倶楽部メモ(618)
平成22年 8月11日〜 8月20日

「あけぼの」 存続決定 ・ EC長距離便


投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月11日(水)16時45分38秒
タイトル 今冬の改正後も 「あけぼの」 存続決定
先月初旬、東北新幹線の新青森延伸に伴う今冬のダイヤ改正における「あけぼの」の
去就に関連しそうな周辺事象を、あれこれ詮索申し上げましたが、実は、その時点で
存廃問題が決着していた事が判りました。先月七日付の「東奥日報」によると、JR
東日本秋田支社の広報室長の談話として、昨年度の乗車率が60%で、今年四月以降も
上向いているとして「当面」存続される事が決定したとの事。

そうなると、開業ブームが一段落した来年の二月頃、金曜か土曜の夜「あけぼの」で
首都圏を発ち、羽越・奥羽線沿線の雪景色を堪能して、青森で一服し「はやぶさ」で
新幹線の新規開業区間の乗り潰しを兼ねて首都圏に戻る、というのが定番でしょうか。
その場合、首都圏〜新青森の変則往復となるにも拘わらず、新青森で「乗継割引」が
適用されるかどうか、妙に気になりますね(^^)

ひとまず、安堵しましたが、そうなると「あけぼの」以上に、独自の都市連絡需要を
抱える「日本海」は、より安泰と楽観しています(新青森駅のホームは、寝台特急の
停車を想定した有効長となるのでしょうか)その一方、新青森での機回しや青森での
エンド交換が隘路になりそうな「はまなす」の趨勢は、新青森〜青森をリレー接続で
割り切る可能性も考慮すると、依然、予測が困難です。

また、運転区間が短縮される「つがる」代替便の 701系快速化が取り沙汰されている
点については、海峡線の特急を「スーパーカムイ/エアポート」よろしく、弘前まで
延長する手法もありそうですが、新幹線乗継割引を適用する為には、新青森〜青森が
特急扱いとなり、それでは、青森〜弘前の都市間連絡が料金面で中途半端になるなど、
痛し痒しの状態です。

少なくとも、弘前発着便への特急型充当を必然ならしめる為に、当該列車を大館まで
延長する措置は、盛岡・新青森・大館の位置関係から、直ちには考え難く、どの様な
輸送形態に落ち着くかは、なお要注目ですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月12日(木)15時40分6秒
タイトル 戯言情報です
 失礼申し上げます。「ED76109」であります。

 本日、当地発の「上り北斗星」及び「上りトワイライトEXP」は、
台風に係る「大雨」のために「函館始発」で運転されます。
本州では、若干の遅延の発生も見込まれることから、
明日の撮影・車番記録等は事前の情報確認が必要かもしれません。

 以上、「戯言情報」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月16日(月)20時58分38秒
タイトル 「平成22年度夏・道内乗り鉄」報告
 中3日で「連投」失礼いたします。「ED76109」であります。

 先達の皆様方、お盆休みは如何だったでごさいましょうか。
当地も連日「30℃前後」であり、北国としては「暑き日々」でございます。
さて、今年はバラバラに3日間ほど、小生「夏休」が取れましたので、
「道内フリーパス(25,500円也)」で乗り鉄に出かけました(1日は出張の帰りがけに・・・)。
それでは、北の大地の香りを「戯言」調子で報告いたします。

 1 前述いたしましたが、釧網本線を走る「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」に乗り鉄してまいりました。
札幌から「スーパーおおぞら3号」で一路釧路まで直行すると、「マロネロ38様」が御贔屓の
「キハ54」単行が5番フォームに待っており、まずは「釧路湿原」を目指しました。
沼地帯を左右にカーヴを切りながら、雄大な景色を楽しみつつも、
当日は「28℃(釧路では猛暑日相当!)」の快晴とあっては「暑い」の一言。
しかし、「標茶」で車内がひと段落すると、車内は「足湯」の話題で持ち切り。
まずは「21分停車の摩周」で駅前の「足湯場」に、
そして「16分停車の川湯温泉」で「駅舎内の足湯」に「女性と混浴(!?)」となりました。
どちらも、程よい熱さで汽車旅の疲れも癒されるといったところ。
当然、行きずりの旅行者の方々とも仲良くなって、久しぶりに「旅は道連れ」を満喫。
圧巻は「斜里岳の遠望」と藍色に輝く「オホーツク海」の眺め。
特に「オホーツク海」は夕日を追いかけながら、一杯に開けた窓からの潮風を感じながらの汽車旅。
帰路の「DCオホーツク車中」からの網走湖の日の入りと併せて、自然の雄大さにただただ感動の1日でありました。

 2 「函館」への出張が終わった日の午後、
「スーパー北斗21号」までの時間潰しに、「砂原線」を「乗り鉄」いたしました。
何だかんだで、年に一度は「函館」までくることがよくあるのですが、
「砂原回りのルート」にはほとんど乗る機会もなく、「DC鈍行」で回ることに・・・。
小生が乗った「森」からの「函館行DC鈍行」は、いつもであれば車窓の左側に広がるはずの「駒ケ岳」を右側に眺めつつ、
「噴火湾」を左側にと、忙しくボックスを動き回るはめに。
すると、「渡島砂原」や「鹿部」から「撮り鉄」らしき先達の方々が少しずつ乗ってこられました。
聞けば、先行した「C11牽引のSL函館・大沼号」の撮影を終えてとのこと。
「少し逆光気味だった」とぼやかれておられましたが、成果は十分だったと満足の御様子。
さらに「仁山」では退避線跡を眺めながら、「一度でいいから、ここでD51を撮りたかったなぁ。」
と仰った寂しい横顔が印象に残りました。
新幹線延伸の折は、廃止が濃厚な鉄路。
何か一抹の寂しさを感じながら、DCは「函館1番フォーム」にたどり着きました。

 3 小生、「滝川・釧路の2429D」は3度「制覇」しているのですが、
地元であるためか、「小樽・旭川の2149М」は未制覇であり、
今回の「音威子府」までの乗り鉄で制覇致しました。
やはり、「711系のボックスシート」から眺めたからか、
「張碓」や「銭函」からの日本海は「731系」からの眺めとは一風違っていた感がいたしました。
「岩見沢」で後部の3両を切り離すと、非冷房の窓から入る風が何とも心地よい限りで、石狩平野を疾走。
「滝川」、「深川」と長時間停車の度に駅舎へ入り、フォームで先行の「スーパーかむい」等を見送っていると、
「121レ」や「122レ」で揺られていた昔を思い出して、小生何か感傷的に・・・。
「小樽」から4時間30分、「乗り鉄」の先達の方々と久しぶりに味わった「成就感」をかみしめながら、
小生「旭川」に降り立ちました。

 長々と失礼致しました。
以上、やはり旅は「鈍行レ」に限ると、原点回帰を認識した「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 8月17日(火)10時01分51秒
タイトル あけぼのに売店室が必要
「あけぼの」の存続は朗報ですが、あの列車は停車時間が短くて「駅弁が買えない」様です。
実は「ひたちなか海浜鉄道」のY社長が津軽鉄道の催しに参加して、帰途弘前で弁当を買
い忘れ、「車販も来ない」ので、高崎まですきっ腹を抱えて下車後、マクドだか吉野家だか
に飛び込んだとの事でした。なるほど駅弁を買えそうな秋田でも上りは3分程度ですから,
駅弁買えないでしょう(主機交換はもうないのか)?EF510ロングラン??
食堂車が無くなって不便なのだから、JR東もナハフ20、21にあった様な売店室付きハネ
を改造ででも連結する必要があるでしょう。「日本海」にも売店室が必要。

「日本海」が14系化で食堂車が無くなった時に、私は時刻表で知ったので,パンと缶コー
ヒーを買って乗車しましたが、後日勤め先の社長と専務が大阪から秋田まですきっ腹で行
かされて文句たらたらでした。総務へは「食堂車が無くなったぞ」と伝えていたのですが、
お偉方には伝わっていなかった様で。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月18日(水)09時24分54秒
タイトル 駅弁
夜行列車における車内販売の有無は、かなり切実な問題ですので(私も「エルム」で
同様の経験に遭ったと記憶します)売店室設置に至らないとしても、乗車前の調達を
促すべく、時刻表その他で事前の周知徹底を図る必要は、少なくともあるでしょうね。

その一方、新幹線駅開業で、相対的地位の低下が予想される青森にあって、只でさえ
少数派の夜行列車の為に、どの程度の販売体制が確保できるのかは、腕組みモノです。
需要が大きく切替る事情があるなら、かかる事情を踏まえ、秋田での停車時間を少し
長目に設定する程度の措置はあっても良いと考えます。

ところで、半纏を着た販売員が肩紐で支えた番重で駅弁を売り歩く古風なスタイルは、
信越線の碓氷峠区間が廃止されて以来、残っているのでしょうか。その昔、東北線の
沼宮内(現・いわて沼宮内)駅で、駅名の連呼と駅弁売りが輻輳すると「ぬまくない
弁当」が転じて「うまくない弁当」になる、という勘繰りもありましたが、そもそも
同駅では、JR末期に定期の優等列車が全て通過するなど、駅弁販売を必然せしめる
状況では無かった様です。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月18日(水)13時01分39秒
タイトル 「はつかり」 の面影
▼ED76 109様:
> いつもであれば車窓の左側に広がるはずの「駒ケ岳」を右側に眺めつつ、

函館を朝に発つ長万部行が、大沼で砂原迂回の編成を分離し、森では、その迂回便の
到着を待って発車する、という名物運転が、数年前までありましたが、これは極端に
普通列車が少ない区間ならではの現象でしょう。現在なお、函館から普通列車のみで
札幌に移動する場合(東室蘭・小樽と、経由地の如何を問わず)朝一番に出発しても
到着は夕方ですからねぇ。つくづく「青春18きっぷ」には不向きの地と感じます。

> 地元であるためか「小樽・旭川の 2149М」は未制覇であり、

こうした長距離電車便が今尚、往年の急行「かむい」「さちかぜ」よろしく 711系で
運用されているのは、感慨深いですね。道内第二の都市・旭川の郊外にもかかわらず
地形的な断絶性の為、特急街道ながらも普通列車が異様に少ない神居古潭を跨いでの
直通運転とあれば、尚更です。

>「滝川」「深川」と長時間停車の度に駅舎へ入り、

旧空知支庁の総人口は、実は旭川市単独と概ね同数なのですね。空知の中心地にして、
札幌通勤圏の一端を担う岩見沢にせよ、2006年の合併を以てしても、十万には僅かに
及びません。興味深い事に、バブル崩壊以前、人口増が顕著だった1980年代後半にも
数千人規模の人口減少が見られます。

国鉄分割民営化との因果関係を指摘する向きがありますが、夕張や三笠に象徴される
石炭産業の斜陽に伴う運炭路線の廃止ないし縮小、それに連動した、岩見沢駅自体の
機関区や操車場のあり方が少なからず作用したと思われます。何れにしても、道内の
人口分布における、札幌都市圏の絶対優位性は揺ぎ無く、空知地方を往来する特急は、
まず札幌〜旭川の都市連絡ありきなのですね。

> やはり旅は「鈍行レ」に限ると、原点回帰を認識

往年の鉄道紀行絡みの随筆では「窓の開閉が効く車両」も、重要な要素とされる事が
多かった様で、その意味では 711系も及第点ですね。

======================================================================

その北海道への憧憬を運んだ、往年の花形列車「はつかり」の風情を東北線に求めて、
583系 仙台編成による臨時快速「夏休み東北縦貫」を、先日撮って来ました。場所は
定番の泉崎〜矢吹です。広大な水田地帯を直線で貫く東北線を疾走する「月光型」は、
編成こそ短いものの、東北線の全盛時代を彷彿とさせる雰囲気でした。




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月19日(木)00時04分12秒
タイトル 懐かしきEC長距離便
 客車倶楽部に拘わらず「ECの話題」で失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >こうした長距離電車便が今尚、往年の急行「かむい」「さちかぜ」よろしく 711系で運用されている

 先達の皆様方の話題になる、ロングシートの「731系」や快速エアポート「721系」が主力であり、
「711系」は少なくなりました。
「EC急行かむい」は、昭和43年10月の「滝川・小樽」に一往復が登場以来、
同47年3月改正で10往復(内一往復はDC)に拡大。
さらに、旭川始発の「さちかぜ」は「旭川・札幌間ノンストップ」で度肝を抜きました。
その流れが、「いしかり→スーパーホワイトアロー→スーパーカムイ」と脈打っております。
 小生としては、「品川・浜松間の325М」や「上野・長岡間の723М」、
さらには「中央東線のスカ線色113系」等の「EC鈍行」が想ひ出に残ります。
さらには季節限定ですが、「新宿・館山間の臨海快速」や「新宿・相模湖間の臨時レ」での
「101系」等もありましたですね。

 >北海道への憧憬を運んだ往年の花形列車「はつかり」

 小生、実は「ECはつかり」には新幹線盛岡開業まで、「乗車」したことはありませんでした(!!)。
前述したように「旧客鈍行レ」征服に血眼になっていたため、「常磐線の上野始発仙台行」が定番。
「ひばり」や「やまびこ」、さらには「やまばと」も「みちのく」も
未制覇。唯一、「臨時PCつばさ」と「いなほ(後のEC鳥海)」にお世話になった程度。
渡道した後は、海峡越えで「はつかり」には幾度となくお世話になりましたが・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、今にして思えば「旧客鈍行以外、何が面白い。」と思い上がりも甚だしい、
愚か者であった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月19日(木)15時10分49秒
タイトル みちのく
▼ED76 109様:
> 上野・長岡間の 723М

長岡に早朝の四時台に到着する夜行便の事ですか? 115系が充当されていた為、深夜
停車する度に、寒い思いをしたと、知人が述懐していました。いわゆる「南瓜色」に
統一されたクモユが、当時の上越線では御約束でしたね。深夜の土合では、あの長い
階段で「足慣らし」をする登山客も少なからず下車したのでしょうかね。

> 中央東線のスカ線色113系

我が学生時代、新宿に直通する「スカ色」定期便は、甲府の長時間停車が名物だった
上諏訪行の夜行(下りのみ設定)を含め一日 2、3本 あり、ちょっとした旅行の際は
朝方の便を利用したものです。新宿〜八王子は途中、立川のみ停車と、特別快速より
上格の位置付けでしたが種別は「普通」で、常磐線の「ミミズ電車vsH電」よろしく、
少し判り難い体系でしたっけ。

>「常磐線の上野始発仙台行」が定番(中略)さらには「みちのく」も未制覇。

日常的に旧客列車を目撃ないし利用していた高校時代は、当時の常磐線の花形だった
ボンネット型「ひたち」とも一味違った「みちのく」の勇姿(停車駅も、日立・湯本・
平・原ノ町・相馬・仙台と「ひたち」以上に絞っていました)こそ、萌え萌えでして、
旧客列車を珍重するのは、大都市圏ならではの感性か、と感じていたものです。

当時は東北線が黒磯を境に、以南が電車ばかり、以北が旧客ばかりと、陣容が極端に
分かれており「先進性では、直流区間>交流区間」と感じていました。首都圏の近郊
電車運用が交流区間に直通する固有の事情の産物であろう、上野発着の旧客が永らく
残った地元・常磐線については「平までが先進地域」と、これまた勝手な解釈。既に
仙台界隈では、近郊型電車の大量投入が必要な状況でしたが 417系は編成の絶対数が
不足していた為、仙台以北では全て、利府支線で折り返す状況でした。

