倶楽部メモ(616)
平成22年 7月28日〜 8月 2日

日本硫黄沼尻鉄道 ・ 非通過時代の中山宿


投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月28日(水)16時51分28秒
タイトル 東北の ウィーン
▼カリンニコフ……もとい、管理人様:
>「東北のウィーン」「楽都郡山」として音楽活動が多数行われています。

郡山と云えば、安積女子高あらため安積黎明高の合唱部は、全国屈指の強豪でしたね。
共学化してそろそろ十年になりますが、混声編成に移行したのかどうか気になります。
これとは対照的に、少年のみで構成される本家・ウィーンの少年合唱団による公演が、
最近、郡山であった様ですね。近頃、血糖値が気になりつつも、晩酌が止められない
飲兵衛としては(^^)郡山に近い矢吹の地酒「楽器正宗」も気になるのでした。

その郡山に停車する「北斗星」に一昨年乗車した際、ロビー・カーで聞いたのが確か
ロッシーニの「セビリアの理髪師」でした。この曲も、冒頭のファンファーレ部分を
強調すれば、発車ベル代わりになりそうですが、その華やかな曲調に足る風格を伴う
列車となると、往年の「オリエント Exp. 88」辺りに落ち着くのでしょうか。

夏らしい華やかさを強調するなら、チャイコフスキー「イタリア奇想曲」リムスキー・
コルサコフ「スペイン奇想曲」ドヴォルザーク「序曲・謝肉祭」カリンニコフ「序曲・
皇帝ボリス」オッフェンバック「地獄のオルフェ」それぞれの冒頭部分が御薦めです。
今夏の状況では、余計に暑苦しさを演出してしまう恐れもありますが(^^)それでは、
我が地元を始発とし、東北線ホームを「間借り」している水郡線には、どの様な曲が
相応しいですかねぇ(^^)

クラシック音楽(この括り方は、多種多様な編成に細分化される楽曲の分類としては
あまりに大雑把なので抵抗を覚えます)に限らず、あらゆるジャンルの曲を動員して、
毎日放映されるTV朝日系「世界の車窓から」は、誰がどの様な基準を以てBGMを
選曲しているのか、興味深い処です。

格調高い曲調のイメージを以て、永らく、憧憬を抱いていた「氷河急行」で発生した
今回の事故は、実に残念な事でした。日本人観光客の利用が予想以上に多いのですね。
亡くなった方の御冥福と、負傷された方の御快癒を祈念申し上げます。

報道番組によっては「氷河特急」と訳出されて「特急=特別急行/Limited Exp.」が、
日本固有の分類感覚と捉えるなら、やはり「氷河急行」と称したほうが良さそうにも
感じましたが、日本では旅行業者・報道とも「氷河特急」の呼称が一般的だそうです。



投稿者 仙コリ
投稿日 2010年 7月29日(木)00時43分33秒
タイトル Re:東北のウィーン
>>「東北のウィーン」「楽都郡山」として音楽活動が多数行われています。
>郡山と云えば、安積女子高あらため安積黎明高の合唱部は、全国屈指の強豪でしたね。
>共学化してそろそろ十年になりますが、混声編成に移行したのかどうか気になります。

雑魚様は本当に博学でいらっしゃいますよね。
鉄道の話題から離れてしまうので簡単にお答えしますと、結論から言ってしまうと現在でも
ほぼ女声合唱の形態を保っております。
十数年前に市内の公立高校はすべて共学となったのですが、元男子校であった2校を含め
市内にある高校の合唱部の男女比率は、ほとんどの学校でおおむね1:9と女子生徒が
圧倒的に多い状態でして、安積黎明高校においても男子部員は数名といった状況であり
混声合唱が出来る状況ではありませんので、実態的には女声合唱団のままです。
小学校・中学校の合唱部も全国大会上位常連レベルで、男女ほぼ半々の混声合唱なの
ですが、高校生になるとなぜか上記のような状態となってしまいます。
本来タブーの鉄道以外の話題なので、このへんで切り上げさせていただきます。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 7月29日(木)19時05分47秒
タイトル 戯言情報です
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 本日、道南の太平洋側の大雨の影響によって、日中「室蘭線」が「本輪西」付近で一時不通となりましたが、
当地の「運行サイト(JR北海道)」によりますと、「北斗星」及び「トワイライトEXP」の遅延はないとの情報であります。
ただし、道南は大雨が続いていることから今後の状況は不透明な部分がございます。
明日の撮影・車番確認等は、情報を確認されてからの方が賢明であります。

  以上、「戯言情報」でありました。
なお、現在、「宗谷線」「函館線(山線)」「留萌線」が「ウヤ」若しくは「大幅な遅れで運転中」であります。



投稿者 コスモス
投稿日 2010年 7月30日(金)21時22分45秒
タイトル Re:日本硫黄沼尻鉄道
おくればせながら、同鉄道を乗車したことを述べさせていただきます。
乗った時期ははっきりとは思い出せないのですが、昭和34、5年ごろの夏休み中だったときです。
郡山に親戚があり、子供の時から泊まりにいっていました。
親戚の人たちと中ノ沢温泉に泊まりに行くのに乗りました。
国鉄に比べて狭い車両だったというぐらいの記憶しかありません。
乗換駅の川桁までの途中、山中宿駅が通過できないタイプのスイッチバックだったことを
覚えています。昭和38年には通過できるように改良されたようです。
親戚の家の子供たちが、8月21日ごろに夏休み明けで学校に通いだしたのには驚きました。
その分冬休みが長かったのでしょうね



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月31日(土)13時23分59秒
タイトル 中山宿
▼コスモス様:
> 郡山に親戚があり(中略)中ノ沢温泉に泊まりに行くのに乗りました。

母成峠を経由すれば、車で所要一時間弱と思われますが、その当時ですと、乗換えの
手間隙を含め、何だかんだで、三時間近くを要した事と拝察します。

> 中山宿駅が通過できないタイプのスイッチバックだったことを覚えています。

自ら車を運転する様になってから、こうした峠を訪問して漸く、勾配克服の御苦労を
実感します。中央分水界を越える中山峠や碓氷峠は、尚更ですね。

部分的ながら、磐越西線が、羽越線や奥羽線(直流電化された板谷峠区間や仙山線の
輻輳区間を除く)より一足早く電化されたのは、中山峠越えの克服対策まずありきで、
1963年のスルー化は、その為の伏線ではないかと考えます。なお、韓国の太白山地を
横断する嶺東線のスイッチ・バック駅として名高い興田・羅漢亭の両駅は、電化後も
非スルー構造の侭と聞きますが、隧道にて短絡する新線への移行に伴い、2012年頃の
見込みで廃止される予定とか。

電化されたスイッチ・バック駅という事で、特段の風情を感じていた同駅の移転から
既に13年。移動距離は会津若松寄りに 5〜600m程度と 少し長目の印象を受けますが、
旧駅付近ではホーム設置は困難ですし、現在地の方が中山地区の中心地に近い様です。

それにしても、昭和電工の貨物輸送が無くなった今、旅客需要の大きな段落点にして、
エンド交換となる会津若松から先の電化施設は、相対的な存在意義が小さくなりつつ
ありますね。今後、ハイブリッド型の動力が普及すれば、こうした区間を対象とした
電化廃止事例が出て来ても、不思議はありません。

> 8月21日ごろに夏休み明けで学校に通いだしたのには驚きました。

私が実際に目の当たりにした事例として、長野県も該当する様ですね。地球温暖化の
一端と思しき昨今の猛暑を考えると、遠からず、全国標準に倣うのかも知れませんね。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2010年 7月31日(土)15時12分4秒
タイトル Re:日本硫黄沼尻鉄道
廃線跡ですが、友人と訪ねたことがあります。
沼尻に車両が保存されているとの情報がありましたが、行ってみるとご覧の状況。
もうとっくに処分されているものと思っていたので、整備され現在の場所に保存展示
されたことを聞いた時は「よくぞ残っていた!」と驚き、喜んだものです。

昭和47年9月29日 旧沼尻駅の近く

投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 7月31日(土)17時15分11秒
タイトル 北国の長期休業事情
 緑風の吹き抜ける「北の大地」在の「ED76109」でございます。

 先達の皆様方

 >8月21日ごろに夏休み明けで学校に通いだした

 商売柄、関連がありますので・・・。
当地を含めて、長野や北東北等は「夏季休業25日・冬季休業25日」となっております。
つまり、「8月17日〜20日」で「2学期(前期後半)」が開始ということに。
ですから、小生が1月9日前後に一家で帰京する場合、上下とも「北斗星のロイヤル」を利用することができ、
自然と愚娘が「北斗星」のファンになったわけであります。
それでも家族で利用していた時は、「新得」や「遠軽」
そして「札幌」の「みどりの窓口」に通いつめて、やっと確保・・・という盛況ぶりでありました。
ちなみに、NHKローカル「おはよう北海道土曜プラス」の情報によれば、
本日の「札幌発の北斗星・トワイライトEXP・はまなす」とも、全ての列車に空席があるとの情報であります。

 長々と失礼致しました。以上、「8月開幕の2学期」に今は慣れてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 7月31日(土)21時39分44秒
タイトル 北斗星と休暇
ED76109先生:
1月9日前後に「北斗星」で帰京ですか?夏季は大体解りますが冬季は何時2学期終了?
私の金沢の知人は2学期が8月25日開始と言っていました、女房も富山では25日ぐらい
であつたと。
その代わり3学期開始が1月10日過ぎとか----北へ行くほど夏休みが短く、冬が長いの
ですね。
今は1本になってしまったのでまた寝台券が取り難い?のでは?2本あって、臨時
「エルム」があった頃は楽だったでしょうが。
「あけぼの」に食堂車を連結して、札幌まで延長したら、先生などは違ったルートで
往復出来るのに----さて修学旅行には行けそうですか?
そうそう大丸ピーコックでまた「平取」のトマト見つけて買いましたよ。オカシナ英語
がラベルに書いてあったですが、あれもっと詩的な表現ないですかね?



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月 1日(日)00時42分33秒
タイトル 「ブルトレ乗り放題」の時期
 本日二回目の乗車、失礼申し上げます。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様

 >冬季は何時2学期終了?

 当地は「12月24日〜1月18日」がスタンダードなところであります。
ですから、年越しは「愚妻の実家」で過ごし、
正月休み明けのガラガラの「北斗星」で帰京するパターンが多かったのでございます。
子供らが成長してからは、小生単独の「教科書アドバイザー」での広島行で、
この時期同様にガラガラの「トワイライト」で西下して、
「はやぶさ」か「さくら」で東上するといったパターン。
まさしく「ブルトレ乗り放題」状態でありました。

 >寝台券が取り難い?のでは?

 現在、「上りの北斗星・トワイライト」であれば、
「Bコンパート」は「年末年始とお盆休み」以外はほぼ乗車当日で寝台券が購入可能であります。
しかし、「平成元〜3年頃」は「みどりの窓口」では購入しにくい状況があり、
「学校出入りのJTB添乗員氏」に頼んで「ロイヤル」を購入しておりました。
「エルム」は「ハネ」ばかりでしたので、「北斗星」が一杯の折に2度ほどお世話になりました。
しかし、「愚娘」がまだ3歳の頃で、廊下をウロウロしていて、
近隣の「出稼ぎの方々」からお菓子を頂いたエピソードがございます。

 >オカシナ英語がラベルに書いてあった

 ひょっとして「ニシパの恋人」ではございませんか。
であれば、「ニシパ」とはアイヌ語で「酋長」あるいは「紳士」という意味であり、
「トマト界の酋長(!?)」ということで「味・質ともに1番」という意味でありましょう。
前述しましたが、平成10年前後に「札幌発のダイナープレヤデスやグランシャリオで
供食されていたトマトジュース」は「ニシパの恋人」だったという話であります。
甘さを兼ね備えた「トマト」をご堪能下さい。

 長々と失礼致しました。
以上、何もなければ、来週「道内乗り鉄」予定の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 コスモス
投稿日 2010年 8月 1日(日)07時31分49秒
タイトル Re:中山宿
雑魚 様

非通過時代の中山宿では、急行・準急列車などは客扱いなしの運転停車だったのか
停車する列車もあったのかが気になります。
当時郡山機関区にはDF50があったかと思いますが、磐越西線の優等列車に運用されていたのでしょうね。
これらの優等列車で上野まで直通するものは、郡山で東北本線列車との分割併合をするものもあって、
この入換が見ものでした。

ご指摘の韓国嶺東線の新線への切り替えは2年後の見通しですか。その前に乗ってみたいところです。



投稿者 仙コリ
投稿日 2010年 8月 1日(日)20時56分13秒
タイトル 非通過時代の中山宿
コスモス様

>非通過時代の中山宿では、急行・準急列車などは客扱いなしの運転停車だったのか
>停車する列車もあったのかが気になります。

手持ちの1961年の時刻表を見てみると、優等列車(準急のみ)を含めて、全列車が
中山宿駅停車となっていますので、運転停車は無かったようです。
通過可能となった後の1964年の時刻表では各駅停車列車以外の優等列車は全て通過
となっています。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月 2日(月)15時51分49秒
タイトル エルム
▼コスモス様:
> 非通過時代の中山宿では急行・準急列車などは客扱いなしの運転停車だったのか

詳細は、管理人様の御回答に委ねるとして、まだ定期の旧客便が健在だった電化初期、
臨時急行が対向待ちで運転停車した事例があった様にも記憶します。

> 上野まで直通するものは、郡山で東北本線列車との分割併合をするものもあって、

この伝統は、電車急行「まつしま」「ばんだい」の多層建運用にも継承されましたね。
上り「ばんだい」を利用した際、郡山の到着の直前、合流する東北線の逢瀬川橋梁に
相棒の「まつしま」が停車していた様子を記憶しています。

この「ばんだい」の臨時相当筋として、1990年代の行楽期に「レインボー」「サロン
東京」を動員した臨時急行が、度々運転されています。私も何度か、氏家〜蒲須坂で
下り便を撮っていますが(宝積寺〜氏家の「足場」として重宝している国道四号線の
菖蒲沢交差点に接続する広域農道の陸橋は、未開通でした)ジョイフル・トレインの
撮影に重宝したこのスジは、確か「あいづ」または「エルム」の上りと、当該箇所で
擦れ違うタイミングで、一度だけ「千載一遇」の場面に遭遇した記憶があります。

当時の「あいづ」は、奥羽線の改軌で仙山線を迂回していた「つばさ」一往復と共に、
盛岡以南の東北線では貴重な、風格のある交直流特急として、貴重な被写体でしたね。
共通運用先の「ひたち」の都合上、ボンネット車の編成が充当されたり、理由は全く
判りませんが、特急扱いの侭、黒磯→宇都宮に限って各駅に停車するなど、興味深い
イレギュラーもありました。

一方「エルム」のスジは、夏休み相当期間を除く 6〜10月の頃、一般開放の無い日は
修学旅行集約臨に仕立てられる事が多く、午後一番の約束で栃木の取引先に向かう際、
都合の良い被写体でした。その後のブルトレ衰退を思えば、青函隧道が開業した事で
日中、栃木県内で昼頃、気軽にブルトレを撮影できた90年代は、今となっては「古き
良き時代」だったと言えますね。

==========================================================================

▼管理人様:

先日は、特別にレスを頂いて、有難うございました。直接、鉄道に関係するネタでは
ありませんでしたが、地誌的視点から老舗公立高校の分布に興味を持つ立場としては、
福島県立の場合、県中(郡山)いわき両学区に跨る「共通区」扱いの小野町において、
主要駅と拠点校の位置関係をも勘案した時、小野新町を段落点とする磐越東線の通学
利用動機に、どの様に反映されるかという、RJ誌風の詮索も気になっています。




投稿者 コスモス
投稿日 2010年 8月 2日(月)20時05分17秒
タイトル Re:非通過時代の中山宿
仙コり 様

ご教示をいただき、ありがとうございます。
改良前後ではがらっと変わってしまったのですね。
中山宿駅を利用される方々(そう多くはないでしょうが)には残念でしたが、
優等列車の時間短縮には貢献したようですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月 2日(月)20時08分18秒
タイトル Re:エルム
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >「エルム」の上り

 小生、「エルム」に係り、「修学旅行の車内放送以外」でも色々とありまして・・・。
それでは、いつものように「エルム」に係る「戯言」を。

1 小生が最初に「エルム」を利用したのは、「平成2年」の黄金週間。
 帰りの「北斗星」は購入できたのですが「上り北斗星」が全く購入できず、「新得」のみどりの窓口で
 「臨時で一応ご用意できますが・・・。」と言われて飛びついたのでありました。
 乗車してみると、半分程度の乗車率。
 のんびりと「上野」までの道すがら、「平泉」や「松島」の風景を楽しみながらの道中と相成りました。
 しかし、「上野」で出迎えのはずの「鉄」親父たちが「13番フォーム」にはおらず、どうしたのかと気を揉む羽目に。
 10分後に現れた「鉄」親父に話を聞けば、「時刻表には『5番フォーム』に入線となっていたのに、
 一向に着かないから駅員に聞けば、『13番線』だと言いやがる。」と苦笑い。
 駅員氏に聞いたところによると、「エルム」の「上野駅入線フォーム」が
 なぜか時刻表では誤って掲載されることがたびたびで、出迎え客がよく右往左往していたとのことでありました。


2 平成5年の盛夏、「大雨の九州乗り鉄」の帰路に利用した「下りエルム」は、
 「宇都宮」からの少年野球の団体さんと一緒になりました。
 聞けば、北海道・東北の地区代表が「白老」に集まって、「キャンプ」をしながら交流を深める大会に参加するとのこと。
 小学生と保護者を合わせて30人の大所帯なので、羽田まで行くのは億劫と「エルム」利用に落ちついたのでありました。
 すると、翌日「函館」を発車してから、「札幌車掌区のカレチ」氏が
 「本日は団体のお客様が下車されるため、『白老』に臨時停車いたします」との放送があり、件の団体は「白老」で下車。
 小生、初めて団体客のために臨時停車するという場面に遭遇できたのでありました。


3 「平成12年」の盛夏、国語の研究会参加のために「上りエルム」に乗車。
 しかし、「札幌」で最後尾の「ハネ」に乗ったところ、小生以外に客は不在で全くの「貸切状態」。
 その年に春先に乗車した「上り富士」と同様の事態に、小生愕然となりました。
 翌日、朝焼けの「奥中山」で目覚めたのですが、やはり車内は小生以外はもぬけの殻。
 臨時レなのだからと、割り切って久しぶりの「難所」を下る「EF81」の雄姿を眺めておりました。
 「仙台」で「車販のバイト」君から「朝餉」を購入したのですが、
 「ガラガラで仕事にならないですよ。」とぼやいた苦笑が印象的でありました。

 長々と失礼致しました。
以上、「トホホセの風景」が十二分に堪能できる「エルム」の復活を祈念する「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
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