな鉄道推理小説も含めて)には、オカシナ
記述がありますが、「田舎教師」(田山花袋)の中に次の記述があります:-

「明日で好いなら-明日朝の馬車で久喜まで行って奥羽線の二番に乗る方が好いですな」
(岩波文庫版)
現在の東武の羽生の住職が東京へ行かねばならない時に、郵便局員が教える件です。
時代は昭和天皇の御誕生から日露戦争勃発以前--手持ちの明治27年12月版汽車汽船旅行
案内復刻には、久喜発上り2番列車8.14→上野9.50(小山始発)があります。

但し「奥羽線」が引っかかる???本当の戯言で失礼ですが。



投稿者 仙コリ
投稿日 2010年12月 6日(月)16時57分47秒
タイトル 日本鉄道時代の線区名称
マロネロ38様

>日本鉄道時代の東北本線の「線名」が今と同じだったのでしょうか?

地元ネタながら大変古い話でまったく存じ上げませんので、いろいろと調べてみると

当初の呼び方は
上野・大宮間を「第1区」、大宮・白河間を「第2区」、白河・仙台間を「第3区」、
仙台・盛岡間を「第4区」、盛岡・青森間を「第5区」

1906年2月8日決議の会社定款変更以降は
上野・仙台間を「本線南区」、仙台・青森間を「本線北区」

1906年11月1日に国有化され、元日本鉄道の路線は「元日本線」と呼ばれ
1909年に国有鉄道線路名称が制定され「東北本線」となったようです。

「田舎教師」(田山花袋)は1909年の発表のようなので、ちょうど鉄道国有化の時期
であり、「東北本線」という名称はぎりぎり付いていない時期のようですね。

奥羽線は1905年に全線開通していますが、奥羽線からの直通長距離夜行列車で、
早朝に上野に向かう列車などはなかったのですよね?
仮にあっても東京近辺では奥羽線の列車とは言わないと思うので、まったくのなぞ
ですね。

なお、記入した年代・線区名称等はすべてネット上の情報であるため、間違い等が
ありましたらご容赦ください。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年12月 7日(火)12時26分58秒
タイトル 白河駅
▼管理人様:
> 上野・大宮間を「第1区」大宮・白河間を「第2区」白河・仙台間を「第3区」

白河駅が第二区と第三区の結節点とは、意外でしたが、黒磯駅が交直流接続点として
拠点性を増す以前は、機関区や保線区を併設した大所帯で、歴史的な要衝でもあった
白河市の面目躍如という印象です。

電源切替を巡り、白河駅と誘致を争ったとされる黒磯駅に軍配が上った理由としては、
十八番の「国鉄の車両/東北線U」によると、構内配線に余裕があり(白河駅は元々
一面二線構造と手狭気味)急行が停まり、上野から二時間程度と運用の区切りが良く、
那須御用邸絡みの御召列車が考慮された為とされます。特に御召列車事情が重視され、
さもなくば西那須野駅も候補たり得たとの事。西那須野と黒磯の折衷的な立地である
那須塩原駅の前史が窺える様でもあります。

西那須野は黒磯に比肩する規模の市街を擁するほか、塩原温泉の入口でもありますが、
那須地方の行政中心地である城下町・大田原の玄関口としても重要な位置付けでした。
その要衝が東北線から外れたのは、矢板〜白河の経路から微妙に外れ、前後の土地の
起伏が隘路になるほか、塩原への温泉客を重視した事情があるとか。それを補うべく
西那須野と黒羽(那須小川)を結んでいだ東野鉄道の廃線跡は、現在、サイクリング・
ロードとして整備されていますが、短いながらも線路を配した野木神社前駅の跡には
ちょっと萌えますね。

那須塩原駅は、命名を巡り、開業近くなって、政治的な駆引きも多々あった様ですが、
その駅名が「平成の大合併」後の自治体名に用いられた辺り、感慨を覚えます。但し、
JTB時刻表が巻頭地図で定める市の代表駅は、歴史的経緯を考慮して黒磯の侭です。
新幹線の整備に伴い、高速列車体系の実態を踏まえ見直しがあっても良さそうですが、
そうなると、西白河郡西郷村に所在する新白河駅が、少々悩ましいですね。