以前、言及したと思いますが、下り「みちのく」が水戸を発つのは16時過ぎで、ほぼ
同時に、16時半発の水郡線旧客便(常陸大子行)が勝田側からすぐ隣に推進入線する
内容でした(転線で常磐線を横切る為「みちのく」への干渉を避け、同列車発車後に
入線する事もありました)今考えても、贅沢な組み合わせですね。

当時「ひたち」はサシを連結しつつも、食堂営業は既に廃止されていたと聞きますが、
一方「みちのく」では健在で(水戸発車の時点では未だ準備中と見受けられた記憶も
ありますが、実態や如何に?)こうした優等列車の風格こそ、北海道に対する憧憬の
原点でした。数名の同窓生が道内の大学に進学したのは「みちのく」憧憬が作用した
可能性も一部にあると確信しています(^^)

ただし、私の初渡道は、14系「津軽」→連絡船→最終「北斗」でして、旧千歳空港で
乗り継いだ14系「まりも」から翌朝に一瞥した、音別付近の海岸線が、初めて眺めた
北の大地でした。その後、釧路で気動車急行「ノサップ」に乗り継いで、根室に移動。
首都圏から夜行二連泊を経た事もあり「最果て」の風情を、殊更に感じた一幕でした。

その時点で既に、廃止から20年以上が経過していましたが、ここから更に拓殖鉄道が
東へ延びていた事を考えると、正に「線路は続くよ、どこまでも」といった趣でした。
終着駅の「歯舞」を、北方領土のそれと混同し、終戦前は、鉄道連絡船の類で本土と
結ばれていたのか、と勘違いしていましたが、そもそも旧歯舞村自体が、根室半島に
役場を擁しつつ「侵攻前」は歯舞群島を所管していたのですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月19日(木)19時43分5秒
タイトル EC鈍行点描
 失礼いたします。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >上野・長岡間の 723М

  これは「朝一番の長岡行」でした。雑魚様の仰る「夜行便」は「735М」であります。
「115系8両」+「クモニ」といった出で立ちで、「上越国境の絶景」を眺めながらの約5時間半弱の旅。
「723М」は「長岡」乗り換えで「新津」から「磐越西線のPC郡山行」に接続しておりましたし、
「735М」は「宮内」で「北陸本線のPC米原行」に接続。鈍行紀行には不可欠な存在でありました。

 >新宿に直通する「スカ色」定期便

 小生が「愛用」していた頃は「新宿発着」でありましたが、
現在の「中央線の盛況ぶり」を鑑みると「高尾・八王子・立川」折り返しが相応しいのでしょうかね・・・。
「115系」でした。お詫びして訂正致します。
小生は、件の「常磐線PC乗り鉄」と併せて、「スカ色の8両」で信濃路に親しんでおりました。
「西イイのPC」がすぐに「廃止」されてしまった世代なものですから、
「中央西線の鈍行レ」といえば正しく「スカ色定期便」でありました。

 >数名の同窓生が道内の大学に進学したのは「みちのく」憧憬が作用した

 前述しましたが、勤務校の同僚に雑魚様の先輩がおられます。
彼は「『みちのく』で北に行きたい」との思いから、
当地の大学を受験して小生と同じ「北の大地」で教鞭を執るはめに・・・。
しかし彼も「鉄」であるのか、「そういえば、家の近くをDLが牽く『散水列車』を今年は何度も見ますね。」と一言。
「DE10ですよね」と確認するあたりに、「同士の思い」を強く感じました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2010年 8月19日(木)20時33分38秒
タイトル 上越夜行長岡行き733M
 横から失礼いたしますm(_ _)m。

 長岡行き上越夜行は、学生時代の一時期、実験などで帰宅が遅くなるとわざわざこれに合わせ、
上野から浦和まで乗車していました。
編成は115系(4+7)連+クモニ83で前4両は籠原止まり。
クモニのツリカケ音を聴くため、直前のクハの最後部に好んで乗ったものです。
 列車番号はかなり古くから最後まで「733M」でした。
700番台は上越線を全線走破する列車、急行「佐渡」も701M〜の列番を与えられていましたね。
 上野−長岡間を直通する普通列車は当時これを含めて3往復程度あったかと記憶していますが、
昭和60(1985)年3月13日のダイヤ改正で全て廃止されました。

 改正の前々日、最後の「長岡夜行」が発車する上野駅7番線には多くのファンがつめかけ、
自作のヘッドマークや横サボを取り付けての記念撮影も。
これらは発車前に外されて、最終733Mは「普段着」で夜の上越線へと向かっていきました。
 ただ、この前年の秋頃から新ナカのクモニ83は、
「荷」の表示をしている前面方向幕を埋めたものが続出していました(ツララ対策?)。
しかし最終日には幕が残る83015が充当され、これは電車区の粋な計らいだったのかな?と思っています。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月20日(金)16時05分25秒
タイトル 上越線
▼ED76 109様:
>「中央線の盛況ぶり」を鑑みると「高尾・八王子・立川」折り返しが相応しい

三鷹〜高尾が複線化されていれば、事情は多少変わっていたかも知れません。せめて
朝夕の混雑時間帯を除き、特快のスジに 115系を充当する余地は無かったのか、とも
感じますが、その「スカ色」も、現行の運用域は小淵沢までだそうで、総武快速線や
横須賀線における新型置換と相まって、急に稀少性が増したという印象です。

▼クモイ103様:
> 昭和60(1985)年 3月13日のダイヤ改正で全て廃止されました。

急行「佐渡」と同時引退だった訳ですね。以前にも言及しましたが、当該改正直前に
上り「佐渡」を全区間、惜別乗車しまして、その前日、同じ趣旨で、名古屋→新潟と
全区間乗車した下り「赤倉」と同一の編成だった事から、感慨を覚えたものです。

同改正で「赤倉」のスジは、長野以南が「しなの」に吸収されつつ「南越後」として
松本以北が残りました(ただし長野以南は普通列車扱い)同僚の「とがくし」と共に、
現行の快速「くびき野」に落ち着くまで、特急への格上げ(みのり)など実に様々な
変遷がありましたね。

一方、当該改正では、昼行便が廃止された1982年以降、14系化された夜行「妙高」が
なぜかモノクラス 169系に置換とサービス・ダウン。二年前に茨城県内から撤退した
普通客レと相まって、客車列車の衰退を、本格的に意識し始めた時期でもありました。

なお、私にとっては、181系「とき」と暖色塗装 80系が、上越線における原風景です。



投稿者 はやぶさ命
投稿日 2010年 8月20日(金)16時40分17秒
タイトル みどりの窓口 追加
NETテレビで放映されていた「みどりの窓口」について、記憶の限りで補足投稿させて頂きます。
土曜日の内容は「話題」というもので、最近の国鉄の話題をトーク形式で伝える、というものでした。
よく出演していたのが、現在JR○海にお勤めされている須○さんでした(当時も国鉄の要職にあったと思います)。
月〜金の構成とは全く異なり、映像紹介(走れ特急!シリーズなど)も、指定券の予約状況も流されませんでした。
ちょっと物足りなかったのを覚えています。
司会進行役はNETテレビの女性アナで、堀越むつ子さん、中里雅子さん、南美希子さん、などが出演されていました。
テレビ朝日での放映が終了しても、しばらくはテレビ東京で同様の番組が放映されていたと記憶しています。
当時、小学生でしたので、朝の始業前に運動があり、なかなか見る機会に恵まれませんでしたが、
何かの機会で見ることができると非常に嬉しかったものです。
このような番組は、ネットが発達した現在では、放映されることはないでしょう。



 
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