画像は、新白河駅です。水郡線の常陸大子付近に航空無線の標識施設がある関係から、
欧州→成田便は、白河俯瞰が御約束の様です。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年12月 9日(木)13時35分53秒
タイトル 東北本線
管理人様:
ご教示有難う御座いました。○線区−南と北−元日本線−東北本線だったのですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年12月12日(日)08時13分44秒
タイトル 道庁 VS JR北海道 !!
  おはようございます。「ED76109」であります。

 さて、「東北新幹線」が「新青森」まで参りまして、一段落いたしました。
しかし、当地では先週「道庁VSJR北海道」の熾烈な争いが・・・。
と申しますのは、「新函館」延伸後の「JR函館本線(函館・小樽)」の処遇に係り、
「第三セクター化」を提示した「JR」に対して、北海道の「高橋はるみ知事」が
「沿線の現状を鑑みるに、JRの経営分離は再考願いたい」との談話が発表され、
両者の主張が完全に平行線ということに。
前述いたしましたが、「函館・新函館」ですら「第三セクター化」したい「JR北海道」に対して、
「第三セクター化は、函館・小樽の廃止への第一歩」とする沿線自治体。
現状の北海道では、「第三セクターへの出資」は道財政破綻に繋がりかねない一大事。
今回の「高橋知事の発言」は、「JR北海道への挑戦状」であるとの論調の「道新」ほどではありませんが、
最悪の場合「北海道新幹線は新函館止まり」の公算も、ゼロではなくなって参りました・・・。

 以上、十数年前、道庁内で「赤鉢巻き」で座り込みに参加した「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年12月13日(月)10時39分30秒
タイトル 山線所感
▼ED76 109様:
> 当地では先週「道庁 vs JR北海道」の熾烈な争いが

予想された事ではありますね。函館線の位置付けを見ると、渡島総合振興局区間では、
函館界隈での限られた都市近郊型需要を除けば、函館〜札幌の都市連絡機能が第一義。
後志局域区間に至っては、かかる機能すら希薄で、電化区間に接続する小樽を除けば、
市制施行に足る人口要件を満たす沿線の自治体も皆無。行政の中心地である倶知安と
鉄道廃止から既に四半世紀となる岩内の二町で、やっと一万台半ばを擁するのみです。

新幹線開業以降の並行区間については、しなの鉄道・いわて銀河鉄道・青い森鉄道を
大きく上回る厳しい経営が予想され、公共交通機関としての社会的使命や、有珠山の
噴火災害の可能性を斟酌してなお、設立区分を取り沙汰する以前に、徒に経営収支を
悪化させずに路線を維持する事が可能なのか、札幌直通の高速バスが、瀬棚・ニセコ・
倶知安・岩内・余市まで既に往来している事をどう捉えるか、などなど、当該地域に
利害関係を持たない余所者の、勝手な所感ですが、とかく悲観論に傾きがちです。

新幹線に限らず、並行する高速道、ないし高規格道路の伸張に伴うバス路線の拡充で、
都市間連絡の必然性が損なわれた時、JR北海道では、存在の意義が問われる路線が
続出する事でしょうね。



投稿者 太田拓也
投稿日 2010年12月13日(月)13時49分59秒
タイトル カニ24 511発見
北海道新幹線を取り巻く事情は厳しいようですが、
全通したばかりの東北新幹線で青森まで行き
「日本海」で帰宅したばかりの太田拓也です。

さて、以前この掲示板でカニ24 511の話題があがりましたが、
乗車した「日本海」の電源車がちょうどこれだったので報告します。

2010年12月12日発 4002列車 上り「日本海」
EF81 107 青森→敦賀 ローズピンク色
EF81 44  敦賀→大阪 トワイライト色
(1)オハネフ25 117
(2)オハネ25 152
(3)オハネ24 3 北斗星用の引戸車
(4)オハネフ25 125 腐食防止の白ペンキナンバー
(5)オハネ35 216
(6)オハネ25 147
(9)オハネフ25 202
(10)オロネ24 4
カニ24 511

・7,8号車非連結
・オロネ以外電源車を含め金帯
・3号車以外のハネは折戸 「あさかぜ」「はくつる」からの転用と思われる


投稿者のホームページ



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから